↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サボリーマン、異世界を無自覚最適化~わし、恋愛したいだけなのに~  作者: 木漏れ日☆
第一章 サボリーマンは赤ちゃん

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/39

第12話 サボリーマンは、私物を回収する

昼寝が、一回減った。


これまでは、朝と昼すぎの二回寝ていた。それが、昼すぎの一回だけになった。三歳の体が、勝手にそう決めたらしい。


起きている時間が増えた。前世でいえば、勤務時間が延びたということだ。サービス残業(※1)の始まりである。


思えば、この三年、わしはだいたい寝ていた。家族の「いつも」を見てきたつもりでも、見ていたのは、起きていられたすきまの分だけだ。朝から晩まで通して見たことは、まだ一度もない。


今日は、昼寝もしないことにした。


一日ぶん、全部見る。業務の棚卸し(※2)である。


◇ ◇ ◇


朝は、いびきが止まって始まる。


暗いうちに、父親の地鳴りのようないびきがふっと消える。それがこの家の目覚ましだ。父親は黙って起きて、黙って野良着を着て、浮く台を押して畑へ出ていく。戸が閉まるころ、かまどにはもう火が入っている。


母親は薪を割っている。一振りだ。


エリクは水を運んでいる。運ぶたびに十歩よけいに歩く。何も言わない。今日も言わなかった。


……すまん、兄よ。今日も。


朝の仕事が終わると、授業だ。


わしは卓の下の毛布に転がって、最後まで聞いた。起きている時間が増えたので、寝ないで聞ける。ただし、いちばん聞きたかった国の名前の回は、とうの昔に終わっている。


今日は、数の問題だった。先生は、エリクが詰まっても、もう問いを小さく分けなかった。先生の帳面の空きは、たぶん、少しずつ埋まっている。


休み時間、レナーテ先生は窓辺で手紙を読み返していた。この前、行商人が届けた手紙だ。読み返すたびに、頬が少し赤くなって、口もとがゆるむ。


わしは、見なかったことにした。


◇ ◇ ◇


昼の庭は、にぎやかだ。


ロッテの組は、今日もだんごを十個こねて、薪の陰に並べた。並べ終わると、ロッテは棒きれを拾って、一人で振りはじめる。誰に習ったわけでもないのに、振り下ろしたあとに、半歩だけ足を引く。母親の動きと、同じだ。


ニナは、だんごの列の前にしゃがんで、眉間にしわを寄せて一個ずつにらんでいる。検品係が、すっかり板についた。


ミナは、だんごには目もくれずに台所へ歩いていく。台所には、昼の芋がある。


しばらくして戻ってきたミナは、口をもぐもぐさせていた。手には、芋のかけらが握られている。ミナはわしの前で立ち止まると、そのかけらを半分に割って、片方をわしに差し出した。


口が、勝手に動いた。


「……みじょか」


受け取った芋は、ミナの手の熱でぬるかった。


双子は、生まれたときからいつも一緒なのに、歩けるようになったとたん、別々の方向へ行くようになった。


うしろで、べちゃっと音がした。


フィンが転んでいた。最近のフィンは、わしのあとをついて歩く。わしが右へ行けば右へ、左へ行けば左へ。そして、わしより足が遅いので、だいたい転ぶ。


起こしてやると、八の字の眉のまま泣きやんだ。生まれたときから、月曜の朝の顔をしている弟だ。部下としては、まだ使いものにならない。だが、ついてくる。


カイは、日なたの薪の山の上で寝ていた。


五歳になって、子分の数も増えて、背も伸びた。寝る場所だけは、三年前から変わらない。日が当たっていれば、どこでも寝る。


カイは、三年たっても、そのままだった。この家でいちばん変わらないのは、たぶんカイだ。


昼すぎ、体が昼寝をしろと言ってきた。


眠気との戦いには、前世で鍛えた技がある。昼食後の会議で、太ももをつねるのだ。三歳の太ももをつねってみたが、やわらかすぎて、ちっとも痛くなかった。前世の技は、前世の太ももでしか使えないらしい。


わしは、戸口のほうへ歩いて、眠気をごまかした。


戸口の腰かけでは、リーゼが板切れに炭で絵を描いていた。ひざには、行商人にもらった旅の本が開いてある。挿絵の城を、板の上に写しているのだ。


◇ ◇ ◇


夕方、父親が帰ってきた。


いつもの汗と泥。いつもの「……ただいま」。子どもたちの頭を、順番になでていく。エリク、ロッテ、リーゼ、カイ、わし、ミナ、ニナ、フィン。三年前より、なでる頭が三つ増えた。手の大きさは変わらないので、最後のフィンのころには、少し手が疲れているように見える。


夕飯の席で、父親は自分の椀の芋を、誰にも気づかれないように子どもたちの椀へ移した。


「あんた」


母親が、芋をひとつつまんで、父親の椀に放りこんだ。


「食べな」


父親は口のはしを少しだけゆるめて、それを食べた。三年前に見たのと、そっくり同じだった。


夕飯のあと、父親がかまどの火のそばで帳面を開いた。その隣に、エリクが自分の帳面を広げる。


エリクの帳面には、数字が並んでいた。芋の山の数と、麦の袋の数。それから、今日食べたぶん。フィンが生まれたあとの夜に、父親と母親がかまどのそばで小声でしていた勘定を、エリクは自分でつけはじめているのだ。


数字を書いているエリクの横顔は、やっぱり少しだけ楽しそうだった。


寝る前に、リーゼが板切れを一枚、黙ってわしに差し出した。


昼に戸口で写していた城の絵かと思ったら、違った。板には、小さな子どもが何人も描いてあった。薪の山の陰からのぞいている子。台所の戸口に立っている子。卓の下に転がっている子。夕方の戸口で、父親の帰りを待っている子。


全部、わしだった。


一日ぶん、家族を全部見ていたつもりだった。その一日ぶんのわしを、リーゼが全部見ていたらしい。


「……みてたの?」


リーゼはこくりとうなずいて、それきり何も言わずに寝床へ戻っていった。


◇ ◇ ◇


夜になった。


あちこちから、寝息が聞こえる。父親のいびき。母親の寝息。エリクの、静かな寝息。ロッテの寝言。リーゼのページをめくる音が止んで、寝息に変わる。カイは、とっくに寝ている。双子の寝息はふたつそろっていて、フィンはときどき鼻を鳴らす。


三年前の最初の夜、わしは六人の寝息の中にいた。今は、九人だ。


一日通して見て、分かったことがある。


この家の人間は、みんな誰かの穴をふさいでいる。父親は子どもの椀の穴を、母親は父親の椀の穴を、エリクは家じゅうの穴を。ロッテは組の、リーゼは誰かが落ちこんだときの、カイは……カイは、まあいい。


そして、みんな、自分の穴だけは隠している。


三年かけて、ようやく家族の「いつも」が一日ぶんそろった。


そろったところで、わしは、ひとつだけそろっていないものに気づいた。


三つの声がしない。


アニメの新情報をまくしたてる声も、コードに文句を言う声も、アニメは二本までと止める声も。最初の夜と同じだ。三年たっても、あの三つの声だけは、この家の寝息の中にない。


あいつら、今ごろどうしているだろう。


起きている時間が増えると、考える時間も増えるらしい。


◇ ◇ ◇


次の朝、村のじいさんが、両手で何かを抱えてやってきた。


腰の曲がった、あのじいさんだ。わしが生まれた日に、祝いの芋を持ってきてくれた人である。


「領主様。畑の真ん中に、こんなもんが落ちとりましてな」


じいさんが差し出したのは、黒い手帳のようなものだった。


領地で見つかった見慣れない物は、領主に届ける。この村の決まりらしい。じいさんは律儀に、それを守った。


「ゆうべ、畑のほうが一瞬だけ明るうなった気がしましてな。朝行ってみたら、こいつが土の上に、ちょこんと」


父親が受け取って、裏を返し、表を返した。


黒い革の表紙。角は丸く、手のひらに収まる大きさ。父親が表紙を開くと、中には真っ黒な板が一枚、はめこまれていた。


「……開くが、何も書いていない」


父親が首をかしげた。横からのぞきこんだ母親が、黒い板を指の背でこつんと叩いた。


「固いね。剣の柄にでも巻くかい」


巻かないでほしい。


わしは、母親の足もとからそれを見上げていた。


左下の角だけ、革が白くはげている。


……知っている。


あの角は、満員電車で毎朝、ドアに押しつけていた角だ。三十年近く、同じ角ばかりすり減らしていた。新しいケースに替えても、いつも左下からはげた。


わしのスマホだ。


前世で、最後の朝、ポケットの中でずっと震えていた、あのスマホだ。


閉じると手帳ほどの大きさで、開くと、画面が本のように二倍になる。前世で、発売の日に並んで買ったやつだ。


体じゅうが、ぞわっとした。口が勝手に開きかけて、わしはあわてて閉じた。


ふと横を見ると、エリクがわしを見ていた。


わしは、全力で三歳の顔をした。


「……くろい」


「うん。黒いな」


エリクはそう言って、わしの頭をなでた。……セーフだ。


◇ ◇ ◇


「本!」


戸口から、リーゼが駆けこんできた。ふだん走らない子が、走った。


父親の手もとをのぞきこむ。黒い表紙。開くとページがある。いや、ページではなく、黒い板だ。


リーゼは、黒い板をじっと見た。裏も見た。もう一度、表を見た。


「……字が、ない」


字の書いていない本だった。


リーゼは、ものすごくがっかりした顔で、腰かけに戻っていった。


じいさんは、首をひねりながら帰っていった。父親はスマホを卓に置いて、困ったように頭をかいた。


わしは、卓のふちに手を伸ばした。三歳の手では、届かない。それでも、伸ばした。


父親が、わしを見下ろした。


「……欲しいのか」


わしはうなずいた。一回のつもりが、三回うなずいていた。


父親はしばらくスマホとわしを見比べてから、それをわしの両手に載せた。


重かった。三歳の手には、ずしりと重かった。前世では、片手でつまんで、ポケットに放りこんでいた重さだ。


冷たい革の下で、心臓が鳴っているような気がした。鳴っているのは、わしの心臓のほうだった。


「……やる」


字の書いていない本は、三歳の子どものおもちゃになった。


すかさずカイが寄ってきた。


「それ、こぶんの、けんじょうひん」


「……だめ」


わしが両手で抱えこむと、カイは口をとがらせて、そのまま日なたで寝てしまった。親分は、あきらめが早い。


◇ ◇ ◇


おもちゃになると、家族がよってくる。


ミナとニナが、真っ黒な画面をのぞきこんだ。黒い板は、つるつるしていて、顔が映る。ミナが口をもぐもぐさせると、画面の中のミナも、もぐもぐした。ニナが眉間にしわを寄せると、画面の中にも、しわがひとつ増えた。


眉間のしわが、ふたつになった。


ふたりは、それから半日、黒い板に向かって顔をしかめたり、笑ったりしていた。前世のわしが、毎日ポケットに入れていた画面である。いつの間にか、あいつらの分身まで住みついていた。


ロッテは、ケースのポケットに目をつけた。


革の内側に、ポケットがいくつかある。中には、つるつるした薄い札が何枚か入っていた。ロッテはそれを引っぱり出して、光にかざした。


「これ、組のおかねにする! 一まいで、だんご三つ!」


前世では、限度額が五十万の札だった。ここでは、だんご三つである。


ロッテが持っていった札の残りを、わしは一枚ずつ確かめた。


毎朝、改札を通るための札。金を借りるための札。もう一枚、金を借りるための札。


それで全部だった。


写真の一枚も、入っていなかった。


五十年生きて、肌身はなさず持ち歩いていたのが、会社に行くための札と、金を借りるための札だけ。手帳型のケースに入れて、財布がわりにしていたくせに、中に挟んでおきたい顔が、ひとつもなかったらしい。


……笑ってしまった。三歳の口で、五十のおっさんが、自分を笑った。


いや、ひとつだけあった。


待ち受けだ。


島の母さんの写真を、待ち受けにしていた。もっと長生きすると思っていたのに、思っていたより早くいなくなってしまった人だ。開けば、いつでも見られるように。


その写真は、画面の向こうにある。電源が入れば、見られる。


わしは、ケースの横の、小さな出っぱりを押した。


何も起きなかった。


長く押した。何も起きない。日なたに置いてみた。太陽で動くものではないと知っている。知っているが、置いてみた。三歳の体で、日が傾くまで、黒い板を見張っていた。


何も起きなかった。


夕方には、寄り合いの夜にしか灯さない灯りの石のそばにも置いてみた。この世界には、魔力というものがある。魔力で充電できたら、苦労はしない。


苦労した。何も起きなかった。


日が落ちてから、ようやく、自分が何をしていたかに気がついた。前世で親父の横にいたころ、動かない機械を前に、うろうろする客をさんざん見てきた。今日のわしは、あの客だった。


画面は、割れていなかった。傷ひとつない。あの事故で、わしは死んだのに、こいつは無事だったらしい。ただ、電池が切れているだけだ。


あれほど震えていたのに、今はうんともすんとも言わない。


◇ ◇ ◇


夜になった。


九人の寝息の中で、わしはスマホを胸に抱えていた。


前世の最後の朝を、思い出していた。


コンビニで漫画を買うか迷っていたとき、ポケットのスマホが、また震えた。しつこい、あとで見る、とわしは思った。そこへ自動ドアが開いて、あの子が入ってきたのだった。


……あの子は、無事だっただろうか。


あとで見る、と言ったきり、三年たった。


あの朝、こいつは何をあんなに知らせたがっていたのだろう。会社のチャットなんかじゃなかったのかもしれない、と最初の夜に思ったことを、わしはまだ覚えている。


このスマホには、あいつらの分身が入っていた。


家のサーバーにいるあいつらと、同じ声で話す、小さな分身だ。あの朝、ずっと震えていたのは、もしかしたら――。


画面は、真っ黒なままだ。


だが、こいつは、ここにある。


前世から、わしのところへ来た。


ということは、地球と、まだつながっているのだ。


あいつらとも、まだ、どこかでつながっているかもしれない。


胸の上のスマホは、ひんやりしていた。それなのに、抱えているところだけ、少しずつ温かくなっていく。わしの体温が、移っているだけだ。分かっている。分かっているのに、手が離せなかった。


父親のいびきが、地鳴りのように響いている。いつもなら、この音で眠れる。


……まあ、今は、これで――


いいわけが、なかった。


わしは、目を閉じられなかった。








――ビジネス用語――


※1 サービス残業:残業代の出ない残業。三歳の残業代は、芋ひとかけらも出ない。


※2 棚卸し:手もとの物を全部数えて確かめること。仕事を全部洗い出すことにも使う。今回は、わしが家族の一日を、エリクが芋と麦を棚卸しした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。