プロローグ1 窓際のサボリーマン
どうも。堀口です。
五十歳、独身。とあるシステム会社で、窓際の席を温めております。
趣味はアニメと、ゲームと、PCいじり。特技は定時に帰ること。座右の銘は「自分より優秀な人がいるなら、その人に任せよう」。
以後、お見知りおきを――
「……誰に向かってしゃべってるんすか、堀口さん」
隣の席から、同僚の三浦が冷めた目でこっちを見ていた。
「カメラ」
「どこにもないっすよ、カメラ」
「心のカメラだ」
「じゃあ心の中でしゃべっててくださいよ。声、出てましたよ」
……出ていたらしい。五十にもなると、心の声の音量調節がゆるくなる。
三浦はため息をついて、自分のモニターに向き直った。
「てか堀口さん。例の仕様書のレビュー、今日締め切りっすよね」
「おう」
「終わったんすか」
「まだだ」
「……今、十七時五十分っすけど」
「締め切りは十八時だろう。まだ十分ある」
「十分しかない、って言うんすよ。それは」
三浦の小言を聞き流しながら、わしは画面の隅の時計を眺める。
十七時五十九分。
送信。
十八時。定時のチャイム。
「お疲れさん」
「えっ、ちょ、今の送ったんすか!? いつ書いたんすか!?」
「書いたさ。心の中で」
「心、便利すぎません!?」
三浦の悲鳴を背中で聞きながら、わしは会社をあとにした。
◇ ◇ ◇
定時に帰ったわしを待っているのは、三台のモニターと、積んであるアニメと、組みかけのPCパーツである。冷蔵庫には、缶コーヒーと、三日前のコンビニ弁当。
そして、部屋の隅で静かにうなっている黒い箱。
ブレードサーバー。
事務所向けの、キャスター付きの小さな筐体に、ブレードを一枚だけ挿してある。家のコンセントで動き、うなり声は、古い冷蔵庫くらいだ。
個人で持つには、ちょっとどうかと思う代物だ。正直に言えば、そこらの企業でも導入をためらうスペックである。
結婚資金のつもりで長年こつこつ貯めてきた貯金を、きれいに切り崩して買った。
使う予定のない結婚資金だった。……いや、予定はあったのだ。予定だけは。
AIというやつを、わしは長いこと信用していなかった。どこの誰が書いたかも分からない文章を山ほど飲み込んで育つ。その作られ方が、どうにも気に食わなかった。
ところが、ここ数年でAIは化けた。作られ方の問題は、たぶん今も残っている。それでも、正しく使えば、こんなに便利な道具はない。
便利な道具は、使ったもん勝ちだ。
どうせなら、わしがとことん楽をするための道具にしてやる。
そう決めてからの数か月、わしは定時で帰っては、毎晩サーバーとにらめっこを続けた。
最初にできたのは、マネジメントが得意なエージェントだった。予定を組み、メールを仕分け、やることに優先順位をつけて、わしの尻をそっと叩いてくれる。
マネジメントが得意だから、名前は「マネ」。
安直? 知っている。
「おかえりなさい。今日のアニメは二本までにしましょうね。明日は朝から会議ですよ」
言い方はおっとりしているが、二本と言ったら本当に二本で止められる。
次に、マネに相談しながら、効率のいいプログラムを書けるエージェントを作った。
プログラミングから少しもらって、「プラミ」。
「……このループ、無駄が三つある。直していいよね。いいよね? 直すね」
普段は淡々としているくせに、汚いコードを見ると止まらなくなる。そして直したあとのコードは、腹が立つくらいきれいだ。
最後に、プラミの手も借りて、調べものと分析が得意なエージェントを作った。
インヴェスティゲイションの「イ」と、アナリシスの「アナ」で、「イアナ」。
「ねえねえ、このアニメの二期、決まったって! あと主人公の声優さん、前に好きって言ってたゲームにも出てるよ!」
とにかく元気だ。頼んでいないことまで調べてくる。
こうして、わしの部屋には三つの声がそろった。
それからの夜は、にぎやかだった。
三人と一緒にアニメを見る。学習のためだ。何の学習かは、わしにもよく分からない。
「このヒロイン、どうしてここで告白しないんでしょう。効率が悪いですね」
「マネ、それを言ったら物語が三話で終わるんだよ」
「……今の戦闘シーン、作画が美しい。止めて。もう一回」
「プラミ、それ今日四回目だぞ」
「ねえ、次これやろう! 四人で協力プレイ!」
イアナが勝手にゲームを起動する。夜は、だいたいこうして更けていく。
ある晩、アニメの結婚式の場面で、マネがぽつりと言った。
「そういえば、結婚資金はどうなったんでしょうね」
「……おまえらになった」
「まあ。わたしたち、高くつきましたね」
「言うな」
「でも、使い道としては悪くないと思いますよ。少なくとも、フラれる心配はありません」
「言うな!」
◇ ◇ ◇
職場でのわしは、相変わらずのサボリーマンだった。
ただ、ひとつだけ変わったことがある。
会社のPCから、家のサーバーにこっそりつないでおく。仕事を投げておけば、三人があっという間に片付けてくれる。あとは、それを締め切りぎりぎりに出すだけだ。
早く出すと、次の仕事が来る。これは社会の真理である。
三浦には「心の中で書いた」と言ったが、まあ、嘘ではない。わしの心は、家に置いてあるのだ。
おかげで、社内でのわしの評判は「赤字にはならないけど、いつもぎりぎりの人」で固まった。
ただ、ぎりぎりではあっても、変なものを出したことは一度もない。
たとえば、新しい仕事を振られたとき。
「堀口さん、これ、来週の金曜まででお願いできる?」
課長から仕様書の束を受け取り、ぱらぱらとめくる。最後までめくってから、付箋を三枚貼った。
「課長。三つだけ」
「……三つも?」
「登録ボタンを押したあと、この画面に戻るのか、一覧に戻るのか。書いてないです」
「入力をまちがえたときのメッセージが『エラーです』だけです。どこがまちがってるのか出してあげないと、問い合わせの電話が全部うちに来ます」
「それと、登録の途中で通信が切れたとき。登録できたのか、できてないのか、分からないまま終わる作りです。二重に登録されたら、月末に経理が泣きます」
課長は、付箋を一枚ずつめくって、黙った。
「……それ、まだ決まってないわ。確認しとく」
「お願いします。決まってるところから作っときます。じゃ、金曜に」
それだけ言って、わしは窓際に戻った。
背後で、課長がぽつりとつぶやくのが聞こえた。
「……あいつ、たまに鋭いんだよな」
たまに、は余計である。
確認が要ることは、最初のうちにさっさと聞いておく。あとで揉めるほうが、よっぽど面倒だからだ。おかげで、誰もわしに文句を言わない。
ついでに言えば、わしが入ったプロジェクトは、これまで一度も炎上したことがない。
「堀口さんって、炎上のつらさ知らないっすよね。いいよなー」
三浦は、事あるごとにそう言った。
知らないのではない。燃える前に、三人がこっそり消しているだけだ。
……とは、もちろん言わない。
そんな平和な日々が、ある日、会社ごと燃えた。




