20 トンベリュマニテ星系へ
ハディージャは、まだ症状が重そうだった。時折、あ、う、といってピクリと動くものの、それ以上のことは望めそうになかった。
「今は、奴らは忙しいに違いない。恒星間航行に用いる航法は、複雑な時空座標とタキオン場のベクトルによる空間のゆがみとを計算しないといけないから......彼らは確か、あまり技術を大切にしていないようだし......たぶん計算に忙殺されているはずだ」
アフマドは、ハディージャに聞かせるつもりで、一方的に話し続けた。そうでもしないと、ハディージャが気絶してしまうかもしれないと感じたからだった。
先ほどから、アフマドは様々な話を持ち出す。しかし、返事をしないハディージャ。アフマドは不安を感じた。
「とにかく、この拘束を何とかしないと」
二人を拘束するシートは、まだそのままだった。相変わらず、額をアフマドの肩に寄せているハディージャ。ひたすら耐えている様子だった。
「あ、う......ね、ねえ、アフマド......私....たち、いつまでこんな格好なの?」
「僕は動いちゃいけないんだろ……だから、せめて手をうごかして......」
アフマドが身じろぎする。すると、ハディージャが鋭く声を上げた。
「だ、ダメ! 今は手を動かさないで......絶対!」
「どうして!?」
「拘束されたとき、貴方が後ろ手のまま私の前に立ったから、......あの、貴方の手が、私の....」
「でも、僕の手の位置はハディージャの鼠径部の真ん中だから、大丈夫だよな」
この時、見回りの兵士たちの足音が響く。驚いた二人は息をひそめる。二人の身体が密着したためか、アフマドは後ろ手のまま身じろぎする。
「きゃ! 動かしちゃダメ......」
「ここは何か問題があるのか?」
アフマドののんきな台詞。見回りの兵卒たちの足音が聞こえるのに、アフマドの言葉はあまりにとぼけて聞こえた。
「もう! こんな状況で、そんな言い方あるかしら!」
ハディージャはアフマドの肩にかみつく。
「い、痛い!....分かったよ、何とかする......」
「あん! だめだってば! 何もしないで!」
そう言われながらも、アフマドはなんとか彼女の身体をシートの外へ繰り出すことに成功した。だが、その後もハディージャは脱力したまま。両手が鼠径部を抑えたまま、時折、けいれんをしている。
「だ、大丈夫か?」
アフマドはそう言いながら、慎重に彼女の病気や負傷の有無を調べる。右腕に、テオンルライのつかんだ際のひっかき傷。アフマドは震える手でハディージャの患部をそっと調べた。
ついでに、ハディージャが両手で押さえている鼠径部を、震える手でそっと調べる。
「そこはダメ!」
弾かれたように、ハディージャが叫ぶ。
「え? 此処が病気になっているんじゃないの?」
アフマドは、ハディージャの両手をどけてそこに触れた。その途端、ハディージャの身体が橇上がった。
「だ、ダメだってば」
ハディージャが、鼠径部に伸びたアフマドの手を抑える。アフマドはすっかり訳が分からなかった。
「ここは、振動させないでよ」
「なんでだよ」
「今は触れちゃダメなの!」
「いまは? 触れちゃダメ?」
アフマドは、二人が一緒にシートでグルグル巻きにされた際の自分の手の位置を思い出した。
「あのさ、拘束されたときに...…僕の背中にハディージャがいたよね」
ハディージャが、アフマドを怪訝そうに見つめる。
「僕の手が、ちょうど鼠径部にあったよね」
ハディージャは、アフマドを睨みつけた。
「そこって、何もないところだよね。だから、問題はなかったよね?」
ハディージャは、この時になって、ようやく起き上がることが出来た。と同時に思いっきりアフマドのお腹をつねった。
「いたい! どうしてだよ!」
アフマドは、わけがわからないという顔をする。ハディージャは、もう一度アフマドのお腹をつねった。
「え、ということは? 僕達が拘束されたときから僕の手は、ハディージャの触っちゃいけないところにずっと…..?」
「ここ、私の大切な所!」
「へ?」
彼の返答にハディージャは頭を抱える。彼女のその態度を見たアフマドも、訳が分からないといった顔をした。
「ふう、僕は、もうたくさんだよ」
「あの、それは私のセリフじゃないかしら」
「だって、わけのわからないことで、僕はずっと責められていたんだからね」
「だって、敏感になっているところを刺激するからよ」
「なんでそこが敏感なんだよ」
「え、知らないの?」
ハディージャにそう言われても、アフマドは首をかしげるだけ。
「女性の身体のこと、何にも知らないのね」
こう言われれば普通ならわかるはずなのだが、アフマドは普通ではなかった。というより、鼻からそのようなことは認識していなかった。そして、そういう彼なりの解決法を編み出した。
「そ、そうか。ハディージャの鼠径部は、細かい振動に弱いんだな。うーん、ハディージャの鼠径部と僕の手との間に成立する伝達関数を考察するなら、手による刺激が振動を直接に伝達しない程度に関数を考えればいいんだ。ということは、フィルター関数だな。多分、細かな振動であればあるほど、伝達されてはいけないんだろう。それなら、答は簡単だ。敏感な所を守るために、このシートを使って保護具のように身につければいいじゃないか。つまりは、服を作ればいいんだよ」
アフマドは、二人をくるんでいたシートの一部を口で引き裂く。本当は、きっちりと寸法を取って服に仕立てたいのだが……出鱈目な切れ端で、彼はなんとか二人分の簡単な服を作り上げた。
「ねえ、この服、胸がきついし、お腹のところがブカブカよ」
「仕方ないじゃないか、僕はハディージャの身体をまともに見られないんだから」
「じゃあ、今からしっかり見てよ」
「え? それは無理だよ......情欲をもって女性を見ることになる......」
「またそんなことを言っているの? 私たち夫婦よね。それなら目をつぶって、手で寸法を確かめてから服を作ってよ」
「わかった....…あ、あ、だ、ダメだ。なんか、ハディージャって部分的に柔らかい......あ、なんか柔らかい! なんか、柔らかい! 変な気持ちになっちゃう」
「役立たず! 変な気持ちでもいいから、私に触れてよ」
「やだ!」
「唐変木!」
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帝国の目的地は、アンスロラス星系からすぐだった。つまり、それだけ艦隊はすぐに減速しなければならないことを意味した。
アフマドたちの収容されている士官用食堂も、短い航行のためか、使われることはなかった。アフマドたちが眺める窓の外には、既に天空一杯の銀河や星がいっぱいに広がっている。それは、艦隊が目的の星系内で、既に惑星間航行速度に転じていることを意味していた。
「この旗艦も艦隊も、もうすぐ本拠地なんだろうな」
アフマドの言うように、早くも旗艦もおそらくはほかの艦船たちも、着陸の準備段階に入ったようすだった。つまり、アフマドとハディージャのところに、彼らを味見、若しくは食すために魔族が来ることがないとみてよかった。
窓から星系の恒星が見えて来た。シェイベットから聞こえてきた疑似声音がスペクトルの特性とその名をアフマドたちに告げた。トンベリュマニテ星系。そんな名前だった。だがその奇妙な名前よりもアフマドたちの目を引いたのは、恒星の周囲に輝く三重の光のリングだった。
「なんてきれいなの」
ハディージャが、三重光リングをうっとりと眺めている。漆黒の中の銀のまばゆさ。アフマドも次第に強くなるそのまばゆさに目を奪われる。
次第に強くなり、巨大になっていく三重光リング。
「巨大になっていくね」
アフマドたちが窓から三重光リングを見つめていると、三重光リングへ艦隊は向かっていく。しばらくすると、支艦隊がそれぞれ分散してリングの周囲へ。旗艦もまたリングの一点へ。
この段階になって、アフマドは光の輪が反射光であることに気づいた。
「あれは、恒星を巡る3重の環状人工構造物なのか?......だが、技術レベルが退化した魔族がスターリフティング工学を活用してあれを建設したなどとは思えないんだが……」
三重光リングは、単なる光の輪ではない。恒星を中心とした真円軌道をそのまま構造物にした白銀のリング。それら3重のリングが、恒星を中心とした同心円状に配置され、グルグルと恒星を巡る人工構築物だった。
内側のリングはパネルのようなものが恒星からの光を受け止めている。二番目のリングには二つの壁に挟まれた領域に、山や川、森林、湖水など。そして、外側のリングにはひしめくようにビル群や様々な建屋が構築されている。
艦体の艦船全てが、その最外部の輪に沿うように一列となってリング状の隊形を取る。それと同時に、全ての艦がリングの高速回転に近づきながら速度を同期させる。
アフマドたちが覗く窓から、リングの銀色の壁が迫って来る。ようやくはっきり見えたのが、その壁にリムのように横に張り出した底板。この段階になって、旗艦を含めたすべての艦船がリングの内側からその底板へ肉薄していく。
「あれに着陸するのか?」
底板は高速で移動している。底板に着陸用の車輪が接触。すると、艦船の速度が底板の回転に合致し始める。それと同時に艦船内に作用し始める遠心力。
やがて、旗艦は完全に底板に同期して止まった。ほかの艦船もそのようにして、最外リングに着陸したようだった。
「これは驚くなあ。遠心力が働いているよ」
外側のリングは、巨大な艦隊の基地だった。




