第14話 サボリーマンは、神さまのジョブローテーションを知る
託児所は、村の広場のはずれにある、小さな家だった。
朝、母親に連れられて戸口に立つと、中から子どもたちの声があふれてきた。村じゅうの、学校に上がる前の子どもが、ここに集まっているらしい。十人と少し。わしは、ミナとニナの手を片方ずつ握っていた。
「あら。クローベルさんちの子たちね」
戸口に、若い女の人が出てきた。
二十二、三だろうか。髪をひとつに編んで、前掛けをしている。その人はわしらの前に来ると、すっとしゃがみこんだ。わしの目と、その人の目が、同じ高さになった。
「アインくん、ね。よく来たね」
にっこり笑った。
……あかん。
心臓が、ひとつ飛んだ。
「ベルタせんせい! あたらしい子?」
奥から、村の子どもたちが駆け寄ってきた。ベルタ先生、というらしい。先生は「そうよ、仲良くしてね」と言いながら、わしの頭をそっとなでた。
わしは確信した。
この人は、わしにだけ、優しい。
……前世の五十年で、こういう勘違いをする男を、何人も見てきた。見てきたが、自分がなると、気づかないものである。
◇ ◇ ◇
前世の仕事のくせで、わしはエビデンスを集めることにした。
一つめ。最初にしゃがんで、目の高さを合わせてくれた。
二つめ。託児所の裏の小さな溝を渡るとき、わしの手を引いてくれた。
三つめ。昼前のおやつの干し芋で、わしに「大きいの、あげるね」と言ってくれた。
エビデンスは三つそろった。前世なら、これで会議に出せる。
……出せる、はずだった。
昼すぎ、わしは見てしまった。
ベルタ先生は、新しく来た子が泣くと、すっとしゃがんで目の高さを合わせた。溝を渡るときは、全員の手を順番に引いた。おやつの干し芋は、みんなが見ていないところで、全部同じ大きさに切っていた。そして、一人ずつに手渡しながら、こう言った。
「大きいの、あげるね」
「大きいの、あげるね」
「大きいの、あげるね」
全員に、だった。
子どもたちは、みんな自分のが一番大きいと思って、うれしそうに干し芋をかじっている。
前世で、新人研修というものに出たことがある。講師は、全員に同じだけ冷たかった。ベルタ先生は、全員に同じだけ優しい。しかも、一人ひとりに「自分だけ」と思わせている。あの講師より、はるかにうまい。
わしは、自分のエビデンスを見なおした。三つとも、全員ぶんあった。前世の言葉でいえば、確証バイアスである。見たいものだけを、集めていた。五十年生きて、四歳の恋で、それをやった。
◇ ◇ ◇
託児所の子どもたちは、なぜか、わしによく寄ってきた。
泣いている子の横に座ると、泣きやむ。けんかの横に立つと、おさまる。前世で五十年生きた分だけ、子どもの扱いに慣れているのかもしれない。
「アインくん、あそぼ」
「アインくんの、となり」
昼前には、わしのまわりに小さな輪ができていた。ミナとニナが、その輪の両側を固めて、ほかの子を寄せつけないように見張っている。
輪の中から、髪を二つに結んだ女の子が、まじめな顔で言った。
「あたし、おおきくなったら、アインくんと、けっこんする」
気持ちは、ありがたい。
だが、相手は四歳である。前世の姪っ子にも、小さいころ同じことを言われた。その姪っ子は、十年後には口もきいてくれなくなった。
「……ありがとう」
わしは、女の子の頭をなでた。女の子は満足そうにうなずいて、それきり別の子と遊びはじめた。
◇ ◇ ◇
昼寝の時間になった。
託児所の床に、十二人の子どもが並んで寝る。寝かしつけるのは、ベルタ先生一人だ。
一人が寝ると、隣の一人が起きる。起きた子をなだめているあいだに、反対側の子が泣きだす。ベルタ先生は、並んだ子どもたちのあいだを、行ったり来たりしていた。笑顔はそのままだが、額に汗がにじんでいる。
……見覚えがある。
双子が生まれた年の、うちの夜だ。全員が一人の泣き声に振り回されて、全員がへとへとになっていた。
ここも、ワンオペだ。
わしは、寝ころんだまま、手のひらで床を叩いた。がらがらは家に置いてきた。だが、リズムは体が覚えている。
トン、テン、カン、カン。トカン、カン。
隣の子の寝息が、ゆっくりになった。その隣の子も、まぶたが落ちていく。床を伝って、わしのまわりから順番に、静かになっていった。
最後の一人が寝たところで、ベルタ先生が、ほっと息を吐いた。
「アインくんのまわりは、みんなよく寝るね」
先生は首をかしげながら、わしの頭をなでた。それから、戸口のそばに腰を下ろして、ひしゃくで水を一杯飲んだ。今日、先生が座るのを見たのは、それが初めてだった。
惚れた人の仕事を、ひとつ減らせた。それで十分だ、と思えるくらいには、わしは大人だった。思えるだけで、納得はしていない。
◇ ◇ ◇
夕方、迎えの親たちが次々にやってきた。
わしらの迎えは、まだ来ない。ミナとニナと並んで、戸口の外で待っていると、大きな体の若い男が、道の向こうから歩いてきた。肩に粉の袋を担いでいる。粉ひき小屋の若だんなだ。
男は、戸口の前で袋を下ろして、中に声をかけた。
「ベルタ。迎えに来たよ」
「あなた!」
ベルタ先生が、前掛けで手をふきながら飛び出してきた。
その顔を、わしは見た。
子どもたちに向けていた笑顔とは、まるで違った。わしにしゃがんで向けた笑顔とも、違った。もっと明るくて、もっとくしゃくしゃで、少しだけ、子どもみたいな顔だった。
「わしにだけ、優しい」は、間違いだった。
全員に優しい人には、全員に向ける顔とは別に、たった一人にだけ向ける顔があった。それは、わしではなかった。
四歳で、失恋した。
道の向こうから、ネルを背負った母親が来た。
「遅くなったね」
ベルタ先生は、わしらの手を一人ずつ母親に渡してから、若だんなの隣へ行った。並んで歩いていくのを、わしは戸口の外で見送った。
右手を、ミナが握った。左手を、ニナが握った。ふたりとも、何も言わない。ただ、わしの手をぎゅっと握っている。
両手が、ふさがった。悪くない、ふさがり方だった。
その晩、夕飯の席で、母親が聞いた。
「託児所は、どうだった」
「……せんせい、けっこん、してた」
母親は吹き出した。
「そりゃそうさ。ベルタは去年、粉ひき小屋の若だんなのところに嫁いだんだよ。村じゅう知ってる」
知らなかったのは、四歳のわしだけだったらしい。
「アインちゃん、ふられたの?」
ロッテが、芋をほおばりながら身を乗り出した。
「……ふられて、ない」
始まってもいなかったのだから、ふられようがない。わしは椀に顔をうずめた。
前世から数えて、何度めの失恋だろう。数えるのは、やめておいた。
◇ ◇ ◇
失恋の痛みが干し芋の味と一緒に薄れはじめたころ、家はもうひとつの大ごとで騒がしくなっていた。
その年は、エンポリアの年だった。
商いの神さまの年だ、と母親が言った。そして、エリクが十歳になる年でもあった。
十歳になった子は、町の神殿で儀式を受ける。この夏、家ではそれ以上のことは誰も教えてくれなかった。ただ、母親がエリクのよそ行きの服を三度も繕い直し、父親が浮く台の脚を夜なべで締め直していたので、大ごとなのだということは分かった。
秋の初め、家族そろって、寄り親様の町へ出かけた。
◇ ◇ ◇
歩いて五日の道のりだった。
わしが赤ん坊のころ、父親が領主の寄り合いへ向かった道だ。わしにとっては、生まれて初めて村の外へ出る旅である。
小さい子は、父親の浮く台に乗った。双子とフィンと、わし。四人でぎゅうぎゅうに乗っても、父親が押せばすいすい進む。母親は背中にネルをくくりつけ、腰には梁の上から下ろした剣を差していた。
村は、声のでかいおやじと猟師の若者が預かってくれた。
「領主様がたがいねえ間は、おれたちで守りますんで!」
声のでかいおやじの声は、村を出てしばらく歩いても、まだ背中から聞こえていた。
旅のあいだ、リーゼは行商人にもらった旅の本を抱えていた。ときどき本を開いては、道の先と見比べている。本の中の旅と、本物の旅を、答え合わせしているらしい。
ロッテは先頭を歩いて、棒きれで道ばたの草をなぎはらっていた。カイは台のふちにつかまって歩き、疲れると台によじのぼって寝た。エリクは父親の隣を、黙って歩いた。
五日のあいだに父親が口にした言葉を、わしは数えた。二十七語だった。一日に五語と少し。旅に出ると、父親はふだんより少しだけ、よくしゃべるらしい。
◇ ◇ ◇
町は、大きかった。
家が、隙間なく並んでいる。道は石で固めてあって、人が多い。市場には、行商人の馬車の何十倍もの品物が並んでいた。村では見たことのない色の布、見たことのない形の果物、見たことのない数の人。
「わたしは、実家に顔を出してきますね。明日の朝、神殿でお会いしましょう」
レナーテ先生は、町の入り口でそう言って、人ごみの中へ消えていった。ここは、先生の生まれた町なのだ。
宿に荷物を置いて、みんなで市場を歩いた。
人ごみの向こうに、ちらりとレナーテ先生の髪が見えた。きっちりまとめた、あの髪だ。誰かと話している。相手の顔は、人の頭にさえぎられて見えなかった。
先生の耳が、赤かった。
……誰や。
聞く相手もいないまま、人の波に押し流された。
そして、気がつくと、カイがいなかった。
「カイ!」
母親の声が、市場じゅうに響いた。エリクとロッテが走りだし、父親がネルを背負った母親の代わりに人ごみをかき分けた。
カイは、市場のはずれの飴屋で見つかった。
日の当たる店先の樽の上で、ぐっすり寝ていた。手には、蜂蜜の飴をひとつ握っている。
「この坊ちゃんが、あっしを子分にするって言いましてね。献上品をせがまれちまって」
飴屋の主人が、頭をかいて笑った。
町でも、カイはカイだった。
◇ ◇ ◇
次の朝、神殿へ行った。
白い石でできた、天井の高い建物だった。奥に、五つの像が半円に並んでいる。それぞれが、何かを手に持っていた。剣を持った像。本を持った像。杖を持った像。槌を持った像。そして、天秤を持った像。
今年は、天秤の像の前に、子どもたちが並んでいた。
十歳から十四歳まで、このあたりの村々の子どもが集まっているらしい。遠くの村は、別の日に来るのだという。いちばん前の列に、十歳の子が並ぶ。その中に、エリクがいた。三度繕った、よそ行きの服だ。
レナーテ先生は、わしらの隣に立っていた。手には、あの帳面を持っている。
天秤の像の台座には、黒い石の板が一枚、立てかけてあった。
神官が、一人ずつ名前を呼んだ。呼ばれた子は像の前にひざをつき、その板に手のひらを当てて、目を閉じる。神官が祈りの言葉を唱えると、板の上のほうから、細かい光が降ってくる。光は雪のようにゆっくり降りてきて、板の上で字になる。新しく授かったスキルの名前だという。神官がそれを読み上げると、子どもは手を離して、少し違う顔で立ち上がった。
わしは、光を数えていた。
数えずにはいられなかった。前世のゲームで、全部の場面を見ないと気がすまなかったのと同じ病気である。いちばん前の列の十歳の子の板に降る光は、ひとつまみくらい。いちばん後ろの列の子の光は、ひとすくいくらいあった。年が上の子ほど、光が多い。板に出る字の数は、ほとんど変わらないのに。
なぜだろう、と思った。思ったまま、頭のすみに置いた。
「エリク・フォン・クローベル」
エリクがひざをついた。板に手を当てる。目を閉じる。
光が、ひとつまみ降ってきた。板の上で、字が並んだ。
「帳簿」
神官が読み上げた。祈りの声がやんで、エリクは目を開けた。
それから、自分の手のひらを、じっと見つめた。
戻ってきたエリクに、母親が小声で聞いた。
「どうだい」
エリクは少し考えてから、言った。
「……数が、ほどけて見える」
意味は、わしにもよく分からなかった。ただ、エリクの顔は分かった。授業で、数の問題を解いたときの顔だ。いつもより、少しだけ楽しそうな顔。
隣で、帳面に何かを書きつける音がした。
レナーテ先生が、帳面を開いていた。挟んであるのは、三年前の最初の授業で見せた、あの三年分の計画の紙だ。最後に空けてあった欄に、先生は小さな字で書きこんでいた。
数と、帳面。
先生は書き終えると、帳面を閉じて、何も言わずにエリクの頭をなでた。
◇ ◇ ◇
帰りの一日目の夜、宿の部屋で、ロッテが母親の袖を引いた。
「ねえ、あたしは? あたしは、いつ、もらえるの?」
母親は、ネルに乳をやりながら笑った。
「神さまは、年ごとに替わるんだよ。今年はエンポリアさま。来年はソフィアさま。その次がクラトスさま。十から十四までの五年で、五柱の神さまから、ひとつずつもらうのさ」
母親は、宿の窓のほうへ顎をしゃくった。窓の外に、金色の大きな月が出ていた。
「あの金色の月が、エンポリアさまの月だよ。春になると、来年の神さまの月が、いちばん大きくなる」
生まれた夜から、空には月が五つあった。いちばん大きい月の色が、年ごとに替わるのも見ていた。青白、橙、紫、銀、そして今年の金。数えていた色の順番は、神さまの順番だった。
「じゃあ、あたしが十になるときは?」
母親は指を折った。
「ロッテは……クラトスさまだね」
「けん!」
ロッテが寝床の上で跳ねた。剣の神さまだと、ちゃんと知っているらしい。
「リーゼはマギアさま。カイはテクネさま」
リーゼが、本から顔を上げた。マギアは魔法の神さまだ。カイは「それ、つよい?」と聞き、母親に「つよいよ」と言われて、満足そうに寝た。
わしも、指を折った。
今年が商。来年が知。次が武、魔、技、商。そして、わしが十になる年は――知の神、ソフィアの年だ。
神さまが、十歳の子どもの体に、働きをひとつずつ入れていく。前世なら、インストールだ。機械に、新しい働きを入れてやること。しかも最初の一つが、知恵と言葉と記録の神さまときた。
前世で SE だった男に、知のスキル。
「……わしも、十になったら、もらえるのか」
口から、出た。
「わし?」
ロッテが、きょとんとした。
「……ぼく」
わしは、あわてて言い直した。ロッテは首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。
「……ああ」
窓の外を見ていた父親が、ぼそりと言った。
母親が、笑いながら言った。
「アインは、ソフィアさまの年だね。本でも読むかい」
リーゼがちらりとわしを見て、旅の本を胸に抱え直した。本の取り合いの相手が増えた、という顔だった。
その夜、宿の寝床の中で、わしは六年後の自分の儀式を、頭の中で何度も予行演習した。ひざのつき方。手の当て方。目の閉じ方。授かったあとの、驚いたふりのしかた。
前世のリリースの前より、ずっと念入りに。
スマホは、今日も震えなかった。
――ビジネス用語――
※1 エビデンス:証拠や裏づけ。わしが集めたエビデンスは三つ。三つとも、全員ぶんあった。
※2 確証バイアス:自分の思いこみに合う証拠ばかり集めて、合わないものを見ないこと。今回の確証バイアスは、三つのエビデンス。三つとも、全員ぶんあった。
※3 ワンオペ:一人で全部の仕事を回すこと。託児所の十二人の昼寝は、ベルタ先生のワンオペ。




