第10話 サボリーマンは、品質管理部に配属される
歩けるようになると、仕事が回ってくる。
これは前世も今世も変わらないらしい。
「アインちゃんは、きょうから、こぶん、にごう!」
ロッテが、泥だらけの手でわしを指さした。
この家の庭には、ロッテを親分とする組がある。親分のロッテが六歳。子分一号のカイが四歳。子分二号のわしが二歳。その下に、見習いとしてミナとニナが一歳で入っている。
カイは家の外では、行商人とレナーテ先生を子分にしている親分だ。ところがこの庭では、子分一号である。カイの肩書きは、家の外でしか通用しないらしい。
わしは、上に親分と子分一号、下に見習いふたりをかかえる立場になった。
前世では、三十年近く勤めて平社員だった。今世では、二歳で中間管理職である。
◇ ◇ ◇
組の仕事は、泥だんごだ。
ロッテのだんごは、見た目だけなら一級品である。よくこねてあって、表面がつやつやしている。赤ん坊のわしの口に押しこまれかけたことがあるので、出来のよさはよく知っている。
ただし、乾かすと割れる。
ロッテは毎朝だんごを十個こねて、日なたの石の上に並べる。昼すぎには、そのうち七個にひびが入っている。
前世の言葉でいえば、歩留まり三割だ。作ったうち、使いものになるのがどれくらいかという割合のことである。工場なら、とっくに誰かが呼び出されている。
わしの仕事は、検品だった。
「アインちゃん、これ、いい?」
ロッテが、だんごを一個ずつ持ってくる。わしは、ひびがないかを見て、うなずくか首を振る。それだけの仕事だ。
それだけの仕事が、終わらない。
ひびは、乾くにつれて少しずつ入る。朝いいと言ったものが、昼には割れている。そのたびに、ロッテは同じだんごをまた持ってくる。わしは日なたに座ったまま、昼寝もできずに、うなずいたり首を振ったりし続けた。
前世の会社にも、品質の担当はいた。終わらない検品を、毎晩やっていた。あの人たちがいつも言っていたのは、不良品をなくすいちばんの近道は、検品を増やすことではなく、不良品を作らないことだ、ということだった。プラミなら、割れる理由を三つ挙げて、こっちが聞く前に全部直していただろう。
わしは、昼寝がしたい。
だから、不良品を作らせないことにした。
◇ ◇ ◇
まず、水だ。
ロッテの水の入れ方は、その日の気分で決まる。たっぷりの日もあれば、ちょろっとの日もある。
次の朝、わしは台所のすみから、ふちの欠けた椀を持ってきた。水がめから水を半分だけくんで、ロッテの土の山にそっとかける。それから、両手で土をこねた。
「アインちゃん、なにそれ。おまじない?」
わしは黙って、もう一度椀に半分くんでみせた。
ロッテは目を輝かせた。
「おまじないだ! カイ、おまじないのおわん、もってきて!」
その日から、組の水は欠けた椀の半分と決まった。この組では「おまじない」と呼ばれている。呼び名はどうでもいい。
次に、乾かす場所だ。
日なたは暑い。眠いのに、眠れない。わしが昼寝をしたいのは、薪の山の陰だ。あそこは、昼すぎでもひんやりしている。
ただし、検品係はだんごのそばを離れられない。
ならば、だんごのほうに来てもらえばいい。
わしは、だんごを一個ずつ両手で抱えて、薪の山の陰へ運んだ。二歳の足で十往復。一個運ぶたびに、日なたの暑さから逃げられるので、苦にはならなかった。
そういえば、前世でも同じことを言われた覚えがある。親父の仕事場で、壁に塗る土をこねるのを手伝ったときだ。
壁土はな、日なたで急いで乾かしたら割れるけん。
親父の声が、ふいに耳の奥で聞こえた気がした。島のなまりの、低い声だ。三十年以上、思い出しもしなかったのに。
最後に、並べ方だ。
わしは、運んだだんごを作った順に一列に並べた。いちばん先に作ったものが、いちばん端。先に作ったものから先に乾く。だから、端から順に、乾いたものを一回ずつ見ればいい。
先入れ先出しだ。先に入れたものから先に出す。倉庫でも、仕組みの中でも、基本中の基本である。
これで、検品は一個につき一回で済む。
わしは列の横に寝転がって、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
次の日の昼、ロッテが悲鳴を上げた。
「われてない!」
薪の陰の十個が、一個も割れていなかった。
歩留まり、十割。
ロッテはだんごを両腕いっぱいに抱えて、村の子どもたちのところへ走っていった。夕方には、村の子どもたちのあいだで「ロッテ親分のだんごは、割れない」という話が広まっていた。次の日から、庭の外には、だんごをもらいに来る子どもの列ができた。
「ロッテ親分、あしたもある?」
「あしたも十こ! ならんで、ならんで!」
ロッテは、列の先頭から順番にだんごを配っていった。先に並んだ子から先に渡す。親分は、教わってもいないのに先入れ先出しを覚えていた。
ロッテ親分の株は、天井知らずに上がった。
手柄は、親分のものになった。子分とはそういうものだ。前世でも、そうだった。……もっとも前世では、手柄を持っていく親分すらいなかったが。
おさまらないのは、子分一号である。
カイは、急に重用されはじめた二号を、じっと見ていた。それから、だんごの列のところへ来ると、端の一個を手に取った。
「カイ、なにしてるの」
ロッテが聞いた。
「……あじみ」
カイはだんごにかぶりついた。
「……つち」
当たり前である。
すぐに横から手が伸びて、エリクがカイの口からだんごを取り上げた。二年前、わしの口に押しこまれかけただんごを取り上げたのと、同じ手つきだった。
子分一号の意地は、土の味がしたらしい。
見習いのふたりも、それぞれ働いている。
ニナは、並んだだんごの前にしゃがみこんで、一個ずつにらんでいる。生まれたその日から寄せている眉間のしわが、検品にはちょうどいい。わしより、よほど検品係らしい顔をしている。
ミナは、だんごを口に運ぼうとしていた。
わしは、あわててその手を押さえた。カイの次に、ミナまで土を食べさせるわけにはいかない。
ミナは、きょとんとわしを見上げた。口をもぐもぐさせている。まだ何も入っていないのに。
口が、勝手に動いた。
「……みじょか」
いや、食べるな。
見習いのOJTも、中間管理職の仕事である。
その日の昼すぎ、わしは薪の陰で、だんごの列の横に寝転がった。検品は、端から一回ずつ見るだけだ。日陰は涼しい。
前世の三十年と、今世の二年で、わしはようやく、昼寝のできる職場を手に入れた。
◇ ◇ ◇
昼寝のできる職場を手に入れたその冬、この家の夜には、昼寝どころか交代の人もいなかった。
その朝、父親が畑から戻ってきて、ぼそりと言った。
「……湖が、凍った」
二語だった。それだけで、家の空気が変わった。
わしには、何のことか分からなかった。冬に湖が凍るのは、当たり前ではないか。
分からないまま、雨の日のお話の時間を思い出した。わしが最後まで寝なかった、数少ない日だ。レナーテ先生は、北西の海の話をしていた。北西の海は、冬になると凍る。凍った海の上を、向こう岸から魔物が歩いて渡ってくる。
湖が凍れば、北西の海も凍る。そういうことらしい。
だから、冬は見回りの季節になる。
父親が寄り合いで引き受けてきた、あの見回りだ。
村の男たちも、手を挙げたらしい。
「足手まといだよ」
母親はそのひとことで、全員を断った。
おかげで、見回りの当番は父親と母親の二人だけで回すことになった。前世の会社の夜勤は、少なくとも三人で交代していた。この領地の夜勤のシフト表には、名前が二つしか書いていない。
◇ ◇ ◇
その夜、父親と母親は、日が落ちてから出かけていった。
母親は梁の上から布包みを下ろして、ほどいた。剣を腰に差す。父親は、いつもの野良着に、厚い毛皮を一枚はおっただけだ。
「エリク。かんぬき」
「……はい」
「先生、あとは頼んだよ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
戸が閉まり、エリクがかんぬきを落とした。
家の中が、急に広くなった気がした。
エリクは弟妹を一人ずつ寝床に入れていった。双子を並べ、フィンを母親の寝床の真ん中に寝かせ、カイに毛布をかける。カイは毛布をかけられる前から寝ていた。
ロッテだけが、寝床に入らなかった。
壁に立てかけてあった木の剣を、両手で握っている。前に父親が土産に買ってきた、カイの剣だ。
「あたしも、いく」
「だめだ」
エリクが言った。ロッテは唇をかんで、剣を離さない。
レナーテ先生が、ロッテの前にしゃがみこんだ。いつもの授業の声だった。
「では、問題です。冬の夜、いちばん安全な場所はどこでしょう」
ロッテは少し考えてから、胸を張った。
「かあさまの、せなか!」
あたしの背中より安全なところは、この村にはないからね。母親の口ぐせだ。
「正解です。でも今夜は、その背中がお仕事中です。ですから、二番目に安全な場所にいましょう」
「……にばんめって、どこ」
「この家です。エリクさんが、戸口にいますから」
ロッテはエリクを見た。エリクは、少しだけ背すじを伸ばした。
ロッテは木の剣を抱えたまま寝床に入って、それきり静かになった。
エリクは戸口の前に座りこんだ。膝の上に、父親が柵を打つときに使う太い棒を置いている。八歳の膝には、だいぶ重そうだ。
先生がその隣に腰を下ろして、小声で言った。
「エリクさん。銀貨が七枚と、銅貨が二十枚。銅貨にすると」
「……七百、二十」
「では、そこから飴を九つ買うと」
「……七百、十一」
戸口から、小さな声の問題と答えが、ぽつり、ぽつりと続いた。エリクの声は、問題が進むにつれて落ち着いていった。数を数えているときのエリクは、こんな夜でも少しだけ楽しそうだ。
◇ ◇ ◇
わしは寝なかった。
二歳の体は、夜になると勝手にまぶたが落ちてくる。それでも、今夜だけは見たかった。
戸口の腰かけを、そっと窓の下まで引きずっていく。途中で三回休んだ。リーゼが授業を聞くときに座る、あの腰かけだ。その上によじのぼって、窓のすき間に顔を押しつけた。
外は、白かった。
雪の畑が、月明かりで、うす紫に光っている。この年、空でいちばん大きいのは、紫の月だった。その先に、森の黒い影が横に長く伸びていた。森沿いの街道は、あの影のふちを通っている。
風の音しかしない。
前世の夜勤を思い出した。何も起きない夜がいちばんいい夜で、何も起きないことを確かめるために、一晩じゅう画面をにらむ。わしは、だいたい寝ていたが。
どれくらいたっただろう。森の影のふちで、何かが光った。
一度だけ。
細い光が、横に走って、すぐに消えた。
剣だ。
この距離では、母親の姿は見えない。それでも、あの光り方は知っている。洗濯物を一枚ずつ、ぱん、とはたくのと同じ動きだ。半歩よけて、一振り。
遠吠えが一つ上がって、途中で切れた。
それからしばらくして、同じあたりに、別の光が灯った。
今度は、やわらかい光だった。陽だまりのような、あたたかい色をしている。
……父親の手だ。
誰かが、ケガをしたのだ。
腰かけの上で、わしは窓わくを握りしめた。光は長く灯っていた。エリクの手を治したときよりも、ずっと長く。やがて、ふっと消えた。
この領地の夜を守っている仕組みは、あの二人だけでできている。
冗長性がない。予備がない、ということだ。どちらかが倒れたら、そこで全部が止まる。前世の仕組みなら、そういう作り方は真っ先に直される。
わしは、窓わくを握ったまま考えた。考えているうちに、まぶたが落ちてきた。
気がつくと、誰かに抱き上げられていた。髪をきっちりまとめた人の、袖の匂いがした。
「……アインさん。続きは、明日の朝です」
◇ ◇ ◇
明け方、戸を叩く音がして、エリクがかんぬきを外した。
父親と母親が、帰ってきた。うしろに、声のでかいおやじと猟師の若者がいる。母親に断られたのに、こっそりあとをついていったらしい。母親がじろりと見ると、おやじは大きな体を縮めた。
母親は、肩に大きなものを担いでいた。白い毛の、四つ足の魔物だ。狼に似ているが、狼よりひと回り大きい。
「冬の肉だよ」
母親はそれを土間にどさりと下ろして、まだ起きていたエリクの頭をなでた。
「芋が足りない分は、こいつで埋めるさ」
猟師の若者の袖が、肘のところで大きく裂けていた。裂け目のまわりの毛皮が、黒っぽく濡れて固まっている。それなのに、裂け目からのぞく腕には、傷ひとつなかった。
「領主様に、治していただきまして」
若者はそう言って、先生が出した芋がゆの椀を受け取った。三口すすったところで、椀を持ったまま、こくりと寝てしまった。
エリクのときと、同じだ。
その朝、父親は寝床に倒れこむなり、いびきをかきはじめた。
いつもより、大きい。地鳴りのような、という言い方では足りない。家の梁が少し鳴った。
ゆうべ、どれだけ歩いたのか。どれだけ光らせたのか。父親は何も言わないが、いびきの大きさが全部しゃべっている。
いびきが大きい朝は、働いた夜。
分析結果に、追記。
この領地の夜は、夫婦二人で回している。予備はない。
エリク。戸口で一晩、数を数えていた。
ロッテ。木の剣を抱いて寝た。
父親。いびきが、ゆうべの仕事を報告する。
……まあ、今は、これでいいか。
わしは、目を閉じた。
――ビジネス用語――
※1 OJT:仕事をしながら、仕事を覚えてもらうこと。今回のOJTの中身は「だんごは食べるな」。




