第10話 守りたかっただけなのに
ユリウスの言葉に、オスカーは顔を上げた。
王太子の表情は落ち着いていたが、その視線はまっすぐ自分へ向けられている。
「……殿下。私は、本当にリリア嬢を助けたかったのです……!」
「うん。それは分かっているよ。リリア嬢が嫌がらせを受けていたことは事実だし、彼女を助けようとしたこと自体は間違っていない」
「……でしたら……!」
「でも、それは別の誰かを証拠もなく傷つけていい理由にはならないよね?」
オスカーは、開きかけた口を閉じた。
それでも、ヴィオレッタへ向けた疑いを捨てきれないのか、何度も彼女の方へ視線を動かしている。
「君たちがリリア嬢を助けたいと思ったことと、ヴィオレッタを不当に非難したことは、分けて考えなければならないんだ」
ユリウスは、オスカーたちから少し離れた場所にいるリリアへ視線を向けた。
彼女は、先ほどから落ち着かない様子で両手を握りしめていた。
「リリア嬢。君にも、確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「……は、はいっ!」
突然呼ばれたリリアは、慌てて姿勢を正した。
「君が受けた嫌がらせについては、学院が正式に調査する。関係した者には、事実に応じた処分が下されることになると思う」
「……はい」
「それとは別に、今日の騒動で君の名前が使われたことについて、君自身はどう考えているのかな?」
リリアは、すぐには答えられなかった。
オスカーたちの顔を見て、それからヴィオレッタへ視線を向ける。
「……私、嫌がらせを受けたことは、本当です。怖い思いもしましたし、どうしてこんなことをされるんだろうって、ずっと思っていました……」
彼女は、一度言葉を切った。
「でも……ヴィオレッタ様が命令していたのかどうかなんて、私には分かりませんでした。だから、さっきも、自分が見たことと聞いたことだけをお話ししたんです」
ユリウスは静かに頷いた。
「うん。それでいいんだよ」
「……それに……」
リリアは、少し迷ったあと、オスカーたちへ顔を向けた。
「オスカー様たちが助けてくださったことは、嬉しかったです。でも……私、ヴィオレッタ様をこんなふうに責めてほしいなんて、お願いしていません……!」
オスカーが目を見開いた。
「リ、リリア嬢……!?」
「だって……私が嫌がらせを受けたことと、ヴィオレッタ様が命令したかどうかは、別のお話ですよね……?」
リリアの声は震えていたが、彼女は視線を逸らさなかった。
ユリウスは、その様子を見守っていた。
リリアは、自分が受けた被害をなかったことにしているわけではない。
ただ、分からないことまで事実として扱われるのを望んでいないのだ。
「……ありがとう、リリア嬢。君の考えは分かったよ」
リリアは小さく頷き、ほっとしたように息を吐いた。
ユリウスは、再びオスカーへ向き直った。
「……聞こえたかな?」
「……はい……」
オスカーは、うつむいたまま答えた。
「君たちが守ろうとしたリリア嬢自身が、ヴィオレッタを断罪してほしいとは言っていない。それでも、君たちは自分たちの判断が正しかったと言い切れるのかな?」
オスカーは答えなかった。
しばらくの沈黙のあと、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……殿下。ですが、私は……やはり、ヴィオレッタ嬢が何も知らなかったとは……」
言いかけたオスカーは、自分でも驚いたように口を閉じた。
先ほどから、何度も同じことを言っている。
ヴィオレッタが命じたという証拠はない。
令嬢たちは独断だったと認めている。
それでも、彼女が無関係だという話になると、どうしても否定したくなる。
オスカーは額に手を当てた。
「……私は……なぜ、そこまで……」
彼の視線が、ヴィオレッタとリリアの間を行き来した。
リリアは、自分が見聞きした事実だけを話していた。
それなのに、自分は彼女のためだと信じ、ヴィオレッタを首謀者と決めつけていた。
「……殿下。私は……リリア嬢が受けた仕打ちを、見過ごすことができませんでした……」
その声からは、先ほどまでの勢いが消えていた。
「ヴィオレッタ嬢が関わっていると聞き、彼女がすべてを指示しているものだと……。ですが、今になって考えると、私は……自分で確かめたことなど、何一つ……」
オスカーは、握りしめていた拳をゆっくりと開いた。
「……それでも、まだ彼女が悪いと思ってしまうのです。証拠がないと分かっているのに……どうしてなのか、自分でも……」
ユリウスは、彼の言葉を黙って聞いた。
オスカーの様子は、単に叱責されて動揺しているだけには見えなかった。
自分の判断を説明しようとしているのに、その根拠を一つも示せず、本人が最も戸惑っている。
ユリウスは、その違和感を覚えたものの、今ここで結論を出すことはできなかった。
「……オスカー。今すぐ考えを整理できないのなら、無理に答えを出さなくてもいいよ。ただ、確かな証拠がない以上、ヴィオレッタが命じたと主張することはできない。それは理解できるかな?」
「……はい……」
オスカーは、苦しそうに頷いた。
「……ですが、私は……本当に、リリア嬢を助けたかったのです……!」
彼は絞り出すように告げた。
ユリウスは、その訴えに対してすぐには答えなかった。
彼がリリアを助けようとしていたことは、嘘ではないのだろう。
しかし、その思いが本物であったとしても、ヴィオレッタに対して行ったことが消えるわけではない。
「……オスカー。君がリリア嬢を助けたかったことは分かったよ。でも、だからこそ、やり方を間違えてはいけなかったんだ」
オスカーは、ゆっくりとうつむいた。
「……申し訳、ございませんでした……」
その言葉を聞いても、ユリウスはすぐに話を終わらせなかった。
「謝罪を受け入れるかどうかは、私だけが決めることではないよ。君たちが非難したのは、ヴィオレッタなんだから」
オスカーの肩が小さく震えた。
ユリウスは、ヴィオレッタへ向き直った。
「ヴィオレッタ。君にも、少し話してもらっていいかな?」
「……はい、殿下」
ヴィオレッタは一歩前へ出た。
その姿を見たオスカーたちは、慌てて姿勢を正した。
ヴィオレッタは彼らを見つめ、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「……オスカー様。皆様がリリア様を助けようとなさったお気持ちは、理解いたしました」
オスカーが顔を上げた。
「ですが、私が命じていないことを、命じたものとして非難されたことは……やはり、悲しく思います」
ヴィオレッタは、胸元で両手を重ねた。
「私は、リリア様への嫌がらせを望んでおりませんでした。令嬢たちにも、何度もそのようなことをしないよう伝えておりました。それでも、私の知らないところで嫌がらせが続いていたことについては、もっと早く気づくべきだったのかもしれません」
ユリウスは、彼女の言葉を聞きながら眉を寄せた。
ヴィオレッタは、自分が命じてもいない行為についてまで、責任を感じているらしい。
しかし、彼女はそこで言葉を続けた。
「ですが……だからといって、私が命令したことにはなりません。そこだけは、どうか分かっていただきたいのです」
オスカーは、ヴィオレッタの顔を見つめた。
彼女の言葉を聞いても、心のどこかにはまだ疑いが残っていた。
それでも、彼女が命令したという証拠を持っていないことだけは、否定できなかった。
オスカーは、深く頭を下げた。
「……ヴィオレッタ嬢。私の思い込みによって、あなたを不当に非難したこと……心より、お詫び申し上げます……!」
周囲の子息たちも、次々に頭を下げた。
「……申し訳ございませんでした」
「我々も、事実を十分に確かめず……」
「……深く、お詫び申し上げます……」
ヴィオレッタは、しばらく彼らを見つめていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……謝罪のお言葉は、お受けいたします」
オスカーたちの表情が、わずかに緩んだ。
しかし、ヴィオレッタは続けた。
「ですが、今日のことを、何もなかったことにはできません。私だけでなく、リリア様も、そしてこの場にいらっしゃる多くの方々も、巻き込まれてしまいましたから……」
その言葉に、オスカーたちは再びうつむいた。
ユリウスは、ヴィオレッタが言い終えるのを待ってから口を開いた。
「……ありがとう、ヴィオレッタ」
彼女がこちらを向く。
「君の考えは、よく分かったよ」
ユリウスは穏やかに微笑んだあと、オスカーたちへ向き直った。
「さて。今日の件については、王家から各家へ正式に報告することになる。事実関係を整理したうえで、必要な対応を検討してもらうよ」
「……承知、いたしました……」
オスカーは、力なく答えた。
「ただし、オスカー。君については、今日のことだけで終わるとは思わないでほしい」
「……と、申しますと……?」
ユリウスは、オスカーが顔を上げるのを待った。
「君は以前から、ヴィオレッタがリリア嬢への嫌がらせに関わっていると考え、周囲の生徒たちから証言を集めていたね?」
「……はい。それは、事実を明らかにするためで……」
「調べること自体を問題にしているんじゃないよ。君が集めたのは、令嬢たちがヴィオレッタの意思をどう解釈していたかという話だった。それなのに、君は彼女を首謀者だと決めつけ、公の場で非難したんだ」
オスカーは、何も答えられなかった。
「それに、これまで君たちがヴィオレッタについて、周囲へどのような話をしてきたのかも確認する必要がある。事実に基づかない中傷を繰り返していたのなら、今日の断罪とは別に、その責任も問われることになるよ」
「……っ!」
ユリウスは、オスカーの背後にいる子息たちにも視線を向けた。
「君たちも同じだ。誰が、いつ、何を言ったのか。それぞれの行動を確認したうえで、関係する家々へ正式に報告する」
子息たちは、顔を青ざめさせた。
「特にヴァレンティス侯爵家には、今回の断罪を主導したことについて、すでに王家からの正式な抗議を伝えると話したね。それに加えて、これまでの言動も調査の対象になる」
「……はい……」
「ローゼンベルク公爵家に対しても、侯爵家として相応の対応をしてもらうことになるだろう。具体的な内容は、事実関係を確認したうえで決めることになるけれど、謝罪したから終わりという話ではない。その覚悟はしておいてほしい」
オスカーは、唇を引き結んだ。
自分の行動が、ヴァレンティス侯爵家とローゼンベルク公爵家との関係にまで及ぶことを、改めて理解したらしい。
「……承知、いたしました……」
オスカーが深く頭を下げると、ユリウスは続いて令嬢たちへ向き直った。
「そして、リリア嬢への嫌がらせを行った君たちについても、学院の処分だけで終わるわけではないよ」
令嬢たちが、一斉に顔を上げた。
「……で、殿下……!」
「教科書を隠したこと、私物を壊したこと、身分を理由に侮辱したこと。それに、階段で背中を押そうとしたこともだ。誰がどの行為に関わったのか、学院に正式に調査してもらう」
「……はい……」
ユリウスは、階段でリリアを押そうとした令嬢へ視線を向けた。
「特に君の行為は、リリア嬢が大きな怪我を負っていてもおかしくなかった。本人が無事だったからといって、軽く扱えることではないよ」
「……申し訳、ございません……!」
令嬢は、震える声で謝罪した。
「そして、事実関係が明らかになれば、関与した令嬢たちの家にも、それぞれの行為に応じた責任を負ってもらう。ベルフォード男爵家に対する正式な謝罪と、被害への相応の対応も必要になるだろうね」
令嬢たちは、互いの顔を見合わせた。
「ヴィオレッタのためだったという説明で、君たち自身の責任がなくなるわけではない。まして、彼女は何度もやめるよう注意していたんだからね」
その言葉に、令嬢たちはうつむいた。
ユリウスは、そこでリリアへ視線を向けた。
「リリア嬢。君が受けた被害については、学院での調査だけでなく、関係する家々にも正式に対応してもらうことになる。君自身が望んでいないことを、誰かが勝手に決めるようなことにはしないよ」
「……ありがとうございます、殿下……!」
リリアは、深く頭を下げた。
ユリウスは静かに頷き、改めて関係者たちを見渡した。
「もちろん、誰が何をしたのかを確認せず、全員に同じ責任を負わせるつもりはないよ。学院内の嫌がらせと、今日の公の場での発言も、それぞれ分けて判断することになる」
その場にいた者たちは、誰も口を挟まなかった。
「君たちが今後、同じ間違いを繰り返さないことを願っているよ」
オスカーたちと令嬢たちは、それぞれ深く頭を下げた。
ユリウスは、彼らの返答を確認すると、会場の責任者へ視線を向けた。
「今日の件については、後日、正式な報告をお願いするよ。関係者の証言を照合し、誰が何を主張して、どのような説明があったのか、正確な記録を残しておいてほしい」
「かしこまりました、殿下。出席者の証言を確認し、学院長へ報告いたします」
「ありがとう。それから、リリア嬢への嫌がらせに関する調査では、彼女自身の証言を尊重してほしい。推測を事実として扱わないようにね」
「承知いたしました。その点も学院長へ申し伝えます」
責任者は一礼すると、控えていた職員たちへ指示を出し始めた。
ユリウスは、その様子を確認してから小さく頷いた。
オスカーたちへの対応については、王家から正式に手続きを進めることになる。
学院の調査結果が出る前に、すべてを決めてしまうつもりはなかった。
ただし、王太子の婚約者に対する公然の非難と婚約破棄の要求については、学院の判断を待たずとも、王家として確認すべき事柄だった。
また、リリアが受けた被害についても、学院の処分だけで済ませるつもりはない。
関係する各家には、確認された行為に応じた責任を負ってもらう必要があった。
ようやく、卒業パーティーを騒がせた一連の騒動に、区切りがつこうとしていた。
ユリウスは、会場を見渡した。
貴族たちはまだ落ち着かない様子だったが、先ほどまでの険悪な空気は薄れ始めている。
オスカーたちも、これ以上騒ぎを起こすつもりはないらしい。
(……よし。これで、ようやく……)
ユリウスは、ヴィオレッタへ視線を向けた。
彼女は、少し疲れたような表情を浮かべていたものの、こちらに気づくと小さく微笑んだ。
その笑顔を見て、ユリウスは胸をなで下ろした。
まだ、すべての問題が解決したわけではない。
学院の調査も、各家への報告も、これから進めなければならない。
けれど、少なくとも今夜、ヴィオレッタが婚約破棄を言い渡されることはない。
ユリウスは、彼女へ向かって歩き出した。
「……ヴィオレッタ」
「はい、殿下」
彼女が顔を上げる。
ユリウスは、少しだけ照れくさくなりながら微笑んだ。
「……ようやく、君に話したかったことを伝えられそうだよ」
ヴィオレッタは、不思議そうに首を傾げた。
「……私に、でございますか?」
「うん。実は、今日のために、ずっと考えていたことがあるんだ」
その言葉に、ヴィオレッタの目がわずかに見開かれた。
ユリウスは、彼女の反応を見ながら、心の中で小さく笑った。
前世で好きだった物語の結末は、もう関係ない。
今、自分が伝えたいのは、目の前にいるヴィオレッタへの気持ちだけだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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ありがとうございました!




