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纂、今度はあなたがあの道を行くのですね

劉明珠でございます。


纂が妻を連れて寿春へ赴くことになりました。

ですので、忘れ物がないか確認しております。


「薬は?」

「あります」

「替えの衣は?」

「あります」

「道中の食事は?」

「母上、それもあります」


どうやら私は、少々確認しすぎているようです。

そこへ玉珠が参りまして、


「姉上も一緒に行くのですか?」


と申しました。


「行きませんよ」

「昔は文烈様と行ったのでしょう?」

「今度は、見送る側です」


そう答えてから、少しだけ黙りました。

昔、寿春へ向かったのは私たちでした。


今度は――纂の番なのですね。

「母上、そろそろ参ります」

曹纂にそう呼ばれた時、私は返事をする前に、庭先へ並んだ荷を見ました。

車には衣や書物、日用品が積まれ、その横では纂の妻が侍女たちと最後の確認をしております。

ずいぶん増えましたね。

私が増やしたのではありませんよ?

……たぶん。

「本当に忘れ物はございませんね?」

「母上、それを今朝から五度聞かれております」

「では、六度目です」

「増やさなくて結構です」

久しぶりに家へ戻ってきた息子は、妻を連れて寿春へ向かいます。

孫権が皇帝を称したことで、揚州方面を固める必要が生じ、纂にも赴任の命が下りました。

天下の話としては重大なのでしょう。

ですが今の私にとっては、皇帝が一人増えたことより、目の前で息子の荷物が車へ載せられていることの方がよほど現実味があります。

「薬は?」

「あります」

「途中で雨に降られた時の替えの衣は?」

「妻が用意してくれました」

「食事はきちんと――」

「母上」

また止められました。

纂は困ったように笑っております。

「私は戦へ放り込まれるのではありません。寿春へ赴任するだけです」

「だからといって、道中で腹が減らなくなるわけではないでしょう?」

「そこまで子供ではありません」

それは知っております。

知っておりますが、知っていることと黙っていられることは別なのです。

昔、文烈様と揚州へ向かった時は、私が荷をまとめる側でした。

寧珠と環珠を連れ、その後、和珠は寿春で生まれました。

肇と纂は洛陽に残しました。

あの頃は、こちらが出ていく側だったのです。

今日は違います。

「母上?」

纂が私の顔を覗き込みました。

「何でしょう?」

「また昔のことを考えておられますね」

「顔に出ておりましたか?」

「少しだけ」

いつの間に、そんなところまで見るようになったのでしょう。

「文烈様と寿春へ向かった時のことですよ」

そう申すと、纂の表情がわずかに変わりました。

「私と兄上は、洛陽に残りましたね」

「ええ、あなたたちを置いていくのが心配で、何度も振り返りました」

「覚えております」

「何をです?」

「母上が、出立する直前まで私たちにあれこれ言っていたことを」

私は黙りました。

嫌なところばかり覚えておりますね。

「食事を抜くなとか、兄弟で喧嘩をするなとか、何かあれば知らせろとか……ずいぶん色々と言われました」

「そこまで言いましたか?」

「もっと言われました」

「では忘れてくださいませ」

「無理です」

纂が笑いました。

まったく。

大きくなったものです。

そこへ環珠が、纂の妻と一緒に戻って参りました。

「兄上、こちらの箱は後ろでよいそうです」

「分かった。ありがとう」

十五になった環珠は、こういう時にはずいぶん手際よく動くようになりました。

幼い頃なら荷の中身を覗き込み、これは何に使うのかと尋ねていたでしょうに、今は兄の妻を手伝う側です。

その横から、和珠が顔を出しました。

「兄上」

「何だ?」

「寿春へ行ったら、私が生まれたところも見ますか?」

纂が少し驚いた顔をしました。

「見られるならな」

「では、どんなところだったか教えてください」

「お前は住んでいただろう?」

「小さかったので、よく覚えておりません」

もっともです。

和珠にとって寿春は、生まれた場所ではあっても、記憶の中ではぼんやりした土地なのでしょう。

「父上がいたところですよね?」

「そうだ」

「母上も、寧珠姉上も、環珠姉上も?」

「いましたよ」

「では、兄上だけ後から行くのですね」

和珠の言い方が妙に可笑しくて、纂が吹き出しました。

「そういうことになるな」

「遅いですね」

「仕方ないだろう」

九つの子に赴任の順番を責められる兄というのも、なかなか珍しいでしょう。

環珠が肩を震わせております。

「和珠、兄上が決めたわけではありませんよ」

「では誰が決めたのです?」

「陛下でしょうね」

「陛下は兄上を寿春へ行かせたかったのですか?」

今度は私が答えました。

「孫権が皇帝を称したので、東を固める必要があるのでしょう」

和珠は少し考え込みました。

そこへ、ちょうど玉珠が夫君と一緒にやって来ます。

嫌な予感がしました。

こういう時に玉珠が話を聞くと、ろくなことになりません。

「東を固めるのですか?」

「ええ」

「孫権が皇帝になったから?」

「そうですよ」

玉珠は、しばらく黙っておりました。

その間に右手が少しずつ顔へ近づいていきます。

夫君が会話を続けたまま、その手首だけを押さえました。

「お前は考える時に鼻へ手をやるな」

「まだ何もしておりませんよ?」

「行き先が分かっている」

「夫は未来が見えるようになったのでしょうか?」

「お前の右手だけだ」

夫君の技も、ついにそこまで来ましたか。

玉珠は何事もなかったように私へ向き直ります。

「姉上」

「何でしょう?」

「皇帝は、三人になったのですか?」

来ましたね。

「数えなくてよろしいです」

「でも三人ですよね?」

「結果としては」

「一人では足りないのでしょうか?」

「足りる足りないの話ではございません!」

纂が声を殺して笑っております。

「纂」

「はい」

「寿春へ行けば玉珠から逃げられると思っていますね?」

「少しだけ」

正直でよろしい。

ですが、帰ってきた時に覚えておきましょう。

寧珠は見送りには来ませんでした。

産後間もないのですから当然です。

本人は最後まで来たがりましたが、子初殿と私で止めました。

「母上だって、産後すぐ動いていたではありませんか」

などと申しましたので、

「だからあなたにはさせないのです」

と返してあります。

自分の無茶を、娘への手本にする気はありません。

やがて、出立の刻が近づきました。

肇も姿を見せました。

妻と生まれたばかりの子を家へ残しておりますので長居はできませんが、弟を見送らずにはいられなかったのでしょう。

兄弟は少し離れたところで話しております。

何を申しているのかまでは聞こえません。

ただ、最後に肇が纂の肩を一度強く叩き、纂が笑いました。

昔は、あの二人が洛陽から私たちを見送っていた。

今日は、肇がこちらに残り、纂が向こうへ行きます。

同じ家族でも、いつまでも同じ場所には立っていないのですね。

纂の妻が私の前へ進み、静かに頭を下げました。

「母上、行って参ります」

「ええ……気をつけて」

それから私は少しだけ声を落としました。

「纂が仕事に夢中になって食事を忘れたら、遠慮なく叱ってくださいませ」

「母上」

「何です?」

「最後までそれですか?」

「最後だから申しているのですよ」

妻が笑いを堪えております。

良いですね。

これなら、寿春へ行っても纂一人で好き勝手はできないでしょう。

安心しました。

「では」

纂が私の前へ立ちました。

先ほどまで笑っていた顔が、少しだけ真面目になります。

「行って参ります、母上」

その言葉を聞いた瞬間、文烈様の馬や揚州へ向かう支度、まだ幼かった娘たちの姿が、ひとつながりになって胸へ戻ってきました。

洛陽には肇と纂を残し、私は何度も後ろを振り返ったものです。

あの時、纂は見送る側でした。

今日は私が、ここに残ります。

「纂」

「はい」

言いたいことは山ほどありました。

体を壊さず、妻を大切にしてほしい。

そして何より、文烈様と同じ土地へ向かうからといって、父親と同じように生きなければならないなどとは思わないでほしい。

けれど、それを全部口にすれば、また出立が遅れます。

「寿春へ着いたら、知らせなさい」

纂は一瞬だけ目を丸くしました。

「それだけですか?」

「何です、その顔は。もっと聞きたいのですか?」

「いえ」

「では早く行きなさい」

「はい」

笑いましたね。

最後まで生意気です。

纂夫妻が車へ向かい、人が動き始めました。

車輪がゆっくりと土を踏みます。

肇が手を上げました。

環珠と和珠も続きます。

玉珠まで大きく手を振りましたが、途中で右手の進路が怪しくなり、夫君につかまれました。

「見送りの途中で鼻へ行くな」

「手を振っていただけですよ?」

「途中から違った」

最後まで何をしているのですか。

笑ってしまった、その時でした。

遠ざかり始めた車から、纂が振り返りました。

「母上!」

よく通る声でした。

「何です!」

「今度は私が、寿春を見て参ります!」

その言葉に、返事が少し遅れました。

寿春――

そこは文烈様と暮らし、寧珠と環珠を育て、和珠を産んだ町です。

私にとっては、任地という言葉だけでは片づけられない、家族で暮らした場所でした。

そして今日からは、纂夫妻が暮らす場所にもなる。

私は大きく手を上げました。

昔は、文烈様の隣から洛陽を振り返りました。

今は洛陽に立ち、寿春へ向かう息子を見送っております。

文烈様……

今度、あの道を行くのは――

あなたではなく、あなたの息子ですよ。

劉玉珠でございます。


纂が妻と一緒に寿春へ旅立ちました。

姉上は、姿が見えなくなるまで手を振っておりました。


「姉上」

「何でしょう?」

「昔は、姉上が寿春へ行ったのですよね?」

「ええ」

「今度は纂が行きました」

「そうですね」


なるほど。


「では、次は誰でしょう?」

「順番に行く場所ではございません!」


姉上に怒られました。

考えながら右手を顔へ上げますと、夫がこちらを見ました。


まだ何もしていないのですが……


ところで纂。

寿春には、和珠が生まれた場所も、姉上と文烈様が暮らした場所もあるそうですね。


帰ってきたら、どんなところだったか教えてください。

和珠と一緒に聞きますので。


……姉上まで隣に座っていそうですけれど。

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