15 アフマドとハディージャの戸惑い
「何かがおかしい」
アフマドの呟きに、ハディージャは強く頷いた。
「確かにそうね。魔族の歴史を学べば学ぶほど、ここが歪んでいるという確信が強まるわ」
「皇帝も。彼らの語る『共存』は、あまりに都合が良すぎる。我々が知る魔族とは、その本質からして何かが決定的に違う」
「そうよ、アフマド。魔族というのは本来、人類を家畜として食らい、搾取するものだったはず。それなのに、ここの連中は『理想の人類』を育成し、愛し、そして共に暮らしている。魔族であるはずの彼らが、なぜそんな真似をするのか」
「ああ。その『なぜ』を突き止めないと、僕たちはこのまま彼らのシステムの一部として組み込まれてしまう」
アフマドは、自分たちの自由を「皇帝が保証した」という言葉の裏にある不穏な響きを反芻した。それは、彼らの行動すらもまた、魔族の計算の一部である可能性を示唆していた。
「都市部へ出よう。このキャンパスの外側を見れば、彼らの正体に繋がる手掛かりがあるかもしれない」
「ええ。ここが特別な特異点なのか、それとも星系全体の変質なのか。見極める必要があるわね」
「ああ、行こう。この不気味な楽園の、メッキを剥がしに」
二人は互いの手を強く握り直した。衝動器がもたらす熱に抗い、理性を武器に、二人は白夜に包まれた未知なる地下都市へと歩みを進めた。
都市部を歩く男女の群れは、キャンパス内の学生たちと似た光景を演じながらも、どこか決定的な違いがあった。彼らは議論し、語らい、身体を寄せ合っているが、その瞳には熱がない。目的もなく都市を漂うその姿は、まるでプログラムのループを繰り返す自動機械のようだった。キャンパスの学生たちが衝動器の制御下で激しく「生」を謳歌していたのに対し、街の大人たちは、その衝動が薄れ、摩耗したかのように見えた。
「おかしいな。男女がやっていることは同じはずなのに、内側から溢れる積極性が消え失せている」
長い観察の末、アフマドが核心を突く。ハディージャもまた、周囲の住人たちの虚ろな視線に寒気を感じていた。彼らは、通行人である二人を認識してさえいないのだ。
「まるで、動力源が枯渇しかけているみたい。衝動器には寿命があるのかしら」
「そうか。彼ら自身には自発的な意志など最初から存在しないんだ。もしそうなら、彼らが『魔族』として存在する理由は一つしかない」
アフマドの言葉に、ハディージャが息を呑んだ。
「衝動器による外部刺激がなければ、彼らは思考することさえできない自動機械だということ。魔族という種そのものが、システムなしには成立しない空の殻だったの」
二人は無言で顔を見合わせた。これまで見てきた「魔族の生活」という光景が、一枚の薄い皮膜となって剥がれ落ちていく。ここにあるのは生物の都市ではなく、膨大な数の自動機械が、AIの掲げる「理想」という命令を実行し続けるための巨大な演算装置――。
この仮説を立てた瞬間、二人の脳裏には、自分たちもまたその「システムの一部」として組み込まれようとしているのだという、抗いがたい恐怖が刻み込まれた。
「ねえ、アフマド。確か私たちに埋め込まれた衝動器は、体内で最も反応が強い場所に設置されている。そう言っていたわよね」
ハディージャの問いに、アフマドは短く応える。
「ああ。それぞれの『生殖器』の近傍に、と」
「私には強烈な衝動が来ているわ。抗うのが難しいほどに」
「僕だって感じている。だが、僕は平気だ」
アフマドの涼しい態度に、ハディージャの苛立ちが深まる。
「もしかして、あんたの衝動器は電池切れなの?」
「ああ、そうかもしれないな。昨今の魔族の技術も万全ではないということか?」
その言葉を聞いた瞬間、ハディージャは鼻で笑った。
「そう。じゃあ、もう二度と私に衝動を向けて動こうとはしないわけね」
「え? どういう意味だ」
「私がどれだけ仕掛けても、あんたは一切応えなかったじゃない。だったら、もう期待しないわ。私の衝動器もそのうち弱まるでしょうし、これからは互いに冷静になって、距離を置くことにする」
アフマドは眉をひそめ、困惑を露わにした。
「僕が、ハディージャに応えなかったからか。距離を置くとはどういうことだ」
「さあね。結局、あんたは口だけで、行動は何ひとつ伴わないんだから」
「なるほど。口ばかりの鈍感男、というわけか。まあ、論理的には筋が通っているな」
アフマドは至極もっともらしい理屈で納得してしまった。その無邪気すぎる分析を目の当たりにし、ハディージャの胸中には、呆れを通り越した激しい怒りの炎が燃え上がった。
ハディージャはアフマドに対し、徹底して冷淡な態度を貫くことにした。どれほど彼が言葉を並べようとも、本当に自分の唇に触れるという「行動」を見せるまでは、甘いモーションには一切応えないと心に誓ったのだ。それは彼女なりの、女としての矜持であり、最後の賭けでもあった。
一方でアフマドは、彼女の不機嫌な視線を感じつつも、その背景にある女心など理解の外にあった。彼の思考は、この都市の正体を見極めることにのみ占有されていた。
「とすると、ここを歩く住民たちも、衝動器のエネルギーが枯渇しかけているのか。そのせいで精神中枢の反応が鈍り、あのように活気を失っているのだとしたら」
アフマドが核心に触れる分析を口にする。ハディージャは同意すべきだと理解しつつも、自分の心境などお構いなしに論理を積み上げる彼の無神経さに、胸の内で苛立ちが爆発しそうだった。
「まあ、彼らを『住民』と呼べればの話だが。全員が、外殻だけを模した高度な自律型ロボット――あるいは、システムの一部品ということになる」
「見た目には、とても機械には見えないわ。私たちと何ら変わらない、魔族そのものよ」
ハディージャは、昂る苛立ちをため息の中に無理やり押し込めた。彼女にとって、今のアフマドの理知的な横顔は、頼もしいと同時に、どれほど遠く冷たいものに見えたことか。
互いの思惑と焦燥を隠したまま、二人は沈黙のうちにキャンパスの宿舎へと戻った。白夜の空の下、自分たちが「自動機械の群れ」の中に紛れ込んでいるのだという事実だけが、冷たく影を落としていた。
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翌日の放課後、二人は再び都市部へ繰り出した。
キャンパスの門を出てすぐ、アフマドが立ち止まった。彼は泥で汚れた手で、一輪のトケイソウを両手で丁寧に包み込み、ハディージャに差し出した。指先が微かに震えている。
「……これを、君に」
ハディージャは、心臓が跳ね上がるのを必死に押し殺した。しかし、彼のあまりに不器用で古風なアプローチに、期待が裏切られたような苛立ちがこみ上げてくる。
「……それ、どういう意味?」
「愛情表現だ。学んだんだ、愛とはまず、精神的な高揚から始まるべきだと……」
アフマドは胸を張った。彼なりに「イニシアティブ」と向き合い、一生懸命に編み出した「正解」だった。しかしハディージャが求めていたのは、そんな抽象的な告白ではない。
「ねえ、私が求めているのは、そんな……」
「僕も考えたんだ。今の僕たちの関係性なら、段階を踏むのが礼儀だろう? まずは愛の象徴として花を贈り、精神的な絆を深める。完璧な論理だと思わないか? 僕って頭いいでしょ?」
アフマドは満足げに微笑んでいる。ハディージャは眉間に深い皺を刻んだ。
「それって頭悪いわよ。私たちの関係性……今更、そんな花一輪で済むと思っているの? 私が言った『イニシアティブ』って、そういうことじゃないのよ!」
「え、違うのか? だって、啓典にも『愛は清廉なる心から』と……」
「やっぱり頭が悪いわ! どうしてそんな遠回りで、どうでもいい理屈に逃げるのよ」
ハディージャの声が震える。アフマドの「頭の良さ」と「愛の感性」の乖離が、彼女の神経を逆なでしていた。
「だって……だって、僕にとって君はあまりに大切すぎて、泥にまみれた手で軽々しく触れることすら、神聖なものを汚すような気がしたんだ。 だから、まずは花を……」
そこまで言って、アフマドは言葉を詰まらせた。彼は相変わらずハディージャの「身体的な渇望」までは理解できていない。ただ純粋に、彼なりの「敬意」を形にしようとしていたのだ。
ハディージャは、花を持つ彼の泥だらけの手を握りしめて強引に引き寄せた。彼が本当に「鈍感」なのか、それとも意図的に自分を焦らしているのか分からなかったからだ。
その直後、彼女は溜息をついて天を仰いだ。彼の鈍ささえも愛おしく、そして憎らしかった。
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さて、二人は街をあてもなく彷徨い続けていた。どこかにこの不気味な「理想郷」とは異なる、本物の魔族が潜んでいないかと探しながら。
「ねえ、アフマド。本当にこの計画でよかったのかしら? ただ歩き回るだけで……」
「他に手段がない以上、今はこれが最善だ。 まずは一歩から……それが僕の流儀だからね」
「……あんたのその『最初から』って、いつも議論が振り出しに戻るだけじゃない」
ハディージャは呆れを通り越して溜息を漏らす。結婚から時が経った今更、花一輪で愛を語り直そうとする彼の思考回路は、あまりに遠回りだった。
「何を言うんだ! トケイソウの花言葉は『命をかけた深い愛』だ。 愛の究極に達した今だからこそ、改めて誓い合うべきだろう?」
「知っているわよ! でもね、愛の告白っていうのは恋人同士の初期段階でするものよ。 結婚している今の私たちが、それを繰り返すことの意味を考えてみて!」
「……そうかな? 信仰の告白と同じで、愛も絶えず言語化し続けるべきじゃないのか?」
「あーもう! それは信仰の話でしょう。 結婚生活は言葉だけじゃないの。 あなた、朴念仁を通り越して頓珍漢になってるわよ!」
ハディージャが癇癪を爆発させた直後だった。二人の周囲を流れていた平穏な空気が、鋭い殺気によって切り裂かれた。
「……おい、人類の二人。情の交換なら、俺を混ぜろよ」
物陰から現れたのは、この街の「洗練された」住民たちとは明らかに異質な、粗野な気配を纏った魔族だった。飢えた獣のような視線が二人を射抜く。
「俺は魔族だ。お前たちの情の交換に割り込み、その『捧げもの』をたっぷり味わってやる」
その下品で直接的な物言いに、二人は即座に凍りついた。かつて自分たちが対峙してきた、容赦なく人間を家畜として食らう「典型的魔族」の姿が、そこにいたからだ。
アフマドは、目の前の男が放つ獲物を狙うような殺気と、ブーバル族特有の禍々しい風貌から、即座に正体を見抜いた。男はニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「そう、俺はテオンルライ・マーゼル。独立全権調査官だ」
「調査官……? 魔族が何を調べている」
「さあな。ただ、俺の腹を満たすには、この星の廃墟ばかりでは退屈すぎてな」
男の視線が、ハディージャの体へと露骨に這い回る。アフマドは彼がこの星系外から来た「荒事」専門の魔族であると確信した。
「……典型的な魔族だな。この領域の『洗練された』連中とは、人種が違う」
アフマドの冷めた分析に、テオンルライは眉をひそめて鼻を鳴らした。
「ほお、分かるのか? 小賢しい人類だな。お前たちがなぜ、こんなところでうろついているのか興味が湧いた」
「調査なら、この星の他の廃墟を見ればいいだろう……魔族同士の醜い内戦の結果は、どこも同じはずだ」
アフマドの指摘に、テオンルライは周囲を見渡し、吐き捨てるように言った。
「ああ、そうだな……全域が死の海だ。だが、この領域だけは違う……魔族が残存し、あろうことか人類を『保護』している。なぜだ? お前たちはここの連中に、どこかの植民地から拉致されてきたのか?」
アフマドは、彼が衛星軌道上の巨艦を「ここへ連れてくるための輸送手段」と誤認していることに気づいた。あえて訂正はせず、言葉を操る。
「……僕たちが保護されている、か……君の論理では、それは『本格的なごちそう』を保存しているということなんだろう?」
「食い物を粗末にはしないだろう? それが魔族の流儀だ」
テオンルライは舌なめずりをし、獲物を前にした捕食者の顔を見せた。
「……その結論、実に典型的な魔族ね。だが、少しばかり時代遅れかもしれないわ」
ハディージャが冷ややかに言い放つ。彼女の目には、この獣のような魔族さえも、この「管理された都市」においては異端であり、利用可能な駒に見えていた。
「ほお、そういうお前はいい女じゃねえか」
「そう、彼女はいい女だよ」
アフマドは平然とした表情でそう応じた。
「へえ、お前たち、互いを理解しているらしいな。そうか、番なんだな」
「番って?」
「番という字の通りさ....お前たちは下半身で組み合わさって一つになるんだろ?」
「そうさ……ただし、下半身じゃないよ、もっと深いところさ」
アフマドはそう言った。
「へえ、そうかい? それならこれから俺も混ぜろよ。それじゃあ、まずは、さっきまで二人は情をどうやって交換していたのかを教えてくれないか」
魔族のぶしつけな問いに、ハディージャは淡々とこたえた。
「情の交換? そんなもの、やっていないわよ」
「お前ら、二人とも下半身よりも深いところで組み合わさるんだろ? さっき、お前の連れ合いはそう言ったぞ」
「彼が? 彼が言ったのは、単に心でつながっているといいたいだけ……」
「何?」
「彼は、私の手はおろか、私のどこにも触れないのよ」
「な、なんだと……お前たちはこの星の家畜人類じゃあないのかよ。家畜人類なら、魔族をアイドルと崇めて、すぐに手を求めるはずじゃないのか? さらに親しい男女の間柄なら、手を取り合うだけじゃねえはず……手も触れないのに番とは笑わせる」
「肉体的な接触など矮小なこと! ぼ、僕は、そんな不謹慎なことはしないぞ。二人は、心でつながっているんだ」
アフマドがそう高らかに宣言した時、ハディージャは怒りあきれ、肩を震わせながらアフマドを睨みつけた。その様子を見ながら、テオンルライはバグを見るような生物的な嫌悪感を示した。
「なんだ? ここにはおかしな人類しか残っていないのか? わかった......それならそれで廃棄処分(捕食)するしかないな」
魔族はそう言うと、ハディージャにとびかかった。すかさずアフマドが、魔族男の勢いを止めずにそのままひっくり返した。
「こ、この野郎……お前、その女の連れ合いじゃないんだろ?」
「いや、連れ合いだよ、繋がっているんだから」
アフマドは、堂々とそのセリフを口にした。それを見ながら、ハディージャは小さくつぶやいた。
「……こういう時だけは、夫の顔をするのね」
「へえ、本当に番なのか? 手も繋げないのに結婚しているのか?」
テオンルライは、一瞬凍り付いたようにアフマドとハディージャを見つめた。
「おまえたち、夜になっても組み合わさっているわけでもなさそうだ。変だ……なんだ、それは? お前たちは俺の知っている人類なのか?」
テオンルライにとって、目の前の二人が見慣れた人類の姿をしていることすら不気味に感じ始めたのだった。
その時だった。どこからともなく、複数の警官たちが現れた。彼らは感情を一切排した事務的な口調で、同時に言葉を紡ぐ。
「監視対象の魔族を発見」
「監視対象の魔族をテオンルライ・マーゼルと識別」
「衛星軌道上の強硬偵察艦からの未許可上陸者と確認」
「皇帝陛下の庇護下にある人類への攻撃を確認。排除対象と認定」
「拘束を開始する」
警官たちが一斉に踏み込むと、テオンルライは先ほどまでの傲慢さを消し去り、必死の抵抗を試みた。
「お前ら、同じ魔族なのになぜ人類を庇護する! この星の連中は狂っているのか……俺は独立調査官だぞ、当然の行為をしているだけだ!」
テオンルライが解体用の刃物を振り回して叫ぶ。警官たちは表情一つ変えず、警棒を構えて包囲を縮めた。逃げ場を失ったテオンルライは警官の一人に捨て身の突撃を敢行し、火花を散らす激闘の末、その警官に深手を負わせた。
「監視対象による武装抵抗を確認」
「秩序の破壊者と認定!。排除の優先度を最大へ引き上げ」
「反逆者として逮捕状を請求」
警官たちは間髪入れず、男に向けて一斉に警棒を突き立てた。テオンルライは断末魔のような声を上げ、引き攣った動きのまま地面に崩れ落ちた。
「監視対象を無力化 確保、連行」
騒乱が収まると、テオンルライは担架に乗せられ引きずられていった。一方で、深手を負ったはずの警官は、その場に崩れ落ちると、仲間の警官たちに囲まれていた。
彼らは周囲に漏れ出した粘液状の体液や散乱する有機組織片にかまわず、損傷部位を部品交換でもするようにテキパキと修復していく。あろうことか、致命傷を負っていたはずの警官は、数秒もしないうちに立ち上がり、何事もなかったかのように警備の配置へ戻っていった。
「大丈夫ですか? 身体的損傷の有無、検分を許可願います」
警官の一人が無表情で歩み寄り、二人をスキャンするように視線を走らせる。呆然とする二人をよそに、アフマドは疑問をぶつけた。
「……先ほどのテオンルライという男、彼はどうなるんでしょう?」
「被疑者は直ちに起訴状作成、罪状認否、論告求刑、量刑判決の全工程を完了させます……その後、矯正施設へ収容……定期的に矯正の効果値を確認し、数値の最適化を図ります」
「あんな重傷を負っていたんですよ?」
「外傷は処理プロセスに影響しません」
「でも、被告人に負担がかかるでしょ? 裁判を受ける権利すら十分に……」
「当区画において『身体的負担』の概念は棄却されています。負傷は即座に治癒されるべき一時的エラーに過ぎません」
「……では、先ほど負傷した警官は?」
「既に治療を完了し、全機能の正常化を確認済みです」
アフマドとハディージャにとって、今までのやり取りは、対話ではなく、情報の単なる照会と応答とに過ぎなかった。
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争いのあった現場には、粘性の高い体液と、人知を超えた組織の断片が散乱していた。 アフマドとハディージャは、寮へと持ち帰ったそれらのサンプルを研究所の分析機器にかけた。かつて二人が学んだ「三日月の工学」、あるいは「叡智学院」で培った手法を総動員しての精密検査だった。
「見て。この液体に含まれる金属錯体の反応、異常だわ」
ハディージャの呟きに、アフマドはモニターの数値を見つめながら口元を緩めた。
「まさにハディージャそのものだねえ」
「どういう意味?」
「だって、内側にはコチコチの何かを抱えているためか、確固とした複雑系になっているし。化学的にも、君の性格的にもね」
「何よそれ、最低。変な例えはやめて」
ハディージャが毒づくのを無視して、アフマドは淡々と解説を続ける。
「真面目な話、スペクトルを解析してごらん。ポルフィリン構造の金属錯体だ。マグネシウム中心の配位ではなく、べつの異質な金属が中核にある。やっぱりコチコチの金属、鉄だ」
「鉄。たしかに鉄を確固として抱え込んだ構造を作りあげているわね」
ハディージャは不機嫌さを消し、分析画面に集中し始めた。
「そうだな。ただ、君はコチコチの鉄というより。コチコチの石を抱え込んでいるのは、どうにかしてほしいものだけど」
「それって石頭と言いたいわけ。石頭なのはどっちよ。でも、この鉄を含んだ組織構造なら、酸素を安定して運搬できるわ。なるほど、警官たちの活性化された自己修復機能の正体は、これなのね」
毒舌を交わしつつも、二人の思考は合致した。アフマドは軽口を止め、採取した組織の構成データに潜む「設計の意図」を読み解くべく、再び分析機器へと意識を没入させた。
「ええと。待って。この組織、有機多層膜による半導体構造だわよ。セルを構成する各層に薄い金属膜。これが電極ね」
アフマドが顕微鏡から顔を上げ、ハディージャが分析データの波形をなぞる。二人の思考が、パズルのピースを繋ぎ合わせるように加速していく。
「体表面一面に電極が配置されている。アフマド、これはドレイン電極よ」
「ということは、多層膜に電位差を負荷して、特定の物質を選択的に透過させる仕組みか。まるで細胞膜のポンプ構造だな」
「それだけじゃない。体表面には別の独立した電極群もあるわ」
二人は同時に顔を見合わせた。周囲に蔓延する目に見えない遠赤外線の海。その光景が、全く別の意味を持って脳裏に焼き付く。
「全方位アンテナか。この電極群は、外部からの信号を受信するためのものだ。それもおそらく遠赤外線だろうか」
「中央からの指示で駆動する、自律型のアンドロイド。じゃあ、この都市に溢れる魔族たちは、全員……」
ハディージャの言葉は最後まで紡がれることはなかった。二人は息を呑み、窓の外に広がるキャンパスへと視線を向けた。議論し、笑い、愛を語る魔族たち。これまで「生物」として見ていた彼らの姿が、今や冷徹なプログラムを実行する「部品」の群れにしか見えなかった。




