第9話 未来の王妃への無礼
オスカー・ヴァレンティスは、目の前に立つ王太子の表情を見て、ようやく自分の置かれた状況を理解し始めていた。
ユリウスは怒鳴っていなかった。
むしろ、先ほどまでよりも落ち着いた声で話している。
しかし、その視線はオスカーから外れなかった。
「……オスカー。まず確認しておきたいんだけど、君は今日、何をするつもりでこの場に来たのかな?」
「そ、それは……リリア嬢が受けた仕打ちを明らかにし、殿下に正しいご判断をしていただくためでございます!」
「なるほど。では、君の考える正しい判断とは、何だったのかな?」
「……ヴィオレッタ嬢との婚約を破棄し、リリア嬢を新たな婚約者としてお迎えいただくことです」
オスカーが答えた途端、周囲の貴族たちの間に小さなどよめきが広がった。
近くにいた貴族の一人は隣の者と顔を見合わせ、別の者はオスカーの父親がいる方角へ視線を向けている。
ユリウスは、その反応を確かめてから、改めてオスカーへ向き直った。
「……つまり、君は私の婚約を解消させたうえで、次の婚約者まで決めるつもりだったんだね?」
「い、いえ! 決めるなど、そのような……! ただ、殿下には真にふさわしい方をお選びいただきたく……!」
「そのために、ヴィオレッタを大勢の前で非難した、と?」
「……はい。彼女の行いを考えれば、当然のことかと……!」
ユリウスは、そこで一度言葉を切った。
オスカーは、まだ自分の主張が正しいと信じているらしい。
その表情には焦りが浮かんでいたものの、ヴィオレッタへの非難を撤回する様子はなかった。
「……では、もう一つ聞こう。ヴィオレッタがリリア嬢への嫌がらせを命じたという証拠は、あるのかな?」
「そ、それは……取り巻きの令嬢たちが、ヴィオレッタ嬢のために行動していたと……」
「彼女たちは、ヴィオレッタから命令を受けていないと認めたよね?」
「……ですが、ヴィオレッタ嬢が何も知らなかったとは……!」
オスカーが反論しかけたところで、ユリウスは片手を上げた。
オスカーは口を閉じたものの、納得できないという表情を隠そうともしなかった。
「知っていたかもしれない、という推測と、命令したという事実は別だよ。まして、彼女は嫌がらせをしないよう注意していたんだろう?」
「……それは……ですが、令嬢たちは皆、ヴィオレッタ嬢のためだと……!」
「うん。それは彼女たち自身がそう考えていた、ということだよね?」
「……っ!」
オスカーは、思わずヴィオレッタへ視線を向けた。
令嬢たちが彼女のために動いていたことは、確かに聞いている。
だからこそ、ヴィオレッタが関与していないはずがないと、疑いもしなかった。
だが、本人が命令していないと認めた以上、それだけで首謀者だと断定することはできない。
頭では、その説明を理解できる。
それなのに、ヴィオレッタが無関係だという結論だけは、どうしても受け入れがたかった。
「……殿下。ですが、私は……」
オスカーは何かを言いかけ、そこで言葉に詰まった。
反論しようにも、先ほどと同じ説明を繰り返すことしかできなかった。
ユリウスは、彼の背後に並ぶ貴族子息たちへ視線を移した。
「君たちも、オスカーと同じ考えだったのかな?」
突然問いかけられた子息たちは、互いの顔を見合わせた。
「わ、我々は、リリア嬢が不当な扱いを受けていると聞き……」
「ヴィオレッタ嬢が、その中心にいるものと……」
「オスカー殿から説明を受け、間違いないと考えておりました……」
ユリウスは、彼らの返答を最後まで聞いた。
「つまり、君たち自身がヴィオレッタの命令を確認したわけではないんだね?」
「……はい」
「それなのに、彼女を罪人のように扱い、私へ婚約破棄を要求したのか」
子息たちは、一斉に口を閉じた。
一人が何かを言おうとして隣の者へ視線を向けたが、相手も首を横に振るだけだった。
ユリウスは小さく息を吐き、会場を見渡した。
卒業パーティーには、学院の生徒だけでなく、保護者や招待された貴族たちも出席している。
その全員の前で、ヴィオレッタは嫌がらせの首謀者だと名指しされ、王太子の婚約者にふさわしくないと非難されたのだ。
これは、学院内の生徒同士の口論では済まされない。
「……オスカー。君は、ヴィオレッタがどのような立場にある人物なのか、理解しているよね?」
「も、もちろんでございます。ローゼンベルク公爵家のご令嬢であり、殿下の婚約者で……」
「そうだね。そして、正式な婚約が維持される限り、将来はこの国の王妃となることを期待されている人物でもある」
ユリウスは、ヴィオレッタへ一度だけ視線を向けた。
彼女は少し離れた場所で、二人のやり取りを見守っている。
その表情には、先ほどとは違う種類の不安が浮かんでいた。
ユリウスは彼女を安心させるように小さく頷き、オスカーへ向き直った。
「王太子の婚約者であっても、問題を起こせば調査の対象になる。それは当然だし、身分を理由に不正を見逃すつもりもないよ」
「……で、では、やはりヴィオレッタ嬢についても……!」
オスカーが顔を上げた。
ユリウスは、その期待を含んだ表情を見て、首を横に振った。
「最後まで聞いてほしいな。問題があると思うなら、証拠を集めて学院や公爵家、必要であれば王家へ申し立てればよかったんだ。君たちには、正式な手続きを求める機会があったはずだよ」
「……っ」
「それをせず、大勢の前で彼女を断罪し、私の婚約まで左右しようとした。その行為について、私は説明を求めているんだ」
オスカーは唇を噛んだ。
ユリウスの指摘を否定できず、握りしめた拳を見下ろしている。
ユリウスは、そこで声を少しだけ強めた。
「君たちは、王太子の婚約者に対する重大な非難を、公の場で行ったんだ。証拠もないままね。その責任を、学院の処分だけで終わらせることはできないよ」
会場が静まり返った。
オスカーの背後にいた子息の一人が、震える声で尋ねた。
「……で、殿下。それは、我々の家にも……?」
「当然、報告することになるだろうね。君たちが今日、何を主張し、どのような根拠で行動したのか。王家として、各家へ正式に確認を求めることになる」
子息たちの顔色が変わった。
学院で叱責を受けるだけなら、まだ自分たちの問題として受け止められたかもしれない。
しかし、王家から家へ正式な連絡が入るとなれば、話は違ってくる。
彼らの行動は、それぞれの家の監督責任にも関わることになるのだ。
ユリウスは、さらに言葉を続けた。
「特にヴァレンティス侯爵家には、王家から正式な抗議を行うことになる。オスカー、君がこの場で断罪を主導し、婚約破棄まで要求したことについて、侯爵本人から説明を求めるよ」
「……ち、父に、でございますか……!?」
「そうだよ。君は侯爵家の令息として、王家の婚約に関わる発言をしたんだからね。君個人の思いつきだったのか、家として何らかの考えがあったのかも、確認しなければならない」
「い、いえっ! 父は関係ございません! 私が、私の判断で……!」
オスカーは慌てて首を振った。
自分の発言が父親にまで及ぶことを、ようやく理解したらしい。
「ならば、そのことも侯爵へ説明してもらおう。今日の発言は記録として残し、関係する家々にも内容を確認してもらう。正式な対応は、そのうえで判断することになるよ」
ユリウスは、処罰をその場で決めるつもりはなかった。
ただし、謝罪だけで終わらせるつもりもない。
「そ、そんな……! 我々は、ただリリア嬢を守ろうと……!」
ユリウスは、その訴えを聞いても表情を変えなかった。
「……オスカー。君はまだ、自分が何を間違えたのか、分かっていないようだね」
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