5 離脱
地上は地獄のような光景。いたるところで炎が柱となって吹き上がり、空を焦がす。たんぱく質や油、様々な金属の燃える匂いと煙が充満する。だが、魔力の切れた怪物たちは無様に地面に這いつくばっており、この崩壊する地下都市を救おうとする者は誰一人いなかった。
アフマドとハディージャに導かれ、地下牢から這い出した人間たちは、皆一様に生気を奪われ、足元もおぼつかない。
その時だった。虚ろな眼差しをした中年の男が、ふらりと二人の前に立ちはだかる。
「なぜ……解放した?」
「え……?」
男の問いは怒りですらない。彼は、黒目の周囲が黄色く染まったまま、半開きの口をシューシューと空気の抜けたしゃべり方をするだけ。
「俺たちは、せっかくブーバル族の皆さまにこの身を捧げられるというのに」
「え? あの怪物たちに?」
「お前たちも、ニールとカーラとそっくりな口ぶりだな……なぜ素直に、カミーユブーバル様に身を捧げなかったのか?」
「……両親を知っているの?」
アフマドの声が震える。男は歪んだ笑みを浮かべた。
「ああ、よく知っている。お前たちのような『反逆者』の子どもを持つばかりに、ニールとカーラは今ごろ裁判にかけられ、処断を待っている最中さ」
その言葉は、二人の背筋を凍らせるには十分すぎた。
「俺は、村の中で特に選ばれて、ここに連れて来られたのさ……一生懸命にカミーユブーバル様の事業を手伝ったのさ……牛鬼たちの観察と報告、そして監視と規制、カミーユブーバル様の力を用いて、手伝ったのさ……」
「あなたは私たちの村の......?」
ハディージャは、ようやく男の顔つきが誰かに似ていることに気づく。それを感じたのか、相手の男がハディージャ達の同級生の名前を口にした。彼は、スティアーの父ディスポロだった。
「そう言えば、こう見ると、お前たちはスティアーと仲が良かった同級生か?」
「そうです、僕たちはスティアーと仲良しでした」
アフマドは無邪気に頷いたが、隣に立つハディージャは唇を噛み締め、男を見つめた。男の顔つきに、当てつけと嫌味を言うスティアーの表情が重なる。
「……私は違う。あの子は私に意地悪だった」
ハディージャの小さな呟きを、ディスポロは嘲笑いながら聞き流した。
「へえ、スティアーがそんなに意地悪だったのかい? ああ、あんた、ハディージャだね……スティアーが言っていたよ」
ディスポロの虚ろな目と脱力した口ぶりに、ハディージャは目を伏せる。
「ハディージャ、あんたは、あの子に嫉妬していたんだろう? あの子はアフマドに好意を持っていたからな。それから、あんたは、三人以上の男女で家族を始めることにも反感を持っていたんだろう?」
ディスポロは愉悦に顔を歪める。
「それがお前たちの育ての親、ニールとカーラの運命を決定づけたんだ。あいつらはカミーユブーバル様のご意向を無視し、掟を破ってお前たち二人を逃がした。今ごろは裁判の果てに、処刑台へ送られているはずだよ」
この言葉に、アフマドとハディージャは衝撃を受けた。ディスポロはさらに続ける.
「あんたたちも、身を捧げるべきだよ…そうだ、ここで俺が証明してやろう」
ディスポロは狂気に満ちた笑みを浮かべ、近くで事切れていたブーバル族の亡骸に飛びついた。刹那、彼の身体は抽粋節理によって内側から急速に干からび、パサパサの皮と骨に変わる。
わずか数秒でディスポロという人間は消滅した。その代償として、死んでいたはずのブーバル族たちがギョロりと眼球を動かす。一度その回路が開くと、周囲のブーバル族たちも連鎖的に覚醒する。死の静寂が消え、飢えた魔族たちの呼吸音と湯気、抽粋節理にこびりついた肉片と垢の臭気で地上が満たされた。
ブーバル族つまり魔族たちの視線は、ハディージャとアフマドの逃げ場を完全に奪った。彼らは知識を共有している。ディスポロという生贄を介して、二人の素性も、親の名前も、すべてが魔族たちの知るところとなった。
「身の程を知れ、罰当たりめ」
吐き捨てられた言葉と共に、魔族の群れがじわりと間合いを詰める。捕食者たちの会話は、二人の尊厳を蹂躙する言葉で満ちていた。
「カミーユブーバルが連絡して来た逃亡者というのは、お前たちだな」
魔族たちが爬虫類のような湿った声で笑う。その無数の視線が、ハディージャとアフマドを値踏みするように舐め回した。
「ニールとカーラが拾い育てた小僧と小娘か。親の教育がよほど悪かったと見える」
「待て待て、殺すのは惜しい。この二人はここで我々に身を任せるのだ。ディスポロのように、すべてを奉献して我々牧神の糧となるがいい」
「いや、その前に――。この二人を裸にして組み敷けば、恐怖と情欲で生命エネルギーが極限まで高まる。極上のエネルギーがあふれ出すぞ……それはそれは吸い取り甲斐があるというものだ」
怪物たちの下卑た笑い声が、暗闇の神殿に反響する。アフマドは震える手でハディージャを背に庇った。逃げ場はない。
「退け、ブーバル族!!」
その咆哮は、言語というよりも意思そのものが空気を震わせたような衝撃波だった。ハディージャの持つ杖が砕け散らんばかりに発光し、神殿の闇を白銀の奔流が突き抜ける。
怪物たちの醜悪な嘲笑は、その一撃でかき消された。霧散し、静寂が戻る――否、それは静寂ではない。背後に生じた「圧倒的な存在感」が放つ重圧で、息すら出来ない。
アフマドとハディージャは呆然と立ち尽くす。アフマドが慌てて足元を探したが、そこにいたはずの小さな虫の気配は消えた。その代りに、彼らの背後には、言葉を失うほどの巨大な黄金の龍の脚がみえる。
龍の翼と上半身は、上方の暗闇の中に溶け込んで見えない。感じられるのは、暗闇の遥か彼方で翼が大きく広げられる動き。そのたびに、神殿の淀んだ空気が浄化されていく。暗闇から僅かに加わる圧倒的なオーラだけで、二人は自分たちがどれほど小さな存在であるかを思い知らされた。
「あ、貴方は……」
二人はあまりの威容に言葉を失い、かろうじて声を絞り出す。すると、頭上のドラゴンから放たれた言葉が、ハディージャの持つ杖と共鳴し、二人の脳髄を直接揺さぶるような地響きとなって響いた。
「二人の愛をもって最も弱き者を助けたのは、私を助けたことと同じだ。愛し合う者たちよ、その慈愛に祝福を与えよう」
荘厳な響きに、二人は本能的に膝を折った。
「私たちは……啓典の主のしもべに過ぎません。救いはおろか、声をかけていただく価値などあるはずが……」
謙遜する二人の言葉を、ドラゴンは轟くような反語で打ち消した。
「私が救うのだ! この星の悪は既に満ちた......大地は呪われ、滅びの裁きは覆らない。今この刻にも、呪縛司たちがこの星のすべての命を縛り上げ、永遠の滅びの呪いへと繋ぎつつある......さあ、私に従いこの星を出よ!」
「お、お待ちください。実は......」
「そうそう、名乗るのを忘れていた......私は六翼の使い「チカ」である」
龍の背後に浮かび上がる印は、古の文字で「愛」と読める。
(愛……?)
慈悲深き響きの名と、今まさに滅ぼされようとしている眼下の村。そのあまりの乖離に、アフマドは言葉を詰まらせた。この「愛」という名の存在は、果たして自分たちの守りたいものも救ってくれるのだろうか。
「愛様、そうではなく......」
アフマドは、普段から一般の人間に比べて非常に控えめ(つまり引っ込み思案で大人しい)であり、それゆえドラゴンに自分たちの言いたいことをなかなか伝えることが出来なかった。彼の代わりにハディージャが手を少し上げて、小さいアピールをした。ドラゴンはそれにやっと気づき、二人に続きを促した。
「この星に心残りがあるのか? こんな悪が満ちた星に、どんな心残りがあるのかね?」
「お、畏れながら……」
こういうとハディージャは言葉が続かなかった。彼女の位置からドラゴンの顔を見上げようとしたのだが、恐ろしさもあって彼女の位置からはドラゴンの顔が見えなかった。このときは、ただ背中の高い位置にゆっくりと揺らぐ六翼が見えただけだった。その代りに、アフマドが勇気を出して大声を出した。
「僕たちの村の人たちはどうなるのですか?」
ハディージャは気になっていた男児たちの名前を口にした。アフマドは意外そうな顔をしながらも、彼からも問いかけた。
「先生のゼニスはどうなるんでしょうか? スティアーはどうなるんでしょうか?」
アフマドがスティアーの名を呼んだ瞬間、ハディージャの胸に小さなトゲのような嫉妬が刺さる。
(あの子も、死ぬの……?)
だが、それも一瞬のことだった。
「エリアスは? ディンゴは?」
アフマドが問い続ける。ハディージャも続く。名前を呼び、安否を問い、縋るように何度も声を上げた。だが、返ってくるのは神殿に響く重苦しい静寂だけだった。杖は光を失い、ドラゴンは微動だにしない。
無言。それこそが、神がこの星の住人に対して下した「答え」だった。
ゼニス先生も、スティアーも、あの楽しかった日々を共にした友人たちも、救いの対象には入っていない。嫉妬していた相手も含めて、共に生きた存在が消えることの重み。それが二人に、「自分たちは選ばれた存在であり、同時に、他のすべてを切り捨てた生存者なのだ」という残酷な真実を突きつけた。その峻別を突きつけられた瞬間、ハディージャの心は凍りついた。
「そう......みんな滅びる運命へ裁かれてしまったのね......」
「ここで滅びるのか......では、僕たちの親はどうなるのですか?」
アフマドの叫ぶ疑問が、ドラゴンを再び突き動かした。
「育ての親? ニールとカーラか?」
ドラゴンの冷ややかな声が神殿を震わせた。
「彼らはお前たちから杖を奪うという罪を犯した。神の法において、その対価は死だ」
「そんな!」
絶望に満ちたアフマドの叫び。震えが止まらない。だが、アフマドは一歩も引かなかった。
「それでも、僕の育ての親なんです。僕たちを逃がし、未来を見据え、命を懸けて準備をしてくれた人たちなんです。 奪ったことなんて、僕たちを守るための……それに、彼らなしでは僕たちは今ここにいない......そのことだけでも、救われる理由にはならないんですか?」
必死に瞳を見開いて龍を直視するアフマド。その小さな反抗に、ドラゴンは驚いたように黄金の瞳を瞬かせた。
「言い訳は無用だ!」
ドラゴンは冷酷に言い放つ。轟音のような怒声に、二人は思わず耳を塞ぎ、地面にうずくまった。
(……怯えているのか、この小さな命たちは)
彼らに向けたはずの言葉が、ただの咆哮となる。それが二人を傷つけていると気づいたのか、ドラゴンは重々しい沈黙を置いた。やがて、神殿の空気が凍りつくような静寂の中で、龍は音量を絞り込む。その囁きでさえ、二人の鼓膜を直接撫でるような不可思議な重みを持った。
「彼らもこの星の住人である以上、滅びの裁きからは逃れられぬ......」
しばらくたってから、ようやくハディージャが意を決したようにか細い声を出した。ただ、その顔は恐怖で視界が歪み、涙が頬を伝い落ちる。それでもハディージャは、震える声を必死に制御し、黄金の龍の眼光を見据えた。
「……私たちの命を代償にしてください。どうか、ニールとカーラを……育ての親を、救い出してください!」
彼女の小さな叫びは、神殿の静寂を切り裂くほど痛切だった。
「なぜ、そこまでの思い入れがあるのか?」
「彼ら二人は、男女の二人だけで家庭を築いたために、この星の神々が苦々しく思っているのです」
「確かに、私は救おうと思う者を救うのだ......それゆえに救う対象をどうするかは任されている.......確かに、啓典の教えには、愛し合う一人の男と一人の女が家庭を築くことが定められている......ブーバル族が支配するこの星で、その教えを固く守ったのはたしかにあの二人だけだ......だが、お前たちこそが、私の目的であるから……」
チカの疑似声音が途切れる。その巨大な黄金の眼がゆっくりと虚空をさ迷い、次の瞬間、彼は静止した。思考を止めたのではない。彼の意識は、この星の理を超えた遥か高次元の存在と、激しい対話を行っている。この星の因習と、目の前の少女が見せた「命を賭した愛」。その二つの天秤が、強大な龍の内で激しく軋みを上げた。
龍の意識の中で、ニールとカーラの生涯が走馬灯のように紐解かれる。この星の邪神ども忌み嫌った「男女二人だけの家庭」。子供を逃がしたという罪状。そして、彼らが味わってきた永き責め苦。
チカは、彼らが体現していたものが、啓典の教えそのものであったことを理解した。彼らが犯した「罪」とは、この歪んだ世界における唯一の「正しさ」である。
龍の意識が再び現実へと戻る。その黄金の瞳には、先ほどまでの冷徹さではなく、どこか哀惜に似た色が宿った。
「わかった。それならば、これからニールとカーラを救い出そう」
「あ、あの、既に裁判は判決を下し、処刑が始まろうとしているのです。もう、間に合わないかもしれません……」
ハディージャの声は悲鳴に近い。しかし、チカは揺るぎない威厳を持って言い放つ。
「時間? 人の定めた法や刻限など、我には何の意味も持たぬ! 案ずるな。私が降り立つ刻が、すなわち彼らの宣告の終わりとなる」
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湿地帯には、いくつもの旋律が複雑に絡み合う「オルガヌム」の詠唱。美しく重層的なその調べは、これから行われる残酷な殺戮の背景音だった。その違和感こそが、この星の歪みを象徴する。
丘の上を埋め尽くす村人たち。彼らは、まるで祝祭でも待つかのように、熱狂する。冷たい岩の獲物を牛鬼たちが囲む様子に、村人たちが喝采を贈った。
「異端の二人が、ついに裁かれるぞ」
「牛鬼たちの餌食だな。牛鬼の奴らがあんなに待ち焦がれて騒ぐのは、初めてだな」
誰もが目を輝かせ、生贄たちの死を待つ。彼らにとって、これは処刑ではなく、神への信仰を証明するための「娯楽」だった。
ニールとカーラは、冷たい岩に肌を押し付けられ、震える。迫りくる牛鬼たちの腐臭、湿地のぬかるんだ冷気、そして彼らを嘲笑う何百人もの視線。彼は天を仰いだ。
(……これが、私たちが愛した村の姿なのか)
「……カーラ、目を閉じるんだ」
ニールが絞り出すような声で妻を呼ぶ。二人が恐怖に悲鳴を上げるたび、群衆のボルテージは歓声となり、詠唱が混ざり合ったリズムが湿地帯に木霊する。その熱狂のただ中で、二人の絶望はより深く、より暗く沈んでいった。
ちょうどその時だった。地上の騒乱を他所に、空の色が塗り替えらる。
「お仲間たちよ……あ、あの方角を見ろ……」
牛鬼たちが不思議そうに声を上げる。湿地帯の周辺上空に、まるで空を食い尽くすかのように、漆黒の巨体――「呪縛司」たちが次々と現れた。それは黒雲というよりも、天を覆う巨大な蓋。その蓋が、怯えた声のバックコーラスのようにオルガヌムの詠唱を反響させる。
「村の空に黒い怪物がいっぱい……? あんなものが、どうして」
ハディージャの声が震える。ドラゴンの巨大な翼が、その黒い軍勢から二人を守るように大きく広がった。
「うむ、既に彼らは到着していたか」
ドラゴンの低い声が、湿地帯の空気を震わせる。黒い巨体群が頭上を埋め尽くす中、幸いにも処刑の鐘はまだ鳴っていなかった。
「今は裁判から、お前たちの育ての親を救い出す刻だ」
ドラゴンの言葉と共に、黄金の閃光が湿地帯を駆け抜ける。
下方には、ニールとカーラを交互に嬲る牛鬼たち。その彼らは、舞い降りてくる黄金龍に気づくと、途端に狼狽を始める。
「黄金色? なんだあれは……」
「おい、あの黒雲の下から何かが降りてくるぞ!」
処刑場の空気は、死の遊戯から、未知の存在への恐怖へと一変した。
「ドラゴンか?」
「六翼だぞ!?」
牛鬼達はそう叫ぶと、各々武器を手に取って戦う姿勢を示す。
その近くの丘の上でも、騒ぐ声が聞こえた。村の守護神のはずのカミーユブーバルや神官達・村人達が、牛鬼たちの狼狽に気づき、右往左往する。
「あれは、何だ」
「六翼の黄金龍!?」
「おい、あの空の黒いのは?」
「黒雲が?」
「いや、牛鬼達やあのドラゴンよりも遥かに大きいぞ」
そんな騒乱を横に、黄金龍「チカ」は、刑場に縛り付けられているニールとカーラを確認すると、彼ら二人をかばうように地上に降り立つ。
「六翼の黄金龍め!」
牛鬼たちは咆哮し、捨て身で黄金龍に殺到する。しかし、チカが黄金の翼を軽く翻した瞬間、湿地帯の空気が灼熱に変わった。殺到した牛鬼たちの群れは、断末魔をあげる暇もなく一瞬にして炭と化す。その光景を目の当たりにした牛鬼たちは、恐怖に毒されたように一斉に逃げ出した。
チカは優雅に、だが空を裂く速さで飛び上がり、彼らの退路を塞ぐように着地する。着地したところが激しく揺れ、逃げ場を失った牛鬼たちは阿鼻叫喚の混乱に陥った。
「これで、裁判という名の茶番劇は終わりだ!」
ドラゴンの背中に乗っているアフマドとハディージャは、そう叫ぶ。これでアフマドとハディージャは一安心のはずだった。
「愛さま、ありがとうございます!」
「これで両親は助かりますね」
アフマドとハディージャは歓喜し、チカの背中で抱き合った。
チカは何も語らない。ただ、その巨大な黄金の眼が、二人の小さな命をゆっくりと見つめる。その瞳には、彼らの純粋な喜びを理解しつつも、この後の「真の試練」を知る者だけが持つ、深く慈悲深い静けさが宿った。
ちょうどこの時、呪縛司達が上空から地上に一斉に降下して来た。
「ブーバル族よ、そして彼らを偶像崇拝する人間どもよ、この場で滅びよ!」
呪縛司が空から放った業火が、湿地帯を瞬く間に地獄へと変える。その炎は、ニールとカーラを縛る岩にまで容赦なく迫った。
アフマドとハディージャは、あわててドラゴンから飛び降り、炎と親たちの間に立ちはだかる。あまりに無防備で、あまりに小さな盾。呪縛司は小虫に見える二人を一瞥することもなく、さらに火力を強めた。
「あ、ばかな!」
ドラゴンの叫びと共に、六翼が巨大な盾となって炎を遮った。黄金の鱗が焦げつくほどの熱量の中で、チカは小さな二人の愚かなまでの献身に息を呑んだ。
「まて! アフマドとハディージャよ。お前たちはなぜそのようなことをするのか?」
「ニールとカーラを救うためです」
「ニールとカーラは、裁判から救われたのだ。だが、彼らはこの星の者たちゆえ、星とともに滅びるのだ」
ドラゴンの冷徹な宣告が、業火の轟音の中で響く。アフマドとハディージャは炎の壁の前に立ちはだかり、一歩も引かなかった。彼らの小さな影が、親たちを守る盾のように伸びる。
「ニールとカーラをお救いください……!」
必死の訴えに、チカは黄金の瞳を細めるだけで、その決断を変えようとはしなかった。
「チカさま どうか、彼らをお救いください」
「もう一度言う。私は彼らを裁判からすでに救った。だが、彼らも呪縛司達によってこの星とともに滅びるのだ」
「それなら、私たちを代償として。代わりに彼らをこの星から救い出してください」
ハディージャの言葉はか細い囁きだった。だが、そこに込められた意思の重さは、天地を揺るがす地響きにも勝っていた。彼女の眼差しには、恐怖を凌駕する「覚悟」が宿っていた。
そのハディージャの言葉が響いた瞬間、湿地帯の喧騒が嘘のように消え失せる。灼熱の業火も、牛鬼たちの咆哮も、呪縛司たちの冷酷な判定さえもが、その「愛の告白」の前で止まった。呪縛司たちが動きを止め、チカさえも黄金の瞳を閉ざす。宇宙の理さえもが、この小さな二人の「自己犠牲」という選択を審議しているかのような、濃密な沈黙が流れた。
「ニールとカーラなど小さな存在に過ぎん。彼らを救わずとも、時空の解放には何の影響もなかろう!」
呪縛司たちの冷ややかな主張に対し、六翼のドラゴンは黄金の翼を大きく羽ばたかせ、その場を支配した。
「まて! ミーカールよ、呪縛司達よ! ハディージャとアフマドが彼らを救うことに命を懸けている。選ばれし者たちの『愛』を、貴様らは軽んじるのか!」
「チカ殿……貴方は僭越にも、彼らの情の前に法を曲げるおつもりか?」
呪縛司の代表のミーカールの声がとどろく。するとドラゴンの瞳が烈火のごとく輝いた。
「僭越だと? ミーカール......私は六翼の使いだからこそ、啓典の父の御意向を直接理解している......これこそが、啓典の父が彼らを選んだ理由だ! 彼らが、愛の対象たる者の傍らに静かに立つ……理解できぬか?……その強靭な愛の形こそが、彼らが『啓典の薔薇』と称される所以だ! 彼らが見せた無償の献身は、この荒廃した世界において唯一神聖なものだ! 彼らが育ての親を捨てないことこそが、その薔薇の美しさを証明している! 私が彼らを守るのは、彼らの願いが啓典の御心と合致しているからだ!」
これを語るドラゴンに、一瞬だけ薔薇の香りが舞い立つ。それは、このドラゴンこそが、啓典の主に直接仕える六翼の御使いであるから。ドラゴンの言葉には、ミーカールら呪縛司達にも反論を許さない絶対的な真実が宿った。
呪縛司たちが沈黙したその隙に、ハディージャとアフマドは地面を蹴った。火の海と化した刑場で、ようやく両親のもとへ辿り着く。二人は震える手でナイフを振るい、きつく食い込んだ縄を切り裂いた。
「お父さん……お母さん!」
倒れ込んできた二人を抱きしめる。その温もりは、地獄のような業火の中で、彼らが守り抜いた唯一の希望。言葉は必要なかった。ただ、互いの無事を確かめるように強く腕を回した。
束の間の再会もつかの間、カプセルが二つ、空から降りてきた。
ニールとカーラを収容したカプセルは、ミーカールら呪縛司たちの導きにより、淡い光を纏って遥か彼方へと消えていく。その光を見送りながら、ハディージャとアフマドは、自分たちが乗るもう一つのカプセルに身を沈めた。
カプセルを優しく爪で抱え込む黄金の龍の背中。そこから見下ろす星は、もう彼らの知る故郷ではない。
「さあ、行こうか」
チカの疑似声音が、二人の魂を震わせた。こうしてチカは、運命の渦中にあった二人を、未知なる星の旅へと連れ出した。
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杖を介して響くチカの疑似声音は、救済という名の冷酷な裁きを告げる。
「二人とも、よくぞ神の義を求めた......見捨てられるべき弱者の傍らに立ち、その慈愛を体現したのだ......安堵せよ、ニールとカーラはこれから『地球』という聖地へ導かれよう......だが――」
龍の言葉は、氷のように冷たく続いた。
「この星の者たちは、己が選んだ狂気に縛られ、やがて自滅する。彼らが啓典の道を選ばなかったこと......それがそのまま、彼ら自身の裁きとなったのだ。さて、選ばれた君たちは、私の旅路に加わるとしよう」
この語り掛けを聞きながら、ハディージャとアフマドの脳裏には、懐かしい顔ぶれが次々と浮かんだ。
友人たちの笑い声、師の眼差し、スティアーの不機嫌な横顔。自分たちが救われ、彼らが地獄に残されるという残酷なまでの境界線。そのあまりの隔絶に、二人は背筋が凍るような戦慄を覚えた。
なぜ自分たちなのか。なぜ彼らではないのか。
選ばれた二人にも、そんな選びの違いの理由は分からず、ましてや二人がなぜ選ばれたのかについては、本当のところ理由はわからない。
困惑と戸惑いの中、二人はただ、置き去りにしてきた者たちの名を呪文のように繰り返すことしかできなかった。
「ゼニス先生、スティアー、エリアス、ディンゴ……」
呼べば呼ぶほど、彼らとの距離は遠ざかる。その声は星の彼方へと消えていき、二人はカプセルの中で、静かな絶望と共に運命の旅路へと引きずり出された。




