選択肢を広げる多角的思考を身に着けたきっかけ.
発達持ち、とりわけアスペは、自分の思考の幅を広げるのが苦手です。療育に行っていない私が多角的思考を身に着けたきっかけは、高校時代の先生が言った一言でした。
こんにちは、みほしです。見に来てくれて、ありがとうございます!おかえりなさい、お茶どうぞ。発達持ち、とりわけアスペは、自分の思考の選択肢を広げるのがあまり得意ではありません。私が視野を広げるきっかけになったのは、高校生の先生が言っていた「○○かもしれん」という考え方です。
この、いろいろな意味を含む「○○かもしれない」という言葉。非常に便利ですね。だからこそ、使い方を間違えると相当痛い目に遭います。
「○○かもしれない」という考え方ですが、多角的な思考というものになるはずです。私が小学校4年くらいのときに母親はこれを身につけさせようと、消しゴムを使って相当必死に懇々と話をしてました。
当時の私はそれを理解するわけもなく、学校で流行ってた消しゴムハンコの話がしたくて仕方ないので、聞く耳持たず。練り消しも流行ってたので、消しゴムを多角的に見る話なんてしてる場合じゃなかった。消しゴムが消しゴムでしかない。それ以外のなにものでもありません。
常々エッセイで書いてますが、発達当事者の子どもを育てる親御さんには、ぜひ外部を頼ってほしい。頼れる所を見つけて、発達持ちのお子さんをどんどん外に出してあげてほしいのです。そこでなければ得られない気づきが必ずあり、親子だからこそ伝わらないこともあります。
私の場合、多角的思考の習得がまさにそれでした。
中学校の頃の先生とは、誰一人として安定した関係が構築できず、3年間ずっと宙ぶらりんの精神状態でした。先生が嫌いなんじゃなくて、好きは好きだけど信用はしていない状態。
やんちゃな生徒を贔屓する風潮がある学校だったので、地味で自己主張をほとんどしない、いわゆる"手のかからない隠れとんちんかん"は見過ごされがちでした。
中学時代いじめられていた経緯もあり、特別仲が良かった人も少なく、クラスも別。どこを頼っていいかわからないし、頼り先を間違うと勉強できないと見下されと、中学時代は散々でした。
そんな中学時代を経て入学した高校ですが、高校って全員の学力が近いうえ、家庭内事情が割と複雑な人が多かった。男女ともにそうで、喧嘩くらいやらないとやっていけねぇし、ギャルくらいやんないと割に合わないって感じの苦労人集団でした。
荒れてる人やギャルは中身が真っ二つで、ただのチャランポランか、相当複雑な事情を抱えているかの両極端。私が大変お世話になったのは、担任と苦労人ギャルです。
担任は3年間同じ先生のお世話になりました。体育の先生で、ヤクザの詰所みたいな体育教官室を根城にしてる先生でした。そんな体育の先生たちに大変可愛がっていただき、人生で一番ちやほやしてもらった思い出があります。
体育教官室で担任や他の体育の先生と話してるとき、「みほしはいい子なんにもったいない。もっと"こうかもしれん"って考えを持てばいい」と言われたんです。
ここで大事だったのが、「いい子なのに」というワンフレーズです。
今まで「普通になりなさい」「なんでできないの」と腐るほど言われてきたけど、「いい子」とは言われなかった。小学校進学以降、私は圧倒的劣等生だったのです。それがあまりにも長期間続いた。勉強にスポッライトを当てて話されてたため、私はただのできない人間として扱われてきました。
高校生。15歳になって言われた、「いい子」というフレーズがどうしようもなく嬉しかった。この人たちは私を見てくれる、話しを聞いてくれると確信できた。だから先生が言った「こうかもしれん」という思考を持つ提案を、いともあっさり飲んだ。
「こうかもしれん」という考え方を握りしめて世界を見てみると、すべてが変わって見えたました。いろんなものが見えてきたんです。人間が変わるきっかけは、言葉一つですね。
この思考を身に着けて周囲を見渡すと、苦労人ギャルとの会話も弾みました。苦労人喧嘩上等マンとも、話は進みました(酒と異性関連の話しです……)。
色んな人がいる。苦労してる人はいっぱいいて、相手の話を聞くことで自分の中で発見がある。多角的思考を身に着けると、人は外見ではないという言葉の意味がしっかり頭に入ってきました。
それと同時に、真面目そうに見えて結構ずるこいことをしてる人も見えてきたんです。
人を見て、この人なら迷惑をかけてもいいと勝手に思い、おとなしそうな人にマウントを取って面倒事を押し付ける人。特に親しくないのに期待を込めて他人を頼り、自分の希望に沿わないと腹を立てる人。
こういう人を見て、「なんでなんだろう」と考えつつ「かもしれない」も含めて考える。そうすると、見る見るうちに時間が溶けていく。
自分にもこういう面があったかもと、己を俯瞰するきっかけになった。この辺から、私が書くものの内容がほのかに変わってきたのかもしれません。
きっかけはいろいろなところにある。でも親子では得られないものもあります。当事者の年齢や交友関係、タイミングなども、視野を広げるには深く関わってくるはずです。多角的思考は、身に着けた方がいい。でも、焦って身につけさせようとすると、失敗するかもしれません。
外部の人や機関なども頼り、いろいろな発見と学びが得られるようなきっかけ作りをすることも、非常に重要になります。
今回は、この辺で。
猛者の皆さんに、1つでも多くいいことがありますように。
明日も朗らかに晴れますように。
みほし ゆうせい
家族では得ることができない経験を通して、新しい発見をする。これは非常に大切なことです。また、発達持ちの人そのものを丸ごと受け止めてあげる、存在そのものを最初から否定しないというのも、とても大切になります。全てはタイミング。いろいろ刺激を与え、なんだか手ごたえがない場合、発達当事者がそれを得るタイミングではないのかもしれません。
多角的思考取得のタイミングは、やはりある程度早い方がいい。何度でも書きます。療育に行くのがおそらく最善です。




