16 遠赤外線の中に泳ぐ魔族たち
「ここから遠赤外線が絶えず発信されている。そうか……検出対象外だったから、僕達は気づけなかったんだ」
アフマドとハディージャは、かつて重傷の警官が手当てを受けた場所を再訪していた。アフマドが目をつけたのは、地下都市の回廊に等間隔で配置された、シリコン製の奇妙なシェルターだ。
「間違いない。ここからだ。遠赤外線は、強度分布から見て、このシリコンのシェルターの中から発信されている。中を調べてみよう」
「大丈夫なの?」
ハディージャの不安げな視線を背中に受けながら、アフマドは狭い入り口を潜り込んだ。内部は大人二人が向かい合わせになって、ようやく中央の機器を観察できる程度の空間しかない。
「ハディージャ、こっちだ! これを見てくれ」
「……えっ?」
躊躇いつつ足を踏み入れたハディージャの前で、アフマドは中央に鎮座するシリコン製の箱を指し示した。容器の内部には剥き出しの電極が林立している。
「この構造は、明らかにフェーズドアレイアンテナ」
「遠赤外線を発しているの?」
「そう、しかも、全方位に向けて、必要に応じて様々な方向への強度を調整し続けている!」
アフマドが呟くと、ハディージャもまた、戦慄するようにそのアンテナを見つめた。無言の二人の吐息と体温が、しだいに狭い空間を満たしていく。
「つまり、地下都市の閉塞空間全体を、特定の波長で覆い尽くすための装置……」
「これが見立て通りなら、これが周辺の魔族たちを制御する遠赤外線発振装置のはずだ」
アフマドは電極部を見つめ、思案を巡らせた。ハディージャもまた、隣で沈痛な面持ちでアンテナを観察している。
「確かめる方法は?」
「ここなら監視の目も届きにくい。周辺の発振装置をあえて破壊し沈黙させよう。そうすれば、残るはこの装置の信号だけだ。あとは、遮蔽と解放を繰り返して魔族の反応を見れば、配信されるデータの意味も突き止められる」
アフマドの提案は一応論理的だった。しかし、ハディージャは即座に首を振った。
「だめよ、リスクが高すぎるわ。一部でも発振装置が止まれば、即座に異常が検知される。そこからこちらの行動に疑念を持たれたら終わりよ」
「……そうか……」
「忘れたの? 私たちは皇帝に保護された『人類のモデル』だからこそ、こうして自由に歩き回れているのよ。もし不審な動きが露見すれば、即座に隔離、あるいは排除されるわ。この立場を失うことは、調査の継続そのものが不可能になるのと同じよ」
「……確かにそうだ。周囲の発振装置をいじれば露見のリスクがある。それなら、まずはこのアンテナ単体で、遮蔽と解放を繰り返して魔族の反応を観察しようか?」
「それなら比較的安全ね。問題はどうやって遮蔽するかだけど……『遮蔽』って、要するに遠赤外線を物理的に遮ればいいんでしょ?」
ハディージャの問いに、アフマドはしばらく考え込み、自分の服装に視線を落とした。
「カーボン繊維を編み込んだこの防寒着と下着なら、赤外線を遮断できるはずだ。僕の体でアンテナを被覆しよう……」
アフマドは防寒着を着たまま、アンテナの上に大の字になって仰向けに寝転んでみせた。しかし、ハディージャは冷ややかな声で指摘した。
「全然足りてないわ。……ねえ、これだけの面積を確実に塞ぐには、私たちが重なり合ってアンテナを封じ込めるのが一番効率的よ」
「なっ、体を重ねるだと!? ま、まて!」
アフマドは顔を真っ赤にして慌ててアンテナから飛び退いた。ハディージャは呆れたように肩をすくめる。
「いくじなし! 誰も見てないわよ」
「そ、そういう問題じゃない! それに……そうだ! それでは肝心の実験結果を確認できない!」
アフマドが苦し紛れに放った正論に、ハディージャはわざとらしく舌打ちをした。
「チッ。……必死な理屈ね」
「そ、そうだろ! それとも、ハディージャはここで情の交換をはじめろと言いたいの?」
アフマドはそう言いつつ、勝ち誇ったようにハディージャを一瞥した。ハディージャはそれに返事をせず、平然と言葉をつづけた。
「できないくせに!」
「な、なんだよ!」
決まずい沈黙が二人を覆った。その後しばらくして、アフマドはおもむろに自分たちの身に着けているカーボンネットワークからなる赤外線ヒータを内蔵したシャツ・防寒着を指さした。
「……そうか!。この防寒着そのものが電磁シールドになる。これでアンテナを覆えば遮蔽できるはずだ」
アフマドは、顔の火照りを隠すように必死で理屈を口にした。
「そうね。やってみましょう」
ハディージャは迷いなく上着を脱ぎ、アンテナに被せた。アフマドも自分の防寒着を重ねるが、まだ遠赤外線は漏れ出している。
「……まだだ。遮蔽が足りない。と言うことは、このカーボン繊維を織り込んだ下着も使うのか?」
アフマドの躊躇をよそに、ハディージャは迷わずシャツのボタンに手をかけた。
「はやく、アフマドも脱いで」
「あ、えっ、う、うん……!」
ハディージャがシャツを脱ぎ捨てる姿に、アフマドは視線のやり場に困り、過呼吸気味に自分のシャツを脱ぎ去った。狭いシェルター内で、彼女の素肌が間近にある。シャツをアンテナに被せようとする彼の作業は、なかなかうまくいかなかった。それだけではなく、彼のもう一つの作業、つまり彼自身の視線と注意とを、いかに彼女の上半身から外してアンテナ部分に固定するか、という難しい作業にも苦労していた。
アフマドの視線の彷徨いに気づいたハディージャが、慌てて両手で胸を覆う。
「エッチ! こっちを見ないでよ!」
「わ、わかってる! よし、これでどうだ。外から合図するから、指示通りに遮蔽と解放を繰り返してくれ!」
アフマドは、裸身のままで彼女と密室にいる重圧に耐えかね、逃げるように外へと飛び出した。
「遮蔽! 解放! 遮蔽!」
外から声をかけるアフマドの指示に応じ、アンテナの遮蔽が断続的に切り替わる。すると、周囲の魔族たちが一瞬ずつ、まるで糸の切れた操り人形のように動きを止めた。
「……間違いない。受信データの更新間隔に同期して、彼らは停止している」
震える声で結論を告げるアフマドだったが、それは寒さによるものか、先ほどの密室の余韻によるものかは定かではなかった。
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「キャンパスに戻ったな。さて、ここでも、遠赤外線の強度分布を測定し、発信源を調査しよう」
アフマドは、衝動器を埋め込まれた学生たちの反応を確かめるべく、複数のアンテナを機能停止に追い込む計画を立てていた。
「また衣服を脱ぐのはごめんだわ」
「わかっている。次はもっとスマートな方法を用意するよ。そうだなぁ、可視光を吸収する材料でも良いんだが」
「つまり、赤とか色がついている材料のこと?」
「そう、染料とか顔料とか。多分それらは赤外線も吸収できるはずだよ。特に顔料のような粉末が使いやすいな」
翌日、アフマドが誇らしげに持ち込んできたのは、二つの土器のツボだった。ハディージャは嫌な予感を覚え、目を細める。
「……何?」
「粘液とカーボン顔料だ。これを体に塗れば、電磁シールドの代わりになる。全身を導体化して、体でアンテナを遮蔽するんだ」
「粘液で、全身を?」
ハディージャの怪訝な反応を、アフマドは「彼女はまだ理解していない」と判断し、良かれと思って補足説明を付け加えた。
「そう、粘液で十分濡らすと快感なんだろ?」
「……はあ?」
「ニールから聞いたんだ。十分濡らせば、女の人は気持ちよくなるんだって」
「い、いやらしい!」
ハディージャは反射的にアフマドを睨んだ。アフマドは思わずひるんで説明を加えた。
「え? 肌がすべすべになるでしょ!」
「え? そういう意味? そ、そうね!」
ホッとしたハディージャは声が大きくなった。それで気をよくしたアフマドだったが、ハディージャの謎の反応も気になった。
「そうだよ。そうすれば、粘液で顔料をよく肌になじませることが出来るよね。ん?、何か別のことで僕をいやらしいと言っていたのか?」
「ち、違うわよ!」
ハディージャの声はなぜか小さくなっていた。アフマドはそれが意味するところに気づかないのか、説明を元気よく続けた。
「だって、体に塗れば、体で遮蔽できるでしょ」
「それで不足だったら、体を重ねることになるわね。それでいいの?」
「あ、それは大丈夫。うつ伏せになった僕の上に、ハディージャがおんぶみたいに重なれば問題ないよ」
「ふうん、ほんと?」
「いや、そうじゃないかも……でも、我慢する。じゃあ、僕がハディージャの肌の隅々にまで塗ってあげるよ……あっ」
調子に乗ったアフマドは、もう一度ハディージャに睨まれた。
「へえ、あなたが塗ってくれるわけね?」
「い、いや、そんなことは考えちゃいけない」
「いやらしい!」
「考えていないよ!..…ぼく、そんなこと、勘弁してほしいよ。あ、つまり、僕が君の肌に塗ることになると思ったから、君はいやらしいと思ったわけだ。それはたしかにいやらしいことだよな」
「そ、それも違うわよ」
アフマドは、ハディージャの困惑を見て困惑した。
「え、じゃあ、え、どういうこと? ん、粘液で濡れることがいやらしいのか? それ、どういうことだ?」
「……もういいわ。そういう理屈っぽいところ、本当に救いようがないわね」
アフマドが本気で首を傾げているのを見て、ハディージャは悟った。この男は、恋愛や性に関する教養を意図的に遮断して生きてきたのだ。それゆえのこの無垢な鈍感さ……。ハディージャは深い溜息をつき、彼の手からツボを取り上げた。
翌日、アフマドはハディージャの指示通り、顔料と粘液、そして薄手のシートを抱えて戻ってきた。
「言われた通りに揃えたが……これで一体、何をするんだ?」
「それはおいおい分かるわ。まずは中に入って」
シリコン小屋へ押し入るなり、アフマドは顔料の缶を開けて、いきなり電極に塗りたくろうとした。
「待って、アフマド!」
ハディージャが慌てて制止する。
「顔料を直塗りしたら、遮蔽を解除できなくなるでしょう?」
「え? 塗った後、剥がせばいいだけだろう」
「そんな都合よく剥がれるわけないでしょ。除去にどれだけ時間がかかると思っているの?」
ハディージャの指摘に、アフマドはキョトンとした顔で手を止めた。
「……そうか。では、どうすれば?」
「もう。粘液と顔料を混ぜてシートに塗り込めば、取り外し可能な遮蔽膜となるでしょ?」
「ああ……!」
その時、アフマドは何かを思い出したように顔を上げた。
「わかったぞ。僕たちの身体を媒体にしたり、互いに抱き合ったりする必要はなかったんだ。うれしい! このシートがあれば、最初からすべて解決していたんだな!」
「……何を今頃言っているのよ」
ハディージャは深い溜息をついた。近頃のアフマドは、彼女との物理的な距離が近づくような話題になると、とたんに思考が停止する。彼女は、彼の「ぼけっぷり」の露骨さに呆れつつも、どこかやりきれない思いを抱いていた。
その後、二人はキャンパス内のシリコン小屋のいくつかを停止させた。そのうえで、孤立させたシリコン箱を使って、実験をすることにした。遮蔽と解放を繰り返すうち、二人は確信を得た。遮蔽すれば学生たちは剥き出しの衝動のままに争い、交わり、解放されれば再び従順な「秩序」へと戻る。彼らはやはり、衝動器によって支配された自動機械に過ぎなかった。
「結局、学生も魔族も、プログラムされた衝動の奴隷に過ぎないのか」
「そうね。でも、ここの学生たちの衝動は、機械的な動作というよりは……より人間らしい『情の交換』に近い気がするわ」
「いや、機械は機械だ。僕がこの身に抱く情熱とは、決定的に違う」
「へえ。じゃあ、その『理屈ではない情熱』とやらを、私に証明してみせてよ」
ハディージャの挑発に、アフマドは顔を赤らめてたじろいだ。
「……そんな、言葉にできるようなものじゃない。日々、君に想いを捧げていることこそが、僕なりの……」
「本当は怖いんでしょう? 弱虫!」
「……ハディージャ。君だって、キャンパスの学生たちと何ら変わりない衝動に突き動かされているのか?」
「そうよ。もう我慢しない。あなたがその気になれば、いつでもね」
突き放すような理屈は、ハディージャの瞳の熱量に溶かされていく。アフマドは苦悶の表情で唇を噛んだ。
「僕は不潔なんだ。自分を制御できない人間は、獣と変わらない」
「それを決めるのは、あなたじゃないわ。もう、その面倒な理屈は捨てて。私に触れる勇気を持って」
「見境なく……君を傷つけてしまうかもしれない」
「いいじゃない! 私はあなたの妻よ!」
「……君だからだ」
アフマドの声が震えた。
「大切な宝を、そんなふうに扱うことなんてできない……!」
「扱う……? うーん、ポンコツ!」
ハディージャは苛立ちと切なさを混じらせて言い放つ。アフマドは観念したように、震える手で彼女の手を求めた。
「……わかった。ただ、どうなっても知らないからな……。まずは、手……から」
差し出されたアフマドの手を、ハディージャは宝物を扱うように両手で受け取った。彼女は啓典の一節を口ずさみながら、その掌を、腕を、慈しむように自らの頬へと押し当てた。途端に、二人の周囲は静寂に包まれた。
「恋しい人、美しいのはあなた
わたしの喜び
私たちの寝床は緑の茂み
レバノン杉が家の梁
糸杉が垂木
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕で私を抱いてくださればよいのに……
捕まえました、もう離しません
母の家に、私を産んだ母の部屋にお連れします」
無言のままに緊張を高めた二人の鼓動が、次第に激しくリズムを打ちはじめた。その鼓動に合わせるように、ハディージャの歌声がアフマドの熱い耳に届く。それは、アフマドにとって遠い記憶の彼方から響く、懐かしくも切ない調べだった。その旋律と彼女の指先が引き起こす熱は、衝動器が強いる機械的な反応とは全く別の、魂の奥底から湧き上がる衝動を呼び覚ました。
「……動いていない。もう、衝動器は沈黙したはずだ」
アフマドは震える声でそう言い捨て、自身の理性をかき集めて立ち上がろうとした。だが、彼女の温かな吐息と肌の感触は、彼が必死に築いた防壁をたやすく乗り越えてくる。そんな二人の心理が招いたのは、もつれ合う二人の肢体。苦し紛れに身体を起こそうとしたアフマドの動きは、図らずもハディージャを床に押し倒す姿勢へと変わった。
それは彼女が望んでいた瞬間だった。覆いかぶさったアフマドの頬を、彼女はゆっくりと、慈しむように両手で包み込んだ。
「勘弁してくれ……今は、ダメなんだ」
その言葉には、論理が崩壊し、それでも必死に己を律しようとする彼の苦悩が滲んでいた。作動不良を起こした回路のように、アフマドの心は激しく軋んでいる。
二人はやがて、争うことをやめた。
狭いシリコン小屋の中で、ただ静かに、互いの鼓動と体温だけを確かめ合う。言葉はもう必要なかった。物理的な存在そのものが、お互いの渇きを癒やす唯一の救いとなっていた。
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次の日の朝、二人は束の間のゆっくりした朝を迎えた。
二人は、澱みなく協力して朝食を準備し、息のあった会話をしながら朝食を済ますことができた。それは、二人にとって互いの信頼を確かめる良い機会にもなった。
そんなとき、そこに、先日のテオンルライを逮捕した警官たちが二人の宿舎を訪った。二人はこの時、皇帝がわざわざ二人の間の信頼を試しに来たように感じられた。
「学長ゼインスードの情報により来訪。学生のアフマド、およびハディージャか」
感情の起伏を一切排した声。畳みかけるような事務的な問いかけに、二人は背筋が凍るような冷たさを感じた。
「僕たちに何の用があるのか?」
「二人に同道を依頼」
警官たちの喉は、普段から使いすぎているのだろうか、壊れたスピーカーのように聞きづらいところがあった。何とか聞き取れた警官たちの声は、どうやら任意同行を求めている内容のようだった。ただ、何を目的としてこのような依頼をしてきたのかは、まだわからなかった。
「なんでだよ?」
「理由を聞かせてほしいのだけど……」
アフマドとハディージャは、二人が赤外線発振装置に手を加えたことが早速露見したのだと考え、警官たちの様子をうかがいながら、問いかけた。
「理由は我々に知らされていない」
ハディージャの問いかけに、警官たちは暫く停止したのち、そっけなく答えを返してきた。アフマドは思わず声を上げた。
「理由が不明では同行できないよ」
アフマドが拒絶すると、警官たちの動作が同時に停止した。
「理由の開示は予定外」
「必要な処置へ移行」
「強制連行を開始」
躊躇も慈悲もない、プログラムされた実行宣言だった。
「な、なにをするつもりだ!」
アフマドはハディージャを背にかばい、咄嗟に彼女の杖を手に取った。静電を纏った一撃が警官の装甲を弾き、火花が散る。しかし、倒れた警官を乗り越えて、次々と増援の警官たちが躍りかかった。
数の暴力。アフマドの抵抗は虚しく、強固な拘束具が冷たく手首に食い込んだ。
「抵抗排除、完了。被験体二名の損傷なし」
「人類の二人は保護対象。重度の負傷はないことを確認。……搬送段階へ」
機械の声が響く中、連行される二人。彼らにとっての「保護」とは、安全の確保ではなく、管理下への完全な収容を意味していた。逃げ場のない鉄の檻の中で、二人はただ、未来の不透明さに身を震わせることしかできなかった。
二人を乗せた車両は、キャンパスを出ると、真っ直ぐに皇帝府へと向かう。なぜそれほど急ぐのかはわからなかったが、皇帝府が急にアフマドとハディージャに接触してきたことは、何かの事情を感じさせた。
「ずいぶんと急なお呼びですね」
アフマドとハディーじゃは、それぞれが二人の魔族警官に抑え込まれ、身動きはできなかった。それでもアフマドは何かできないかと考え、警官たちに皮肉交じりに話しかけた。だが、警官たちは無言、無表情のままだった。
「あの……、アフマドと私は、皇帝陛下から保護されているはずでは?」
ハディージャが食い下がると、警官の瞳がわずかに明滅した。
「現在、我々は、あなたたち人類二人を保護するために来た」
まるですり減ったアナログテープの再生音声のように、抑揚のない声が繰り返される。ハディージャは苛立ちを隠せない。
「意味が分からないわ。保護下で自由にさせてくれるはずではなかったの?」
「現在、我々は、あなたたち人類二人を保護するために来た」
問いかけの内容は一切考慮されていない。彼らの論理回路には、それ以外の回答が存在しないようだった。
やがて、二人を乗せた車両は地上へ。そこでアフマドとハディージャは息をのんだ。目の前に広がるのは、極寒の濠を幾重にも纏った大城塞。機械的な都市部とは対照的な、戦時下特有の喧噪に支配された異界だった。
濠の向こうにの奥には、空を埋め尽くす飛翔体と無数に突き出た巨大な長身砲塔がみえた。急激な旋回と共に濠を渡り、第一の大城門へ入り込むと、肌を刺すような結界の圧力が二人を締め付ける。さらに奥の第二の城門の向こうからは、耳を劈くような金属的な咆哮と工事の騒音が絶えず響き渡っていた。
ようやく開かれたその先に、先ほど見えた空を見上げる無数の巨砲の砲身が――まるで、天からくる魔王を穿つように、防御砲撃陣地が広がっていた。
第三の門を抜けると、光景は一変した。道は足元から地平の端まで伸び、その先には空へと続くかのように細く階段が続いていた。見上げた先には、遙か高みに第四の門が豆粒のように小さく浮かび、そのさらに奥には、霞むような宮殿の影が不気味に鎮座している。
圧倒的な建築物の威圧感に二人が息を呑む中、門の傍らに寄り添うように、サキュバスの姿があった。以前会った監察監ウェラステスだ。彼女の整った顔立ちには、人間に対する慈悲も、機械的な冷徹さもない。ただ、絶対的な皇帝の意志のみを湛えた無機質な瞳が、二人を射抜く。
「ここからは皇帝府宮殿よ。車両の立ち入りは禁じられている。徒歩で昇りなさい。……陛下がお待ちだわ」
拒絶を許さない事務的な誘導。ウェラステスが背を向けて階段を昇り始めると、何も手にしていない二人は抗う術もなく、その影を追うことになった。
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第四の門を目指し、階段を昇る。昇れば昇るほど、背後の喧噪は遠のき、静寂が二人を包み込んでいく。それは静かであると同時に、喉元に刃を突きつけられているような緊張感だった。
宮殿は近づくほどに巨大さを増し、その威容はまるで、二人を飲み込もうとする巨大な顎のように見えた。
周囲はいつの間にか光を失い、狭く照らされた場所が二人の目に入る。そこには二つの椅子が用意されていた。
「そこに座ってもらおうか」
この声がきこえた瞬間、周囲の音が一瞬消え去ったような錯覚に陥った。それは、脳の芯を直接揺さぶるような疑似声音だった。聞き慣れたシェイベットの冷徹な疑似声音とは異なる深み。それは、遠い昔の聖徒学院の恩師の疑似声音、すなわち慈愛と倫理観の下で彼ら二人に叡智と慈愛と優れた能力とを授けてくれた懐かしい声と紛うものだった。
だが、無機質な空間に響く似て非なる声、それに気づいた途端に、二人が感じた懐かしさは鋭利な刃物へと変わる。そこにあるはずのない慈愛の幻が、二人の背筋に冷たい汗を滲ませた。




