文烈様、私を祖母にするのは少し早くございませんか?
劉明珠でございます。
本日は、文烈様を墓へお送りいたします。
亡くなった時も、棺の蓋が閉じた時も、これで最後なのだと思いました。
どうやら違ったようです。
今日は、その棺まで土の向こうへ行ってしまいます。
十七年も触れてきた人なのに、もう顔も見られず、声も聞けず、そのうえ姿まで見えなくなるそうです。
ずいぶん念入りに、夫を遠くへ連れていくものですね。
そんなことを考えておりましたら、隣で玉珠が申しました。
「姉上の場所も、隣にあるのですよね?」
「ありますが、今日は入りませんよ」
「分かっております」
そう答えながら、右手が鼻へ向かいます。
夫君がつかみました。
「墓へ行く前くらいやめろ」
「まだ入れておりません」
「指の話をするな」
文烈様――
あなたがいなくても、この妹は平常運転です。
文烈様を墓へお送りする朝、和珠が菓子を食べました。
あの子が父親からもらい、寿春から洛陽まで大事に持ってきた菓子です。
「父上にもらったから、食べない」
そう申していたものですから、私はてっきり、もうしばらく持っているのだと思っておりました。
ところが朝餉を終えたあと、数え八つの娘は包みを開き、しばらく中を見つめた末、小さく一口かじったのです。
私は何も申しませんでした。
隣にいた環珠も同じです。
環珠は、こういう時だけ妙に察しがよくなります。
普段からそうしていただければ、母としては大変助かるのですが。
「おいしい?」
環珠が尋ねました。
和珠は口を動かしながら、少し考えます。
「うん」
「そう」
「姉上も食べる?」
「いい、和珠がもらったんだから」
「母上は?」
私にも来ました。
「結構ですよ」
「どうして?」
「文烈様があなたにくださったものですから」
和珠はまた考え、それから菓子を見ました。
「でも、父上はもう食べないよ?」
困りました。
数え八つという年頃は、こちらが避けているところへ真っすぐ入ってきます。
「そうですね」
私はそれだけ答えました。
食べればなくなります。
食べずに置いておいても、いつかは悪くなります。
寿春では、それを和珠に教えるのはまだ早いと思いました。
ですが、どうやら教える必要などなかったようです。
和珠なりに考えて、食べることにしたのでしょう。
二口目をかじった娘を見ながら、私はようやく分かりました。
残しておくことだけが、大事にすることではないのですね。
「母上」
環珠が小さな声で呼びました。
「何でしょう?」
「もう行くって」
庭の向こうで肇が待っておりました。
今日は、文烈様を墓へ納める日です。
葬礼は、華美なものではありませんでした。
魏王様の頃から、葬送をむやみに飾り立てぬことは珍しくありません。
文烈様自身も、生前に自分の墓を金銀で埋め尽くしてほしいなどと申す人ではございませんでした。
むしろ、そんなことをすれば怒るでしょう。
「無駄だ」
おそらく一言で終わります。
十七年も一緒におりますと、死んだ夫が何を言うかまで分かるようになります。
便利ですね。
本人がいないことを除けば。
棺が運ばれていきます。
肇と纂が前に立ち、その後ろに私たちが続きました。
寧珠もおります。
子初殿へ嫁いだ娘は、もう自分の家を持つ身ですが、今日は朝からこちらへ来ておりました。
子初殿も当然のようについてきています。
文烈様が生きていたなら、娘の隣を歩く婿殿を一度くらい睨んだでしょう。
私はつい、棺へ目を向けました。
「文烈様。子初殿がおりますよ」
返事はありません。
「娘のすぐ隣です」
やはりありません。
「よろしいのですか?」
寧珠がこちらを見ました。
「母上、父上に何を言っているのです?」
「少々、確認を」
「もう睨めませんよ」
「分かっております」
娘に言われると腹が立ちますね。
分かっているから聞いたのです。
すると寧珠が、ほんの少しだけ笑いました。
昨日までなら、その笑顔を見て安心したのでしょう。
今日は違いました。
ああ、この子も私と同じことをしているのだと思ったのです。
父親の話をして、父親がまだ近くにいるような顔をしている。
数え十六なら、もう子供ではないと本人は思っているのでしょう。
ですが、父を亡くすのに大人も子供もないようです。
前を歩いていた和珠が振り返りました。
「母上」
「前を向いて歩きなさい。転びますよ」
「父上、今日からここにいるの?」
「そうですよ」
「母上のところも隣?」
今それを聞きますか。
環珠が和珠の肩をつかみました。
「和珠」
「何?」
「母上はまだ入らないから」
「知ってるよ」
知っているそうです。
それなら結構です。
「母上が死んだら隣なんでしょ?」
「和珠」
今度は寧珠まで止めました。
私は娘三人の顔を順番に見ました。
数え十六、十四、八つ。
こうして並べると、同じ父と母から生まれたのに、ずいぶん違うところまで育ったものです。
「その予定だそうですよ」
私が答えると、和珠は安心したように前を向きました。
環珠が呆れています。
「母上、答えるんですか?」
「答えなければ、あと三回くらい聞かれます」
「聞く」
「ほら」
寧珠が口元を押さえました。
笑っております。
子初殿まで横を向きました。
あなたも笑いましたね。
文烈様が生きていれば、やはり一度睨んでもらいたいところです。
墓所へ着きました。
先日、肇と纂から図を見せられた場所です。
文烈様の隣には、相変わらず私の場所があります。
当然ですが、数日で消えていたら、それはそれで困ります。
棺が納められていく間、私はそこから動きませんでした。
泣かなかったわけではございません。
もう昨日までに十分泣いたから今日は出ない、などと都合よくできてはいないのです。
ただ、声を上げることはありませんでした。
文烈様が少しずつ遠くへ行くのを見ていました。
寿春で息を引き取った時から、棺の蓋が閉じられ、洛陽へ帰り、昔の屋敷へ戻ってきた今日まで、私は何度も文烈様がいなくなったことを教えられてきました。
そして今、その棺まで見えなくなります。
今度こそ、手を伸ばしても届きません。
「母上」
肇でした。
いつの間にか、すぐ横に立っております。
「大丈夫ですか」
「大丈夫に見えますか?」
肇が困りました。
「……見えません」
「では、聞かないでくださいませ」
「はい」
素直ですね。
文烈様なら「そうか」で終わるところです。
そこまで考えて、私は息を吐きました。
「ですが、帰れますよ」
「はい」
「環珠と和珠がおりますから」
少し離れたところで、和珠が玉珠に何か尋ねています。
玉珠は真面目な顔で答えようとしていましたが、考え始めた途端、右手が鼻へ向かいました。
夫君がつかみます。
墓前です。
さすがです。
「姉上」
「何でしょう?」
「まだ何もしておりません」
「私は何も申しておりませんよ」
「顔が申しております」
長い付き合いですからね。
「お前は、こういう時くらい我慢しろ」
夫君が小声で申します。
「我慢しております。まだ指は入っておりません」
「基準をそこにするな」
和珠が笑いました。
環珠も吹き出しました。
寧珠は顔を伏せています。
肇と纂まで肩を震わせました。
私は墓を見ました。
「文烈様」
笑い声の中で、小さく呼びます。
「うるさいでしょう?」
返事はありません。
ですが、返事があるなら分かります。
きっと、
「うるさい」
です。
私は笑いました。
泣きながら笑うというのは、ずいぶん忙しいものですね。
屋敷へ戻ると、妙に静かでした。
大勢で帰ってきたのですから、本当は静かなはずがありません。
それでも私には静かに感じられました。
文烈様がいないからでしょう。
寧珠は子初殿と帰る前に、環珠と和珠のところへ行きました。
「また来るから」
「明日?」
和珠が尋ねます。
「明日は無理」
「じゃあ明後日?」
「たぶん」
「絶対?」
寧珠が困っております。
嫁に出しても妹からは逃げられないようです。
よいことです。
環珠はそんな二人を見ながら、
「姉上、来なくても私がいるから」
と言いました。
ずいぶんお姉さんらしいことを申します。
「環珠」
「何?」
「和珠を頼みましたよ」
「母上もいるでしょう?」
「おりますよ」
「なら母上が見てください」
前言撤回いたします。
まだ数え十四でした。
私は自分の部屋へ戻ろうとしました。
その時です。
「母上」
後ろから女の声がしました。
振り返ると、肇の妻が立っております。
この子も私を母上と呼びます。
肇と結婚した時からそうです。
息子が二人いるだけでも不思議でしたのに、いつの間にか娘まで増えました。
「どうしました?」
「少し、お話がございます」
妙にかしこまっています。
隣には肇もおりました。
「肇も一緒ですか」
「はい」
「何か失敗でもしました?」
「なぜ最初にそれを疑うのです」
「纂ならともかく、あなたが二人そろって来るのですから」
「母上」
肇が困った顔をしました。
その顔が、少しだけ文烈様に似ています。
こういうところから、突然出てくるのですね。
もう会えない人というのは。
私は二人を部屋へ入れました。
肇の妻を座らせると、なぜか肇がその隣で落ち着きません。
「それで?」
私が尋ねると、二人は一度顔を見合わせました。
夫婦というものは、こういう時に目だけで相談します。
私にも覚えがあります。
つい先日まで。
「母上」
肇の妻が、もう一度呼びました。
「はい」
「まだ、医者から確かだと言われたわけではないのですが」
嫌な言い方ですね。
いえ。
嫌ではありません。
ただ、私はこの言い方を知っております。
三度ほど経験しておりますので。
私は肇を見ました。
肇が目を逸らしました。
「肇」
「はい」
「あなた」
「はい」
「まさかとは思いますが」
肇の妻が、そっと自分の腹へ手を置きました。
そこで全部分かりました。
本日、夫を墓へ納めたばかりです。
寧珠はもう嫁いでおりますが、環珠と和珠はまだ私の手元におります。
そして私は、今年まだ三十三なのです。
「母上」
肇の妻が、少し恥ずかしそうに笑いました。
「どうやら、子ができたようです」
私はしばらく何も申しませんでした。
文烈様。
あなたが亡くなって、まだ何日でございますか。
私は未亡人になったばかりなのですよ。
それなのに――
「……肇」
「はい」
「確認いたします」
「はい」
「その子が生まれましたら、私は何と呼ばれるのでしょう?」
肇が黙りました。
妻も黙りました。
廊下の向こうから、玉珠の声が聞こえます。
「姉上ー?」
今は来ないでください。
絶対に話がややこしくなります。
肇が、覚悟を決めたように口を開きました。
「祖母上、ではないでしょうか?」
私は肇の顔を見ました。
冗談を申している顔ではありません。
文烈様。
あなたを墓へお送りしたその日に申し上げることではないと思うのですが――
私、三十四歳でお婆様になりそうです。
劉玉珠でございます。
姉上がお婆様になるそうです。
「姉上、おめでとうございます」
「何がおめでたいのです?」
「お孫様です」
「それは分かっております」
では、何が問題なのでしょう?
「三十四歳でお婆様ですね」
「玉珠」
「はい」
「もう一度申したら怒りますよ」
「まだ一度しか申しておりませんが?」
「二度目を止めているのです」
難しいですね。
夫に話しましたら、
「お前は絶対に明珠殿を婆さんと呼ぶなよ」
と先に言われました。
そのような失礼なことは申しません。
考えながら右手を鼻へ向けると、いつものようにつかまれます。
「お婆様ならよいのでしょうか?」
「よくない」
「では、祖母上?」
「もっとやめろ」
姉上にも聞いてみましょう。
「絶対に聞くな!」
まだ何もしていないのですが?




