肇、今日はもう一つ何があるのですか!?
劉明珠でございます。
最近、肇が何か考えている顔をすると、こちらまで身構えるようになりました。
別に悪いことをする子ではないのですが、真面目な者ほど、ときどき話を大きくするものです。
「姉上、肇殿を疑っているのですか?」
「疑っておりませんよ」
「では、なぜそんな顔を?」
「あなたの右手を見ているのです」
「まだ鼻には届いておりません」
「届く前に止めるのです」
まったく……
息子は何かを考え、妹は鼻をほじろうとする。
私だけ、ずいぶん忙しくありませんか?
さて、肇が今度は何を言い出すのでしょうね。
纂から二度目の書状が届いた時、肇は読み終えるなり、私ではなく環珠を見ました。
その時点で、だいたい察しはつきます。
「子文殿からも返事があったのですね?」
私が尋ねると、肇は頷きました。
「あちらも環珠と会って話したいそうです」
環珠は一度だけ視線を落としました。
「……そうですか」
先日は自分から「会わせてください」と申したくせに、いざ相手から同じ返事が来ると、やはり勝手が違うのでしょう。
隣にいた和珠が、姉の顔をじっと覗き込みました。
「環珠姉上、緊張しているのですか?」
「和珠」
「はい?」
「見つけたことを全部口に出さなくてもよいのですよ」
「そうなのですか?」
なぜそこで玉珠まで返事をするのでしょう。
「あなたにも言っております」
「私は何も見つけておりませんよ?」
「右手が鼻を見つけております」
玉珠は鼻先まで来ていた指を止め、しばらく自分の手を見てから下ろしました。
「なるほど」
何に納得したのです?
環珠が俯いたまま笑い、先ほどまでの緊張が少し抜けたようでした。
肇は纂からの書状を卓へ置きます。
「纂も、会わせることには異存なし、と書いています。ただし、子文殿本人の考えは直接確かめろ、と」
「それは環珠も望んでいたことでしょう」
「はい」
環珠は今度はしっかり頷きました。
肇は書状の端を指で押さえ、もう一度目を落とします。
「それと、子文殿本人も、家同士の話だけで決めるつもりはないようです」
「どういうことです?」
「環珠と話をして、それから返事をしたい、と」
環珠の指先がまた少しだけ強く重なりました。
今度は和珠も気づいたようですが、こちらを見てから黙りました。
どうやら先ほどの注意は、少しだけ効いたようです。
玉珠も黙っております。
こちらは右手だけが少し動いております。
「玉珠」
「まだ何もしておりません」
「これからする顔をしておりました」
「顔で分かるのですか?」
「あなたにだけは言われたくありません」
環珠がまた笑いました。
私はそれ以上何も言いませんでした。
この件では肇と纂が実によく動いておりますし、環珠自身も聞きたいことを決めている。
それなら私は、必要な時だけ母親として口を開けばよいのでしょう。
ところが肇は、まだ話を終えていない顔をしております。
「母上、今日はもう一つ、お伝えしておきたいことがあります」
「何でしょう?」
「この件を、陛下にもお話ししておこうと思います」
私は少しだけ眉を上げました。
「元仲様に?」
「はい」
環珠も顔を上げました。
「陛下にまで?」
「許しをいただくという意味ではない」
肇はすぐにそう付け加えました。
「ただ、父上の娘の婚姻です。それに任城の呂氏なら、朝廷で耳に入っていることもあるでしょう。何も申し上げずに進めるより、一度お話ししておいた方がいい」
なるほど……
そこまで考えているのなら、私から止める理由はありません。
「分かりました。行っていらっしゃい」
「……それだけですか?」
「他に何か必要ですか?」
肇がこちらを見ます。
「母上なら、もう少し何か仰るかと」
「またですか?」
最近、子供たちは私が口を出さないことに慣れておりませんね。
「肇。あなたが考えて、纂とも相談したのでしょう?」
「はい」
「でしたら、行けばよろしいではありませんか。私が後ろから『あれも聞きなさい、これも忘れないように』と申したら、あなたは何歳なのです?」
「……分かりました」
「何です、その顔は?」
「いえ」
明らかに何か言いたそうですが、口をつぐみました。
そこへ玉珠が口を挟みます。
「姉上は、肇殿を信用しているのですね」
私は妹を見ました。
「どうして今日は、妙にまともなのです?」
「失礼ですね」
「普段の行いを振り返りなさい」
「今ですか?」
「鼻をほじる前に」
玉珠の右手が、また途中で止まりました。
肇がとうとう笑います。
「母上、では行ってまいります」
「ええ、元仲様へよろしくお伝え下さい」
環珠が少し迷ってから、兄を呼び止めました。
「兄上」
「何だ?」
「陛下は……何と仰るでしょう?」
肇は環珠を見て、少しだけ表情を柔らげました。
「分からん。でも、お前にはそのまま伝えるつもりだ」
余計な慰めも、勝手な予想も口にしません。
環珠もそれで十分だったのでしょう、「はい」と頷きました。
和珠が小さな声で尋ねます。
「環珠姉上、陛下まで見るのですか?」
「見るって何を?」
「お相手をです」
「まだ分からないわ」
「では、もし陛下も見たいと言ったら?」
「和珠」
私が呼ぶと、和珠は素直に口を閉じました。
まさかとは思ったのですが、なぜでしょう?
嫌な予感というものは、家族の中で育てていると妙に当たるのです。
私は立ち上がる肇を見送りながら、ふと思います。
文烈様がいた頃なら、こういう話を宮中へ持っていくのは、きっと文烈様だったのでしょう。
けれど今は、その息子が自分で考えて歩いていく。
いつの間にか、それを見送る側になったのだと思えば、少し妙な気分です。
「姉上」
「何です?」
「今、文烈様のことを考えておりましたね」
「玉珠」
「はい」
「どうして分かるのです?」
「顔です」
この妹は、どうしてこういう時だけ勘がよいのでしょうね。
「それより、右手」
「あ」
肇には何も言わなくてよくても、玉珠には手を出さなければならないようです。
母親の仕事は減っても、姉の仕事は減らないのですね。
◇ ◇ ◇
陛下へ環珠の縁談について申し上げると、元仲様はしばらく黙っていた。
「任城の呂氏か」
「はい」
「子恪の一族で、相手は子文と申すのだな?」
「はい、傍系の者です」
元仲様は卓上の書を閉じた。
幼い頃から顔を合わせてきた相手ではあるが、こうして正面に座られると、やはり陛下なのだと思う。
普段ならもう少し気楽に話せるのだが、今日は環珠のことだ。
「纂とも話したのか?」
「書状で何度か。家のことも本人のことも、向こうで調べてもらいました」
「文烈の息子が二人揃って調べ始めたら、相手もたまらぬな」
「父ほどではありません」
「本当か?」
すぐに返された。
俺は黙る。
元仲様が少し笑った。
「その顔を見る限り、あまり変わらぬようだが」
「私は、父よりは穏当なつもりです」
「自分で言うな」
母上にも似たようなことを言われた気がする。
元仲様は笑いを収めると、今度は少し真面目な顔になった。
「それで、環珠本人はどう申している?」
「会って、自分で話をしたいと」
「嫌がってはおらぬのだな?」
「はい、ただし会った上で嫌だと言えば、そこで終わりにします」
「それでよい」
答えは早かった。
「婚姻するのは環珠だ。家の者が先に盛り上がっても仕方あるまい」
「母上も同じ考えです」
「劉夫人は口を出しておられるのか?」
「ほとんど何も」
「……珍しいな」
「陛下までそう仰るのですか?」
「朕も夫人を長く見ているからな」
何とも言えない。
「任せる、と?」
「はい、私と纂が動いているなら、自分が同じことを言う必要はないと」
「それはそれで、重いな」
思わず元仲様を見る。
「陛下もそう思われますか?」
「信用されているということだろう。失敗すれば、夫人は何も言わずに覚えておるぞ」
「……それは困ります」
「であろう?」
元仲様は少し楽しそうだった。
「文烈がいた頃は、夫人が止める側だった気もするがな」
「父が先に動きすぎましたから」
「お前たちは、そこまで似るなよ」
「努力します」
自信はない。
元仲様は再び書へ手を置いたものの、開かずにこちらを見た。
「呂氏についてだが」
「はい」
「少なくとも、朕のところへ妙な讒言は上がってきておらぬ」
俺は少し身を乗り出した。
「讒言が?」
「上がってきておらぬ、と申した」
「はい」
元仲様は呆れたようにこちらを見る。
「子恪の一族について、朝廷で急に問題になっている話もない。子文という男についても、今のところ朕の耳へ入るほどの悪評は聞かぬ」
「それなら――」
「だから大丈夫ではないか、と朕なら思う」
そこまで言って、元仲様は指先で卓を軽く叩いた。
「ただし」
やはり続きがあったか……
「朕の耳へ何も入っておらぬから、立派な男だと決めつけるなよ」
「もちろんです」
「朝廷に讒言されるほど大きなことをしていない、というだけかもしれぬ。家の中でどう振る舞うか、妻になる者をどう扱うか、そういうことまで奏表に書いてくる者はおらぬ」
「それは、そうでしょうね」
「もしそんな奏表が毎日届いたら、朕は政務を投げ出す」
思わず笑いそうになった。
「陛下、それはおやめください」
「分かっておる」
元仲様も少し笑った。
「朕に分かるのは、朝廷を騒がせるような問題が今のところ見えておらぬ、というところまでだ。子文が夫としてどうかは、環珠と、お前たちで見ろ」
「承知しております」
「ならばよい」
皇帝のところへ上がってくる話と、家の中で見える人柄が違うくらいは俺にも分かる。
それでも、朝廷側から特に問題が見えていないというのは、一つの材料にはなる。
「纂にも伝えます」
「そうせよ。寿春で調べられることは纂が、洛陽で見られることはお前が見ればよい」
「はい」
「夫人は?」
「たぶん、座って見ております」
「それが一番怖いな」
「陛下」
今度は元仲様が声を出して笑った。
「何だ。違うのか?」
「母上は、何もしない時ほどよく見ています」
「なら、なおさら厄介ではないか」
「……否定できません」
元仲様は満足そうに頷いた。
どうして陛下と母上の話をしている時だけ、こちらが追い詰められるのだろう。
「それにしても、環珠ももうそのような話が出るようになったか」
「はい」
「朕の中では、文烈の後ろに隠れていた頃の印象もまだ残っておる」
「本人に言わないでください」
「なぜだ?」
「怒ると思います」
「夫人に似たか?」
「そこは否定しません」
元仲様はまた笑った。
父に似た顔をして、母に似たところもある。
環珠本人が聞けば、どちらを先に否定するだろうか。
これで話は終わりだと思い、立ち上がろうとしたところで元仲様に呼び止められた。
「待て、肇」
「はい?」
「子文は、環珠に会いたいと申しているのだな?」
「はい」
「洛陽へ来るのか?」
「その予定で話を進めています」
元仲様は少し考え込んだ。
嫌な予感がする。
「陛下?」
「文烈の娘を迎えたいと申す男か」
「はい」
「ならば――」
元仲様が、いかにも何でもないことのように言った。
「朕も一度、顔くらい見ておこう」
……父上。
どうやらあなたがいなくなっても、環珠の相手を見る者は、減るどころか増えているようです。
劉玉珠でございます。
今日は肇殿が、たいへん真面目なお話をしに出かけていきました。
姉上は何も心配していないようなお顔でしたが、私は知っております。
ああいう時の姉上は、何も言わないだけで、ちゃんと気にしているのです。
「玉珠。分かったような顔をしないでください」
「分かっておりますよ?」
「では、その右手は?」
「鼻です」
「そこだけは聞かなくても分かります」
姉上は今日も細かいですね。
それにしても――家の話というものは、誰か一人が動くたびに、どうして少しずつ大きくなるのでしょう?
次は、いったい誰が口を出すのでしょうね。




