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第8話 あなたの顔が見たい


「はぁ……」


 臓腑を絞り出すような、重いため息が、廊下に敷かれた分厚い絨毯へと染み込んだ。


「全然、会えない……」


 彼女に――最強ババアに、会えないのだ。

 "あの日"の出会い以降、小競り合いが続いていた国境も、今ではすっかり静まり返っている。


 それもこれも、黒蛇のせいだ。

 雷をまとう大蛇。  地中から星の数ほど吹き出す蛇の群れ……。

 いずれもただの蛇ではない。  偉大なる最強ババアの、子飼いの蛇たちだ。


「さすがだ。さすが、としか言いようが――」


 圧倒的な蛇たちの力を前に、わが国の軍は撤退した。

 その向こう。とぐろの波のさらに向こうに、きらめくあなたの白髪を見たのが――五十年前。



「はあぁ……」


 再び漏れたため息と共に、私は手近な額縁へ頬を寄せる。

 長い廊下に等間隔に並ぶ肖像画たち。  すっかり増えた最強ババアの絵姿に、足りない彼女の成分を求めるほかない――


「よし。いい加減、会いに行こう」


 がばりと頭を上げ、私は懐から紙片を取り出した。

 剣が蛇を貫く、物々しい印章。それが押された白封筒――国軍からの呼び出しである。

 封を指先でなぞりながら、私は屋敷の玄関へ向かった。

 執事が掲げる鏡で、外出前の身だしなみを確認する。


(ふむ……しっかりと染まったな)


 若い肉体に乗り換えたせいで黒くなってしまった髪を、わざわざ染料で白く染め直したのだ。


「目も――次の乗り換えで、変えてみるか」


 鏡のなかの己を見つめる。

 "彼女"と同じ白髪を撫でつける。自然と口角が上がるのを感じながら、私は馬車に乗り込んだ。




* * *


「なんだこれは――デタラメすぎる!」

 縦長の机を、議長席の男が拳で叩いた。

 机いっぱいに広げられた地図。その上に並ぶ白黒の木彫りの駒が、衝撃でいくつか倒れる。

 国境線付近は、朱色の書き込みで埋め尽くされていた。


「初日で3割の兵が無力化? 死傷者ゼロで、無力化だと!?」

 怒声を上げたのは、禿げ上がった頭を赤くした老将だった。胸元には、古びた勲章がいくつもぶら下がっている。

 地図の上に残った駒は黒ばかり。わずかに残った白の駒は、前線から大きく退いていた。


「まあまあ……損害はゼロですから。また立て直せば――」


 金鎖を肩から垂らした将校が、脂ぎった指で髭を撫でる。

 だが、


「何を言っとる。蛇に噛まれた奴は、5日経っても目覚めんのだぞ」

 老将の怒鳴り声が、それを叩き潰した。


「情けない。これだけの兵力を以てして、一人の術師に、良いようにしてやられるとは」

 低く響いた声は、国直属の術師団長。

 黒い法衣。胸元には、五芒星を刻んだ銀の魔力章。

 この国トップクラスの魔力保有者。圧倒的権力の代わりに、王への絶対忠誠を誓う"国の犬"だ。

 

(そうだ。わが国の軍など、まるで子供の遊戯……彼女の前ではな)

 飛び交う怒声を聞き流しながら、ヤータンは天幕の隅で静かに頷いた。

 テーブルからはるか遠く、入り口に近い末席で。

 男爵のヤータン二世。小金持ちの木っ端貴族の自分には、発言権などない。

 だが、それで構わない。

 そもそも私が求めるのは、戦の勝利などではないのだから。


「魔力を、集中させましょう」

 だから、続く言葉にヤータンは肩眉を上げた。

 将校の発言だ。視線を十分に集めたことを確認すると、肉厚な唇をぺろりと舐めると、彼は議長に向き直る。


 「数は力なり。確かにそうでしたが――状況は変わりました」

「……最強ババア、だな」

 頷くもの。額を押さえるもの。皆が皆、否定できず、重苦しい空気が流れた。


「少数精鋭ですよ」

 チラリと将校は、黒衣の術師団長を見やる。


「一兵卒まで均等に配った魔力を、分配し直す。爵位持ちへ、集中させるのです」

「それは――法改正も、それにどうしたって配分に不平等が!」

 焦りを帯びた口調で、術師団長が遮った。


「上限はありますがね。ならば、その上限まで底上げすればいいだけの話でしょう」


 金鎖の将校は、ゆるりと口角を吊り上げた。


「それとも――ご自身の優位性が損なわれるのが、お困りですかな? “魔力量だけ”が取り柄の、術師団長殿」

「貴様……!」


 術師団長の声が歪んだ。

 それを皮切りに、会議は一気に荒れ始めた。


 互いが貶め合うことばかり、一向に議題は進まない。

 そんな中、ヤータンは一人頷いていた。


(悪くない)

 それならば、あの蛇の群れにも一点突破くらいは可能かもしれない。

(彼女も、さすがに無視はできまい)


 なおも、怒声が飛び交っている。

 ひとつ、ため息を吐いた。

 それから、すっとローブの隠しへ手を入れる。取り出した小袋から、乾いた茶葉を指先でさらさらと零した。


「そもそも、術師共が脆弱だから!」

「いいや、運用が悪い。指揮さえまともなら!」

「なんだ? 何か匂いが――」

 狭苦しい天幕の中で、ふと鼻を掠める清涼な香り。  

 ピタリと口論が収まった。


「ああ……そうだな。再配分。法部に確認したが、そちらも問題ないそうだ」

「……ふむ。一時的措置なら、術師団としても異論はない」


 皆が皆、笑顔になる。目の焦点がやや怪しいことなど、互いに気づきもしない。


「これで、光明見えてきましたな」

「最強ババアも、取るに足りませんぞ」

「わっはっは」


 笑いに包まれる会場を、ヤータンは冷めた目で眺めていた。


(まあ、無理だろうな)


 静かに立ち上がる。天幕をめくれば、沈みゆく夕日が、山の稜線を燃やしていた。


「久々に、お会いできそうですね」

 ヤータンは目を細め、眩い光の向こうの景色に想いを馳せた。




お読みいただきありがとうございました!


ようやく再会できそうな予感……果たしてヤータンは無事、最強ババアに近づけるのでしょうか?


全15話、折り返し地点です。

次回は明日、6時台に更新予定です。



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