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「馬を怯えさせる厄介者」と牧場を追われた私、倒れた近衛馬を一日一頭ずつ立たせていたら、最後の三十六頭目は騎手団長の愛馬でした  作者: ろくさんだ


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9/15

左右で違う処置

 九日目の夕方、ようやく私の指は曲がるようになった。


 昨夜の冷却で白く固まった関節は、まだ握り込むと骨の内側まで痛む。掌には布の目が食い込んだ跡が残り、爪の際は赤く腫れていた。それでも九頭目の馬房へ入る前に、左右の前蹄へ当てられていた布を外すことはできた。


 右前の布は冷えきって重い。絞ると冷たい水が指を伝い、藁へ落ちた。左前の布からは、外気に触れた途端、細い湯気が立った。


 同じ桶の水へ浸し、同じ砂時計で替えた布だ。それなのに左の蹄壁だけが、内側から熱を押し返している。左右を同じように扱った記録が、同じ結果を保証してはいなかった。


「違いに気づいたのは、誰ですか」


 尋ねると、担当騎手が手を上げた。


「第4話……いえ、四頭目のときに、削る前後を触り比べました。だから今朝も左右へ同時に触れました」


 彼は自分の手を見下ろした。指先には、何度も蹄へ触れた黒い汚れが残っている。


「けれど、同じだけ冷やしても揃いませんでした。足りないと思って、左へもう一枚巻こうとしました」


「巻かなかったのですね」


「馬が尾を打ち、脚を引いたので」


「それで正解です」


 処置を増やす前に、馬の拒絶で止まった。その一度が、左蹄を冷やし過ぎずに済ませていた。良くしようとする焦りほど、馬の小さな拒絶を見落とさせる。止まることも処置の一つだった。


 馬は右を下にして横たわり、左前だけを胸の前へ突き出している。汗で束になった肩毛の下で、息をするたび筋肉がかすかに動いた。右前を起こそうとすると、肩の皮膚が細かく震えた。長く下敷きになった右脚は冷え、左には重さが偏り続けていたのだ。


 けれど、熱の差は横たわり方だけではなかった。


 左の蹄冠へ指を当てる。強い脈が、薄い皮膚越しに指腹を押した。蹄壁を踵から前へたどると、外側だけが張り出し、内側の踵がわずかに高い。前方の縁も伸び、地面を蹴るとき最後まで引っかかる形になっている。


 左右を同じに削れば、右まで薄くなる。


 左右を同じに冷やせば、右はもっと冷える。


「今日は、この馬にします」


 団長はうなずく前に、通路の向こうを見た。


 別の二頭は唇が乾いていたが、置かれたぬるい水を一口ずつ飲めている。冷たい濡れ布を近づけるたび脚を引く一頭もいたが、乾いた敷藁の上では呼吸が乱れていない。


 最奥では、団長の愛馬が横たわったまま体位を替えてもらっていた。団長と騎手たちが腹の下の支持布を引き直し、汗で湿った藁を取り除き、乾いた藁を足し、口元へ少量の水を運んでいる。


 私が通路の半ばまで近づくと、愛馬の鼻孔が開いた。


 私の右手と袖には、八頭分の汗と湿布の薬草、それに古い膿の匂いが染みついている。洗っても落ちなかった匂いを馬は拾い、耳を伏せた。顎が強張り、鼻先が壁側へ逃げる。


 私は足を止め、それ以上近づかなかった。


「今夜も、体位交換と保温をお願いします。水は飲み込んだのを確かめてから次を。支持布が腹へ食い込んだら、時刻を待たず緩めてください」


「分かった」


 団長は愛馬のそばへ残った。その選択を、私から変えさせることはできない。


 選ばなかった二十七頭にも、等しく夜は来る。騎手たちは体位を替え、乾いた寝床を足し、少量の水を置き、呼吸と排泄を記録する。ただし蹄を削り、熱の変化へ合わせて夜通し冷却と給水を組み直せるのは、一頭だけだ。私の手と体力では、一晩に一頭。それを越えれば、どの馬にも必要な工程を最後まで続けられない。


 私は九頭目を胸で伏せる姿勢へ戻してもらった。騎手たちが支える布を緩めると、馬の腹から押し出された息が藁を揺らした。


 まず冷えた右前を乾いた布で包み、厚く敷いた藁の上へ置く。こすって温めはしない。刺激を加えれば、血の戻り方が急になり過ぎる。馬が右前を引かず、鼻息も変わらなかったので、布と藁だけを残した。


 熱い左前には、冷水から上げて少し置いた布を当てた。


 馬の耳が横を向く。肩が硬くなり、蹄が半寸だけ引かれた。


 私はすぐ外した。


「冷た過ぎますか」


「この馬には、今はそうです」


 桶へ常温の水を足し、肘で水を混ぜてから、もう一度布を浸す。今度は蹄冠へ触れる前に鼻先へ差し出した。馬は匂いを嗅ぎ、鼻先で布を押したが、顔を背けなかった。布を左の蹄壁へ巻くと、耳はゆっくり前へ戻った。


 砂時計を半分だけ落とし、外す。布の下にこもった熱を掌で確かめ、次の布は一段だけ冷たくした。


 冷却の間に水を差し出した。一口目を飲み込んだあと、馬は桶から鼻を離した。騎手がもう一度寄せようとしたので、私は首を振った。


「離したら終わりです。次の砂時計まで待ちます」


 無理に飲ませた水は、給水ではなく負担になる。唇から垂れた一筋を布で拭い、桶を馬の視界に入る場所へ下げた。


 腹へ耳を寄せると、皮膚の奥で水が揺れるような音が一度した。濃い飼料は使わない。細く刻んだ乾草をぬるい水で柔らかくし、ひと握りだけ別の浅皿へ置いた。馬はすぐには食べず、二度目の給水のあとで自分から唇を伸ばした。湿った乾草を奥歯ですり潰す音が、短く、それでも確かに続いた。


 腹が動き、水を拒まず、右前の冷たさが抜け始めてから、ようやく鑢を取った。


 左前を持ち上げる。熱を持つ脚は重く、腱の震えが手首へ伝わった。


 蹄底を押すと、外側の前寄りで脚が跳ねた。私はその場から指を離し、蹄を支えるだけに戻した。痛む場所を確かめるためでも、拒んだ押し方を繰り返してはいけない。


 削るのは張り出した外縁と、高い内側の踵だけ。蹄底には触れない。


 鑢を一度だけ滑らせる。硬い蹄を擦る乾いた音が馬房に響き、薄い削り粉が黒い蹄から白く浮いて落ちた。


 そこで私は蹄を地面へ下ろした。


 馬は胸を起こしたまま左前を体の下へ寄せ、蹄先を地面へ当てる。すぐに重みを抜いた。肩が後ろへ逃げる。まだ前の縁が引っかかっている。


 もう一度持ち上げ、前縁を一度だけ削る。


 また下ろす。


 今度は蹄先だけでなく、外側まで地面へ触れた。だが馬は尾を強く一度振り、腹へ打ちつけた。


 私は鑢を置いた。


「まだ高いように見えます」


 担当騎手が腰を落とし、蹄を見つめる。


「見えます。でも、馬は今、続きを断りました」


 削った蹄は戻せない。見た目を揃えるための一削りが、立つために必要な厚みを奪うこともある。待つ間に変わる熱や腫れを、目だけで決めつけてもいけない。


 冷却へ戻り、水を一口置き、休ませた。右前の乾いた布も開き、皮膚が蒸れていないことを確かめてから巻き直す。


 砂時計が二回落ちたあと、馬が自分から左前を胸の下へ寄せた。耳は前を向き、尾も静かだった。私は蹄を持ち上げ、先ほどの外縁へ鑢を一度だけ通した。


 下ろす。


 蹄底が平らに地面を捉えた。藁が面に沿って沈む。馬は左前へ重みを移し、すぐには抜かなかった。


「今です。左右へ触れてください」


 担当騎手が両手を伸ばした。左にはまだ熱がある。だが、右はもう冷たくない。左右の温度を無理に揃えたのではなく、左の熱を下げ、右には熱が戻る余地を与えた結果だった。


 団長も愛馬の馬房から戻り、左右へ別々の手を当てた。目を閉じ、掌へ伝わる差を確かめる。


「同じ工程を二本の脚へ繰り返すのではないのだな」


「同じ馬の脚でも、必要なものは違います」


 団長は記録板を二列に分けさせた。左には冷却した時刻、布の温度、削った回数。右には乾いた布を替えた時刻と、冷たさが抜けた時刻。左右を一つの欄へ書けば、次に見る者が差を消してしまう。


 夜半を過ぎても、左蹄の熱は戻った。


 そのたび布を替えた。冷たさに馬の耳が動けば一段ぬるくし、鼻先が水から離れれば給水を止め、乾草を噛む音が途切れれば休ませる。どの工程も、前と同じだからという理由では続けなかった。


 水へ手を入れるたび指の感覚が薄れ、やがて布の端をつまむにも両手が要った。騎手に布を絞ってもらっても、蹄へ当て、拒絶を読み、外す時だけは私がそばを離れなかった。夜通し一頭に付き添うとは、決めた処置を繰り返すことではない。その都度変わる馬に、処置のほうを合わせ続けることだった。


 夜明け前、左の蹄冠を押していた脈が弱くなった。


 馬は首を伸ばし、右前を胸の下へ入れた。次に左前を置く。削った蹄は先だけで突っかからず、面で藁を押した。


 腰が少し上がり、また落ちる。荒い鼻息が藁の粉を散らした。


 誰も綱を引かなかった。担当騎手の手が動きかけたが、拳を握って胸元へ戻った。


 馬は水を一口飲み、息を六つ整えた。右前を半歩外へ開き、左前を肩の真下へ置き直す。後脚が腹へ寄った。


 二度目に前脚が伸びた。


 胸が上がる。右前が支え、左前も逃げずに地面を押す。後脚が藁を踏み締め、腰が持ち上がった。膝は震えていたが、自ら踏み直し、四つの蹄で揺れを受け止めた。


 九頭目は、誰にも引き上げられず、自分の四本の脚で立った。


 すぐには歩かせない。左右の前蹄へ交互に重みが移るのを見守った。左を浮かせることはなく、右だけへ傾くこともない。担当騎手は温度を触り比べてから、私が落とした鑢を拾った。


「同じにするのではなく、違いを残したまま記録します」


 四頭目の夜に私が求めた触り比べが、今夜は騎手自身の報告となり、一頭を削り過ぎる前に止めた。その事実が、凍えた指よりも温かく胸へ残った。


 朝の冷却桶から手を抜くと、指は再び白く固まっていた。曲げようとしても関節は動かず、掌へ爪を寄せることさえできない。鑢も水差しも、今日はもう握れなかった。


 そのとき通路で、冷たい濡れ布を運んでいた騎手が足を止めた。


 隣の馬房の一頭が鼻を鳴らし、布から逃れるように身をよじった。耳が伏せられ、肩が壁際へ逃げる。騎手が近づけるのをやめるより早く、前脚が桶の縁を打った。冷水が床へ広がり、馬は壁へ蹄を押しつけたまま震えた。


「布を落として、離れてください」


 騎手が手を開くと、濡れ布が水音を立てて床へ落ちた。馬は荒く二度息を吐き、ようやく脚を下ろした。


 私は動かない指を胸元へ抱え、その馬房の前に記録板を置いた。


「明日の一頭は、この馬です。最初の布は、冷水には浸しません」


 残り二十七頭。


(第10話へ続く)

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