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亡国の嘘姫は、処刑台で本物になる  作者: 井芹蒼


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2/22

第2話 偽物を殺せない敵

「だから聞く。偽物の姫。お前は、誰のために嘘を吐いた」


 カイルの剣は下がっていた。


 けれど、処刑台の下では剣が増えていた。煙の残る広場で、反乱兵たちが半円を作り、リーゼを囲んでいる。燃え落ちた旗の灰が白い石に散り、逃げ遅れた人々の咳だけが、まだあちこちで聞こえた。


 マルタは子を抱いたまま、噴水から離れた石柱の陰にいた。


 トルは杖をなくした足で立っていた。


 それだけで、リーゼは答えをひとつ持っていた。


 けれど、それを口にしてはいけない気がした。


 民のため、と言えば王女の嘘になる。


 自分のため、と言えば、死んでいない人々まで嘘に巻き込む。


 リーゼは唇を開いた。


「……燃えると、わかりました」


「答えになっていない」


「答えられる身分ではありません」


 反乱兵のひとりが吐き捨てた。


「身分? 偽物が身分を語るのか」


「殺せ、カイル。そいつが偽物なら、王家は処刑まで偽った。広場で首を落とせば証になる」


「逆だ」


 カイルが短く言った。


 兵たちの声が止まる。


「こいつを今殺せば、証が消える。本物の王女がいつ消えたのか。誰がこいつを台に上げたのか。誰が東門に火を置いたのか。全部、こいつの首と一緒に落ちる」


「王女の顔をした嘘つきだぞ」


「だから生かす」


 カイルはリーゼの肩を押した。助ける手ではなかった。逃げ道を奪う手だった。


「嘘は尋問できる。死体はできない」


 リーゼは、自分が救われていないことを理解した。


 保存されている。


 証拠として。


 それでも、剣が首に戻らなかったことだけが、次の息を許した。


 広場の西側では、反乱兵が生き残った者を路地へ誘導していた。石畳に座り込む者、咳き込む者、家族を探して叫ぶ者。さっきまで王女を殺せと叫んでいた人々が、今は水と布を求めていた。


 説明している暇はない。


 リーゼは、煙の向こうで一人の男が引きずられてくるのを見た。


 灰色の外套。焦げた袖。胸には王宮記録局の小さな留め具。王党派の兵ではない。だが王宮の人間だ。


 反乱兵が男の髪を掴んだ。


「こいつ、東門の裏にいた。王宮の書記だ」


「火をつけたのか」


「違う、私は命令書を運んだだけで――」


 その一言で、槍の穂先が男の喉に寄った。


 リーゼは一歩踏み出した。


 カイルの手が肩に食い込む。


「動くな」


「その人を殺してはいけません」


「お前が決めることではない」


「王女として命じます」


 言った瞬間、広場の空気が変わった。


 反乱兵の何人かが笑った。何人かが唾を吐いた。カイルの目が、さらに冷たくなる。


 リーゼは自分でもわかっていた。


 さっきまで偽物だと暴かれた口で、また王女を名乗った。


 もう、ただ巻き込まれただけではない。


 自分で嘘を選んだ。


「その男は処刑人ではありません。王宮記録局の下級書記です。命令書を運ぶ者は、命令を作る者ではない。殺せば、誰の命令だったかが消えます」


「なぜそんなことを知っている」


 カイルが問うた。


 リーゼは答えられなかった。


 王女のそばに立つ影武者は、宮廷の服だけでなく、役人の留め具も覚えさせられる。誰に微笑めば扉が開くか。誰を無視すれば、あとで命令書が遅れるか。誰が本当に権限を持たず、誰が持っているふりをしているか。


 それは王女の知識ではない。


 王女を演じるための知識だった。


 槍を構えた兵が苛立って叫んだ。


「ならこいつに言わせればいい!」


 書記は震えながら懐に手を入れた。


 カイルが剣を上げる。


「手を出すな」


「違います」


 リーゼは叫んだ。


「懐ではありません。袖の内側です。記録局は命令書を袖筒に入れます。懐に手を入れるなら、そこには別のものがある」


 書記の顔から血の気が引いた。


 反乱兵が彼の手首を捻り上げる。懐から落ちたのは、小さな封蝋の欠片だった。王家の百合紋。割れている。


 カイルがそれを拾った。


「読めるか」


 リーゼは、王女の顔で頷いた。


 封蝋の裏に、細い羊皮紙が貼りついていた。燃え残りだ。文字は半分しか残っていない。


 ――広場、火、証人、処理。


 リーゼの喉が狭くなる。


 書記は震えながら首を振った。


「違う。私は、私は台帳を持って来いと言われただけです。命令書は上から来た。私は封を見ただけで、中身は」


「上とは誰だ」


 カイルが問う。


 書記はリーゼを見た。


 そして、さらに顔を歪めた。


「……影の姫様」


 その名ではなかったが、意味は同じだった。


 リーゼは一瞬、息を止めた。


 カイルの視線が刺さる。


「知り合いか」


「いいえ」


 嘘だった。


 書記の顔を、リーゼは知っている。王宮の廊下で、彼は何度も彼女に目を伏せた。王女には膝をつき、影武者には書類の山を押しつけた男だった。


 書記も、彼女を知っていた。


 その沈黙が、リーゼを裏切った。


 カイルは何も言わなかった。


 何も言わないまま、書記の前に立つ兵の槍を手で押し下げた。


 それは信頼ではない。


 処刑の延期だった。


「こいつも生かす。話を聞く」


「王宮の犬をかばうのか」


「犬が吠えれば、飼い主がわかる」


 書記はその場に崩れた。


 リーゼは安堵する暇もなかった。


 路地の入口から、白い布を腕に巻いた者たちが入ってきた。三人。担架を持ち、灰を避けるように歩いてくる。王都では、火災後に負傷者を運ぶ者が白布を巻く。だから反乱兵たちは道を開けた。


 リーゼも最初は、そう見た。


 けれど、二歩目で違和感があった。


 白布の結び目が、右にある。


 王宮の弔事と救護では、結び目は左に落とす。右に結ぶのは、喪に服す者ではない。剣を抜く時に邪魔にならない者だ。


 さらに、靴がきれいだった。


 煙と水で汚れた広場に入ってきたのに、三人の靴底には灰が薄い。遠くから負傷者を運んできた足ではない。近くで待っていた足だ。


 リーゼはカイルを見た。


「その人たちを近づけないで」


「今度は何だ」


「白布の結びが逆です。靴が汚れていません」


 カイルは動かなかった。


 彼の目はリーゼを疑っていた。今この場で、偽物の姫がまた嘘を足しているのかを量っていた。


 白布の一人が担架を下ろした。


 その手が、布の下へ入る。


 リーゼは叫んだ。


「書記を伏せさせて!」


 カイルが動いた。


 リーゼを信じたのではない。


 彼は、彼女が指した手を見た。


 布の下から短い刃が出る。カイルの剣がそれを弾いた。金属音が路地に跳ね、反乱兵が遅れて槍を向ける。


 白布の男たちは散った。


 一人はカイルに押さえ込まれた。もう一人は反乱兵に腕を取られた。三人目は担架を蹴り倒し、煙の残る路地へ逃げる。


「追うな!」


 リーゼは叫んだ。


 また王女の声だった。


 反乱兵の足が止まる。


 カイルが振り向いた。


「なぜだ」


「路地は一本ではありません。逃げた者を追えば、残った負傷者が開いたままになります。ここにいる人を守って。書記を囲んで。白布の者をほどいて、手を見るのです。薬草の匂いがなければ救護ではありません」


 反乱兵の一人が、憎々しげに舌打ちした。


 それでも彼は書記の前に立った。


 別の兵が、負傷者を壁際へ下げた。


 マルタが子を抱いたまま、近くの少女を自分の背へ隠した。


 誰もリーゼを褒めなかった。


 誰も、彼女を姫と呼ばなかった。


 けれど、人が動いた。


 それが、恐ろしいほど胸に残った。


 捕らえられた白布の男は、口を閉ざしていた。カイルが腕を捻ると、袖口から細い紙筒が落ちた。


 王家の百合紋。


 さっきの封蝋と同じだった。


 反乱兵が怒鳴る。


「王女の命令か」


「違う」


 リーゼは反射で言った。


 カイルの目が彼女へ戻る。


「なぜ言い切れる」


 言い切れるはずがなかった。


 本物のエルヴィアがどこにいるのか、リーゼは知らない。王女が逃げたのか、逃がされたのか、裏切ったのか、裏切られたのかも知らない。


 それでも、目の前の紙筒をエルヴィアの罪として閉じてしまえば、また誰かが死ぬ。


 リーゼは唇を噛んだ。


「言い切れません」


 初めて、王女の声ではなかった。


「けれど、読まずに殺せば、真実は増えません」


 カイルは紙筒を開いた。


 中には短い命令書が入っていた。


 ――広場後、偽物と記録局の者を処理。王女エルヴィアの名において。


 路地が静かになった。


 反乱兵の殺意が、またリーゼへ向く。


 偽物。


 その文字が、彼女の喉を締めた。


 命令書は彼女を知っている。彼女の存在を知っている誰かが、彼女を消そうとしている。


 書記が小さく呻いた。


「私は、そんな命令を見ていない。王女殿下の封だった。でも、これは……」


「黙れ」


 カイルが言った。


 声は低いが、書記を殺す声ではなかった。余計な言葉で自分を殺すな、という声だった。


 その時、マルタの子が泣いた。


 泣き声に紛れて、小さなものがリーゼの足元へ転がってきた。


 焼け焦げた布玉だった。


 リーゼはそれを見下ろす。王宮で使う香袋に似ていた。だが、灰にまみれた布の縫い目に、細い銀糸が一本だけ残っている。


 エルヴィアの私物だ。


 幼い頃の王女は、手紙を香袋に隠す癖があった。影武者はその癖まで覚えさせられた。笑い方も、筆跡も、隠し癖も。


 リーゼは鎖の残った手で布を裂いた。


 中から、小さく折られた紙が出た。


 字は短かった。


 けれど、リーゼが何百回もなぞらされた本物の字だった。


 ――私の名で出された暗殺命令を信じないで。


 リーゼは息を忘れた。


 カイルが紙を奪うように取った。


 彼も読んだ。


 反乱兵も、書記も、マルタも、誰も声を出さない。


 命令書には、エルヴィアの名がある。


 警告にも、エルヴィアの字がある。


 どちらかが嘘なのか。


 どちらも嘘なのか。


 それとも、本物の王女は、嘘の中からまだ誰かを動かそうとしているのか。


 カイルは紙を握り潰さなかった。


 それだけで、リーゼは彼が結論を出していないと知った。


 彼はリーゼを見た。


「偽物」


 今度の声は、処刑台の時より静かだった。


「お前は、これも読めるんだな」


 リーゼは答えなかった。


 答えれば、また証拠になる。


 答えなくても、もう証拠だった。


 カイルは命令書と小さな警告文を、別々の手に持った。


「なら死ぬな。少なくとも、俺がどちらの嘘を斬るか決めるまでは」


 それは救いではなかった。


 判決の延期だった。


 けれどリーゼは、煙の中でまだ生きていた。


 そして、エルヴィアもまた、どこかで生きているかもしれなかった。

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