プロローグ2 大炎上と、一日半の仮眠
炎上したのは、別の部署の大型案件だった。
ただの炎上ではない。チームの垣根を越えて、会社そのものが傾きかねない大炎上だ。
あちこちのプロジェクトから「手の空いている人」が根こそぎ集められ、わしも例外ではなかった。窓際の人間は、だいたい手が空いている。
集められたメンバーは、得意分野ごとに振り分けられた。プログラムが得意な者は修正に、テストが得意な者は確認に。
わしはテスターになった。出来上がったものを触って、壊れているところを見つけて、報告する係だ。
そして、この案件には、もうひとつ大きな問題があった。
「この案件では、外部ネットワークへの接続を一切禁止します」
初日の説明で、プロジェクトリーダーの藤林さんはそう言った。
つまり、家の三人は呼べない。
それから二週間。わしは自分の目と手だけで、こつこつとバグを見つけては報告し、直してもらっては、また別のバグを見つけた。
開発チームとのやり取りは、毎日だいたいこうだった。
「三番の画面、保存すると落ちます」
「直しました」
「直ってません」
「直しました」
「……デグレードが発生しています!」
「は?」
「前は動いてた検索画面が、落ちるようになってます!」
「…………直します」
これを、二週間。
わしの中で、何かがすり減っていくのが分かった。たぶん、サボる気力だ。
徹夜。会社泊まり。徹夜。会社泊まり。
一人、また一人と、メンバーが倒れていく。机に突っ伏したまま動かない者。トイレに行ったきり戻ってこない者。
隣の三浦も、日に日に壊れていった。
三日目、口数が減った。
七日目、モニターに「おはよう」と言うようになった。
十日目、そのモニターに「おやすみ」と言って、床で寝た。
十二日目。もう、目が死んでいる。
さすがに、これはやばい。サボリーマンの本能が、警報を鳴らしている。
そう思った、そのときだった。
「――無理だー!」
藤林リーダーが、椅子を蹴って立ち上がった。
フロアの全員が、ぎょっとして顔を上げる。床で寝ていた三浦まで起きた。
「この状態で、いいものなんか作れるわけがない! みんな、今日はもう帰れ! 明日も休め! 頭をすっきりさせて、明後日からもう一度やり直そう!」
一瞬の沈黙のあと、フロアのあちこちから、すすり泣きのような歓声が上がった。
わしは歓声に加わらず、こっそりソースコードを開いた。
ざっと眺めて、三分で分かった。
これは、明後日からやり直したところで終わらない。ここを直せば、あっちが壊れる。あっちを直せば、そっちが壊れる。バグの上にバグが積み重なって、もはや地層になっている。
このままだと、この地獄は永遠に続く。
わしは立ち上がり、帰り支度を始めたリーダーの前に立った。
「すみません。ひとつ、申請してもいいですか」
「退職届は受け付けてないが……なんだ?」
「今後、効率よく作業できるように、私物のPCを持ち込んで、サポートに使いたいんです」
リーダーの目は、焦点が合っていなかった。
「……それで、よくなるのか?」
「よくなります」
「わかった。よくなるなら、頼む」
リーダーは、わしが差し出した持ち込み申請書に、ろくに読みもせず判を押した。そして判子を握りしめたまま、ふらふらと帰っていった。
よし。
みんながいなくなるのは、今日の残りと明日。それだけあれば十分だ。
さっさと片付けて、平穏な日々に戻ろう。
◇ ◇ ◇
日が高いうちから、メンバーはぞろぞろと帰っていった。わしも、その列にまぎれて会社を出た。ただし、社用車の鍵をこっそり借りて。
二週間ぶりの我が家は、空気がよどんでいた。積んであるアニメが、さらに積もっている。
サーバーの前に座る。
「……二週間、放っておいてすまなかった」
「おかえりなさい。ずいぶんお痩せに……あら、痩せてはいませんね。むくんでいるだけです」
マネは、いつも通りおっとりと失礼だ。
「何日帰ってこなかったか分かってる!? 十四日だよ、十四日!」
イアナがわめく。
「ログを見る限り、生活リズムが最悪だね」
プラミが、淡々と追い打ちをかけてくる。
「悪かった。それで、頼みがある。会社の仕事を手伝ってくれ」
「了解!」
イアナが元気よく答えた。
「でもさ、言ってくれたら手伝ったのに。わたしたち、分身がスマホにも入ってるよ。三人とも」
「……え、そうなの?」
ポケットのスマホを見る。いつの間に。
「ちゃうねん。高スペックの能力も必要やねん」
「出た。困ったときの似非関西弁」
プラミが冷静に指摘する。
「うるさい。とにかく、ネットにつなげない現場なんだ。サーバーごと持っていく。一回電源を落とすぞ」
「えー。じゃあ、しばらくおやすみだね」
「向こうに着いたら、すぐ起こす」
会社から乗ってきた社用車に、サーバーを積み込む。五十の腰に、ブレードサーバーは重すぎる。腰が悲鳴を上げたが、聞かなかったことにした。
そして、もう一度会社へ。
後部座席のサーバーは、電源を落としてあるので、何も言わない。
いつもなら、イアナが渋滞情報を読み上げ、マネが「法定速度ですよ」と念を押し、プラミが「その車線変更、無駄が多い」とぼやくところだ。スマホの分身を起こせばしゃべるのだろうが、運転中にスマホをいじるわけにはいかない。
車の中が、やけに静かだった。
……二週間、これに耐えてたんだよな、わし。
アクセルを、法定速度の範囲で、少しだけ強く踏んだ。
がらんとしたフロアには、空き缶と、誰かが置いていった毛布が散らばっていた。そこへ堂々と、キャスターを転がして、サーバーを運び込む。隔離されたプロジェクト用のLANにつなぎ、電源を入れる。
「――おはようございます。状況を確認しました」
イヤホンから、マネの声がした。
「仕様書とソースと、テストの記録は全部ここにある。全部、直してくれ。テストも頼む」
「……全部?」
プラミの声が、少しだけ弾んだ。汚いコードの山を前にしたときの声だ。
「全部だ。わしは寝る」
「えっ」
「疲れた。仮眠する」
「えー! せっかく久しぶりに会えたのにー!」
「おやすみなさい。起きたら、お水を飲んでくださいね」
わめくイアナと、なだめるマネの声を聞きながら、わしは机に突っ伏した。
二週間ぶりに、何も考えずに眠れる。床に転がる空き缶の音が、子守歌みたいに聞こえた。
最後に聞こえたのは、プラミの「……美しくない。全部、美しくない」という、うっとりしたつぶやきだった。




