第17話 サボリーマン、取引先のお嬢さまを接待する
託児所の帰り道は、手の取り合いから始まる。
戸口を出たとたん、右手をミナが、左手をニナがつかむ。ここまでは毎日同じだ。問題は、そのあとである。
「……ぼくの、て」
フィンが八の字の眉で、わしの両手を見上げる。この春から、フィンも託児所に通いはじめた。わしの手は二本しかなくて、二本とも、もうふさがっている。
フィンの目に、じわりと涙がたまっていく。
この春の初めのうちは、ここでフィンが泣いた。双子のどちらかが手を離してやると、今度は離したほうが泣いた。毎日、三人のうち誰かが泣きながら帰っていたし、わしの両手は、毎日いちばん疲れていた。
今は違う。
「ミナ、ニナ。フィンの、おねえちゃん、して」
わしがそう言うと、双子の目が光った。
「おねえちゃん!」
ミナがフィンの右手を、ニナが左手を握る。フィンは真ん中で、ふたりに引っぱられて、とことこ歩きだした。泣きかけていた顔が、きょとんとした顔に戻る。
ちょうどいい弟が、一人いた。
わしは、三人の前を手ぶらで歩く。
人は、役をもらうと手がふさがる。手がふさがれば、取り合いはしない。おかげで、わしの両手は、毎日いちばん空いている。
広場を通りかかると、村じゅうが掃除をしていた。
声のでかいおやじが、ほうきを振り回している。猟師の若者は、柵の杭を一本ずつ叩いて回っていた。
「明日は寄り親様の巡察だ! 道に石ひとつ残すんじゃねえぞ!」
それから、おやじはわしらに気づいて、ほうきを止めた。
「おう、ミナ嬢ちゃんとニナ嬢ちゃんは、もうすっかり姉ちゃんだな!」
双子は、フィンの手を握ったまま、そろって胸を張った。フィンは、真ん中で引っぱられて、少し浮いた。
手ぶらのわしは、誰にもほめられなかった。それでいい。ほめられると、次から手を貸してくれと言われる。
家に着くと、母親はわしの顔を見て、にやりと笑った。
「お姫さまも、来るってさ」
わしの背中が、また冷たくなった。
マネなら、取引先が来る前の晩に、相手の家族構成と好物の一覧を作っていた。わしが知っているのは、相手が五歳で、袖をつかんだら離さない、ということだけだ。
◇ ◇ ◇
寄り親様の一行は、次の日の昼前に着いた。
行商人の馬車より、さらに大きい浮く荷台だった。兵隊が四人、前と後ろを歩いている。荷台の上には、麦の袋と塩の壺と、なぜか鍬が十本。そのうしろに、馬車が一台ついてきた。
「わっはっは! クローベル、来たぞ!」
声で分かった。手紙に書いてあったとおりの笑い声だった。
丸々と太った体が、馬車から降りてきた。結婚式のときは泣いてばかりいたので気づかなかったが、腕が太い。脂ではなく、中身の詰まった太さだ。
その腕が、荷台の麦の大袋を、片手で一つずつ、ひょいと下ろした。父親が二人がかりで運ぶ袋である。
「鍬は、おまえのところのが、だいぶすり減っとると聞いたのでな。使え!」
父親が、深く頭を下げた。
「……ありがたく」
そのとき、荷台の上から、小さな影が飛んだ。
降りるための踏み台からではない。荷台のいちばん高いところ、麦の袋の山のてっぺんからだった。大人の背丈より高い。
寄り親様は、そちらを見もしなかった。片手に麦の袋を下げたまま、空いたほうの手を、ひょいと横に出す。小さな影が、その手のひらに、すとんと収まった。
声のでかいおやじが、小さくうなった。
「……相変わらず、とんでもねえ腕だ」
寄り親様の手から飛び降りた影は、まっすぐ、わしのところへ走ってきた。
ふわふわの髪に、レナーテ先生によく似た、きっちりした目。
「アイン! けっこんしにきた!」
……用件が、はっきりしている。
「だめ!」
わしの右から、ミナが叫んだ。
「だめ!」
左から、ニナが叫んだ。ふたりはわしの腕に、左右からしがみついた。手を離されたフィンは、真ん中で、きょとんとしている。
「こぶんが、とられる!」
カイが、わしの頭を後ろから押さえた。ロッテは、兵隊の腰の剣ばかり見ていた。
寄り親様は、腹をゆすって笑った。
「わっはっは! うちの姫は、言いだしたら聞かん。三男坊、頼んだぞ!」
頼まれてしまった。
取引先のお嬢さまの、アテンドである。
◇ ◇ ◇
大人たちの寄り合いは、家の卓で開かれることになった。
戸口では、ハイディ先生が寄り親様を迎えて、深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
今度は、合っていた。
子どもたちは、庭に出された。
わしの右に姫、左に双子、足もとにフィン。姫がわしの袖を引くと、双子が反対の腕を引く。前世の運動会の綱は、たぶんこんな気持ちだった。
このままでは、日が暮れるまで引っぱられる。泣く子が出れば、卓の大人たちが寄り合いを止めて出てくる。寄り合いが止まれば、寄り親様の帰りが遅くなる。帰りが遅くなれば、引っぱられる時間が延びる。
堂々めぐりである。どこかで切らなければならない。
わしは、父親が削ってくれた積み木の袋を、庭のまんなかでひっくり返した。
「まち、つくろう」
四人が、わしを見た。
「おひめさまは、りょうしゅさま。まちを、みてまわるひと」
姫の目が、まんまるになった。
「おじいさまと、おんなじ!」
「ミナとニナは、さく。さくがないと、まちは、おわり」
「おわり!?」
双子が、そろって息をのんだ。
「フィンは、まじゅう」
フィンは、こくりとうなずいた。こわくない魔獣である。
「アインは?」
姫が、わしの袖を引いた。
「……おむこさん」
「おむこさん!」
姫が跳びはねて、双子が口を開きかけた。わしは急いで付け足した。
「おむこさんは、すわってるだけ」
双子は顔を見合わせて、それなら、という顔で柵を積みはじめた。
それからの庭は、静かだった。
双子は、ふたり一組で積み木の柵を並べていく。ミナが置いて、ニナがまっすぐに直す。卵のかごと同じやり方だ。フィンの魔獣は、柵の外をのそのそ歩き回って、ときどき柵の積み木をひとつ持っていこうとしては、双子に「だめ!」と取り返されていた。
姫は、町を見て回った。
両手を後ろで組んで、お腹を突き出して、積み木の家の前で立ち止まる。
「さくは、なおっとるか!」
「なおってる!」
「わっはっは!」
……おじいさまに、そっくりだった。
ひととおり見て回ると、姫は、わしの前に積み木を二山置いた。
「おむこさん。どっちが、たかくつめるか、しょうぶ!」
すわってるだけ、と言ったはずなのだが。
姫の積み木は、七つめでぐらぐらしはじめた。わしは六つめまで積んで、七つめを、わざと斜めに置いた。わしの塔が、がらがらと崩れた。
「かった!」
姫が、両手を上げた。
前世で一度だけ連れていかれた接待ゴルフで、課長に教わったことがある。取引先より先に、カップに入れてはいけない。前世の教えで役に立ったのは、だいたいこういう、どうでもいい教えのほうだ。
「アインにいに、まけた」
ミナが、柵の向こうから言った。
「わざと」
ニナが、眉間にしわを寄せて言った。
……四歳に見抜かれた。接待としては、失格である。
幸い、姫は聞いていなかった。勝った塔のてっぺんに、もう一つ積み木を載せて、満足そうに町の見回りに戻っていった。
わしは、町のまんなかに座っていた。おむこさんの仕事である。日なたはぽかぽかして、少しうとうとした。
開けた窓から、卓の話し声が聞こえてくる。柵の直し。畑の具合。去年の冬の芋。森沿いの街道の見回りのこと。泣き声も子どもの乱入もないので、話は一つずつ、すいすいと片づいていく。
「――大物が出たら、すぐ知らせろ。うちの兵を出す」
寄り親様の声だった。
「寄り親様が来てくだされば、一振りでしょうに」
声のでかいおやじが言った。少しだけ、とがった声だった。
「わしは出ん。わっはっは!」
寄り親様は笑い飛ばして、すぐに別の話を始めた。
「それより、この白湯はうまいな! 誰が沸かした!」
「宿屋の娘ですので」
ハイディ先生の声が答えて、寄り親様は、また「わっはっは!」と笑った。おやじの話は、それきりになった。
◇ ◇ ◇
寄り合いのあと、寄り親様は兵隊を連れて、村の柵を見て回った。
その背中を見送りながら、声のでかいおやじが、猟師の若者にぼそりとこぼした。
「あれだけの腕で、自分は出てこねえんだからなあ」
「……ですねえ」
わしは、積み木の町のまんなかで、それを聞いていた。
前世の言葉でいえば、BCPである。
レナーテ先生の結婚式で見た寄り親様の家族の席は、うちの卓の半分もなかった。寄り親様の隣に、姫がちょこんと座っていた。姫の父親と母親の席は、どこにもなかった。
だから、出ない。強いのに、出ない。
前世の会社にも、現場に出てこない部長はいた。ただ、あの部長は弱かった。強いのに出ないのは、たぶん、ずっと難しい。
柵の向こうで、寄り親様が杭を一本、拳で軽く叩いた。杭が、半分地面にめりこんだ。
……本当に、ずっと難しいと思う。
◇ ◇ ◇
帰りぎわ、寄り親様は、庭の積み木の町を見下ろした。
柵は、二重になっていた。双子が念を入れたらしい。魔獣のフィンは、柵の外で丸くなって寝ている。姫は町の門の前で、両手を後ろに組んで立っていた。
「わっはっは! 姫の町は、柵がしっかりしとる!」
それから寄り親様は、父親の背中をばしんと叩いた。
「おたくの三男坊は、子守りがうまいな! 巡察の寄り合いが、こんなに早く済んだのは初めてだ」
「……ああ」
父親は、背中をさすりながら言った。
姫は、荷台に乗せられる寸前まで、わしの袖を離さなかった。
「アイン、またくる! つぎは、けっこんしきね!」
「「だめ!」」
双子の声が、またそろった。
荷台が浮いて、動きだした。寄り親様が、馬車の窓から振り返った。
「そうだ、クローベル! エリクは学校で、帳面ばかりつけとるぞ。夏には帰す! わっはっは!」
笑い声は、荷台が森の向こうに見えなくなっても、しばらく聞こえていた。
子守りがうまい、と言われた。
五十年、親戚の子の相手で鍛えた腕である。鍛えた相手には、だいたい十年後に口をきいてもらえなくなるのだが。
夏には、エリクが帰ってくる。
自分のいない家が回っているのを見たら、兄は、なんと言うだろう。
スマホは、今日も震えなかった。
――ビジネス用語――
※1 アテンド:お客に付き添って、案内やもてなしをすること。今回のアテンド先は、五歳の取引先のお嬢さま。
※2 BCP(事業継続計画):何があっても仕事が止まらないように、前もって決めておく手立て。寄り親様の BCP は、跡継ぎの少ない家の当主が、自分は前に出ないこと。




