29 競う愛、傍らに立つ愛
「なあ、ハディージャ、僕を放してくれないか」
ハディージャはしぶしぶアフマドを解放する。彼は、ハディージャを見ないようにして、転がっていたマントのような大きな布を彼女にはおらせた。それと同時に、倒れこんだアガメムブーバルたちが、ようやく起き上がる。ただし、小さなアフマドに恐怖と警戒の色を隠さない。
暫くの無言の後、アガメムブーバルは改めてハディージャを見つめ、ふたたびアフマドを睨みつけた。
「何かの術かは知らないが、アフマド、お前は子供になって我々を油断させ、我々を電撃したのだな。いや、この力を発揮できるのであれば、本当のお前の正体は、やはり子供なのだろう」
「僕が、本当は子供だった と?」
「そうだ。誤魔化されないぞ。今までのことを考えれば、それで説明がつく。お前は、おんなたちやハディージャの肌を露出させても、何の反応も示さない。それは、お前の正体が子供だったからだろう。しかも、お前はハディージャが全裸に近い姿になっても彼女に手を出そうとしなかった。たとすると、やはりお前はハディージャを母とする子供だったのだろうよ」
「僕が、ハディージャの子供? へえ、あんた達が考えたらそう結論するのか? 断片的なことしか見ようとしないんだね。まあいいや。僕が子供だからといって、たしかにあまり油断はしない方がいいよ。それに、僕と一緒にラタノルライもこの城塞に来たよ。あんたがラタノルライに掴まるのは、時間の問題だな」
「ラタノルライとともに来たのか? それなら、城塞を歩き回ってこの場所に来たということになるな。此処に来る許可は誰に得たのか?」
「さあね。僕は許可なんか気にしないね」
「ということは、お前、無許可でここへ来て、こんな破壊行為をするとは? カイン皇子も、ラタノルライを城塞に引き入れたうえ、こんな恐ろしい魔法使いも城塞に引き入れてしまうなんて……いずれにしても、カイン殿下に苦情を言わなければ」
そういうと、アガメムブーバルはアフマドから逃げるように自室を出た。側近たちも走り足でアガメムブーバルの後を追う。彼らが向かったのは皇子の居室だった。
アフマドは、女神たちが駆け去って静まった廊下を、ガラガラとカートを押して続く。カートの上にはハディージャがいた。
その頃、皇子の居室では、ラタノルライが皇子と押し問答。
「殿下、もう一度言います。アガメムブーバルを此処に呼び出してください」
「幽閉しているのだから、逃げたりはしない、納得しろよ」
「幽閉しているなら、すぐにここへ連れて来られるのではないですか」
「そんなつもりはない」
そこへ、アガメムブーバルが、カイン皇子を睨みつけながら入室した。後ろにはハディージャとアフマドが続く。
「殿下。私の居室に、このアフマドがハディージャを求めて押しかけてきましたよ。彼は、このハディージャの息子に違いなく、二人を番にして繁殖に用いることなどできませんよ」
アガメムブーバルは、一気に話すと、呼吸を整える。その後、ようやく床の上で控えているラタノルライたちに気づく。
「ラタノルライ、海兵たち....」
「ほほう、アガメムブーバル、幽閉されているはずではなかったか。それとも自由に行動できるのか。カイン殿下、これはいったいどういうことでしょうか」
アガメムブーバルの驚愕とパニック。ラタノルライの不信と怒り。二組の集団同士の憎しみを込めたにらみ合い。目の前の状況に、カイン皇子は焦りと惑いで言葉を失った。
「へえ、役者がそろったみたいだね」
それはアフマドの高い声。彼はハディージャを大事そうにカートに載せ、開けっ放しのドアに引っかかりつつも、顔を出した。
「それで、ラタノルライ、あんたはどうするつもりだよ」
ラタノルライは、不用意に動くことができない。
「アフマド、ハディージャを救出できたのだな。それなら、こちらに来い」
だが、アフマドは動かない。彼の目の前の三者はどうやらにらみ合っている。この中に飛び込むよりは、まずは何が起きるかを待って見極めろ、とアフマドの頭の中に響く声がいう。
ラタノルライは、圧倒的な武力で威圧していたはず。はらわたが煮えくり返る思いだろう。だが、皇太子になるかもしれないカイン皇子を前にしては、これ以上の無礼と強行突破は、反逆罪になりかねないのだろう。
アガメムブーバルは、カイン殿下の庇護下に逃げ込んだつもりだったはず。だが、城塞の外にはラタノルライ率いる帝国艦隊が威力を見せつけており、たとえ次期皇帝候補のカイン殿下であっても、皇帝陛下の命令に基づいて行動しているはずのラタノルライから、彼女を守り切れるかどうかはわからない。それに彼女たちは、先ほどのアフマドの予想外の力に圧倒されたばかり。今はカイン殿下が何とかしてくれないかという不安ばかりにみえる。
皇子のカインもまた、帝国艦隊が追っているアガメムブーバルをかくまっていた事実があらわになり、困惑の中のはず。とはいっても、彼が欲していた遺伝子資源を持ち帰ったアガメムブーバルは、大切な工作員のようなもの。手放すわけにもいかないのだろう。
アフマドは、これらの状況を洞察すると、導き出されるべき行動指針を深く考察した。
今、大切なハディージャを守らなければならない。非力な子供の身体では、脱出はおろか、自分のことさえ守り切る自信はない。それならば、不本意ながらも非力ゆえになんとか休戦状態に持ち込み、平和なうちにこの城塞の中で過ごすことで、逃げ出すチャンスを待つしかなかった。
アフマドは、ラタノルライの声掛けにもかかわらず、ハディージャをカートに載せたままカイン殿下の横に進む。他方、カイン皇子は、アフマドが自分の方へやってくる姿を見て、彼らを庇護におきつつ、ラタノルライ率いる帝国艦隊とアガメムブーバル一味との間で満ちる一触即発の状態を何とかしたいと考えた。そして、彼が考えついたのは......
カイン殿下は微笑みながら全員に提案する。
「そうか、そうか、双方ともこのアフマドとハディージャを求めるのだな。たしかに、アフマドは、アガメムブーバルや俺にとっては、種馬にする利用法がわかりやすい。だが、他方では、皇帝陛下が御許しになった計画のように、長い時間をかけて計算された品種改良を通じて利用することができる。だからこそ、双方ともこの二人を求めるのであろう。そうであるなら、この城塞中にアフマドとハディージャを保護したうえで、双方の代表者によってこの二人を世話し、二人に対する愛を競って見せよ。勝った者に、この二人を引き渡そう」
こうして、アフマドとハディージャは夏の皇帝宮にとどまることとなった。
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「会場が整ったようだ。では、皆、聞け。これより、ハディージャとアフマドに対する接遇を通じて、双方の愛の在り方を競うこととする。よいか、この二人は大切な家畜だぞ。誠を以って接遇せよ」
夏の皇帝宮に、カイン皇子の声が響く。
「二人への接遇を以って、家畜人類放牧神のアガメムブーバル側と帝国艦隊提督のラタノルライ側の勝敗を決し、勝った側にこの二人を引き渡すこととする。して、双方の代表たるメイドはだれだ」
「皇太子候補たるカイン皇子殿下。私目、アガメムブーバルでございます。こちらの代表は、以前、殿下から下賜されたウェヌスです」
「ほう、ウェヌスか。彼女は俺に愛情をこめて尽くしてくれる。実に献身的だ。よい働きをするであろう」
カインはうなずいてから、ラタノルライをみる。
「殿下はいつから皇太子候補となったのですかな。さて、カイン殿下、こちらの代表は、私のペットたる家畜人類のダイアナです」
「ラタノルライ提督、俺に対する毒舌と皮肉は相変わらずだな。さて、聞けばダイアナは以前からアフマドに愛を注ぐ献身的姿勢を示していると聞く。それならば、俺がアガメムブーバルに下賜したウェヌスと互角であろう」
「陛下、まだ、不足がございます。二人を使役する執事を誰にするかということです」
アガメムブーバルが、ラタノルライを一瞥しつつ、カイン皇子におもねるように進言した。
「おお、そうだったな。俺はコリオレイヌスを選んでおく。俺の見立てでは、彼はラタノルライのペットでありながらも、アガメムブーバルにも気に入られている。俺の命令によって中立を守りやすいであろう。もちろん、俺はコリオレイヌスの報告ばかりを聞くつもりはない。コリオレイヌスと合わせて多くの側近たちから、ウェヌスとダイアナの愛情の込め方を教えてもらうつもりだ。では、接遇の競い合いを始めるとしよう」
こうしてまずは次の日の昼食宴会で、ウェヌスとダイアナによる接遇競技が為されることになった。
昼食宴会での接遇は、食事と身の回りの世話である。この時、メインディッシュとされたのは、カイン殿下が前の日に狩りで捕まえたカモだった。
最初はウェヌスによる接遇である。
ウェヌスは、カイン殿下とその同じテーブルに座るアフマドとハディージャに料理を置く。この時、ウェヌスが小さなアフマドに、にこりと笑顔を向けた。
「アフマドの料理には、特別に味付けを加えてあげたわよ。そう、私の愛情をたっぷり込めてあげたわ」
彼女はそういうと、胸の開いたメイド服の谷間を、アフマドに突き出す。途端に、アフマドは驚き、顔を赤くした。
ハディージャは黙ってアフマドの様子を見ていたが、アフマドの赤い顔を見て彼の腹をつねる。
「痛い」
小さなアフマドはハディージャがぷいと横を向く様子を見て、小さな声でハディージャをなじる。
「なんで抓ったんだよ」
「だって、私との間の愛を忘れて、他の女の人の胸に目が行ったじゃない」
「僕は......その、いきなり目の前に女性のはだけた胸を見せつけられたから驚いただけだよ。あの程度なら、僕は影響されないよ。僕が影響されるのはハディージャの......」
「私の? 何よ?」
「ハディージャのは柔らかくて……なぜか逃げ出したくなるんだよ」
「どういうことよ」
ハディージャの声の怒気が含まれる。アフマドは、慌てて説明を加えた。
「あのメイドのしたことは、単に性的なアピールにすぎないよ。僕の心はそんなことに影響されないさ。ただ、ハディージャの場合は僕を動けなくするじゃないか。でも、僕を愛してくれているのはわかっているさ。だから、傍らに寄り添う僕の愛も疑わないでよ……必要なら、僕がどんなにハディージャを愛しているか、後で、傍らからこの手で示してあげるよ」
「こ、こんなところで子供の貴方が私を愛撫するつもり? そんなこと止めてよ!」
こう言って、ハディージャは真っ赤な顔を小さなアフマドに向けた。アフマドはハディージャの顔を見ながら、何かを考える様子。このときのアフマドのいたずらっ子のような顔つきに、ハディージャはぶぜんとした。
この小さな声のなじり合いに、カイン殿下が気付く。
「どうしたのかね、ハディージャ? 息子殿が何かをやらかしそうなのかね。それはいけないな」
カイン皇子はそう言いながら、ゆっくりと覆い(クロッシュ)を取る。
「おお、見事に愛を表しているな。ウェヌス、ほめて遣わす」
カイン皇子の誉め言葉を聞くと、アフマドが覆い(クロッシュ)に手を伸ばそうとする。すると、すかさハディージャがアフマドの手を叩いた。
「行儀悪いわよ。子供らしく、一番後に開けるものよ」
アフマドはハディージャを睨みつける。
「偉そうに。僕が子供にされてから、ハディージャはまるで年上の大人みたいに威張ってばかりいる」
ハディージャはアフマドに顔を近づけて、両手でアフマドを抱える構えを示し、小声でささやいた。
「何があるかわからないから、私が先に開けるのよ。それに、言うことを聞かなかったら、この胸に抱っこ、お仕置きだからね」
アフマドは、途端に青い顔をして黙る。
「アフマド、お仕置きは恐いよな。母上殿の言うことは聞かないといけないぞ」
カイン皇子の言葉にアフマドは気を悪くしたが、機嫌の悪いハディージャの手前、黙るしかなかった。
ハディージャが慎重に覆い(クロッシュ)をあける。するとそこには、香草焼きにした鶏肉があった。
「アフマド、いい香りよ。貴方も覆い(クロッシュ)を開けてみなさいよ」
アフマドは椅子に立った。彼にとって覆い(クロッシュ)は大きすぎたからだ。彼は小さい身体を精一杯伸ばしながら覆い(クロッシュ)を引き上げる。すると、その下から、むわっと立ち上る香草の濃い香りが彼の鼻をくすぐった。
「いい匂い! おいしそう」
アフマドに、笑顔がやっと戻った。
次は、ダイアナの接遇である。
彼女もまた覆いを伴った大皿を、カイン皇子、ハディージャ、アフマドの前においた。すると、アフマドは待ちきれないという顔をする。ハディージャはアフマドの仕草を見て彼を睨んだ。アフマドは、はたと気が付いたように、発言の許しを求めた。
「殿下、さきほど、僕はウェヌスの愛情を彼女から供された料理からみることが出来ました。これからはダイアナの愛情も彼女から供された料理を通じて見ることになるでしょう。たしかに、ここには競い合いの構図が出来ています。でも、本来、愛とは競い合うものではないはずです。そこで、僕は料理を通じてハディージャと僕との愛を見ていただきたいと存じます」
「ほう、それはこの場にふさわしいことのように思えるぞ。許す」
カイン皇子はそう言いつつ、アフマドを促す。
「殿下、この三つの料理が並べられていますが、料理をおいしくする一番の調味料を、僕は知っています」
「ほう、それはなんだ」
「それは、傍らに静かに寄り添うことです。僕はそれによって義が実現されると考えています」
そういうと、アフマドは、卓の花瓶から花を一輪取る。その花を両手でハディージャに捧げ、高らかに宣言した。
「僕は、この手で僕の一番の愛、ハディージャへの僕の愛を語りましょう。彼女に捧げる僕の愛こそが、料理を一番おいしくします。傍らに静かに寄り添う愛、その象徴こそがこの花です。これで、この料理が一番おいしくなるでしょう。二人の愛は清廉なる心から始まって二人のきずなは最も深まるのです」
頬を染め上げるハディージャの顔。カイン皇子もまた、アフマドの告白に満足し、アフマドに視線を向けた。
「アフマド、許す。お前が最初に開けてよいぞ。ハディージャ、アフマドを少しは優しく扱ってやれ」
ハディージャがアフマドを睨みつける。が、アフマドはすました顔で、そのまま覆い(クロッシュ)をゆっくり持ち上げた。
そこから、料理の香りは出てこなかった。そこから出てきたのは、ニューと伸びて来たカモの顔。カモは、精いっぱい首を伸ばして、アフマドの鼻をくちばしでつまむ。それと同時に、大声をあげてアフマドを蹴飛ばし、暴れ出した。
「痛い、いたい。このカモは生きているじゃないか!」
アフマドは、そう言いながら小さな体でハディージャの前に立ちはだかった。ハディージャはアフマドの仕草を嬉しく感じてクスクスと笑う。アフマドは後ろから聞こえたハディージャの笑い顔に苦虫をつぶした。
だが、その後、ハディージャたちの顔が凍りついた。
カイン皇子はその場を収拾しようと、暴れるカモの首を掴み上げる。鷹揚に自らの服の前の部分を開けると、肌いっぱいに広がる抽粋節理にカモを接触させた。
「ドレインコンタクト」
その言葉と同時に、カモの身体は干物のように干上がった。
「踊り食いは最大の馳走である。カモも俺に身を捧げて幸せであろう。ということで、この勝負はダイアナの勝ちだな」
アフマドとハディージャは、カイン皇子を見つめる。
「なんだ、お前たちは食さないのか?」
カイン皇子はそういうと、残りのカモも瞬く間に干上がらせた。あまりの光景に、アフマドとハディージャは互いに体を寄せ合い、互いに強く握り合う手は白くなった。
こうして、この日の昼宴会は終わった。
その夜。アフマドとハディージャは自室に戻った。
「うれしかったんでしょ? 僕の愛情表現は。子供に見えたって、僕は君と同じ年なんだからね」
アフマドは、ハディージャにしたり顔を向けた。すると、ハディージャはアフマドを睨みつける。
「アフマド、そこまで言うなら、一つ言っておくわ」
「え、何だよ」
アフマドはすぐさま警戒する。こんな時のハディージャは、決まって襲ってくる。しかも、今アフマドは子供にされて、非力な状態。
「『二人の愛は清廉なる心から始まって二人のきずなは最も深まる』といっていたわ。私、以前にもこのフレーズを聞いたことがあるの。でも、アフマドはこのフレーズで夫婦の愛を語り尽くしたと思っているわよね」
「え、だって、僕は今は子供の姿だから、これ以上何をしろと?」
「それ、口実でしょ。未だにあなたはわかっていないのかしら? 『どうしてそんな遠回りでどうでもいい理屈に逃げるのよ』と、私から言われたことがあったはずよね」
ハディージャはそういうと両手をアフマドに伸ばす。アフマドは逃げ出そうとしたが遅かった。彼は彼女の豊かな胸の柔らかさと匂いに脳と小さな体が抑え込まれ、さらには彼女の体温と吐息に目を白黒する。
「あ、わわ。僕の愛の告白が料理をおいしくする、というだけではいけなかったんだな。そうか、ハディージャから愛も語るべきだったんだろ? そうさ、僕にとって一番おいしいのは、ハディージャだよ」
慌てたアフマドの叫び。ハディージャは恥ずかしさとうれしさで顔を赤くした。
「アフマド、私を味わってくれるの?」
ハディージャはいったん彼を解放し、潤った目で見つめる。アフマドは彼女の目の潤いが意味することを即座に理解した。
「違う、違う、言い直すよ。ぼくにとって一番おいしいのは、ハディージャの!だよ」
ハディージャは、さらに顔を赤くしてアフマドの服を摘まむ。アフマドはそこでハディージャの赤い顔を一瞥し、冷静さを取り戻した。
「へえ、ハディージャも恥ずかしがることがあるんだね」
ハディージャは、アフマドを睨み、彼の服ごしに腹を力いっぱい摘まむ。
「いたい、いたい! なんで摘まむんだよ」
「じゃあ、私を摘まんでいいわよ」
「え、何を摘まめって? ああ、ここのぜい肉かな」
こう言ったアフマドに対し、ハディージャはピクリと眉を動かす。アフマドはそんな彼女の変化に気づくはずもなく、幾分か嘲笑するように横目で彼女を一瞥する。ハディージャは、アフマドのそんな態度を確認するとアフマドに向けて謎めいた微笑みを見せながら襲いかかるのだった。




