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義(フィラーファ)を求めて(Seeking the Khilafah, the story of Khadijah and Ahmad)  作者: Iassy Quassia Zaki
第三章 アンスロラス星系-トンベリュマニテ星系の謎
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25 女牧神アガメムブーバル

「ほほほ、貴方、もう私のものなのに、いまさら逃げ出すのかしら?」

 上からの予期しない声に、アフマドたちは驚いて立ち止まる。少しばかりドスの利いた低い声。それは明らかにアフマドに向けられたものだった。

「私の名は、アガメムブーバルよ」


 アフマドたちは、自分たちの故郷にあった神殿都市で、女のブーバル族を見たことはあった。ただし、二人の記憶にあるのは、遠くから見た蠢く姿、若しくは神殿都市の地下牢から迷い出た人間たちを襲う無数の怪物たちのうちの数人の女たちにすぎなかった。

 彼女の身体からは湯気と共に腐った肉片と垢の臭気が立ち上った。その許を辿ると、体中に広がる抽粋節理。そのハニカム模様の割れ目が、男のブーバル族と同様に、手のひらから腕を経てはだけた胸へかけて、また足先からふくれた腹へかけて、広がる。


「ひどい臭いだ」

 アフマドは立ち止まった。背後から、アフマドの腕をつかみながら身を乗り出したハディージャ。彼女はアフマドの衣で鼻と口を覆いながら口走る。

「こびりついた肉片とか垢、罪が臭っているのよ......きっと、犠牲になった人間たちが、あそこで全てを吸い尽くされて…..」

「ハディージャ、今は逃げる隙がない.......そこまで言うとまずいよ」


「そなたたち、私について、なんと言ったのかな?」

 アガメムブーバルがハディージャたちを睨む。目の前の女の姿をした怪物に、思わず後ずさるハディージャ。アガメムブーバルはハディージャを上から覗き込むように見つめた。

「その失礼な物言いを、少しばかり糺さなければいけないのかしら?」


 アフマドがハディージャをかばうように、前に立つ。

「貴女は何を糺すというのか? そんなことを僕が貴女にさせるとでも?」

 ハディージャが思わず引いたのは、アフマドの手。アフマドは、ハディージャに大丈夫だというようにかぶりを振った。


「ほほう。男の方はずいぶん威勢がいいのねえ。私が誰だかわかってそんな口を利くのかしら?」

「ああ、分かっているさ。おそらくはラタノルライが言っていた牧神ゼラールの馬鹿親アガメムブーバルだろ? 僕はアフマド。ラタノルライによってこの地に連れて来られた人類の男だ。この意味をよく考えろよ、アガメムブーバル!」

 アフマドはそういうと、アガメムブーバルの弱点を見透かすように不敵な笑みを浮かべた。一瞬、目を細めるアガメムブーバル。彼女は、アフマドのはったりに明らかに警戒感を示す。

「ほお、そなたがアフマドだと? そなたたちがまさかラタノルライのいう新たな遺伝子源だというのか?」


「これはアガメムブーバル様。失礼いたします」

 アフマドとハディージャの背後から、コリオレイヌスが声を上げる。彼は、やっと追いついたというように、弾んだ呼吸のまま。彼は、二人の肩に手を伸ばしながら、アガメムブーバルに向かって姿勢を正した。


「この者たちは、貴女様がお話になっていた種馬たる男とその連れ合いの女です」

「このオスと、連れ合いのメスが......」

 アガメムブーバルが訝し気にコリオレイヌスに問いかける。かぶりを振るコリオレイヌス。

「はい」


 彼は少し間を置いてから、改めてアガメムブーバルへ顔を向けた。

「我らが崇めるアガメムブーバル様。恐れながら申し上げます。貴女様はこの男を種馬神官にするとのことでございますが、この男は、全てのメスに慰めを与えるつもりなど、毛頭持っていない様子です」

「なんと....…だが、私の息子のゼラールからそこの男がお前の最愛のメスを救った、と聞いておるぞ。提督軍神ラタノルライが激怒しながら私にゼラールを突き出して来おった......」

「アガメム様、それはその通りでございましょう。この男は確かにダイアナを救ってくれたようです。ただ、この男は選ばれた者だけが救われるとほざくのです」


 コリオレイヌスの言葉に、笑みを浮かべるアフマド。アガメムブーバルは目を細くして、アフマドを睨む。

「ほほう。それならば、どのようなものが選ばれた者なのか?」

「おそらくはアフマドが選ぶのだと......」

 コリオレイヌスは、考えこんだ。それに応じるように、アガメムブーバルも問い続ける。

「その場で選ぶ? では、だれでもアフマドから慰めを得る可能性があるということではないか」


 コリオレイヌスは、ハディージャを一瞥しながら、考察を口にする。

「アガメム様。それに関して彼は慰めを彼の連れ合い、特定の者たちに限っているようです」

「ダイアナを救ったということを合わせて考えると、特定の女であれば、魔族の一人であっても救うということなのだろうか?」


 アガメムブーバルは、すっかり問答に気を取られているように見えた。コリオレイヌスは、得意そうに神官ならではの分析と考察を披露する。

「私が考えるに、おそらくは、アフマドの後ろにいる女が第一に救う対象なのです。だから、彼は全ての女を救うつもりなどないのでしょう。でも、アフマドに助けを求めてきた者があれば、彼は救うのです」

「ほほう」


 コリオレイヌスは、感心したようなアガメムブーバルの視線を自慢げに受け取りながら、続けた。

「他方、この男はなぜか後ろにいる女を恐れています」

「なに? だが、人類の女といえばか弱い存在。ダイアナでさえ、ハーフサキュバス故に、純粋魔族ほどの強さを有しているわけではない。だからこそ、アフマドは彼女たちから助けを求められれば救うのであろう。それなのに、アフマドは彼女たちを恐れるのか?」


 このやり取りを今まで聞いていたアフマドは、逃げることを忘れて大声を出した。

「僕には怖いものなどないぞ。それに、救いを冒涜するあなたたちの物言い、我慢ならない」 

「アフマド、ダメだってば」

 ハディージャが、慌てたようにアフマドの腕を引っ張る。だが、アフマドはすっかり問答モードだった。

「ハディージャ、ここで僕たちの信じる救いを告白せずに逃げてしまえば、僕達の存在意義が怪しくなってしまうよ」

「でも......」


 ハディージャは、アフマドの反応に途方に暮れた。他方、アガメムブーバルは微笑む。

「ほお、威勢がいいのう。そなたはわが息子を前にしても堂々としていたというではないか。どうやら、そのいいぶりは口先だけではなさそうだな」

「そうさ。僕は、確かに救いを求める者には、喜んで救いの手を差し伸べる。だが、それは全ての者を救うことにならない」


 アフマドは、すっかり自信たっぷりに自説を披露する。何かを期待するようなアガメムブーバルの笑み。アフマドが問答を始めたことを、すっかり楽しんでいる様子だった。

「ほう......それなら、ここにいるすべての女たちが、それぞれに見合うタイミングで救いを求める場合、全員が救われるのか?」


「確かに、救いを求めて僕のもとに来るなら、僕は絶対に見捨てない。求めれば救われるのだから......そういえば、コリオレイヌスは、僕が『肝心の慰めを理解していない』とバカげた指摘をした。けれども、コリオレイヌスもまた、あの女性たちをドレインタッチと同様に捧げる犠牲として扱っていたではないか? 本来ならば、あの女性たちに慰めを与えるはずではなかったか?」

 アフマドは逃げだす気はもうない。彼は、自身が救いの証人であることを自覚しているために、ここでハディージャも助けを求める女性たちも、全て救うつもりだった。これもまた、アガメムブーバルの興味を引いた。


 非難されたコリオレイヌスも夢中で応える。

「俺があの女たちを犠牲として扱っていただと?」

「そうだ。だが、その扱いは間違いだぞ。慰めとは救いの前触れだ。つまり、救いの対象である人類側が捧げることではなく、救いの対象である人類側が受け取る事柄だぞ。人類が慰めを通じて救いを知るのだ。すなわち、慰めを通じて救いを知ることが出来ることだ」


 ここで、コリオレイヌスは、アガメムブーバルから何かの制止を受けて、急に冷静になった。

「アフマド、その通りだな。確かに慰めとは、お前の指摘する通りだ。念のために言っておくが、お前が今言ったように、あの時に『救いの対象である』女は、慰めを受けて歓喜の声を上げていたのだぞ」

「歓喜の声だと? あの悲鳴が?」


 アフマドは、目でハディージャに問いかける。真っ赤になって俯くハディージャ。

「アフマド、もう....止めて....おねがい」

「なぜ? これは僕たちにとって大切な救いの話で....」

 ハディージャは、目を伏せて無言のまま首を横に小さく振る。その彼女のうなじまで真っ赤。アフマドはハディージャの反応に戸惑った。

 

 二人の反応を楽しむように、アガメムブーバルがアフマドに微笑みながら話し掛けた。

「アフマドよ、お前は、お前の横にいる女にも慰めを与えているのかね?」

「ハディージャに? その必要はない。なぜなら、彼女も僕もすでに救いの側に立ち、救いを宣べ伝えている立場だからだ」

「だが、ダイアナによると、ハディージャは慰めを欲しているということだが?」

 こういうと、アガメムブーバルは鷹揚に座り込んだ。


 彼女が笑いながらアフマドとハディージャを見つめる。アフマドは意外だという表情をハディージャに向けた。

「ハディージャ、そうなのか? ハディージャは僕と同様の立場にいると思っていたのだが……」

 問いかけられたハディージャは、真っ赤な顔をアフマドに向けて、睨みつける。そして、ふたたびうつむくと、今度は力いっぱいアフマドのお腹をつねった。

「いたい! なぜ抓るんだよ」


 ハディージャはそれに応えず、うつむいたまま再びアフマドのお腹をつねった。

「いたい! 痛い! わかったよ、黙ればいいんだろ? 僕はわかっているさ。ハディージャがそんな慰めなんか必要としていないことを」

 

 アフマドはハディージャに言い訳するつもりでハディージャを見つめる。だが、彼女は彼の手を引く。そこで、彼は強い口調で問いかけた。

「急にどうしたんだよ?」

「信仰問答をするつもりが、貴方は恥ずかしい話ばかりしているじゃないの! そんな恥ずかしい話はやめて、逃げるべきじゃないの?」

「いや、逃げ出すべき時ではない。今は救いの真の姿を告白して示さなければ! 信じている救いを恥ずかしがってはいけないことだよ」

「貴方があいつらと議論している慰めは、私たちの救いとは無関係のものよ」

「その通りだ、だから、あいつらを問いただしているのではないか。奴らは悲鳴を歓喜の声だと訳の分からないことを言っているし、そんな慰めとやらを君が欲しているというし......一体、どういうことなんだ?  君が欲している慰めとやらを、ここで僕が与えてあげようか?」

「アフマド、それをここで? あなたにそれができるの?」


 ハディージャの顔から首筋に至るまで真っ赤になったまま、思いつめた顔をしてアフマドを見つめた。アフマドはかわいそうになって、彼女を励ますように声をかけた。

「僕にできないことなどないさ、今までも救いに必要なことだったら、シェイベットが教えてくれるさ」

「それは、たぶん違う......でも、もし、あなたが此処で出来るというなら、私、恥ずかしくても我慢する」

「な、なんだ? 恥ずかしいことって?」


 アフマドは、急に声が小さくなる。ハディージャはため息をついた。

「多分、宇宙港で私が貴方に教えようとしたことよ」

「宇宙港でハディージャが僕に教えようとしたこと? まさか…..じゃあ、裸の女のあの悲鳴のような声は歓喜なのか。裸になると、ハディージャもそんな声を出すのか?」


 アフマドは恐怖で蒼い顔。他方ハディージャは再び顔を真っ赤しながら、アフマドの尻をつねる。アフマドはハディージャの顔を見つめ、何かを思い出したように急にそわそわし出した。

「そうか、ハディージャ、君が僕に求めたのはこのことなのか? これはまずい。まずいぞ……だからここから逃げ出すべきだったのか」

「そうよ......でも、もう、遅いみたい」


「そう、もう遅いわよ、二人とも」

 座り込んでいたアガメムブーバルが、笑いながら二人の前に立ちはだかった。

「先ほどまで、アフマドと私たちとの議論は意味のあるものだったわ。だからこそ、あんた達を逃がすわけにいかないのさ」


 ハディージャがアガメムブーバルを悔しそうに睨む。アフマドは、自らの無知が招いた事態によって先ほどまでの余裕が失せて、すっかり混乱状態に。アガメムブーバルは、そんな二人に微笑みながら続ける。


「お前たち二人はまだ学びが足りないようだし......アフマドには種馬になってもらうんだし......だから、この際学んでもらおうね。さて、コリオレイヌス、私の意図はわかるな」

「はい、アガメムブーバル様。特にあなたが神官に選ぼうとしているアフマドには、しっかりと学んでもらう必要がありますね」


 混乱状態のアフマドは、これを耳にすると条件反射のようにコリオレイヌスを睨み返した。

「僕には、もう分からないことなどないぞ」

「おまえは、やはりそんな反応を示すんだな。お前はそんな調子でダイアナが教えようとしたことを拒み、ハディージャまで拒んでいるようだな……」

「ああ、でも、もう僕は悟ったよ。教えなど、もう不要だ」

「ほほう、お前はもうわかったのか? ダイアナが教えようとした慰めを」

「ああ、知っているさ。お前の言う慰めは、悲鳴を上げるほど擽(くすぐ)ることなんだろ?」


 アフマドは、またまた無理に己を納得させることができそうな説を持ち込んで、強弁を吐く。その横で、あきらめたように首を横に振るハディージャ。コリオレイヌスは、やはりという顔をしながらアガメムブーバルに胸を張った。


「アガメムブーバル様、ご覧ください。このようにアフマドという男は、物事を曲解する頑固者です。頑迷なアフマドは強い動機付けをしなければ教育になりません。アフマドには、女に襲われたときに金縛りになってもらいましょう。あわせて、ハディージャには絶え間なくアフマドに迫ってもらいましょう」


 アガメムブーバルは、微笑みながらうなずく。

「よろしい、早速ふたりに魅了の術を実行しなさい。そうすれば、アフマドはハディージャから逃げ出し、ダイアナのように単に助けを求める女の方へ心が向くであろう」

「では」

 この言葉と同時に、コリオレイヌスの目から、閃光がほとばしった。

「これはまずい」


 アフマドはハディージャをかばおうとした。だが、彼もハディージャも次の瞬間には金縛りにあい、視界がゆがむ。ハディージャをかばおうとした手がなぜかハディージャに届かず、逆にハデイージャの手が伸びてくる情景まで脳裏に浮かぶ。


 どのくらい時が経ったのだろうか。二人は、コリオレイヌスがポンと肩を叩くと同時に目を覚ます。

同時に、二人は心の中に何かを押し込まれたような感覚をおぼえた。


「お前たち二人には、それぞれ俺の魅了術を施してやったぞ」

「え?」

「私に何をしたの?」


 コリオレイヌスは、二人の戸惑いや不安そうな顔を楽しげに見る。

「アフマド、お前はこれから種馬になる予定だ」

「僕はごめんだぞ」

「お前の意思はもう関係ない。お前の行動は、アガメムブーバル様の御意向で決まる」


 コリオレイヌスを睨みながら、アフマドが声を上げる。

「何? まさか!」

「そう、その内に女に迫られたときにわかるだろうよ」


 それを聞いたアフマドの顔色がどんどん悪くなる。それに気づいたハディージャは声を漏らす。

「ということは、私はまさか......」

「女、お前は元々衝動が強いらしいから、それをさらに強めただけだぜ。まあ、これでアフマドを襲う頻度が増すだろうぜ」


「ハディージャ、心配ないぜ。僕は何も恐れるものは無いからな」

 アフマドは、またも自信満々にハディージャに応えた。だが、不安いっぱいのハディージャの顔。

「あの、アフマド、私、今は我慢できているけど、これから先は私、意思がどんどん弱くなってしまう......」

「大丈夫だ、弱くなったら、僕が守ってやるさ」

「ち、ちがうの、アフマド......」


 ハディージャは何かを言いかけた。それを遮るようなアガメムブーバルの太い声。

「ほほほ、早速効果が出てきたようね。コリオレイヌス、なかなか良い取り扱いのようね」

「はい マイロード。これからは、楽しみながら観察ください」

 コリオレイヌスも、微笑みながらアガメムブーバルに応える。

「そうね。たのしみね」


 アガメムブーバルはコリオレイヌスやほかの村人たちに合図をする。村人たちによって、後ろ手に縛られる、アフマドとハディージャ。彼ら二人は、ふたたびコリオレイヌスとダイアナの家の一室に、閉じ込められてしまった。

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