↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅の先にある食卓   作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/9

第五章 画面の式


 二十六歳の佐里は、ロンドンの商社、丸菱で働いていた。

 現地採用で入った職場の話を、娘は夕食を作りながらした。画面の向こうで玉ねぎを刻み、私たちの相槌を聞きながら、フライパンの火を弱めた。

「帰って働くことは、考えなかったのか」

 私はある晩、尋ねた。

「考えたよ」

「こっちでも、仕事はあるだろう」

「あると思う」

 娘は鍋の蓋を取った。

「でも、いまはここで働きたい」

 理由をさらに聞こうとしたとき、ダニエルが買い物袋を持って帰ってきた。二人は冷蔵庫へしまうものについて短く話した。私の質問は、その途中へ入れなくなった。

 結婚式へ行けないと決まったのは、感染症が世界中に広がった年だった。

 私は病院で、面会できない家族に電話をする毎日を送っていた。家族が来られないことには、十分な理由がある。十分な理由があっても、病室で待つ人の寂しさは減らなかった。

「延期する?」

 知恵が聞いた。

「いつまで?」

 佐里が答えた。

 妻は黙った。

「お母さんたちに、来てほしかったよ。でも、いつ来られるか誰にもわからないなら」

「うん」

「ここで、二人で始めたい」

 式の日、私たちは居間のテーブルにパソコンを置いた。百合が画面の位置を調整し、駿介が音声を確かめた。知恵は花を飾ったが、高すぎて私の顔が隠れた。

「お父さん、花の後ろにいる」

 佐里が笑った。

「見えているか」

「花はよく見える」

 ロンドンのシティホールは、思っていたより小さな部屋だった。ダニエルの両親が立ち、佐里は淡い色の服を着ていた。画面の隅には、こちらの居間が小さく映っている。

 宣誓が始まると、通信が一度止まった。娘は口を少し開けたところで動かなくなった。

「聞こえない」

 知恵が言った。

 駿介が手を伸ばしかけ、百合が止めた。

「触らないで。戻るから」

 数秒後、娘の声が戻った。何を約束したのか、聞き取れなかった部分があった。私はそれを佐里に尋ねなかった。

 式のあと、ダニエルが画面に近づいた。

「ありがとうございます」

 それから英語で、佐里と一緒に暮らせることが嬉しい、と言った。娘が日本語にし始めたが、私はうなずいた。

「わかる。大丈夫だ」

 私のほうが何か言わなければならなかった。

「佐里は……」

 昔、学校へ行けなかったことを思い浮かべた。言うべきではないとわかっていても、そこを越えた娘の姿を説明したかった。

「お父さん」

 佐里が言った。

「うん」

「いまの私の話をしてね」

 娘の声は静かだった。責められたとは思わなかった。しかし、手元に用意していたものが何も使えなくなった。

「二人の暮らしを、大事にしてほしい」

 それだけ言った。娘が英語にした。ダニエルはまっすぐこちらを見て、返事をした。

 画面を閉じたあと、知恵は花瓶の水を替えた。

「帰ってくるかもしれないって、まだ思ってた?」

「いつでも帰れる家は、必要だろう」

「それは必要。でも、帰ってくるのを待つ家とは、少し違うわね」

 私はネクタイを外した。映像では見えなかったが、式の間ずっと、足には普段のスリッパを履いていた。

 父へ電話をすると、結婚式は終わったか、と聞かれた。

「終わった。いい式だった」

「そうか」

「遠いな」

 思わず言った。

「イギリスは遠い」

「国の話じゃないんだけど」

 父はすぐには答えなかった。

「近くにいても、わからんことはある」

 私は電話を持ち替えた。父の声の後ろで、いつもの時計が鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。