第12話 ……もしかして、あなたも転生者ですか?
卒業パーティーで婚約者に求婚した結果、ヴィオレッタから結婚の承諾をもらえた。
そこまでは、よかった。
ただし、ユリウスには、婚約者へどうしても打ち明けなければならない秘密があった。
(……前世の記憶があるなんて言ったら、ヴィオレッタはどう思うんだろう?)
しかも、秘密はそれだけではない。
この世界が前世で読んだ物語によく似ていることも、その物語で彼女が悪役令嬢として断罪されることも、ユリウスは知っていた。
(……いや、でも! 結婚するんだから、いつまでも隠しておくわけにはいかないよね!)
ユリウスは、隣を歩くヴィオレッタをちらりと見た。
彼女は先ほどから、頬を赤くしたまま何度もこちらを見上げ、そのたびに慌てて視線を逸らしている。
(……かわいい。ものすごくかわいい)
問題は、その彼女が自分の腕に手を添えていることだった。
婚約者なのだから、エスコートするのは当然だ。
これまでも何度となく腕を組んで歩いてきたし、今さら緊張するようなことではないはずだった。
ところが、今日に限っては違う。
彼女が少し身を寄せるだけで、ユリウスは先ほどの告白を思い出してしまうのだ。
(……私も、ユリウス様を、お慕いしております……!)
(……っ! 駄目だ! 思い出しただけで顔が緩む!)
ユリウスは、口元に浮かびかけた笑みを慌てて引っ込めた。
「……ユリウス様?」
「ん!? あ、いや、何でもないよ!」
「……そう、でございますか?」
ヴィオレッタは不思議そうに首を傾げたあと、また頬を赤らめた。
どうやら、彼女も同じような状態らしい。
卒業パーティーは、まだ完全には終わっていなかった。
先ほどの騒動に関する確認が続いているため、会場には学院の職員や一部の貴族たちが残っている。
ユリウスは責任者に声を掛け、ヴィオレッタと少し休みたいことを伝えた。
案内されたのは、会場に隣接する小さな応接室だった。
室内には長椅子と丸いテーブルが置かれ、壁際の燭台には明かりが灯されている。
窓の向こうには学院の庭園が広がり、夜の花壇が月明かりに照らされていた。
案内役の職員が退出すると、部屋には二人だけが残された。
「……ようやく、静かになったね」
「はい……。本日は、本当にいろいろなことがございました」
ヴィオレッタは、長椅子に腰を下ろしながら小さく息を吐いた。
ユリウスも隣に座ったが、彼女との間には一人分ほどの距離を空けた。
先ほどまで人前で愛を告げていたというのに、二人きりになった途端、何を話せばよいのか分からなくなってしまったのである。
(……おかしいな。さっきはあんなに堂々とプロポーズできたのに)
ユリウスが隣を見ると、ヴィオレッタもこちらを見ようとしていたらしく、目が合った。
「……っ!」
「……あっ」
二人は、ほとんど同時に視線を逸らした。
数秒の沈黙が流れる。
「……ふふっ」
先に笑ったのは、ヴィオレッタだった。
「……ごめんなさい。私、何だかおかしくなってしまって……」
「いや、私もだよ。さっきから、君の顔を見るだけで落ち着かなくてね」
ユリウスが苦笑すると、ヴィオレッタはさらに頬を染めた。
「……そ、そのようなことを仰らないでくださいませ……。私まで、どうしてよいか分からなくなってしまいます……!」
その反応に、ユリウスは思わず笑ってしまった。
ヴィオレッタも、つられるように笑みを浮かべる。
ようやく緊張が和らいだところで、ユリウスは姿勢を正した。
「……ヴィオレッタ。少し、真面目な話をしてもいいかな?」
「はい。何でございましょう?」
彼女は、すぐに背筋を伸ばした。
ユリウスは、その様子を見て慌てて手を振る。
「ああ、そんなに構えなくて大丈夫! 婚約破棄の話じゃないから!」
「……っ! も、もう、そのような心配はしておりません!」
ヴィオレッタは頬を膨らませかけ、すぐに自分の表情に気づいたように口元を押さえた。
「……し、失礼いたしました……」
「いや、今のは私が悪かった。ごめんね」
ユリウスは笑いをこらえながら謝った。
けれど、これから話そうとしていることは、決して軽い内容ではない。
彼は、扉が閉まっていることを確かめてから、声を落とした。
「……実は、君にずっと隠していたことがあるんだ」
「……隠していたこと、でございますか?」
ヴィオレッタの表情が変わった。
「うん。誰にも話したことがないし、正直、君に信じてもらえるかどうかも分からない」
ユリウスは、膝の上で両手を組んだ。
前世の記憶があること。
この世界が、かつて自分が読んだ物語とよく似ていること。
そして、その物語では、ヴィオレッタが悪役令嬢として断罪されること。
どこまで話すべきなのか、迷いがなかったわけではない。
けれど、これから彼女と人生を共にするのなら、いつまでも隠しておきたくはなかった。
「……ヴィオレッタ。これから話すことを、笑わずに聞いてくれるかな?」
「もちろんでございます。ユリウス様のお話を、笑ったりなどいたしません」
彼女は、真剣な顔で頷いた。
ユリウスは、一度だけ深く息を吸った。
「……実は私には、前世の記憶があるんだ」
ヴィオレッタが、ぴたりと動きを止めた。
「……前世、でございますか?」
「うん。私は、この世界とはまったく違う場所で、一度別の人生を送っている」
ユリウスは、彼女の反応を確かめながら続けた。
「そこには魔法も貴族もなくて、誰もが馬車より速い乗り物を使い、遠く離れた人とも簡単に話せるような世界だった」
ヴィオレッタは、何も言わなかった。
ただ、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめている。
「その世界で私は、ごく普通の人間として暮らしていたんだ。そして、前の人生を終えたあと、この国の王太子として生まれ変わった」
ユリウスは、そこで言葉を切った。
「……信じられない、よね?」
ヴィオレッタは答えなかった。
彼女は俯いたまま、何かを考え込んでいるようだった。
(……やっぱり、急にこんな話をされても困るよな)
ユリウスは、少しだけ肩を落とした。
「ごめんね。突然、変な話をしてしまって。無理に信じてほしいとは――」
「……日本、ですか?」
「…………えっ?」
ユリウスは、言葉を失った。
ヴィオレッタは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、驚きと期待が入り交じっていた。
「……ユリウス様が以前に暮らしていらっしゃった世界は、日本という国ではございませんか?」
ユリウスは、思わず彼女を見つめ返した。
「……どうして、その名前を……?」
日本。
この世界で、その国の名を聞いたことは一度もない。
少なくとも、王宮の書物や各国の地図には存在しない名前だった。
ヴィオレッタの唇が、小さく震えた。
「……では、本当に……?」
彼女は、胸元に手を当てた。
「……私も、なのです」
「……えっ?」
「私にも、前世の記憶がございます。日本で暮らしていた頃の記憶が……!」
ユリウスは、数秒間、何も言えなかった。
(…………は?)
今、何と言った?
ヴィオレッタにも、前世の記憶がある?
しかも、日本?
「……ちょ、ちょっと待って!? ヴィオレッタも転生者なの!?」
「は、はいっ! ユリウス様も、なのでございますよね!?」
「うん! そうだけど! えっ、本当に!?」
「本当でございます! 私も、ずっと誰にも話せずにおりました……!」
二人は、互いの顔を見つめた。
そして、ほとんど同時に声を上げた。
「「……えええええっ!?」」
その声は、静かな応接室に思いのほか大きく響いた。
ユリウスは慌てて口を押さえ、扉の方を振り返った。
(……まずい! 廊下に聞こえた!?)
しばらく耳を澄ませたが、外から足音が近づいてくる気配はない。
ユリウスがほっと息を吐くと、ヴィオレッタも同じように胸を撫で下ろした。
「……び、びっくりした……」
「……わ、私もでございます……」
二人は顔を見合わせた。
そして、今度は声を抑えながら笑い始めた。
「……まさか、君も日本人だったなんて……」
「……私も、夢にも思いませんでした。ユリウス様が同じ世界からいらした方だったなんて……」
ヴィオレッタは、嬉しそうに微笑んだ。
ユリウスは、まだ信じられない気持ちで彼女を見つめた。
「……じゃあ、ヴィオレッタ。スマートフォンって、分かる?」
「……はい。もちろん存じております」
「……電車は?」
「毎日のように利用しておりました」
「……コンビニは?」
「……ユリウス様。私も日本で暮らしていたのでございますよ?」
ヴィオレッタは、少し呆れたように微笑んだ。
ユリウスは、思わず両手で顔を覆った。
(……本物だ! 本当に日本人だ!)
だが、彼が感動していると、ヴィオレッタが小さく首を傾げた。
「……ところで、ユリウス様。先ほどから、なぜそのような質問ばかり……?」
「いや、その……あまりにも驚いたから、つい確認したくなって……」
「……ふふっ。では、私からも一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「もちろん!」
ヴィオレッタは、少しだけ考えてから口を開いた。
「……おにぎりの具は、何がお好きでしたか?」
「…………えっ?」
ユリウスは、予想外の質問に瞬きをした。
「……鮭、かな?」
「……私は、梅干しが好きでした」
「……そ、そうなんだ……」
二人は、しばらく顔を見合わせた。
そして、同時に笑い出した。
「……あははっ! 何を確認してるんだろう、私たち!」
「ふふっ……! 本当に、おかしいですわ……!」
笑いながら、ユリウスは胸の奥が温かくなるのを感じた。
王太子として生きてきた十八年間、前世の話をできる相手は一人もいなかった。
それが今、最も大切な婚約者と、日本の何でもない日常について話している。
(……すごいな。こんなことって、あるんだ)
けれど、ユリウスはふと疑問を覚えた。
(……待てよ?)
彼女が転生者だということは分かった。
けれど、それだけでは説明できないことがある。
ユリウスは、慎重に尋ねた。
「……ヴィオレッタ。もう一つ、聞いてもいいかな?」
「はい。何でございましょう?」
「……君は、この世界に見覚えがあったりする?」
ヴィオレッタの笑顔が、すっと消えた。
「……見覚え、でございますか?」
「うん。例えば、前世で読んだ物語に似ているとか……」
その瞬間、ヴィオレッタの顔色が変わった。
「……っ!」
ユリウスは、その反応を見逃さなかった。
(……やっぱり!)
彼女は、明らかに何かを知っている。
「……ヴィオレッタ?」
「……ユリウス様。もしかして……」
ヴィオレッタは、恐る恐る口を開いた。
「……この世界が、物語の中の世界だということも、ご存じなのですか……?」
ユリウスは、ゆっくりと頷いた。
「……うん。知っているよ」
ヴィオレッタは、両手で口元を押さえた。
「……そんな……!」
彼女の瞳が、大きく揺れた。
ユリウスは、そこでようやく理解した。
ヴィオレッタは、ただ前世の記憶を持っているだけではない。
自分と同じように、この世界の物語を知っているのだ。
(……待って。それじゃあ、ヴィオレッタは……)
ユリウスは、隣に座る婚約者を見つめた。
(……自分が悪役令嬢として断罪される未来も、最初から知っていたってこと!?)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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