第17話 常用は勧めません
「――以上です」
私は報告を終えて、小さく息を吐いた。
ギルドへ戻ってから三十分ほど。
目の前にはアマネさんとユキさん。
さっきの逃走犯を発見してから、ウォーターバレットを二発撃ち込み、確保班が到着するまでの経緯を一通り説明したところだった。
一発目は外した。
二発目は当たった。
そして、倒した。
改めて考えると。
(……私、人と戦ったんだな)
しかも勝った。
正確には、私が足止めして確保班が捕まえたのだけれど。
それでも。
偶然水が溢れたわけじゃない。
怖くなって勝手に能力が出たわけでもない。
自分で狙って。
自分で撃った。
今日の私は、かなり能力者らしかったと思う。
少しくらい胸を張ってもいいんじゃないだろうか。
アマネさんが腕を組んだ。
「初戦としては上出来だ」
「本当ですか?」
「ああ。一射目を外したのはいただけんがな」
「そこは初めてなので!」
「二射目で修正した。なら問題ない」
褒められた。
アマネさんに。
これはかなり嬉しい。
ユキさんは手元の端末を操作していた。
「二射目の出力は、訓練時の最大値を上回っています」
「やっぱりですか」
撃った時から、少しだけ違和感はあった。
一発目を撃った後も、能力との繋がりが妙に強く残っていた。
二発目の水も、いつもより早く集まった気がする。
「原因は?」
アマネさんが聞く。
「現時点では不明です」
「利尿剤じゃないんですか?」
「利尿剤そのものに魔力出力を上げる作用はありません」
「ですよね」
ただのおしっこを出やすくする薬である。
それで魔法まで強くなったら、さすがに薬の方がおかしい。
「その点については、今後確認します」
「はい」
ユキさんが記録を閉じたところで、アマネさんが口を開いた。
「それと、貴様にもう一つ朗報がある」
「朗報?」
「今回の男は賞金首だ」
「…………」
私は瞬きをした。
「賞金首?」
「ああ」
「ということは……」
「五万円だ」
「ごっ……」
聞き間違いかと思った。
「五万円!?」
思わず立ち上がった。
アマネさんが笑う。
「随分と食いつくな」
「だって五万円ですよ!?」
五万円。
大きい。
ものすごく大きい。
今までの警備仕事とは違う。
一回の仕事で五万円。
しかも今日は自分の能力で稼いだ。
(すごい)
能力者って。
(稼げる!!)
異能に目覚めてから、初めて心の底から嬉しいメリットを見つけた気がする。
「確保への主要な貢献は貴様だ。手続き後、報奨として振り込まれる」
「やった!」
思わず拳を握る。
五万円。
何に使おう。
欲しかったゲーム。
積んでる漫画の新刊。
ちょっといいご飯。
いや、貯金もしておきたい。
(私、能力で稼いだんだ……!)
なんか。
すごくいい。
三ヶ月漏らし続けた甲斐が――
じょろ。
「…………え?」
思考が止まった。
「…………」
今。
何か。
じょろろ……。
「えっ」
出てる。
普通に。
「ちょ、待って」
反射的に力を入れる。
止める。
止めようとする。
じょろろろ……。
「なんで!?」
止まらない。
イージスの中へ、容赦なく排尿が続く。
私は椅子の上で固まった。
アマネさんもユキさんもこちらを見ている。
「な、なんで!?」
「利尿剤です」
ユキさんが即答した。
「まだ効いてるんですか!?」
「数時間続くと説明しました」
「でももう任務終わりましたよ!?」
「薬効に任務状況は関係ありません」
「そこは空気読んで止まってくださいよ!」
「薬には無理です」
正論。
分かっている。
分かっているけど。
じょろろ……。
「まだ出るの!?」
さっきまで。
五万円。
初勝利。
お手柄。
だったのに。
今は。
会議室で漏らしている。
落差がひどい。
ようやく止まった。
私は机へ突っ伏した。
「…………」
アマネさんが愉快そうに言った。
「なるほど。常用には向かんな」
「笑いながら言わないでください!」
「私は何も間違ったことを言っていないぞ」
「そうですけど!」
ユキさんは淡々と端末に何かを追加している。
「服用からの経過時間を考えれば、薬効としては正常範囲です」
「正常……」
これが正常。
嫌な正常だ。
「ただ」
ユキさんの指が止まった。
「排尿回数は想定より多いですね」
「…………」
嫌なことを言われた。
「それ、薬が強かっただけじゃないですか?」
「可能性はあります」
「じゃあそれでお願いします」
「確認はします」
「しなくてもいいです!」
私のおもらしが研究資料になっていく。
◇
報告を終えて、私は更衣室へ向かった。
歩きながら考える。
今穿いているイージス。
任務中に一回。
戦闘中にも一回。
そして、さっき。
いや。
細かいのを含めたら、もっとかもしれない。
「…………」
私は足を止めた。
(これ)
(家まで持つ?)
イージス・アンダーギアは優秀だ。
吸収力も高い。
外から分からない。
臭いも抑えてくれる。
でも。
無限ではない。
当たり前だ。
私は方向を変え、ユキさんを探した。
すぐに見つかった。
「ユキさん」
「はい」
「イージスって、もう一枚もらえます?」
「任務分の支給は終了しています」
「ですよね……」
予想はしていた。
「ただし、購入は可能です」
「買えるんですか?」
「はい」
おお。
なら話は早い。
「いくらです?」
「四千八百円です」
「…………」
高い。
知っていた。
知っていたけど。
今聞くと高い。
四千八百円。
私はさっき五万円を稼いだ。
その直後に四千八百円。
(ほぼ一割消えるじゃん!!)
いや。
必要経費。
そう考えればいい。
能力者として働くための。
必要な。
経費。
「…………」
でも。
任務はもう終わっている。
家に帰るだけ。
そのためだけに四千八百円。
「……今の穿いて帰ります」
「おすすめしません」
即答された。
「まだ大丈夫ですよ!」
「絶対とは言えませんが」
ユキさんが私を見る。
「服用後、普段よりかなり頻繁に排尿しています」
「…………」
「現在のイージスが帰宅まで持たない可能性があります」
「…………」
嫌なことを言う。
ものすごく嫌なことを言う。
私は財布を見る。
次に自分のお腹のあたりを見る。
四千八百円。
電車。
じょろろろ。
四千八百円。
電車。
じょろろろ。
「…………」
究極の二択である。
ユキさんが少し考えた。
「でしたら」
「はい?」
「適したものがあります」
「適したもの?」
「少し待っていてください」
ユキさんがその場を離れた。
私は期待した。
もしかしたら、医務室に簡易版の吸水インナーでもあるのかもしれない。
イージスほど高性能じゃなくてもいい。
家まで持てばいいのだ。
数分後。
ユキさんが戻ってきた。
手に何か持っている。
「…………」
私はそれを見た。
大きい。
いや。
厚い。
紙おむつだ。
それは分かる。
三ヶ月使っているから、嫌でも分かる。
でも。
私が家で使っているものとは、明らかに違った。
「…………何ですか、それ」
「紙おむつです」
「それは分かります!」
かなり分厚い。
しかも、うっすら派手な柄まで入っている。
白一色の介護用とは違う。
妙にかわいい。
かわいくなくていい。
「高吸収タイプです」
「なんでこんなに厚いんですか」
「長時間使用を前提としていますので」
「医療用?」
「いいえ」
「…………」
嫌な予感がした。
「何用ですか?」
「プレイ用です」
「…………」
聞き間違えた。
たぶん。
「もう一回お願いします」
「プレイ用です」
「何の!?」
声が裏返った。
ユキさんはいつも通りだった。
「そういった用途向けの商品です」
「そういった用途って何ですか!」
「説明が必要ですか?」
「絶対いりません!!」
聞いた私が悪かった。
なんでそんなものがあるんだ。
「吸収性能は一般的な製品より高いです」
「性能はすごいんですね……」
「はい」
「でもプレイ用なんですよね」
「はい」
「…………」
四千八百円。
私は目の前の商品を見る。
無料。
四千八百円。
無料。
尊厳。
無料。
「…………」
じょろ。
「…………」
このタイミングで。
じょろろ……。
私は目を閉じた。
ユキさんが静かに言う。
「帰宅まで持たせるのであれば、こちらを勧めます」
「…………」
四千八百円。
無料。
私は大きく息を吸った。
「穿きます」
負けた。
何に負けたのかは分からない。
でも、確実に何かに負けた。
◇
更衣室。
私は鏡の前に立っていた。
「…………」
すごい。
ものすごくモコモコしている。
家で使っている紙おむつとは、厚みが全然違う。
試しに少し動く。
ズレない。
意外とフィットする。
「…………」
柔らかい。
肌触りも悪くない。
「……おお」
待て。
感心するな。
(どうでもいいわ!!)
性能を褒めてどうする。
これはプレイ用だ。
何のプレイかは知らない。
知りたくもない。
私は戦闘服の短いスカートを下ろした。
「…………」
不安。
ものすごく不安。
正面。
横。
後ろ。
鏡で確認する。
立っているだけなら、なんとか。
少し動く。
不安。
屈む。
「無理!」
即座に立った。
そして視線を横へ。
長い黒のマント。
「…………」
私は迷わず羽織った。
前を閉じる。
ほぼ床まで隠れる。
「よし」
完璧。
見えない。
今日ほど、このマントをありがたいと思ったことはない。
普段は能力の発生源を隠すため。
今日は違う。
尊厳を隠すため。
(絶対に開けない)
(風も吹くな)
(階段も気をつける)
(何があっても捲れるな)
初めて自分の能力で五万円稼いだ日の帰り。
私は。
プレイ用の超大容量紙おむつを穿いていた。
人生って難しい。
◇
電車に乗った。
夕方。
それなりに混んでいる。
私は扉の近くに立った。
杖を持つ。
マントの前を押さえる。
普通の顔。
普通の顔をする。
大丈夫。
誰にも分からない。
周囲から見れば、仕事帰りの能力者だ。
戦闘服。
杖。
黒いマント。
ちょっと魔法使いっぽい。
格好いい。
中身以外は。
(意識するな)
歩き方がおかしくなる。
自然に。
普通に。
あと五駅。
家まで帰ればいい。
それだけだ。
じょろ。
「…………」
来た。
じょろろろ……。
(待って待って待って)
顔に出すな。
私は窓の外を見た。
何でもない。
私は何もしていない。
ただ電車に乗っているだけ。
じょろろろろ……。
(長い!!)
なんでこんなに長いんだ。
止まれ。
止まって。
いや、もう出てるから止まらなくてもいいけど。
よくない。
やっぱり止まれ。
ようやく終わった。
私はそっと息を吐く。
足元を見る。
大丈夫。
何も漏れていない。
スカートも。
マントも。
無事。
「…………」
すごい。
本当に何ともない。
(プレイ用、すご……)
いや。
(感心するな!!)
あと四駅。
もう来るな。
三駅。
二駅。
じょろ。
(またぁ!?)
私は目を閉じた。
さっき犯罪者へ二発目を撃つ時より緊張している。
どうして能力者になって、電車の中でこんな戦いをしているんだ。
◇
「ただいまー……」
ようやく家に着いた。
「おかえり」
母がリビングから顔を出す。
私はマントの前を握ったまま、一直線に自室へ向かう。
「じゃ、着替えてくるから!」
「ひより」
「なに!?」
止められた。
母が私を見る。
「…………」
なんだ。
その間は。
「今日も大変だったの?」
「なんで分かるの!?」
「なんとなく」
親のなんとなく。
怖い。
「別に大丈夫だから!」
「そう?」
「そう!」
私は逃げるように自室へ入った。
マントを脱ぐ。
戦闘服を脱ぐ。
家着に着替える。
「…………」
問題は残った。
下。
モコモコ。
薬はまだ完全には切れていない。
今外す勇気はない。
仕方なく、そのまま家着を着る。
リビングへ戻った。
母がこちらを見る。
一度。
下を見る。
戻る。
「…………」
「…………」
バレた。
今ので絶対バレた。
「何も言わないで」
「うん」
「その『うん』も嫌!」
母は少し困ったように笑った。
夕食の準備を手伝っていると、しばらくして母が口を開いた。
「今日は、いつものと違うの?」
私の手が止まった。
「…………」
なぜ。
いや。
分かるか。
あれだけ厚ければ。
「……ギルドでもらっただけ」
「そうなの?」
「帰る時に必要だったから」
それ以上は言わない。
絶対に言わない。
「随分しっかりしてるのね」
「……まあ」
しっかりどころではない。
異常にしっかりしている。
母が少し感心したように言った。
「いつものより、よく吸うの?」
「…………」
質問が嫌だ。
「まあ……かなり」
「じゃあ、今度からそれにする?」
「絶対やめて!!」
母が驚いた。
「そんなに嫌なの?」
「嫌!」
「でも、漏れにくいなら――」
「そういう問題じゃないの!」
言えない。
これはプレイ用だから。
なんて。
絶対に。
母は知らない。
知らなくていい。
一生知らなくていい。
「いつもののでいい!」
「そう?」
「絶対いつもの!」
「分かったわ」
危なかった。
我が家の紙おむつが、知らないうちに謎の方向へグレードアップするところだった。
◇
夕食中。
じょろろ……。
「…………」
私は箸を持ったまま固まった。
母が首を傾げる。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「そう?」
「うん」
何でもない。
私は今、夕飯を食べている。
それだけ。
それ以外には何も起きていない。
そういうことにする。
食後。
部屋へ戻ってからも。
じょろ。
「まだ!?」
思わず声が出た。
数時間。
確かに聞いた。
聞いたけど。
長い。
数時間ってこんなに長かったっけ。
私はベッドへ倒れ込んだ。
「もう嫌だ……」
今日。
初めて人と戦った。
初めて自分の能力で倒した。
五万円も稼いだ。
かなりいい日だったはずだ。
なのに今のところ、一番強い感想が。
利尿剤つらい。
である。
◇
風呂へ入る頃には、ようやく波が弱くなっていた。
完全に切れたのかは分からない。
でも、さっきまでのような突然の感じは減っている。
私は例の高吸収紙おむつを外した。
「…………」
今日だけは認めよう。
よく頑張った。
ありがとう。
でも。
二度と会いたくない。
家で処分できるのだけが救いだった。
風呂から上がる。
寝る前。
引き出しを開ける。
母が買ってくれた、いつもの紙おむつ。
白い。
薄い。
普通。
「…………」
なんだろう。
ものすごく安心する。
紙おむつを見て安心している時点で、何か大事なものを失っている気もする。
でも今日は仕方ない。
普通の下着で寝る勇気はなかった。
穿く。
ベッドへ入る。
「……さすがに明日には切れてるよね」
返事はない。
そのまま目を閉じた。
◇
翌朝。
目が覚めた。
「…………」
天井を見る。
嫌な予感。
最近、この感覚に詳しくなってきた自分が嫌だ。
確認する。
「…………」
濡れている。
シーツは乾いていた。
そこだけはよかった。
「……またか」
薬が残っていたのか。
三ヶ月の訓練のせいなのか。
最近復活したおねしょが普通に出ただけなのか。
もう分からない。
私は枕へ顔を埋めた。
昨日を思い返す。
外で能力を使おうとした。
でも。
自分から漏らせなかった。
だから利尿剤を使った。
その結果。
報告中に漏らした。
電車で漏らした。
家で漏らした。
最後は寝ても漏らした。
「…………」
原因は簡単だ。
外で自分から漏らせなかったから、薬に頼った。
なら。
(外でも、自分で漏らせるようになればいい)
そうすれば薬はいらない。
能力者として成長するため。
実戦で確実にウォーターバレットを撃つため。
もちろん、それもある。
でも。
私は昨日の電車を思い出した。
マントを握りしめた手。
じょろろろ。
プレイ用。
母の、
『今度からそれにする?』
「…………」
私はベッドの上で起き上がった。
決めた。
今日から、外で漏らす練習をする。
理由は簡単だ。
「あんな薬、二度と飲むか!!」




