玉珠、どうして文烈様と私を持ち出すのですか!?
劉明珠でございます。
妹というものは、姉が触れてほしくないところを、どうしてあれほど正確にほじるのでしょうね。
玉珠など、普段は鼻へ指を入れることに忙しいはずなのですが。
「姉上、何か失礼なことを考えておりませんか?」
「いいえ、ですから右手を下ろしなさい」
「まだ何もしておりませんよ?」
……しようとしているでしょう?
しかも今日は、鼻だけ見張っていれば済む気がいたしません。
なぜなら先ほどから、玉珠が肇と幼姫を見て妙に満足そうな顔をしているのです。
こういう時の妹は、ろくなことを申しません。
さて――今度は何を言い出すのでしょうね。
「私は、何を聞かれたのでしょうか?」
肇の問いに、私は答えませんでした。
答えられなかった、と申した方が正しいでしょう。
なぜなら、その隣で玉珠の右手が何の妨害も受けないまま顔へ近づき、その小指が――ずっぽしと鼻へ入りました。
「……叔母上」
「はい?」
玉珠は指を入れたまま肇を見ました。
何でしょう、この光景は。
先ほどまで幼姫の勘違いによって妙な意味を持たされていた言葉が、今度は目の前でまったく別の形となって実現しております。
世の中には、わざわざ回収しなくてよい言葉というものもあるのですよ。
「叔母上は、そのままお話を続けられるのですか?」
「何か問題がありますか?」
「問題しかありません」
私が答えました。
肇は玉珠の手を止めようとはしません。
そもそも、自分の叔母が鼻へ指を入れるところまで世話を焼く義理はないのでしょう。
その点については私も同意します。
ただし、見ているこちらには大いに迷惑です。
「玉珠、抜きなさい」
「まだ途中です」
「何の途中です?」
「鼻を」
「聞かなければよかったですね」
玉珠がようやく指を抜きました。
その間、幼姫はずっと顔を伏せております。
「それで」
肇が妻へ視線を向けました。
「昨夜、私は何をしたことになっている?」
「ち、違うのです、肇様」
「何が違う?」
「母上が、肇様は家でも奥まで確かめるのかとお尋ねになって……」
「ええ」
「それで私が、昨夜もずっぽしと……」
また言いましたね。
肇の眉がわずかに動きました。
幼姫はそこでようやく同じ言葉を繰り返したことに気づいたらしく、慌てて両手で口元を覆います。
「戸です! 戸の差し木のことでございます!」
「分かっている」
「分かっておられるのですか!?」
「母上が先ほどそう仰っていた」
幼姫がこちらを見ました。
「母上……」
「なぜ助けを求める目をするのです? 発端はあなたですよ」
「ですが母上も、『奥まで確かめる』と……」
「その言い方でそこまで想像を広げたのはあなたです」
「母上にも少し問題があると思います」
肇まで加わりました。
私は息子を見ます。
「なぜあなたまで幼姫の側へ回るのです?」
「妻ですので」
「たいへんよろしい心がけですね。母親を犠牲にしなければ、さらに結構でした」
肇の口元がわずかに緩み、幼姫も顔を赤くしたまま笑いました。
二人とも、ずいぶん楽しそうですね。
私だけが被害を受けているような気がするのですが……
「やはり仲がよろしいですね」
玉珠が申しました。
私は嫌な予感を覚えましたが、今度は右手が鼻へ向かっていません。
それだけで少し安心した私も、かなり毒されているのでしょう。
「何の話です?」
「肇殿と幼姫殿です」
玉珠は二人を交互に眺めてから、妙に満足そうに頷きました。
「文烈様と姉上と変わらないくらい、仲がよろしいですね」
今度は、誰もすぐには言葉を返しませんでした。
肇と幼姫が思わず顔を見合わせる一方、私は玉珠へ目を向けました。
本人だけが、何がおかしいのか分からない顔をしています。
「……玉珠」
「はい」
「そういうことを本人たちの前で平然と申すものではありません」
「なぜです?」
「照れるでしょう」
「姉上も照れるのですか?」
「なぜ私へ戻すのです?」
玉珠は少し考えました。
右手が動きそうになったので視線を向けると、今度は自分で止めました。
成長しましたね。
ほんの少しだけ。
「ですが、本当に似ておりますよ」
「何がです?」
「肇殿は幼姫殿が何をしようとしているのか、だいたい先に分かっておりますし、幼姫殿も肇殿が何を気にしているのか分かっております」
玉珠がそう言う間にも、幼姫は眠っている子の掛布へ手を伸ばしました。
ところが、その指が触れるより先に、肇が籠の端へずれかけていた布を軽く直します。
幼姫は何も言いません。
ただ夫を見上げ、微笑みました。
「ほら」
玉珠が得意そうにこちらを見ました。
「文烈様と姉上も、あのような感じでした」
「あなたは何を見ていたのです?」
「ずっと見ておりましたよ?」
それもそうでした。
玉珠は私たちと長いこと同じ家で暮らしていたのですから、私には当たり前だったことでも、妹には外から見えていたものがあったのでしょう。
肇と幼姫が、文烈様と私に似ている。
そう言われるとどうにも落ち着きませんが、嫌なのではありません。
むしろ――悪くない。
「母上?」
肇に呼ばれました。
「何でもありませんよ」
「そうですか?」
「そうです」
少し返事が早かったのでしょう。
肇が何か言いたそうな顔をしましたが、幼姫が横から肘でそっと夫の袖を押しました。
やめておけ、とでも申しているのでしょうか。
肇は素直に口を閉じます。
玉珠がまた嬉しそうに頷きました。
「分かりましたから、もうその顔で頷かないでください」
「では、別のことを聞いてもよろしいですか?」
「嫌な予感しかしませんが、何です?」
「先ほどのずっぽしは、本当に戸だけだったのですか?」
幼姫がむせました。
肇が目を閉じました。
私は玉珠の右手をつかみます。
「なぜですか?」
「今から鼻へ入れるでしょう」
「まだ動かしておりません」
「質問の内容だけで十分です」
幼姫が背中を丸めて咳き込んでいるので、肇がすぐに水を差し出しました。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
「ゆっくり飲め」
幼姫は器を受け取る時、肇の指へ自分の指を軽く重ねました。
特別なことではありません。
けれど、その何でもない仕草を見ているうちに、玉珠が言いたかったことが少し分かった気がしました。
夫婦というものは、言葉だけで仲の良し悪しが決まるわけではないのでしょう。
水を渡し、目配せだけで相手の意図を察し、子が眠れば自然と声を落とす――そんなことを、二人はいちいち意識もせずにやっているのでしょう。
文烈様と私も、傍から見ればあのようだったのでしょうか。
自分たちのこととなると、案外分からないものです。
今となっては、本人に尋ねることもできませんしね。
「姉上」
「何です?」
「今、文烈様のことを考えておりましたね」
「なぜ分かるのです?」
「顔です」
「鼻へ指を入れる人に顔を読まれたくありません」
「入れておりません」
「私が手首をつかんでいるからでしょう」
「ああ、そうでした」
この妹は本当に油断なりません。
もっとも、何でも口に出してくるからこそ、こちらが気づかされることもあるのですが、それを本人へ申すつもりはありません。
調子に乗りますから。
幼姫が水を飲み終え、肇へ器を返しました。
「ありがとうございます、肇様」
「もう大丈夫か?」
「はい」
「ならよい」
ほんの短いやり取りなのに、幼姫の顔は穏やかでした。
肇もまた、外で仕事をしている時とは少し違う顔をしています。
「母上?」
「ですから何でもありません」
「まだ何も聞いておりませんが」
「顔に書いてあります」
「それは叔母上と同じことを仰っています」
「撤回します」
玉珠が笑いました。
幼姫もつられて笑い、肇だけが少し困った顔をしています。
やがて籠の中から小さな声が聞こえました。
幼姫が立ち上がろうとしましたが、肇が手を添えます。
「急がなくていい」
「でも、起きたようです」
「私が抱こう」
「肇様、今日はお疲れでしょう?」
「抱くくらいで疲れるものか」
肇が子を抱き上げると、先ほどまでむずかっていた声が少しずつ静かになりました。
その様子を見ていた玉珠が、何か申そうとして口を開きます。
「もう分かりましたよ」
「まだ何も申しておりません」
「どうせ『文烈様と姉上ですね』でしょう?」
「はい」
「やはり言うつもりだったのですね」
玉珠は悪びれもせず笑いました。
幼姫まで袖で口元を隠しております。
「肇」
「はい?」
「ほどほどにしなさいね」
「何をです?」
「いろいろです」
「分かりません」
「分からないくらいでちょうどよいのですよ」
肇は首をかしげました。
幼姫はその横で笑っています。
玉珠も笑っていました。
私も、たぶん少しだけ笑っていたのでしょう。
文烈様がいなくなってから、こうして若い夫婦を眺めることなど考えもしませんでした。
誰かが誰かの顔を見て、言われるより先に手を伸ばす。
それをまたこの家で見られることが、思っていたより嬉しいものなのですね。
「叔母上」
「はい?」
「その右手は何をしているのです?」
肇が言いました。
玉珠の指は、すでに鼻の中へ半分ほど入っております。
「鼻をほじっております」
「見れば分かります」
「では、なぜ聞いたのです?」
「私にも分かりません」
珍しく肇が負けました。
私は笑いをこらえながら、玉珠の手を下ろさせます。
「ところで肇」
「はい」
「今日は遅くなると聞いておりましたが、なぜこんなに早く戻ったのです?」
そう尋ねた途端、肇の表情が変わりました。
ほんのわずかでしたが、母親には分かります。
幼姫も笑うのをやめました。
「何かあったのですか?」
「……はい」
肇は抱いていた子を幼姫へ戻し、姿勢を正しました。
先ほどまで妻と笑っていた男の顔が、曹家の家を預かる者の顔へ戻っていきます。
「母上に、先にお話ししておきたいことがあります」
「私に?」
「本当は、もう少し候補を見てからと思っておりました」
候補?
何のことでしょう。
肇は一度だけ息を整え、私をまっすぐに見ました。
「環珠に――縁談が来ました」
私が言葉を失うと、玉珠も幼姫も黙り込みました。
その静けさの中で、私の頭に最初に浮かんだのは、たった一人でした。
……文烈様。
あなたがここにいたら。
いったい、何人を屋敷の門前で追い返したのでしょうね。
劉玉珠でございます。
今日は姉上に、余計なことを申すなと何度も言われました。
ですが、私は見たことをそのまま申し上げただけなのですよ?
「それが余計なのです」
姉上はたいへん難しいことを仰います。
では黙っていようと右手を鼻へ向けましたら、今度はそこまで止められました。
「玉珠、それも余計です」
「鼻までですか?」
「鼻だからです」
うーん……まだよく分かりません。
ただ――姉上は最後に、少しだけいつもと違う顔をしておりました。
あれは何だったのでしょうね。
次に会った時、聞いてみましょう。
……たぶん、また止められますけど。




