【親御さんへ】子どもが発達かもと思ったら
実子が発達かもしれない。でも、自分の子どもに限ってそんなわけない。そう信じたい親御さんは多いです。でもその思いを貫くと、子どもがとんでもない目に遭うかもしれません。療育に行けなかった人間の、切なる声です。耳が痛い内容になっています。
こんにちは、みほしです!見に来てくれて、ありがとうございます!おかえりなさい、お茶どうぞ!自分の子どもが発達かも…と思っている親御さん。申し訳ないってほどに厳しいことを書かせていただきます。発達と勘付いていたものの放置されて育ち、療育に行けないまま二次障害を抱えて生きる当事者の生の声です。
親だからこそわかる違和感は、おそらくあります。一人っ子だったとしても、なんかおかしいなと思うタイミングはあるはずです。それから、複数人お子さんを育てている方。一人だけおかしいとなると、違和感を持たずにはいられないんじゃないでしょうか。
・目が合わない
・会話が成り立たない
・あまりにも人見知りが激しい
・全然友達を作ろうとせず、ずっと一人で遊んでいる
・全く園や学校に慣れないまま、1年終わった
・こだわりが強く、指示は通らない
・勉強させても集中力が続かず、成績も想像以上に伸びないなど
自分と明らかに違うとわかっているのであれば、なんらかの発達障害を疑うかもしれません。疑っているなら、相談しに行った方がいい。学校や幼稚園、保育園にお子さんが通っているのであれば、先生に相談してみてください。先生も違和感を持っている場合、専門機関につないでくれる可能性があります。
本当は信じたくない。自分の子どもが障害者だなんて、受け入れがたい。絶対嘘であってほしいし、うちの子に限ってって思うかもしれません。私はそう信じ切って押し切られてそのまま育った子どもの立場なので、信じる力だけでは何も解決しないのを知っています。
ごめんね。耳が痛いことと厳しいことを言います。発達障害って、一生治らない。手術でも薬でも、現段階では緩和はあっても完治はないです。ごまかせると思ってるかもしれませんが、一切誤魔化しは利きません。
今なんとかなってても、子どもが成長するにつれて健常児との差は開くばかり。子どもはそれを身をもって体験し、絶望し、劣等感を持ち、友達もできないまま生きていきます。
なんでもない顔をして帰ってくるかもしれない。問題ないんだって思うかもしれない。そう思いたい。でもそれは、子どもがただ我慢してるだけ。無言で拷問に耐えている状態です。
なんで親に言わないのって思うかもしれません。言わないってことは、親に心配をかけたくないか、この親に言っても駄目だと思って既に諦めてるかのどっちかです。
信じたくない気持ちを持つのは、多分悪い事ではないんだと思います。でもそれを子どもに押し付けて、「大丈夫だもんね」「男の子はやんちゃな方がいい」「女の子は抜けてる方がいい」ってこじつけで頑張ろうとするのは親の傲慢です。頑張ってるのは親ではなく子ども。一人で戦って、耐え抜いてます。
特に思春期以降の学校生活は、療育に行っていないとひたすらに地獄です。健常児の内面は徐々に大人に近づき、中学生では勉強ができる子ができない子を見下すような図が出来上がりやすくなります。仮にここで発達の子がめちゃくちゃ勉強できて、周囲を見下していたとします。中学生の内はそれでいいかもしれません。
高校以降の学生生活は、勉強だけがすべてではなくなります。その人の人間性や性格、目指す夢や就職など、より具体的なことを話すことも増えやすいです。こういった人と人とのつながりを重要視する段階になると、人間関係の構築が上手くいきません。
勉強ができていたという経験を握りしめて人を見下してきた発達の人は、その部分しか手持ちカードがないのでそこに固執し、なにかと勉学のことを引き合いに出し、相手を見下す。当然友達はできず、就職先でも只者ではない面倒で頭の固い、使えない人になります。
私のように勉強できる部分とできない部分の凹凸が大きかった場合、特性を活かせる場所に落ち着けないと、ずっと変人扱いです。そこに落ち着いたとしても、そこの人間関係が永続するわけではない。就職した先で人間関係が上手く構築できず、覚えなければならないことが多すぎてパンクし、いじめの対象になるルートが濃厚です。
健常者と発達障害の人は、はっきり言って、人数が多い脳の性質の人が健常、少数派が発達となります。大多数の中に考え方が異なる人間が入ると、迷惑だと感じる人が多いです。
朱に交われば赤くなる。これは健常者にしか通用しません。発達の人間は、朱に交わっても赤くならないんです。
そこで重要になるのが、療育での経験。考え方の幅を広げ、発達の人の思考回路などを柔軟にし、さまざまな対処方法を身につける場になります。子どもの頃にそれを経験することで、健常者とのかかわり方も柔軟になり、友達もできやすくなるかもしれない。自己肯定感だって、底辺とはならないかもしれない。
療育には、その子がこれからの人生を明るく歩んでいける「かもしれない」が、ふんだんに盛り込まれている。これを親のエゴで潰されてしまうと、可能性が潰れたままになるので、私のように適切な診断が下されないまま大人になり、鬱だなんだと二次障害を多く抱え、寝込み、友達もできずという状況になる可能性があります。
親の命は一生ではありません。なにもなく健康に生きて行けば、親の方が先に人生の幕を閉じます。こうなったとき、発達を持つ我が子が、仕事をし、人との良好なつながりを持ち、適切に医療にかかることができるよう準備してあげる。これは大きな愛情です。そのためにも、私は強く強く療育を勧めるのです。
我が子が発達かもと悩む親御さん。まず検査を受けに行ってください。悩んでいても、なにもよくなりません。このままです。発達だったら療育に行けばいい。絶望だけが広がるわけじゃないんです。専門知識を持つスタッフに悩みを打ち明け、話をすることで、親の気持ちもきっと軽くなると思います。
そのままにするのが一番よくない。これだけは断言できます。二次障害の鬱も、申し訳ないけど治りません。発達だけじゃなくて鬱まで抱えてしまうと、生きにくくて仕方ない。大事なお子さんにこのルートの人生を歩ませないためにも、違和感があったら検査に行ってくださいね。
どうか親子の未来が明るくなりますように。
療育に行けずに大人になった人間からの、切なる願いを込めて。
みほし ゆうせい
発達障害だったとしても、いじめの未来が待っていて、社会に適合できない人間になるとは限りません。必ず二次障害になるわけでもない。そうならないためにも、どう行動すべきか。子どものことを第一に考えて行動していただければと思います。




