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サボリーマン、異世界を無自覚最適化~わし、恋愛したいだけなのに~  作者: 木漏れ日☆
第二章 サボリーマンと地球のつながり

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第15話 サボリーマンは、寿退社を見送る

エリクの帳簿は、冬のあいだに村じゅうの評判になった。


神殿でスキルを授かってから、エリクは数字に強くなった。もともと強かったのが、さらに強くなった。父親の帳面の横で、家の芋と麦の数をつける。それが終わると、村の人たちが持ってくる刻み目だらけの板切れを、帳面に写していく。誰の家が、誰に、麦を何袋貸したか。冬のあいだ、誰の家で芋がいくつ足りなくなりそうか。


エリクの指は、数字の上をすいすい動いた。数が、ほどけて見えるのだという。


わしは、その横に座っていた。


わしにも、理由がある。帳簿が狂えば、冬の芋の勘定が狂う。芋の勘定が狂えば、わしの椀が軽くなる。わしの昼寝と晩飯を守るには、エリクの帳簿を守るのが、いちばん費用対効果(※1)がいい。


エリクは速い。ただ、速いぶん、ときどき写しまちがえる。夜遅くまで書いていると、とくにだ。


その夜も、エリクの指が、ある数字の上を通りすぎた。


板切れには、刻み目が七本。帳面には、九と書いてある。


わしは黙って、その九のところを、人差し指でつついた。


「アイン、そこ触るなよ」


エリクはわしの手をどけた。どけながら、つつかれたところに目を落とした。板切れの刻み目を数え直す。それから、九を消して、七と書き直した。


「……あ」


それきり、エリクは何も言わなかった。


次の夜も、わしはつついた。その次の夜も。エリクはそのたびに「触るなよ」と言いながら、つつかれたところを見直した。そして、だいたい直した。


前世でいえば、レビュー(※2)である。前世のレビューは、指摘一件につき会議が一時間ついてきた。ここでは、指一本で済む。


やがて村では、こう言われるようになった。


「エリク坊ちゃんの帳簿は、間違えねえ」


声のでかいおやじが、寄り合いの席で胸を張って言った。なぜか、おやじが自慢げだった。


三度めにつついた夜、エリクは帳面を直したあと、手を止めて、わしの顔を見た。


じっと、見た。


「……まさかな」


まずい。生まれて四か月のとき以来、二度めだ。


わしは、全力で四歳の顔をして、帳面の上を指さした。


「……むし」


「虫?」


エリクは帳面に顔を近づけて、それからほっと息を吐いた。


「なんだ。虫を追いかけてたのか」


冬に、虫はいない。だが、エリクはそれ以上は聞かなかった。たぶん、聞きたくなかったのだと思う。


◇ ◇ ◇


エリクの帳簿が村の評判になったころ、レナーテ先生の三年が、終わろうとしていた。


「春に、結婚します」


夕飯の席で、先生が言った。いつもの、よく通る声だった。


母親が、ぱっと顔を明るくした。


「おめでとう! ……で、相手は誰だい。あたしの知ってる人かい」


「町の本屋の、若主人です」


先生の耳が、赤かった。


本屋。


わしの頭の中で、いくつもの場面がつながった。寄り親様の町の市場で、人ごみの向こうに見えた先生の赤い耳。行商人が届けた手紙。窓辺で読み返して、少しだけ上がった口のはし。


……そうか。本屋か。


「ほんや!」


リーゼが、匙を落とした。先生の結婚より、本屋のほうに反応している。


「あの人は、段取りがまったくできない人なんです」


先生は、少し困ったように笑った。


「本を読みはじめると、約束の時刻を忘れます。店を開けるのも忘れます。わたしが組まなければ、何ひとつ始まりません」


それから、もっと困ったように、もっとうれしそうに言った。


「だから、わたしが組む余地があるんです」


わしは、椀の芋を見つめた。


段取りのいい人が好きになったのは、段取りのできない人だった。


◇ ◇ ◇


式は、春の初めに、寄り親様の町で挙げることになった。


家族そろって、二度めの町への旅である。エリクは、式のあとそのまま町に残って、学校に上がる。旅の荷物の中には、エリクの着替えと帳面がひとまとめにくくってあった。


町に着くと、先生はわしらに、一人一枚ずつ小さな紙を配った。


紙には、細かい字が並んでいた。神殿に集まる時刻。誓いの時刻。祝いの席に移る時刻。誰がどこに座るか。子どもは何時に寝床へ戻るか。ネルの乳の時刻まで書いてあった。


母親が目をまるくした。


「あんた、自分の式の段取りまで組んだのかい」


「自分の式だからです」


先生は、きっぱりと言った。


前世のマネでも、ここまでの段取りは組まなかった。わしは、紙のいちばん下を見た。


最後に、ひと枠だけ、何も書いていないところがあった。小さな字で「予備」とだけある。


三年前、最初の授業で見せてくれた三年分の計画と、同じ形だった。


この空きには、何が入るのだろう。


答えは、式の当日に分かった。


◇ ◇ ◇


神殿には、町の人がたくさん集まっていた。


寄り親様が、いちばん前の席にいた。丸々と太った人で、その体を揺らしながら、まだ何も始まっていないのに、もう泣いていた。


花嫁のレナーテ先生は、白い布を肩にかけて、神殿の入り口に立っていた。きっちりまとめた髪に、小さな花が一輪さしてある。


紙に書いてある誓いの時刻になった。


花婿が、来なかった。


神殿が、ざわつきはじめた。寄り親様が泣きやんで、きょろきょろと入り口を見た。母親が、眉をひそめた。


先生だけが、落ち着いていた。手もとの紙に目を落として、小さくうなずいた。


「予備の枠に入りました」


そのとき、入り口から、ひょろりとした若い男が駆けこんできた。指先がインクで黒い。脇に、一冊の本を抱えている。


「す、すみません! 読みはじめたら、つい……」


「知っています」


先生は、本を抱えた花婿の腕を取って、にっこり笑った。


「だから、予定に入れておきました」


神殿じゅうが、どっと笑った。寄り親様が、また泣きだした。


わしは、笑えなかった。


この人の段取りの最後の空きは、この人のためにあったのだ。


完敗だった。段取りの腕でも、器の大きさでも、勝てるところがひとつもない。そもそも、わしは四歳である。


神官が、二人の前に立った。


「五柱の神々と、プロト王国の名のもとに、この二人の誓いを――」


……プロト?


わしは、耳を疑った。


今、国の名前を言ったのか。生まれてから四年、ずっと聞きそびれてきた、あの名前を。


プロト。


……試作品?


わしの国、試作品なんか。


前世の言葉が、勝手に頭の中で答えを出してしまった。この世界の言葉では、きっと別の意味なのだろう。そうであってほしい。四年かけてようやく聞き取れた国の名前は、聞かなかったことにしたい名前だった。


◇ ◇ ◇


祝いの席は、寄り親様の屋敷の庭だった。


紙に書いてあるとおりの席に、紙に書いてあるとおりの順番で、料理が運ばれてきた。村では見たことのない、白いパンと、焼いた肉と、甘い煮豆。カイは三皿めで寝た。


わしの隣の席には、知らない女の子が座っていた。


五つくらいだろうか。寄り親様の孫娘らしい。ふわふわした髪に、レナーテ先生とよく似たきっちりした目をしている。


女の子は、わしをじっと見て、それから宣言した。


「あなた、あたしのおむこさんにする」


……四つになってから、これで二件めである。


託児所の一件めは、言うだけ言って、すぐに別の子と遊びに行った。こちらは、そうはいかなかった。


女の子は、それから祝いの席が終わるまで、わしの袖を離さなかった。向こうは本気で、こっちは親戚のおじさんである。


花嫁と花婿が、席を回ってきた。


先生は、わしの前でしゃがんだ。三年前、初めて会った日と同じように、目の高さを合わせてくれた。


「アインさん。三年間、床の席で、よく聞いてくれましたね」


……気づいていたのか。いや、毛布を敷いたのは先生だ。気づいていないはずがない。


「アインさんも、いつか、自分の段取りを組んでくださいね」


先生は、わしの頭をなでて、花婿と一緒に次の席へ移っていった。


そこで、わしの目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。


止まらなかった。四歳の体は、泣こうと思わなくても泣ける。泣くまいと思っても、泣ける。


「アイン、泣いてるの?」


ロッテがのぞきこんで、それから、分かったという顔でうなずいた。


「エリク兄ちゃんが、町に残るからだね」


母親が、わしを抱き寄せた。エリクが、わしの頭をくしゃくしゃにした。


「……すぐ、帰ってくるよ。休みのたびに」


違う。そうではない。


だが、四歳の口では、うまく言い直せなかった。それに、エリクがいなくなるのも、本当に寂しかった。


わしは、エリクの服に顔をうずめて泣いた。袖を、孫娘がまだ握っていた。


◇ ◇ ◇


次の朝、エリクは町に残った。


学校の門の前で、エリクは一人ずつ頭をなでた。いつも父親がやっている順番だった。ロッテ、リーゼ、カイ、わし、ミナ、ニナ、フィン、ネル。最後に、自分の帳面を、父親に差し出した。


「……家の帳簿。続きは、父さんが」


父親は帳面を受け取って、しばらく黙っていた。それから、ひとことだけ言った。


「……ああ」


帰り道、父親は浮く台を押した。台の上には、双子とフィンと、わし。ネルは母親の背中だ。行きより、荷物がひとつ軽い。


父親の隣が、空いていた。


行きの道で、エリクが黙って歩いていた場所だ。


わしは、台から降りた。父親の隣に並んで、四歳の足で歩きはじめる。父親が、ちらりとわしを見下ろした。


「……疲れたら、乗れ」


二語だった。


わしは、うなずいて歩き続けた。疲れたら乗るつもりだった。効率よく、ラクをするのが、わしの方針だ。


ただ、そのとき、ふと思った。


エリクがいなくなった家には、エリクの仕事が全部、そのまま残っている。朝の水くみ。薪運び。弟妹の寝かしつけ。帳簿の続き。家じゅうの穴をふさいでいた手が、ひとつ減ったのだ。引き継ぎ(※3)は、帳簿一冊だけだった。


……あれは、誰がやるのだろう。


わしでないことを、祈った。


スマホは、今日も震えなかった。








――ビジネス用語――


※1 費用対効果:かけた手間やお金に対して、どれだけ効き目があるか。指一本で、冬の芋が守れる。


※2 レビュー:人の作ったものを、別の人の目で確かめること。今回のレビューは、四歳の人差し指で一件ずつ。


※3 引き継ぎ:自分の仕事を、次の人に渡すこと。エリクの引き継ぎは、帳簿一冊と「続きは、父さんが」のひとこと。水くみも薪運びも寝かしつけも、渡す先が決まっていない。


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