第4話 ただのおもらし
目を覚ますと、部屋の中は明るかった。
枕元に置いたスマホを見ると午後一時十八分。
朝に寝たのだから、寝過ぎというほどではない。
それでも身体は重く、頭もぼんやりしていた。
昨夜のことを思い出す。
倉庫荒らし。
三人の能力者。
突然動いた水。
警察。
替えの下着がなくて、ノーパンのまま電車に乗ったこと。
……最後の記憶だけ消せないだろうか。
布団の中で少しだけ現実逃避していると、スマホが震えた。
見れば画面には、ギルド支部の名前が表示されている。
嫌な予感がした。
倉庫の仕事をクビになったのだろうか。
初日から商品棚を倒したのだから、十分あり得る。
「もしもし、霧島です」
『お休みのところ失礼します。異能者ギルドの受付です』
聞き覚えのある声だ。たしか登録した時に対応してくれた女性だ。
『昨夜の倉庫での件について、確認とご連絡があります』
「はい」
やっぱりクビかもしれない。
『まず、昨夜侵入した三名ですが、全員、警察が行方を追っていた指名手配犯でした』
「……指名手配?」
『窃盗と強盗傷害を繰り返していた低ランク能力者のグループです。これまでにも複数の倉庫や店舗を荒らしていたようですね』
そんな人たちだったのか。
普通の倉庫荒らしなら安心というわけではないけれど、思っていたよりも危ない相手だったらしい。
『三名とも生存した状態で確保され、身柄はすでに警察へ引き渡されています』
「生きていて良かったです」
思わず本音が出た。
『はい?』
「いえ、何でもないです」
倒した本人が言うことではない気もする。
もっとも、私が倒したという実感はほとんどなかった。
漏らした。
水が動いた。
気づいたら倒れていた。
順番に並べても、意味が分からない。
『今回の件は、正当防衛と判断されています。倉庫側からも、霧島さんに責任を求める意思はないとのことです』
「仕事はどうなりますか?」
『倉庫側からは、しばらく現場を閉鎖して警備体制を見直すと連絡がありました。そのため、昨夜の案件はいったん終了となります』
やっぱり仕事はなくなった。
クビとは少し違うけれど、結果は同じだった。
『ただし』
受付の女性が続ける。
『今回、指名手配犯三名を確保したことで、報奨金が支給されます』
「報奨金?」
『能力犯罪者の中には、警察や自治体から情報提供料や確保報奨金が設定されている者がいます。ギルド登録者が任務中、正当な理由によって対象者を確保した場合、ギルドを通して支給される制度です』
そんな制度があることすら知らなかった。
登録時にもらった説明書には書いてあったのかもしれないが、細かい文字が多かったので、ほとんど読んでいない。
『今回の三名には、それぞれ十万円の報奨金が設定されていました』
「じゅ、十万円…!」
『三名ですので、合計三十万円です』
「さ、さんじゅう……!」
思わず起き上がった。
『必要な手数料を差し引いた金額が、ご登録の口座へ振り込まれます。早ければ数営業日以内ですね』
三十万円。
コンビニで働いていた時の給料なら、かなり大きい。
家へ入れている生活費を払っても余る。
先月我慢した服も買える。
限定ガチャも引ける。
予約を迷っていたアニメの限定版も買える。
三十万円。
「本当に、私がもらっていいんですか?」
『確保したのは霧島さんですから』
確保したというより、気づいたら倒れていただけなのだけれど。
そこは言わない方がいい気がした。
『また、今回の実績によりギルド内評価が上がります。今後は、これまでより条件の良い案件を紹介できる可能性があります』
「条件の良い案件」
『はい。現時点では能力の再現性が確認できていませんので、戦闘を前提とした案件は難しいですが、危険手当のつく警備や運搬補助などは候補に入ります』
危険手当。
三十万円。
少しだけ魅力的に聞こえる。
でも、昨夜の男たちの顔を思い出した。
囲まれた時の恐怖。
腕を掴まれた痛み。
服の中へ広がっていった生温かい感覚。
やっぱり嫌だった。
「普通の仕事はないんですか?」
『あります。ただ、今回の評価は能力犯罪者への対処実績として記録されますので、紹介される案件の傾向は多少変わると思います』
「そうですか」
せっかく評価が上がったのに、全然うれしくない方向へ進んでいる。
『一度、能力の詳細検査を受けることをお勧めします』
「管理局には、調査対象外と言われました」
『管理局が行わないのであれば、ギルドの簡易検査施設を利用できます。ただし、能力の発動が再現できることが条件になります』
再現。
一番困る言葉だった。
「少し考えます」
『分かりました。報奨金の手続きについては、改めて通知をお送りします』
電話を切るとスマホの画面を見つめた。
三十万円。
うれしい。
ものすごくうれしい。
ただ、もう一度あんな目に遭いたいとは思わない。
そもそも昨夜の能力が、次も発動する保証はない。
危険な仕事に行って、ただ漏らしただけで終わったらどうするのだろう。
考えただけで怖い。
せめて、自分の能力が何なのかくらいは確認しておいた方がいい。
布団から出た。
よし、検証しよう。
そう決めたところで、最初の問題に気づいた。
どうやって?
昨夜は、男たちに囲まれて恐怖を感じた。
腕を掴まれた。
そのあと急に尿意が来て……漏らした。
そして水が動いた。
順番だけ見れば、おもらしをすれば発動するように思える。でも、普通にトイレで用を足しただけでは、おもらしとは言わない。
そもそもトイレで試したら、能力が発動したのか普通に排尿しただけなのか分からなくなる。
「……部屋でやる?」
自分で口にして、嫌になった。
二十二歳にもなって、自分の部屋で意図的に漏らす。
何をしているのだろう。
しかも失敗したら、ただのおもらしだ。
成功しても、おもらしであることに変わりはない。
どちらへ進んでも、おもらししかない。
私はしばらく悩んだ。
風呂場で試すことも考えた。
でも、風呂場だと失敗しても被害が少ない。
被害が少ないのは良いことのはずなのに、それだと緊張感が足りない気がする。
昨夜は本当に追い詰められていた。
もしかすると、能力には恐怖や危機感が必要なのかもしれない。
だからといって、もう一度犯罪者に囲まれるわけにはいかない。
最終的に、私は自分の部屋で試すことにした。
魔力水なら、昨夜のように勝手に動くはずだ。
床へ落ちる前に浮いてくれるかもしれない。
多分。
念のため床で試そうかとも思ったけれど、冷たい床へ座るのは嫌だった。
それに、昨夜は尻餅をついたあと発動した。
同じ姿勢に近い方がいいかもしれない。
私はパジャマのまま、ベッドの中央へ座った。
よく考えると、一番濡らしたくない場所である。
でも魔力水なら大丈夫。
多分。
この「多分」を信用して、昨夜からひどい目に遭い続けている気がする。
「よし」
小さく声を出した。
目を閉じる。
深呼吸。
落ち着く。
アニメでは、こういう時は体内の魔力を感じる。
丹田へ意識を集中させ、全身を流れるエネルギーを一か所へ集める。
丹田がどこにあるのか、正確には知らないけど
多分、絶対お腹の辺りだ。
私は下腹部へ意識を向けた。
透明な水が身体の中を流れているところを想像する。
水は全身を巡り、少しずつお腹へ集まっていく。
集まる。
集まる。
特に何も起きない。
朝起きたばかりだから尿意はある。
もしかしたら尿が普通に膀胱へ溜まっているだけかもしれない。
「……これでいいのか?」
誰も答えてくれない。
私はもう一度、目を閉じる。
昨夜のことを思い出す。
男たちに囲まれた。
怖かった。
逃げられなかった。
写真を撮られそうになった。
嫌だった。
少しだけ心臓が速くなる。
今だ。
そう思った。
私は全身の力を抜いた。
じわり。
下半身に、生温かい感覚が広がる。
来た。
そう思った。
どんどん生温かい感触が広がっていくのがわかる。
すごい出てる。
いっぱい出てる。
スキル。
昨夜と同じ感覚。
これなら発動する。
多分。
私は目を開けた。
水は浮いていなかった。
パジャマのズボンに、濡れた染みが広がっている。
それシーツへ染み込み、範囲を広げていた。
「……あれ?」
待つ。
何も起きない。
あの水が動く気配もない。
空中へ浮かぶこともない。
ただ、パジャマとシーツがめちゃくちゃ濡れている。
おしっこの匂いもする。
普通だ。
あまりにも普通のおしっこだった。
「……嘘でしょ」
私は濡れたまま固まった。
昨夜と同じように漏らした。
少なくとも、感覚は同じだった。
でも、発動しなかった。
男も倒れない。
水も動かない。
当然だ。
部屋には私しかいない。
つまり私は、能力の検証と称して、自分のベッドで普通におもらししただけだった。
二十二歳。
昼間。
自室。
完全に言い訳ができない。
「……何やってるんだろう」
誰も見ていないのに、顔が熱くなる。
急いで立ち上がり、濡れたパジャマを脱ぐ。
シーツも外す。
問題は、その下だった。
シーツだけでは止まりきらず、ベッドパッドまで濡れている。さらに、その下のマットレスにも少し染みていた。
「最悪」
あの水なら浮くと思っていた。
多分でベッドを選んだ、少し前の自分を殴りたい。
濡れた物をまとめ、抱えて部屋を出る。
母はリビングにいるらしい。
テレビの音が聞こえる。
見つからずに洗濯機まで運びたい。
私は廊下の様子を確認し、音を立てないように風呂場へ向かった。
あと少し。
洗濯機の蓋を開けたところで、背後から声がした。
「ひより?」
身体が固まる。
振り返ると、母が立っていた。
私の腕の中にあるシーツ。
濡れたパジャマ。
洗濯機。
母の視線が、順番に動く。
「……どうしたの?」
「ちょっと、飲み物をこぼして」
「ベッドで?」
「うん」
「パジャマにも?」
「かなり盛大に」
自分でも苦しいと思う。
母は少しだけ黙った。
それから、いつもより優しい声で言った。
「最近、疲れてるんじゃない?」
違う。
多分、これ完全に違う意味で受け取られている。
「お母さん、これは違うの」
「大丈夫よ」
「誰にでもあることだから」
ない。
少なくとも、二十二歳にはあまりない。
「本当に違うから」
「分かった、分かった」
分かっていない。
絶対に分かっていない。
母はそれ以上何も聞かず、私の肩を軽く叩いてリビングへ戻っていった。
その優しさが一番つらかった。
私は洗濯機へシーツとパジャマを押し込み、洗剤を入れた。
昨日も早朝に洗濯した。
今日は昼過ぎ。
能力が発現してから、洗濯機を使う回数だけが増えている。
シャワーを浴び、濡れていない服へ着替えた。
それから、マットレスへタオルを押し当てる。
完全には乾かない。
今夜、どこで寝ればいいのだろう。
検証結果。
あの水は出なかった。
能力も発動しなかった。
母には、多分、おねしょしたと思われた。
そしてベッドだけが濡れた。
ただのおもらし。
管理局のFランク判定は、もしかすると正しかったのかもしれない。
私は濡れたマットレスを見つめ、深くため息をついた。
三十万円はうれしい。
でも、その三十万円のためにもう一度これをやるかと聞かれたら、答えは決まっていた。
絶対に嫌だ。




