玉珠、十年前のことを忘れすぎではございませんか?
劉明珠でございます。
玉珠が身籠りました。
二度目です。
一度目は十年前です。
ですから、少しくらい覚えているものだと思っておりました。
「玉珠、前の時はいつ頃から子が動きました?」
「覚えておりません」
「つわりは?」
「ありましたでしょうか?」
「私に聞かないでくださいませ」
夫君が頭を抱えております。
考え始めた玉珠の右手が鼻へ向かいましたが、当然のようにつかまれました。
「お前、そっちは覚えてるんだな」
「何のことでしょう?」
玉珠……
十年前の出産は忘れているのに、それだけは本当に直らないのですね。
さて――
どうやら私はこれから、二度目の妊婦に妊娠を一から教えることになりそうです。
玉珠が身籠りました。
本人がいちばん驚いております。
「姉上、本当にいるのでしょうか?」
「医者にそう言われたでしょう?」
「ですが、まだ何も動きませんよ?」
「今から動いていたら怖いですよ」
玉珠は自分の腹を見下ろし、しばらく考えております。
以前にも一度、同じことを経験しているはずなのですが。
「前の時は、いつ頃から動きましたか?」
「十年前なので、覚えておりません」
「では、つわりは?」
「ありましたでしょうか?」
「私に聞かないでくださいませ」
夫君が横で頭を抱えました。
「お前、本当に一度産んでるんだよな?」
「産みましたよ」
「なぜ何も覚えていないのだ?」
「無事に生まれたので、それでよいではありませんか」
強いですね。
こういうところだけは、少し羨ましくなります。
寧珠の時には文烈様が私以上に落ち着かず、環珠の時には少し腹が張っただけで医者を呼ぼうとしました。
和珠ともなると、私が何を申しても「前と同じとは限らない」と聞かなかったものです。
考えてみれば、三回とも文烈様が騒いでおりますね。
「玉珠」
「はい?」
「あなたより、夫君の方が妊娠しているように見えますよ」
「俺はしてないのだが?」
「分かっております」
夫君は朝から、玉珠に歩くな、重いものを持つな、無理をするなと申しております。
玉珠はそのたびに、
「まだ腹も出ておりませんよ?」
と首を傾げます。
「出てからでは遅い」
「では、何をしていればよいのです?」
「大人しくしていろ」
「鼻をほじるくらいなら?」
「それもやめろ」
右手が伸びる前に、つかまれました。
近頃では本当に速いですね。
「姉上」
「何でしょう?」
「妊娠すると、鼻も駄目になるのですか?」
「なりません」
「では夫が間違っておりますね」
「そこだけは昔から駄目です」
夫君がこちらを見ました。
「明珠殿まで何を言う」
「私は事実を申しただけですよ」
文烈様……
また一人、あなたと同じ病に罹った男がおります。
妻が身籠った途端、自分まで落ち着かなくなる病です。
しかも治りません。
私は十七年かけても治せませんでしたので、夫君には諦めていただきましょう。
その日の昼、玉珠は寧珠のところへ行きたいと言い出しました。
「昨日まで気分が悪かったでしょう?」
「今日は大丈夫です」
「夫君は?」
「反対しております」
「では、なぜ支度をしているのです?」
「寧珠に聞きたいことがありますので」
ろくな質問ではなさそうですね。
結局、夫君も一緒に来ることになりました。
寧珠はまだ産後ですから、寝たり起きたりを繰り返しております。
子初殿は相変わらず赤子のそばから離れません。
私たちが入ると、寧珠が玉珠を見て目を丸くしました。
「叔母上、本当にお子が?」
「いるそうです」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ここまでは、叔母と姪らしい会話でございました。
「ところで寧珠」
「はい?」
「出産は、やはり死ぬほど痛いのですか?」
寧珠の顔が固まりました。
私は額を押さえました。
「叔母上、今それを聞くのですか?」
「経験者に聞いた方がよいかと」
「叔母上も経験者でしょう?」
「昔のことなので」
寧珠が私を見ました。
助けを求められても困ります。
「痛かったです」
「どのくらい?」
「死ぬほど」
「姉上と同じことを言いますね」
当然でしょう。
私も寧珠も同じものを経験しております。
玉珠だけが、なぜか他人事のように感心しています。
「二度目なら少し楽でしょうか?」
「それは分かりませんよ」
「姉上は三回産んでおりますよね?」
「三回とも違いました」
「では参考になりませんね」
「なぜ私が役立たずのように言われるのです?」
寧珠が笑っております。
産後なのですから、あまり笑わせないでほしいですね。
玉珠は赤子を覗き込みました。
「この子より、私の子の方が後に生まれるのですね」
「そうなります」
「ですが、寧珠とは従妹か従弟です」
「そうですね」
玉珠は考え込みました。
「変ですね」
「何がです?」
「寧珠の子から見れば、自分より年下なのに母親の従妹か従弟なのでしょう?」
「その話は昨日もしましたよ」
「今日考えても変です」
そこへ環珠と和珠も来ました。
二人とも玉珠の懐妊を聞いていたようです。
環珠は素直に、
「叔母上、おめでとうございます」
と祝い、和珠は玉珠の腹をじっと見ました。
「まだ見えませんよ」
「何がです?」
「赤ちゃんです」
「腹の外から見えたら困ります」
玉珠が真面目に答えています。
どちらが子供なのか、時々分からなくなりますね。
和珠はさらに考えました。
「玉珠叔母上の娘は、私より年上ですよね?」
「そうですね」
「今度の子は、私より年下?」
「そうなりますね」
「どちらも私のいとこ?」
「そうですよ」
和珠が首を傾げました。
「叔母上、幅が広いですね」
「何の幅ですか?」
環珠が吹き出しました。
私も危うく笑うところでした。
確かに、同じ玉珠の子なのに、一人は和珠より年上で、もう一人はこれから生まれてきます。
玉珠一人で、我が家の年齢を上下に広げておりますね。
「母上」
「何でしょう、環珠?」
「家系図を書く人、大変でしょうね」
「書かせておけばよいのです」
私はもう考えたくありません。
玉珠はまだ気になるらしく、寧珠の赤子を見ながら申しました。
「この子が大きくなった時、私の子を何と呼ぶのでしょう?」
「普通に名前でよいでしょう」
「叔母上とは呼ばないのですか?」
「あなたの子は、この子の叔母ではございません」
「でも私が叔母上です」
「だからややこしいのですよ」
子初殿が笑いを堪えております。
「子初殿」
「はい」
「他人事ではありませんよ。あなたの息子の話です」
「申し訳ありません」
謝るところではないでしょう。
しばらく騒いだあと、玉珠が珍しく静かになりました。
赤子を見ていた目が、自分の腹へ移ります。
「姉上」
「何でしょう?」
「二度目でも、少し怖いですね」
声がいつもより小さくなっておりました。
私は玉珠の隣へ座ります。
この妹にも、こういう顔をする時があるのですね。
「そうでしょうね」
「姉上も?」
「もちろんです。寧珠の時など、何が起きるのか分からなくて怖かったですよ」
「文烈様は?」
「私より怖がっておりました」
「では、夫も普通なのですね」
「その基準を文烈様にしないでくださいませ」
玉珠が少し笑いました。
「でも、前に一度産めたのですから、今回も大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だとは申しません」
「そこは言ってください」
「出産に絶対などございませんよ」
玉珠は黙りましたが、私はそのまま続けます。
「ただ、前の時より知っていることは多いでしょうし、夫君もおります。私もおります。寧珠まで経験者になりました」
「年下の姪に教わることになるとは思いませんでした」
「寧珠も、叔母へ出産を教えるとは思っていなかったでしょうね」
寧珠が横から申しました。
「私も思っておりませんでした」
三人で笑いました。
不思議なものです。
昔、私が身籠るたびに文烈様が騒ぎ、私はそれを面倒だと思っておりました。
今になってみれば、無理をするなと何度も言われ、食べられるものを探してもらい、夜中に私が目を覚ませば文烈様まで起きていたことを、よく覚えております。
あの頃は過保護だと呆れておりましたが、今度は私が玉珠に同じことを申すのでしょう。
文烈様が私にしていたことは、こうして残っていくのですね。
本人がいなくても……
「姉上」
玉珠の声で我に返りました。
「何でしょう?」
「右手が空いております」
「それがどうしました?」
「少し鼻が」
伸びた手を、夫君がつかみました。
「今の話を全部台無しにするな!」
まったくです。
夕方になり、玉珠たちは帰ることになりました。
夫君は玉珠の歩く速さまで気にしております。
「ゆっくり歩け」
「普通に歩いております」
「もっとゆっくり」
「これ以上遅いと止まりますよ」
私は見送りながら、文烈様を思い出しました。
本当に、よく似ておりますね。
血のつながりなどないのに。
その日の夜でした。
珍しい客が来たと侍女に告げられました。
「どなたです?」
名を聞いた私は、思わず聞き返しました。
玉珠の娘でした。
あの子が、自分からこちらへ来ることなど滅多にございません。
玉珠について来ることさえ、ほとんどないのです。
それが夜になって、わざわざ私を訪ねてきた。
嫌な予感というより、妙な予感がしました。
通すように申すと、やがてあの子が部屋へ入ってきました。
私を見るなり礼をして、それから顔を上げます。
「伯母上」
「どうしました?」
少し間を置いて、彼女は申しました。
「母上が、また身籠ったと聞きました」
「ええ」
「それで――」
その顔が、ほんの少しだけ引きつりました。
「母上は、今度はいったい何を始めたのですか?」
……玉珠。
あなた、自分の娘にまでそういう扱いをされているのですね?
劉玉珠でございます。
二度目の懐妊だそうです。
姉上からは、
「一度産んでいるのですから、少しくらい覚えていてくださいませ」
と言われました。
十年前のことですよ?
覚えていなくても仕方ないと思うのですが……
帰宅すると、娘が私をじっと見ております。
「母上」
「何でしょう?」
「伯母上に聞いてきました」
「何をです?」
「母上が、また何か始めたのかと」
失礼ですね。
私は子を産むだけですよ。
考えながら右手を鼻へ向けますと、夫につかまれました。
「お前はまず、それをやめろ」
「なぜです?」
ところで――
娘はなぜ、わざわざ姉上のところまで聞きに行ったのでしょう?
……私、そんなに信用がないのでしょうか?




