第11話 婚約破棄ではなく、求婚です!
婚約破棄を覚悟していたヴィオレッタに、これから結婚を申し込もうと思っている。
ただし、一つ問題があった。
(……どうして私が婚約の話をしようとすると、毎回、婚約破棄だと思われるんだろう?)
ユリウスとしては、最初から彼女を手放すつもりなどなかった。
むしろ、これからもずっと一緒にいたいと伝えようとしていたのに、先ほどはオスカーたちが勝手に断罪を始めてしまったのである。
しかも、当のヴィオレッタまで、自分が婚約を破棄するつもりだと思っていたらしい。
(……よし。今度こそ、絶対に誤解されないようにしよう!)
ユリウスは、密かに決意を固めた。
卒業パーティーの会場では、ようやく先ほどの騒動が収まり始めていた。
学院の職員たちが関係者への確認を進めるなか、ユリウスはヴィオレッタの前に立ち、改めて彼女の顔を見つめた。
「……ヴィオレッタ」
「はい、殿下」
ヴィオレッタは、いつものように丁寧な礼を返した。
けれど、その表情にはまだ緊張が残っており、胸元で重ねた両手にも力が入っている。
ユリウスは、その様子を見て少しだけ眉を下げた。
「……ごめんね。せっかくの卒業パーティーなのに、こんなことになってしまって」
「い、いえ! 殿下がお謝りになるようなことではございません。むしろ、私のために……その……」
ヴィオレッタは言葉を探すように視線を伏せた。
やがて、何かを決心したように顔を上げる。
「……殿下。本日は、私を信じてくださり、本当にありがとうございました」
彼女は、深く頭を下げた。
「ヴィオレッタ、顔を上げて。私は、君がしていないことを、していないと言っただけだよ」
「ですが……あのような状況で、私の言葉を信じていただけるとは……」
ヴィオレッタの声が、わずかに震えた。
ユリウスは、その言葉に胸が痛くなった。
彼女は、今日の卒業パーティーで婚約を破棄されると思っていたのだろう。
実際、オスカーたちが騒ぎを起こしたときも、彼女はほとんど反論できず、ただ自分の言葉を待っていた。
(……やっぱり、あの言い方は失敗だったな)
婚約について、はっきりさせておきたいことがある。
自分としては、これからも彼女と一緒にいたいという気持ちを伝えるつもりだった。
けれど、あの言葉だけを聞けば、婚約破棄を告げられるのではないかと不安になるのも無理はない。
ユリウスは、今度こそ誤解されないようにしようと決めた。
「……ヴィオレッタ。実はね、最初に君へ話そうとしていたことが、まだ残っているんだ」
「……婚約についての、お話……でございますか?」
ヴィオレッタの表情が、再び強張った。
ユリウスは慌てて首を振った。
「違う! いや、婚約についての話ではあるんだけど、君が心配しているようなことじゃないよ!」
「……えっ?」
「私は、君との婚約を破棄するつもりなんて、最初から一度もなかったんだ」
ヴィオレッタは、目を大きく見開いた。
「……一度も、でございますか?」
「うん。一度も」
ユリウスは、はっきりと頷いた。
「むしろ、まったく逆のことを考えていたんだよ」
ヴィオレッタは、何度か瞬きをした。
その意味を考えているのか、彼女は口を開きかけては閉じ、困惑した様子でユリウスを見つめている。
「……逆、でございますか……?」
ユリウスは微笑んだ。
「うん。だから、少しだけ時間をもらってもいいかな?」
「……はい。もちろんでございます」
その返事を聞いたユリウスは、会場を見渡した。
騒動の中心となっていたオスカーたちは、学院の職員から説明を受けている。
リリアも別の職員に付き添われ、落ち着いた様子で話をしていた。
その一方で、多くの貴族たちはまだ会場に残り、こちらの様子を気にしているらしい。
(……よし。ちょうどいい)
ユリウスは、会場の責任者を呼び止めた。
「すまない。少しだけ、皆に話をさせてもらってもいいかな?」
「もちろんでございます、殿下。すぐに準備いたします」
責任者が職員へ指示を出すと、ほどなくして会場の音楽が止まった。
何事かと振り返った出席者たちの視線が、再びユリウスへ集まっていく。
ヴィオレッタは、突然のことに驚いたようだった。
「で、殿下……? あの、皆様の前で、でございますか……?」
「うん。できれば、皆にも聞いてもらいたいんだ」
「……っ!」
彼女の肩が、小さく跳ねた。
ユリウスは、その反応を見て苦笑した。
「大丈夫。今度は、変な誤解をされないようにするから」
「……は、はい……」
ヴィオレッタは頷いたものの、まだ何を言われるのか分かっていない様子だった。
ユリウスは、彼女の手を取る前に、そっと尋ねた。
「ヴィオレッタ。手を取ってもいいかな?」
「……えっ? あ、はい……!」
差し出された彼女の手を、ユリウスは優しく握った。
白い手袋越しにも、ヴィオレッタが緊張していることが伝わってくる。
ユリウスは、会場にいる人々へ顔を向けた。
「皆、少しだけ聞いてほしい」
出席者たちが姿勢を正し、ざわめきが静まっていく。
「先ほど、私は婚約について話があると言った。その言葉がきっかけで、婚約破棄を宣言するつもりなのではないかという誤解が生まれてしまったようだね」
ユリウスは、そこで一度言葉を切った。
「だから、まずはっきりさせておくよ。私は、ヴィオレッタとの婚約を破棄するつもりは一切ない」
会場のあちこちから、小さなどよめきが起こった。
先ほどの騒動で、ユリウスが婚約破棄を否定したことは、すでに多くの出席者が聞いている。
それでも、改めて王太子本人の口から宣言されたことで、ようやく安心したように息を吐く者もいた。
ユリウスは、続けた。
「それどころか、私は今日、この場で、ヴィオレッタにお願いしたいことがあったんだ」
隣に立つヴィオレッタが、驚いたようにこちらを見上げた。
「……お願い、でございますか?」
ユリウスは彼女へ向き直った。
「うん。ヴィオレッタ、聞いてくれるかな?」
「……はい……!」
ユリウスは、彼女の手を握ったまま、少しだけ表情を和らげた。
「私たちは、幼い頃から婚約者だったね。最初は、王家とローゼンベルク公爵家が決めた婚約だった」
ヴィオレッタが静かに頷く。
「君はいつも、王太子の婚約者として立派であろうとしてくれた。礼儀作法も、勉強も、将来の王妃として必要なことも、誰より真剣に取り組んでいたよね」
ヴィオレッタの頬が、少しずつ赤くなっていく。
「で、殿下……そのような……」
「でも、私が好きなのは、王妃として努力する君だけじゃないんだ」
ユリウスは、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「頑張りすぎて、たまに疲れた顔をしているところも。褒めると照れてしまうところも。自分のことより先に、周りの人を気遣ってしまうところも」
ヴィオレッタは、言葉を失ったようにユリウスを見つめていた。
「……そういう君を、私はずっと見てきたんだよ」
ユリウスは微笑んだ。
「そして、気づいたんだ。私は、王家が決めた婚約者だから君と結婚するんじゃない。君がヴィオレッタだから、一緒にいたいんだって」
ヴィオレッタの瞳が揺れた。
「……殿下……」
彼女の声は、ほとんど囁くようだった。
ユリウスは、握っていたヴィオレッタの手をそっと離した。
そして、彼女の正面で一歩下がると、右膝を床につき、左膝を立てた姿勢でヴィオレッタを見上げた。
「……っ!?」
ヴィオレッタが息を呑んだ。
周囲の貴族たちも、一瞬遅れてざわめき始める。
「で、殿下……!? な、何を……!」
ユリウスは、驚く彼女を見上げた。
「ヴィオレッタ・ローゼンベルク嬢」
彼女は、背筋を伸ばしたまま固まっていた。
「私は、君を愛している」
「…………えっ?」
あまりにも小さな声だった。
ユリウスは、思わず笑みを深くした。
「王太子としてではなく、ユリウスという一人の男として、君を愛しているんだ」
ヴィオレッタの顔が、一気に真っ赤になった。
「……あ、あの……で、殿下……!?」
「だから、改めてお願いしたい」
ユリウスは、彼女へ右手を差し出した。
「ヴィオレッタ。どうか、私と結婚してください」
会場が、静まり返った。
先ほどまで騒動の行方を見守っていた貴族たちは、誰もすぐには声を出せなかった。
ヴィオレッタも、差し出された手を見つめたまま動かない。
ユリウスは、急かさずに彼女の返事を待った。
「……わ、私……」
ようやく、ヴィオレッタが口を開いた。
「……私で、よろしいのでしょうか……?」
その言葉に、ユリウスは首を傾げた。
「君じゃなきゃ嫌なんだけど?」
「……っ!」
ヴィオレッタは、両手で口元を押さえた。
真っ赤になった顔を隠そうとしているのだろうが、耳まで赤くなっているため、あまり意味はなさそうだった。
(……かわいい)
ユリウスは、思わずそう考えてしまった。
前世で読んだ物語の中では、彼女は悪役令嬢として断罪され、婚約者から見捨てられる人物だった。
けれど、目の前にいるヴィオレッタは違う。
誰より真面目で、少し不器用で、自分の気持ちを伝えるのが苦手な少女だ。
そして、自分が本当に大切にしたいと思っている相手でもある。
「……ヴィオレッタ。私は、君の返事が聞きたいな」
彼女は、何度か小さく息を吸った。
やがて、口元を覆っていた手を下ろし、ユリウスを見つめる。
「……殿下。私は……ずっと、殿下のおそばにいたいと、思っておりました」
その声は、まだ震えていた。
「けれど、婚約は王家と公爵家の間で決められたものですから……私の気持ちを、お伝えしてよいのか分からなくて……」
ユリウスは、黙って彼女の言葉を聞いた。
「……それでも、殿下が私を見てくださるたびに、嬉しくて……。お話しできる日を、いつも楽しみにしておりました……」
ヴィオレッタの瞳に、涙が浮かんだ。
「……私も、殿下を……ユリウス様を、お慕いしております……!」
ユリウスの胸が、大きく高鳴った。
彼女が初めて、王太子という立場ではなく、自分自身への想いを口にしてくれた。
「……本当に?」
「……はい……!」
ヴィオレッタは、涙をこぼしながら微笑んだ。
「……私でよろしければ、どうか……末永く、おそばに置いてくださいませ……!」
ユリウスは、差し出していた手をそっと持ち上げた。
「……ありがとう、ヴィオレッタ」
彼女がその手を取ると、ユリウスは立ち上がった。
「でも、一つだけ訂正させてほしいな」
「……えっ?」
ヴィオレッタが、不思議そうに瞬きをした。
「君を私のそばに置くんじゃないよ。これからは、私たちが一緒に歩いていくんだ」
その言葉に、ヴィオレッタは再び目を潤ませた。
「……はいっ!」
今度は、はっきりとした返事だった。
次の瞬間、会場のどこかから拍手が起こった。
それはすぐに周囲へ広がり、やがて大きな拍手となって二人を包み込んだ。
「おめでとうございます、殿下!」
「ヴィオレッタ様、おめでとうございます!」
「なんと素晴らしい……!」
祝福の声が、次々に上がる。
ヴィオレッタは、突然の拍手に驚きながらも、ユリウスの隣で何度も頭を下げていた。
その頬は、まだ真っ赤なままだ。
ユリウスは、そんな彼女を見て微笑んだ。
(……よかった)
今度こそ、ちゃんと伝えられた。
ユリウスは、ヴィオレッタの手を握り直した。
「……ヴィオレッタ」
「……はい、ユリウス様」
彼女が、少し照れくさそうに名前を呼んだ。
その響きに、ユリウスは思わず頬を緩める。
「これからも、よろしくね」
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヴィオレッタは、幸せそうに微笑んだ。
ユリウスは、その笑顔を見ながら、心の中で小さく拳を握った。
(……よしっ! 推しとの結婚、確定!!)
もっとも、今の彼にとってヴィオレッタは、もはや物語の中の推しというだけの存在ではない。
彼女は、これから人生を共にする、大切な婚約者なのだから。
……とはいえ。
(……あれ? ちょっと待って?)
ユリウスは、ふと気づいた。
婚約者に求婚し、その婚約者から結婚の承諾をもらった。
つまり、よく考えてみれば――。
(……これ、婚約している相手に、もう一回婚約を申し込んだようなものでは……?)
ユリウスは、今さらながら自分の行動を振り返った。
王太子が卒業パーティーの真ん中で片膝をつき、すでに婚約している公爵令嬢へ、改めて結婚を申し込んだのである。
しかも、出席者全員の前で。
(……いや、でも! 婚約は家同士で決まったものだったし! 本人の意思を確認するのは大事だし! うん、何もおかしくない!)
ユリウスは、心の中で必死に自分へ言い聞かせた。
すると、隣にいたヴィオレッタが、そっと彼の袖を引いた。
「……あの、ユリウス様」
「ん? どうしたの?」
「……その……先ほどのお言葉、とても嬉しかったのですが……」
ヴィオレッタは、頬を染めたまま小さく首を傾げた。
「……私たち、もともと婚約者でございましたよね……?」
「…………」
ユリウスは、固まった。
ヴィオレッタは、慌てて両手を振った。
「い、いえっ! もちろん、嬉しかったのです! 本当に、本当に嬉しかったのですが……その……!」
彼女は、何と続ければいいのか分からなくなったらしい。
ユリウスは、数秒ほど沈黙したあと、ゆっくりと頷いた。
「……うん。そうだね」
そして、照れくさそうに笑った。
「でも、どうしても君に言いたかったんだ。家同士の約束だからじゃなくて、私自身が君と結婚したいって」
「……っ!」
ヴィオレッタは、再び顔を真っ赤にした。
「……そ、そんなふうに仰られたら……私、どうすれば……!」
彼女は困ったように視線を泳がせたあと、とうとうユリウスの胸元へ顔を伏せてしまった。
ユリウスは、そんな彼女の肩へそっと手を添えた。
(……ああ、もう。本当にかわいいな……)
前世で何度も読み返した物語では、決して見ることのできなかった光景だった。
悪役令嬢は断罪されなかった。
そして、王太子は――。
(……うん。やっぱり、この未来が一番いい)
ユリウスは、腕の中で顔を赤くしているヴィオレッタを見つめ、心からそう思った。
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