第18話 当たれば強い
翌日。
私は、ギルドの屋外訓練区画にいた。
腰にはいつもの杖。
戦闘服。
そして、その下には《イージス・アンダーギア》。
昨日の薬はもう切れている。
たぶん。
いや、切れていてくれないと困る。
「…………よし」
私は小さく息を吐いた。
昨日、決めたのだ。
もう、あんな薬には頼らない。
外で出せないなら、外で出せるようになればいい。
それだけだ。
理屈は簡単。
問題は、その『出す』の中身である。
(普通の人なら、絶対しない決意なんだよなあ……)
考えるな。
三ヶ月やってきた。
家ではもう、かなり自在にできる。
問題なのは外だ。
人のいる場所では、どうしても身体にブレーキがかかる。
昨日は薬でそのブレーキを無理やり壊した。
だったら今度は、自分で外せるようになればいい。
屋外訓練区画とはいえ、今いるのは端の方だ。
少し離れた場所では、何人かの能力者が訓練している。
声も聞こえる。
完全な一人ではない。
だからこそ練習になる。
「…………」
杖を握る。
肩の力を抜く。
大丈夫。
イージスを穿いている。
能力を使うためだ。
誰にも見えない。
誰にも分からない。
いつものように。
力を抜いて――。
じょろ。
「…………」
出た。
私はしばらく動けなかった。
あまりにも普通に出た。
昨日までなら、ここから数分、下手をすればもっと時間がかかっていたはずなのに。
「……やった!」
一瞬、本気で嬉しかった。
「やったねじゃねえよ!」
思わず自分で突っ込んだ。
近くにいた人がこちらを見た。
私は何事もなかった顔で前を向いた。
(何喜んでるんだ私は!)
いや、でも。
本当にできた。
薬なしで。
外で。
しかも、ほとんど抵抗なく。
(……まさか)
昨日のことを思い出す。
ギルド。
電車。
駅。
帰り道。
じょろ。
じょろろ。
じょろろろ……。
身体の都合も、私の尊厳も完全に無視して、何度も何度も繰り返した。
(まさか、昨日ので身体が覚えた……?)
外で漏らしても死なない。
誰にも気づかれない。
世界は終わらない。
そんなことを、身体の方が先に学習してしまったのかもしれない。
荒療治にもほどがある。
「…………」
でも。
使えるなら使う。
昨日流した尊厳は戻ってこない。
だったらせめて、経験値になってもらわないと困る。
私は目の前の訓練標的へ杖を向けた。
下半身に残る感覚を、逃がさない。
普通の排尿。
そこから、あの感覚だけを掴む。
漏れている。
外へ出ている。
その認識を、能力へ繋げる。
杖の先に水が集まった。
「――ウォーターバレット!」
バンッ!
高密度の水塊が飛び、訓練標的の中央から少し左を叩いた。
大きな音とともに、標的が揺れる。
「…………出た」
薬なし。
屋外。
成功。
私はしばらく杖を見つめた。
昨日までの自分より、一つ進んだ。
進み方が最低だっただけで。
◆
それから、私の仕事は少し変わった。
公式なランクは、もちろんFのままだ。
管理局から再評価の話なんて来ていない。
そもそも、一回二回犯罪者を倒したからといって、勝手にランクが上がるものでもないらしい。
ただし、ギルド内部での扱いは別だった。
低危険度。
単独行動可。
交戦の可能性あり。
そんな仕事が、少しずつ回ってくるようになった。
最初の仕事は、逃走中の能力犯罪者の捜索補助だった。
補助、と言っても。
見つけた場合、無理に接近する必要はない。
位置を報告し、安全な距離を取る。
可能なら足止め。
それが私に与えられた指示だった。
つまり。
「……あそこか」
二十メートルほど先。
路地を横切る男の姿を見つけた。
私は建物の陰に身体を隠す。
相手はこちらに気づいていない。
(近づく必要、ないよね)
むしろ近づきたくない。
接近戦なんて習っていない。
相手に見つかったら怖い。
それに。
能力を使う前に、少しだけ準備もいる。
私は物陰で息を整えた。
じょろ。
(よし)
もうこの工程に対する自分の順応速度が怖い。
感覚を繋ぐ。
杖の先へ。
水が集まる。
狙うのは胴体。
頭なら、もっと確実に意識を奪えるのかもしれない。
でも。
(……当たる気がしない)
人間の頭って、遠くから見ると結構小さい。
しかも動く。
FPSみたいに画面の真ん中に照準が出ているわけでもない。
私が持っているのは、ただの杖だ。
(胴体。胴体にしよう)
「……ウォーターバレット」
バンッ!
水塊が飛ぶ。
男の肩の横を抜けた。
「…………」
壁に直撃した。
ドンッ!
男が振り返った。
私も壁を見た。
かなりすごい音がした。
(威力はあるんだけどなあ……)
「誰だ!」
見つかった。
そりゃそうだ。
私は慌てて杖を構え直す。
男が走る。
今度こそ。
胴体。
動きを見る。
少し先へ。
「ウォーターバレット!」
バンッ!
今度は当たった。
水塊が男の脇腹をまともに叩く。
「ぐっ――!」
身体が横へ飛び、そのまま地面へ転がった。
動かない。
「…………」
私はしばらく杖を向けたまま固まっていた。
やがて通信端末で応援を呼ぶ。
数分後、到着した隊員が相手を拘束した。
「一人で止めたのか?」
「はい」
「Fだよな?」
「はい」
「……そうか」
その人は何とも言えない顔をした。
私も何とも言えない顔をした。
Fです。
間違いなく。
◆
二件目は、もっと遠かった。
小さな工場跡。
逃走犯は敷地の奥を走っていた。
私は外周の高い位置から狙った。
距離は三十メートルくらい。
たぶん。
正確には分からない。
「ウォーターバレット!」
バンッ!
外れた。
「ウォーターバレット!」
バンッ!
また外れた。
今度は地面が弾けた。
対象がこちらに気づき、慌てて走る方向を変える。
(待って待って待って!)
杖で人を狙うの、難しい。
標的ならまだいい。
人は動く。
しかも避ける。
当たり前だ。
私は杖を振って追う。
(ゲームなら照準あるのに!)
そんなものはない。
杖はただの杖だ。
「――ウォーターバレット!」
三発目。
バンッ!
背中に命中。
男が前へ吹き飛び、そのまま動かなくなった。
「…………よし」
当たれば強い。
本当に当たれば強い。
問題は、その『当たれば』だった。
◆
三件目。
今度は一発だった。
自分でも驚いた。
相手が立ち止まった瞬間を狙ったのが良かったらしい。
「ウォーターバレット!」
バンッ!
胸元へ命中。
そのまま終了。
「…………」
私は杖を下ろした。
ちょっと格好いい。
今のは、かなり格好よかった気がする。
誰も見ていなかったけど。
(いや、いいんだ)
見られない方がいい。
見られないところから撃つ。
相手に近づかない。
こちらの位置も簡単には晒さない。
考えてみれば、私にはその方が合っている。
力で押し合うような戦いなんて無理だ。
運動神経だって普通。
格闘技経験もない。
何より、能力の準備を真正面でやりたくない。
遠くから。
隠れて。
狙って。
撃つ。
(……私、後ろから撃つ方が向いてるのかも)
なんだか少し卑怯な気もした。
でも犯罪者を真正面から堂々と殴りに行く必要もない。
勝てばいい。
いや、捕まえればいい。
最近ちょっと思考が物騒だ。
◆
数日後。
ユキさんが、私の任務記録を見ていた。
机の上には、三件分の報告書。
私はその前に立っている。
「威力は問題ありません」
「はい」
「発動も安定してきました」
「はい」
少し嬉しい。
「命中率が問題ですね」
「ですよねえ……」
知ってた。
ユキさんは紙を一枚めくった。
「初弾命中率は低いです。特に、二十五メートル以上で動いている対象に対して顕著ですね」
「数字にされると傷つきますね」
「事実です」
「はい」
ユキさんは淡々としている。
「ただし、命中した場合の制圧力は十分です。現状でも、低ランク能力者や非強化状態の対象なら、一撃で行動不能になる可能性が高い」
「頭に当たったら?」
「まともに入れば、意識を失う可能性は高いでしょう」
「……ですよね」
「必要なら頭部を狙っても構いません」
「いや、当たる気がしないんですよ」
「そうでしょうね」
「即答」
ユキさんは私の杖を見る。
「人間の頭部は、遠距離から狙うには小さいです。まして対象は動きます」
「ゲームならもう少し簡単なんですけどね」
「現実には照準表示もありません」
「ですよねえ……」
「杖先から発現させること自体は安定しています」
「はい。そこはかなりやりやすいです」
三ヶ月以上使っている。
今では、杖の先へ水を集めるイメージはかなり固まった。
「でも、遠くの人を狙うのが難しくて」
「杖は照準器ではありませんから」
「そうなんですよね」
私は杖を横にしてみる。
長い。
格好いい。
魔法使いっぽい。
ただし、これで三十メートル先の動く人間を正確に指せと言われると難しい。
「なんか、こう……もっと狙いやすくならないですかね」
ユキさんが黙った。
「…………」
「ユキさん?」
「いえ」
視線がまだ杖に向いている。
「少し考えます」
「何をです?」
「まだ何も」
そう言って、ユキさんは報告書へ視線を戻した。
私は少しだけ嫌な予感がした。
この人が『少し考える』と言った時、妙に本格的なものが出てくる気がする。
◆
任務が増えると、報酬も増えた。
これが地味に嬉しい。
スマートフォンで入金を見る。
「おお……」
能力を使って。
犯罪者を捕まえて。
お金が入る。
当たり前と言えば当たり前なのだが、少し前までコンビニで働いていた私には、まだ不思議な感覚だった。
しかも。
この能力で。
【おもらし】で。
お金を稼いでいる。
(人生、本当に分からないな……)
使い道を考えながらギルド内を歩く。
その時だった。
「また霧島だって」
耳に入った。
足が止まりそうになる。
「この前のやつ?」
「違う。別件」
「また一人で?」
「らしいぞ」
私は歩く速度を変えない。
変えないけど、耳は完全にそちらへ向いている。
「本当にFなのか?」
「登録はFだろ」
「遠くから水ぶつけてるらしい」
「それだけで倒れるのかよ」
「当たるとヤバいらしい」
ちょっと嬉しい。
ほんの少し。
「でも結構外すって聞いたぞ」
「そこまで広めなくていいから!」
思わず振り返った。
話していた二人がこちらを見る。
「…………」
「…………」
私も見る。
「…………」
何も言わずに前を向いた。
恥ずかしい。
聞かなきゃよかった。
でも。
以前も私は、ギルドで噂になったことがある。
例の新人。
Fランクなのに犯罪者を捕まえた変な新人。
あの時は、自分でも何が起きたのか分からなかった。
能力は暴走。
水は勝手に出た。
私はただ、怖がって漏らしただけだった。
今は違う。
私が選んだ。
私が位置を取った。
私が狙った。
私が撃った。
外すことも多いけど。
ちゃんと当てて。
ちゃんと止めている。
「…………」
少しだけ胸を張った。
本当に少しだけ。
悪い気はしなかった。
背後から、また声が聞こえた。
「でもFなんだろ?」
(それはそう)
私は何も言わず、そのまま歩いた。




