第一章 診察室の奥
祖母の家には、玄関が二つあった。
一つは患者のための玄関で、磨かれた床に消毒液の匂いがした。もう一つは裏庭に面していて、そこにはいつも母のサンダルと、私の泥のついた靴が並んでいた。父の靴は、どちらにもあった。
祖母の彩音は、町で内科と小児科を開業していた。白衣の袖を折り、泣く子供の胸に聴診器を当てるときも、声を甘くしなかった。
「泣いていても聞こえるよ。息はしているんだから」
子供はそれでいっそう泣き、祖母は構わず診察を続けた。診察が終わると、引き出しから小さな飴を出した。
祖母には夫がいなかった。父はその祖母の養子だった。
それを知った日の記憶はない。家に祖父がいないことも、仏壇の写真の中に祖父らしい人がいないことも、私には初めからそういうものだった。友達の家で、父親と祖父が野球の話をしているのを見ると、親戚が遊びに来ているのだと思った。
「うちのおじいちゃんは、どこにいるの」
小学校に入ったころ、夕食の席で尋ねた。
父は魚の骨を外していた。母の香織が汁椀を置き、祖母は箸を止めなかった。
「いないよ」
祖母が言った。
「死んだの」
「初めからいない」
「じゃあ、お父さんはどこから来たの」
父の指先に、細い骨がついていた。
「別の家からだ」
「どうして」
「ここで暮らすことになったから」
母が、魚をよく噛んで、と言った。私はまだ聞きたかったが、父が骨を皿の端に置いたので、その話は終わったのだとわかった。
敏夫は内科医になり、彩音の診療所で働いた。香織はそこで看護師をしていた。患者は父を若先生と呼び、祖母を先生と呼んだ。父は四十を過ぎても若先生だった。
私は落ち着きのない子供だった。通知表の最後には、毎学期ほとんど同じことが書かれた。授業中に窓の外を見る。人の話が終わる前に口を出す。じっと座っていられない。
「患者だったら、何の病気だと思う」
ある晩、私は通知表を父の前に置いて尋ねた。
「病気にするな」
父はそう言ってから、紙を読んだ。
「お父さんも、落ち着きがなかった?」
「覚えていない」
「子供のころのことを?」
「忙しかったんだろう」
「子供なのに?」
父は通知表を閉じた。
「おまえは、まず人の話を最後まで聞け」
私は、その答えに腹を立てた。いまなら父が、自分の幼年時代について、何をどこまで話してよいのかわからなかったのではないかと思う。しかし当時の私には、父は答えを知っていて隠す人だった。
駿河台付属学園の小学校と中学校に通い、高校受験で失敗した。同級生が新しい制服を着る春、私は以前の制服のまま予備校へ行った。
「一年くらい、どうということはない」
父が言った。
「自分のことじゃないから、そう言えるんだよ」
父の顔が固くなった。母が台所から出てきたが、私たちの間に置く言葉はなかった。
予備校はYMCAの系統だった。廊下の窓際に聖書が置かれ、朝の短い集まりで教師が文章を読んだ。私は信仰よりも、そこでは浪人したことを毎日説明しなくてよいのが好きだった。
ある日、教師が「艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出す」と読んだ。
「先生」
「何ですか、柊君」
「じゃあ、苦労したら必ず希望ができるんですか」
教師は聖書を閉じなかった。
「必ず、と言われたい?」
「そう書いてあります」
「いまの君には、苦労している時間が無駄にしか思えないのかな」
私はうなずいた。
「それなら、無駄ではないと考えてみるところからでいいでしょう」
答えになっていない、と思った。それでも、その日の文章だけは忘れなかった。
大学受験でも一年を余分に使い、私は医学部へ入った。合格を告げると、父は「そうか」と言って立ち上がり、居間の棚を開けた。そこから、使い込んだ聴診器を出した。
「これ、まだ使える」
「新しいのを買うよ」
「そうだな」
父は棚へ戻そうとした。
「置いといて」
私は言った。
「いるのか?」
「いちおう」
父は聴診器をテーブルの上に置いた。ゴム管は少し硬くなっていた。私は触らず、父もそれ以上何も言わなかった。
あのとき父が何を渡そうとしていたのかを考えるようになるまで、ずいぶんかかった。




