第19話 サボリーマン、対抗戦の作戦会議を開く
ハイディ先生の算術の時間は、だいたいロッテの「剣で切る!」で止まる。
「では、ロッテさん。りんごが八つあります。二人で同じだけ分けると、一人いくつでしょう」
「剣で切る!」
「……切らずに、分けてください」
「じゃあ、いらない」
ロッテは、卓の下で棒きれを振っていた。母親の剣のまねである。授業のあいだ、ずっと振っている。隣のリーゼは黙って板切れに数を書いて、とっくに答えを出していた。
わしは、いつもの床の席で積み木を並べていた。
ハイディ先生は、困った顔で笑った。宿屋で鍛えた笑顔でも、ロッテの前では、ときどき困ったほうに傾く。
「宿のお客さまなら、お好きな話から入れば、すぐ打ちとけてくださるんですけれど」
先生は、ため息まじりにつぶやいた。
そう、そこだ。前世の営業部の連中も、口をそろえて言っていた。客の好きな話から入れ。そしてロッテの好きな話は、剣と、母親の強さしかない。
このままロッテが算術を覚えないと、どうなるか。ロッテが覚えるまで、授業が延びる。授業が延びると、床の席でのわしの昼寝が、先生の「はい、もう一度」で毎回起こされる。
それは困る。
わしは、積み木を縦に一つずつ、八つ並べた。
「ねえちゃん。かあさまの、けん、これくらい?」
ロッテが、棒を止めた。床をのぞきこんで、眉をつり上げる。
「ちがう! 母さんの剣は、もっと長い!」
ロッテは卓の下にもぐりこんできて、積み木を二つ足した。十個になった。
「これ!」
「ぼくのけんは、はんぶん」
わしは、手の中の短い棒きれを見せた。ロッテはふんと鼻を鳴らして、十個の積み木を真ん中で分けた。
「はんぶんなら、五つ!」
……言った。
卓の上で、ハイディ先生の目が、ぱっと光った。
「ロッテさん」
先生は、自分の前の帳面を閉じた。
「お母さまの剣を、五人で同じだけ分けて持つとしたら、一人ぶんは積み木いくつですか」
「五人で? ……二つ!」
「では、お母さまの剣の半分の、そのまた半分は」
「えっと、五つの、はんぶん……二つと、はんぶん!」
ロッテは、もう棒きれを振っていなかった。
その日から、ハイディ先生の算術は、剣の算術になった。剣の長さを分け、剣を振った回数を足し、母親が一振りで倒した魔獣の数を数える。ロッテは毎回、真っ先に手を挙げた。
「ロッテが算術で手を挙げるなんて、初めて見たよ」
夕飯の席で、母親が目をまるくした。
「宿でも、お客さまのお好きな話から入ると、話が早いんです」
ハイディ先生は、にっこりして言った。それから、ちらりと壁際の隅の席を見た。
わしは、椀の中の芋を、一つずつ数えるふりをした。
◇ ◇ ◇
秋の初めに、近くの領主の家どうしで、収穫祭があった。
毎年、持ち回りで、どこかの村に集まるのだという。今年は赤ら顔の領主の村で、うちから台を押して半日かかる。子どもの対抗戦があると聞いてから、ロッテは寝言で「勝つ!」と叫ぶようになった。
出かける朝は、大さわぎだった。
カイがいない。双子は浮く台のいちばん前の席を取り合って、どちらも譲らない。フィンは荷物の上で二度寝していて、ネルは母親の背中で、なぜか怒っている。ロッテは棒きれを三本持っていこうとして、母親に二本取り上げられた。いちばん先に支度ができていたのはリーゼで、板切れを抱えて、とっくに門の前に立っていた。
「カイは!」
「宝物、埋めに行った!」
ロッテが叫んだ。祭りのあいだに誰かに取られないよう、裏の木の根もとに埋めるのだという。誰も取らない。
ハイディ先生が、手を叩いた。
「ミナさんは、行きの道で前の席。ニナさんは、帰りの道で前の席。フィンさんは、荷物の上のままで結構です。カイさんは、わたしが拾ってきます」
先生は裏へ回ると、すぐにカイを小脇に抱えて戻ってきた。カイの手には、土のついた青いガラス玉が握られている。埋めかけて、やっぱりやめたらしい。
父親が、台を押しはじめた。
「……出る」
◇ ◇ ◇
赤ら顔の領主の村は、うちの村より、ひと回り大きかった。
広場には、もう長い卓が並んでいた。ほかの村の領主の家族も、何組か来ている。
「おお、クローベル殿! また増えたか!」
赤ら顔の領主が、父親の肩をばんばん叩いた。
「……九人だ」
「うちは八人だ! 子の数では負けたが、対抗戦では負けんぞ!」
領主の後ろに、八人の子どもが並んでいた。みんな、でかい。いちばん上の男の子はエリクと同じくらいの年なのに、父親の肩くらいまである。いちばん下の子でも、わしより頭ひとつ大きい。
腕も足も、太い。
わしは、自分の腕を見た。細い。ロッテの腕も、カイの腕も、細い。
この差は、たぶん肉の差だ。広場の端では、大きな猪が丸ごと火にかけられていた。
対抗戦は、二つあった。駆けっこのつなぎと、綱引きである。出られるのは六つから上の子だけで、うちからはロッテとリーゼとカイの三人。向こうは、六つから上が六人いる。
「三人で、六人に勝つ!」
ロッテは、ぜんぜんひるんでいなかった。
わしは、ひるんでいた。負けるのは、べつにかまわない。困るのは、負けたあとのロッテだ。負けたロッテは、来年の祭りまで毎朝、子分を相手に「特訓」をする。子分二号の朝寝が、一年ぶん消える。
作戦会議が要る。ただし、表で開くわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
駆けっこのつなぎは、広場の端から端までを、三人で棒をつないで走る。
いちばんの問題は、カイだった。
カイは速い。この家でいちばん速い。ただ、走っているあいだに光るものを見つけると、止まる。石。虫。きらきらした何か。さっきの練習では、広場の真ん中でコガネムシを拾って、そのまま帰ってこなかった。
止まる理由をなくせばいい。いや、もっといい手がある。止まる理由を、ゴールに置けばいい。
ロッテたちが走る順番でもめているあいだに、わしはカイの上着のかくしから、青いガラス玉をそっと抜いた。それから、ゴールの杭のところまでとことこ歩いていって、杭のてっぺんにちょこんと載せた。
五歳が杭のまわりをうろうろしていても、誰も気にしない。
「はじめ!」
一番手のリーゼは、黙々と走った。向こうの子に、少し離された。
二番手のロッテが、棒をひったくるように受け取って、地面を蹴った。速い。向こうの子に追いついて、並んだ。
三番手のカイに、棒が渡った。
向こうの三番手は、いちばん上の男の子だった。足が長い。一歩で、カイの二歩ぶん進む。カイが、離されていく。
そのとき、カイの目が、ゴールの杭に止まった。
杭の上で、青いガラス玉が、日を受けて光っていた。
「――おれの!」
カイが、跳んだ。
それまでのカイとは、別の生き物だった。かくしの中にあるはずの宝物が、なぜか杭の上で、誰かに取られそうになっている。カイの足が地面を叩く音が、急に倍になった。
向こうの男の子を、抜いた。
カイはゴールの杭に体ごと飛びついて、ガラス玉をつかんだ。
「おれのだ!」
広場が、どっと沸いた。
カイは、勝ったことに気づいていなかった。ガラス玉をかくしにしまいながら、首をかしげている。
「なんで、ここにあったんだ?」
誰も答えられなかった。わしも、答えなかった。
◇ ◇ ◇
綱引きは、そうはいかなかった。
いくらなんでも三人では、と大人たちが言って、こっちには、ほかの領主の家の子が三人足された。それで六対六。ただ、向こうの六人は、こっちの六人より、ひと回りずつ大きい。
一回めは、ずるずると引きずられて負けた。三本勝負なので、あと一回負ければ終わりだ。
綱の真ん中で、ロッテが歯を食いしばっていた。
引きずられるのを見ていて、分かったことがある。こっちは、力で負けているだけではない。六人が、ばらばらに引いている。誰かが引くとき、誰かは息を吸っている。綱が、そのたびにたるむ。
二回めの前に、わしはロッテの袖を引いた。
「ねえちゃん。トン、テン、カン、カンの、カンで、みんなでひく」
ロッテが、わしを見下ろした。
「……寝かしつけの、あれ?」
「うん。カンで、いっしょ」
ロッテはしばらく考えて、それから親分の顔になった。綱の列の前に立って、六人に向かって叫ぶ。
「いい!? あたしが『トン、テン、カン、カン』って言うから、カンで引くの! カンだけ! 親分の命令!」
ほかの領主の家の子たちは、ぽかんとしていた。でも、ロッテの声には、逆らえない何かがある。
前世の言葉でいえば、同期である。ばらばらに動いているものの、拍子をそろえることだ。前世のサーバーは、拍子がずれると、まとめて止まった。
「はじめ!」
「トン、テン、カン、カン!」
カンで、六人の体が、いっせいに後ろへ倒れた。
綱が、ぐん、と動いた。
「トン、テン、カン、カン!」
ぐん。
向こうの子どもたちが、目を白黒させた。
三度めのカンで、向こうのいちばん前の子が、線を越えた。
三回めも、同じだった。広場の大人たちまで、いつのまにか「カン!」と声をそろえていた。
わしの隣で見ていたハイディ先生が、ぽつりと言った。
「……あの掛け声、毎晩、寝床で聞いている気がします」
わしは、焼き芋を口いっぱいにほおばった。五歳は、口がふさがっていれば、何も答えなくていい。
勝ったのは、ロッテとカイだった。
ロッテは六人の真ん中で拳を突き上げ、カイはガラス玉を空にかざしていた。赤ら顔の領主の家の子どもたちまでロッテのまわりに集まって、「親分!」と呼びはじめた。
「たいしたもんだよ、ロッテ!」
母親が、ロッテの頭をぐしゃぐしゃになでた。母親の背中で、ネルが、きゃっきゃと手を叩いた。
◇ ◇ ◇
祝いの席で、若い領主が父親のところへやってきた。
「クローベル殿。街道の見回りのおかげで、うちの村の荷が、今年も無事に町へ届きました」
若い領主はそう言って頭を下げ、それから、少し照れくさそうに笑った。
「困ったときは、お互いさまです。何かあったら、いつでも言ってください」
父親は、黙っていた。
黙ったまま、しばらく若い領主の顔を見ていた。それから、口のはしが少しだけ上がった。
「……ああ」
ずいぶんうれしそうな「ああ」だった。
帰りぎわ、赤ら顔の領主が、焼いた猪の脚を一本、父親に押しつけた。それから、うちの子どもたちを順番に眺めて、首をひねった。
「……クローベルの子は、妙にまとまってやがる」
帰りの台の上で、わしは猪の脚を抱えていた。重い。脂が、まだ温かい。
赤ら顔の領主の子どもたちの、太い腕を思い出す。それから、自分の細い腕を見た。
……肉が、要る。
スマホは、今日も震えなかった。




