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6 アクサル星系

 六翼のドラゴン「チカ」は、アフマドとハディージャを乗せたカプセルを抱きかかえ、漆黒の深淵へ滑り込んでいた。

「アクサル星系……」

 カプセル内の銀河星系三次元図面を見つめ、アフマドが小さく呟く。その指先が示す一点は、これまでドラゴンが導いてきた目的地そのものだった。ハディージャがすかさず図面を拡大し、補完するように言葉を継ぐ。

「この星系の第五惑星……そこが、人間たちが住まう星『アクサル』ね」

 しかし、二人の視界に広がるのは、黄金龍の巨体以外には底なしの虚空だけだった。遥か彼方、闇の中に小さく瞬く光の点が、目的地への唯一の道標として頼りなく漂っている。外界との隔絶感と、これから足を踏み入れる未知への不安が、閉ざされたカプセルの中に静かに満ちていた。


 脱出以来、黄金龍ドラゴンは一切の対話を拒むかのように無言を貫いていた。二人はカプセルのメモリーバンクを漁り、断片的な情報から自分たちの現在地を推測するしかなかった。

「……第五惑星アクサル。古代から人類が営みを続けてきた星よ」

 ハディージャの問いに応じ、アフマドがスクリーンに映し出されたデータベースを指し示す。そこに記されていたのは、人類の放浪史と、大地の呪縛から逃れた者たちの末路だった。

「『幸福実現』を求めた人類と、それを追う魔族の歴史。おい、嘘だろ」

 アフマドが言葉を止める。我々の守護神と信じていた牧神カミーユ・ブーバル。その実態が、人類を餌食にする魔族の一派だったと書かれているからだ。背筋が凍るような真実を噛み締める間もなく、カプセルを抱く黄金龍が大きくその身を揺らした。

 六翼が漆黒の闇の中で雄大に広がる。前方の恒星から放たれる光子を、まるで帆で受け止めるかのように。

「減速? まさか、もう到達したのか!」

 激しい慣性がカプセルを襲う。黄金の翼は赤から橙、黄色、白、そして突き抜けるような青へと目まぐるしく色彩を変化させ、惑星間航行速度へと強引にブレーキをかけていった。


 惑星間航行速度へと減速する最中、ドラゴンが愁眉を開くことはなかった。前方の星系を見据えるその鋭い眼光が、二人のカプセルのスクリーンに戦場の惨状を転影させる。

 そこに映し出されていたのは、白銀の涙滴型宇宙艦が、赤黒い異形の戦闘艦の群れに蹂躙される姿だった。最後の一隻が、飽和攻撃を受けて無惨に粉砕されていく。

「喰いつかれたか」

 アフマドは、画面に釘付けになったまま呟いた。異形艦の触手が、破壊された白銀の船体へ深く潜り込み、中の獲物を漁り出していく。そのおぞましい光景に、ハディージャは耐えきれず顔を覆い、しゃくりあげるように泣き出した。

「人間を……あんな風に餌食にするなんて」

「これが、抵抗し続けた者たちの末路か......魔族は、自分たちに敵対した人類を執拗に追い詰め、あえて残忍なやり方で絶望を与えているんだ」

 アフマドはそれ以上、言葉を継げなかった。スクリーン越しに伝わる血と絶望の匂いが、カプセルの密閉された空気まで汚していくようだ。二人の目の前で、確実な破滅が進行していた。それは、抗いがたい「宿命」が、否応なしに彼らの肩にのしかかった瞬間だった。


 沈黙の後、アフマドは絞り出すように今後の展望を語り始めた。

「僕たちのカプセルは、あの惑星の地表へと投下されるだろう......大地には、魔族の包囲網をかいくぐって抵抗を続ける人類がいるはずだ。僕たちは彼らと共に試練を受け、そこで『どう生きるべきか』を示すことが、それが、僕たちの果たすべき役割なのだと思う」

「アフマド、待って!」

 ハディージャの声が震えた。彼女は窓の外、蹂躙される人々を見つめたまま言い放つ。

「迫害をただ共に受けるだけなの? ただ同じ苦しみを分かち合うだけで、彼らを救うために戦わないの?」

「戦う、だと? ハディージャ、僕たちはあまりに非力だよ! それに、僕たちは……神の義を体現するために導かれてきたんだ。試練の向こうにある真理を求めることこそが、僕たちの使命ではないのか?」

 アフマドは苦悶を滲ませながらも、視線を逸らさなかった。しかしハディージャの瞳には、理論では割り切れない憤りが灯っている。

「使命とか、真理とか、そんなの今は関係ないわ! 目の前で命が奪われているのよ! 私たちはまだ何も準備できていないけれど……それでも、ただ指をくわえて見ているだけなんてできない!」


 議論の最中、唐突に視界が歪んだ。ドラゴンは軌道計算もままならない速度のまま、カプセルを惑星の重力圏へと放り込んだのだ。

 慣性に押し潰されそうな二人を乗せ、カプセルは惑星へと肉薄する。そこには、大気圏外を埋め尽くす異形の軍勢が待ち構えていた。巨大な母艦の周囲には、ヒルのような艦載機が小判鮫のように無数に張り付いている。それらが一斉に剥がれ、先ほどまで戦っていた白銀の艦艇へと殺到し、肉を喰らうように船体を粉砕していく様を、二人はただ呆然と見送るしかなかった。


 その光景に紛れ込み、カプセルが魔族の群れを突っ切る。

「くっ……囲まれる!」

 アフマドが叫ぶ。だが、減速しきれていないカプセルは、敵の包囲を嘲笑うかのような猛スピードで強行突破し、そのまま大気圏へと突き刺さった。


 轟音と衝撃。カプセルの外郭が赤から橙、黄色、そして白熱の青へと色彩を激しく変えていく。エアブレーキが悲鳴を上げ、視界は超高熱のプラズマで塗りつぶされた。背後からは、獲物を逃すまいとする異形の艦載機群が、同じく大気を切り裂いて迫り来る。もはや避ける術はない。二人の乗ったカプセルは、怒号のような風切り音を立てて、地表へと向かって落下していった。


カプセルは設定された座標を目指し、水平滑空へと移行した。背後では、敵艦から放たれた「ブーバル族」の残骸が、鳥の群れのように殺到してくる。だが、それは生きた軍隊ではなかった。彼らは一度滅び、無惨に切り裂かれたはずの「死体」そのものだった。


「あれは……怨躯おんく!」

 ハディージャが、震える手でシェイベットを握りしめる。アフマドは呆然と、その忌まわしい名前を繰り返すしかなかった。メモリーバンクの記録に刻まれた、人類の歴史を終わらせたはずの悪夢。

 カプセルが砂浜に滑り込んだ瞬間、怨躯たちの群れが視界を埋め尽くした。

どす黒く凝固した血。癒えることのない無数の裂傷。腐臭を撒き散らしながら、剥き出しの筋肉が強引に動かされている。コックピットの窓という窓に、どろりとした体液と共に、死に損なった異形の肉塊が張り付いていく。

「腐っている……死体が、動いているの?」

「違う、生き返らされたんだ。あんな状態で……!」

 アフマドの叫びも、ハディージャの悲鳴も、カプセルを叩く怨躯たちの重い音にかき消された。窓の外で蠢く、死臭を放つ魔族の成れの果て。二人を閉ざした薄い隔壁が、今にもその腐肉の重みで押し潰されそうに軋んでいた。


 しばらくして、二人はようやく呼吸を整え始めた。アフマドは必死にメモリーバンクを操作し、ようやくその正体に辿り着く。

「分かったぞ、ハディージャ! これはただのアンデッドじゃない。死んだ魔族の身体を強制的に復活させ、生前以上の戦闘能力を付与した『怨躯』だ。つまり……」

「キャーッ! あっち行って! 私たち、ちっとも美味しくないから!」

「……話を聞けよ!」


 ハディージャはパニックに陥り、杖を振り回しながら狭いコックピット内で逃げ惑っている。

「い、痛い、痛いよ......さっきからその杖で僕の腕を叩いているけど、魔族の攻撃より痛いよ!」

 アフマドは、彼女が家族の前で見せるこの「手に負えない凶暴さ」を熟知していた。何を言っても無駄だ。兄弟としての説得は、いまや一方的な叫び声の応酬に変わっていた。


「もういい、頼むから落ち着いてくれ! なあ、聞いてくれないか? このカプセルには防壁がある、外には出られないんだ! ……もういいから......行動を開始するよ、いまから吹き飛ばすぞ!」

 アフマドが最後の力を振り絞り、カプセルの制御系を操作する。一瞬、カプセルの周囲を鋭く青白い幕が駆け巡った。そこに、まるで怨躯を助けるかのように衛星軌道上からの援護射撃が加わった。


 次の瞬間、窓に張り付いていたおぞましい腐肉の塊は、断末魔の音すら上げる暇もなく、塵となって空間に消え失せた。カプセルを覆っていた影が嘘のように消え、外には再び冷ややかな静寂が戻った。


 ようやくカプセルのハッチが開き、二人は外の空気を吸った。しかし、そこに満ちていたのは心地よい潮風ではなく、微かな腐臭と焦げた機械の匂いだった。

 アフマドはハディージャのシェイベットを借り受け、必死に砂を掘り返してカプセルを隠蔽した。

「……隠せた。これで、まずは大丈夫だ」

 安堵を吐き出すアフマドに対し、ハディージャの眼差しは冷ややかだった。彼女は周囲の砂浜を警戒しながら、静かに切り出した。

「何が大丈夫なの? アフマド、勘違いしないで。先ほどの怨躯……あれは、ほんの一部よ」

「……ああ。僕たちを襲ったのは、あの艦隊の規模からすればほんの数体に過ぎなかった…lll」

 ハディージャは空を仰いだ。大気圏外を塗り潰すような異形の艦隊。あの圧倒的な物量に比べ、自分たちを執拗に追ってきた怨躯の群れは、まるで自動的な防衛反応のようにすら思えた。

「カプセルは艦隊の包囲網の端を掠めただけ......私たちが無事に着陸できたのは幸運ではなく、計らわれたことよ。この惑星で、私たちが『なすべきこと』があるから......」

 彼女の鋭い分析に、アフマドは言葉を失った。この星全域を包囲する大艦隊、そして待ち受ける無数の敵。二人の非力な身一つで、この地獄のような惑星を歩まねばならない。

「行きましょ! ここで立ち尽くしていても、死が近づくだけよ」

 ハディージャは杖を握り直すと、躊躇なく荒野の先を見据えた。アフマドもまた、覚悟を決めて立ち上がる。二人は文字通り、その杖だけを頼りに、未知なる人類の生存圏を求めて灼熱の砂浜を歩き始めた。

________________


 アクサル星系第5惑星を包囲する魔族艦隊「シムーン33」。帝国軍第33艦隊司令官であり、大神官の地位にもあるチュライ・マーゼルは、旗艦「ゼルノック」の玉座で静かに瞳を開いた。その眼前に、艦長ネルノルテ・テルメイロルがかしずく。

「……マーゼル様、お召しにより参上いたしました」

 マーゼルは問いを投げかける。声は低く、しかし玉座の間全体に重圧となって響いた。

「報告を聞こう、ネルノルテ。異常な侵入者はなかったか?」

「いいえ、マイロード。探知記録に何ら異常はございません」

 マーゼルは鼻で笑った。冷徹なその瞳が、艦長を射抜く。

「テルメイロル艦長……一兵卒からやり直すか?」

「な、何を……」

「私が『問いかけた』ということは、既に『答え』が私の手元にあるということだ! 無能を晒す前に、己の無知を恥じるがいい」

 背筋を凍らせたネルノルテは、顔面を蒼白にして頭を垂れた。

「……は、はい! 直ちに再調査いたします!」

 少しして、ネルノルテ艦長がいくつかの記録を手に玉座へ戻ってきた。

「マイロード、外縁空域に僅かな変動を確認しました。羽虫にも満たないような、微細な反応です」

「……やはりな」

「はい、誤差の範囲です。放置しても問題ないレベルかと」

 マーゼルは玉座から身を乗り出し、冷徹な視線を突き刺す。

「何を言っている。私には、その『羽虫』が惑星を震わせるほどの巨影を纏って降り立ったのが見えるぞ」

「そ、そんな……魔力スキャナーには何も反応しませんでした。我々の敵となり得る『魔力』など、皆無です」

「……魔力スキャナーだと? 貴様、エタースキャナーを併用しなかったのか?」

「エタースキャナー……? そんな骨董品、今どき使う者など存在しません。 探知対象など皆無なのですから」

 マーゼルの双眸に、暗い呆れが浮かぶ。

「私の命令を無視し、己の狭い常識で『無』と決めつけたか? ネルノルテ、お前には再教育が必要だな」

 焦ったネルノルテは艦橋を駆け回り、少し前に取得し旧式のエタースキャナーの記録を持ち出してきた。

「あ、あった! これです……ほら、やはり小さな反応点しかありません!」

「……それは艦橋の隅に置いていた、私の『旧式粗スキャナー』ではないか」

「ええ、それです……ご覧ください! こんなにも小さい反応です。魔力も持たないような、取るに足らない存在ですよ」

 マーゼルは深い溜息をつき、もはや部下を説得する気力を失った。

「私の粗スキャナーは、星をも飲み込むような巨大な影でなければ反応しない……お前は、その本質を理解しようとさえしていないのだな」

「ハハハ、考えすぎですよ! 魔力を持たない雑魚など、恐れるに足りません。一応指示通り、対象地域を艦隊で焦土に変えておきますよ。灰にさえなれば、何であろうと終わりですから!」

 ネルノルテが勝利を確信したようにガッツポーズをとる。マーゼルは何も言わなかった。ただ、自らが育てた弟子の能力限界が近づいていることを静かに悟り、玉座の影に沈み込んだ。

________________


「要塞上空、敵宇宙艦隊、衛星軌道より離脱、降下開始!」

 監視員の絶叫が響く。司令官レア・ブラックは、モニターに映る無数の敵影を見据え、鋭く問い放った。

「要撃戦闘艦隊の残存状況は」

「……全滅です! 衛星軌道上で、最後の一隻が沈黙しました」

 レアは傍らに立つレオン・ブラック提督を射抜くように睨んだ。

「要撃艦もなしに、どうやってこの都市を守るというの? 敵に中央司令部の所在がバレれば、一撃で終わりよ!」

 レオンは動じず、三次元投影図を広げた。

「マダム、私の『ミサイル打撃艦エヴァン』率いる水上艦隊に賭けてくれ! 地上動力線を直結し、高出力の固定砲塔として運用する。地下から突き上げる超長距離狙撃ならば、宇宙艦の装甲など紙同然だ。敵を混乱させ、各個撃破を図る」

「……勝算はあるのね」

「勝利への唯一の道だ。要塞の隠密化を最大まで高めてくれ、こちらは敵の注意をなるべく引き付ける」

 二人が迎撃プランを固めたその時、通信兵が荒い息で駆け込んできた。

「報告! 海岸線に正体不明の飛翔体が着陸しました。敵影ではありませんが、詳細不明です!」

「調査を……」

 レアの命令は、轟音によってかき消された。突如として、着陸地点一帯が灼熱の業火に包まれる。軌道上からの無慈悲な飽和攻撃。レーダー画面が真っ赤に染まり、悲鳴のような報告が次々と飛び込んでくる。

「敵機動部隊が強襲! 飛翔体の着陸地点を……市町村ごと消滅させています!」

「何という……!」

 レアは、ただならぬ戦慄を覚えた。あの着陸地点には何かがある。しかし、もはや手遅れだった。レオンは既に艦隊を出撃させていた。この先にあるのは、防衛という名の泥沼か、それとも破滅か。要塞は今、未曾有の蹂躙の中にあった。                                                                                                                                                  

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