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第13話 前世から、君が推しでした!

「……ヴィオレッタ。君は、自分が悪役令嬢だということも知っていたんだね?」


 ユリウスの問いかけに、ヴィオレッタはびくりと肩を震わせた。


 先ほどまで嬉しそうに笑っていた彼女は、膝の上で両手を握りしめ、何かを言おうとしては唇を閉じている。


 ユリウスは急かさず、彼女が話し始めるのを待った。


「……はい」


 やがて返ってきた声は、先ほどまでの明るさを失っていた。


「……私は、この世界が前世で読んだ物語と同じだと気づいてから、ずっと怖かったのです」


 ヴィオレッタは一度だけ顔を上げたものの、ユリウスと目が合うと、すぐに視線を落としてしまった。


「……物語の中のヴィオレッタは、最後に婚約を破棄されてしまいます。だから、私もいつか、ユリウス様から見捨てられるのではないかと……」


 彼女は、膝の上で握った両手を見つめた。


「……嫌がらせなど、絶対にしてはならないと思っておりました。けれど、私が何度止めても、周りの方々は聞いてくださらなくて……」


 ユリウスは、静かに頷いた。


 先ほどの騒動で、ヴィオレッタが何度も嫌がらせを止めようとしていたことは確認されている。


 それなのに、周囲の令嬢たちは彼女の意図を勝手に決めつけ、オスカーまで彼女が黒幕だと信じ込んでいた。


(……やっぱり、あの妙な思い込みは……)


 ユリウスは、オスカーとのやり取りを思い出した。


 証拠がないと指摘されても、彼はなかなか考えを変えられなかった。

 まるで、最初からヴィオレッタが悪人だと決まっているかのようだった。


 だが、今はその疑問を追及するより、先に伝えたいことがある。


「……ヴィオレッタ」


 ユリウスは、彼女の手にそっと自分の手を重ねた。


「君が今日まで、どんな気持ちで過ごしていたのか、ようやく少し分かった気がするよ」

「……ユリウス様……」

「でも、もう一人で抱え込まなくていい。私も、その物語を知っているから」


 ヴィオレッタは、驚いたように顔を上げた。


「……では、殿下は……私が断罪される未来を、ご存じだったのですか……?」

「うん。知っていたよ」


 ユリウスは、はっきりと答えた。


「だから、絶対にそんな未来にはしないって決めていたんだ」


 ヴィオレッタの瞳に、再び涙が浮かんだ。


「……私のために、でございますか……?」

「もちろん。大好きな君が、何もしていないのに断罪されるなんて、絶対に嫌だったからね」


 ユリウスは、少し照れくさそうに笑った。


「……それに、実を言うとね。前世から、私は君のことが大好きだったんだ」


 ヴィオレッタは、目を瞬かせた。


「……前世から、でございますか?」

「うん。物語を読んでいた頃から、ずっとヴィオレッタが一番好きだった」


 ユリウスは、そこまで言ってから、少しだけ視線を逸らした。


「……いわゆる、推しだったんだよ」


 数秒の沈黙が流れた。


「…………推し?」


 ヴィオレッタは、ぽかんとした顔でユリウスを見つめた。


 ユリウスは、ゆっくりと頷いた。


「……うん。推し」

「……私が、でございますか?」

「……うん。君が」


 ヴィオレッタは、自分の胸元を指さした。


「……あの物語の、悪役令嬢のヴィオレッタが……?」

「そう! そのヴィオレッタが!」


 ユリウスは、思わず身を乗り出した。


「だって、君は悪役令嬢なんて呼ばれていたけど、婚約者として一生懸命努力していたし、物語でも不器用なだけで、本当はそんなに悪い子じゃなかっただろう!?」


 ヴィオレッタは、勢いに押されて少し身を引いた。


「……は、はい……?」

「それなのに、最後は全部悪者にされて婚約破棄だよ!? あんな結末、納得できるわけがないじゃないか!」


 ユリウスは、思わず拳を握りしめた。


「……だから、この世界に転生したと気づいたとき、絶対に君を幸せにするって決めたんだ!」


 言い終えてから、ユリウスは我に返った。


(…………あ)


 しまった。


 つい、前世で物語を読んでいた頃の熱量が出てしまった。


 しかも、本人の目の前で。


(……これは、ちょっと引かれたかもしれない……)


 ユリウスは、恐る恐るヴィオレッタを見た。


 彼女は、両手で顔を覆っていた。


「……ヴィオレッタ?」

「……ユリウス様……」

「……はい」


 なぜか、ユリウスまで背筋を伸ばしてしまった。


 ヴィオレッタは、指の隙間からこちらを見つめた。


「……それは、ずるいです……」

「……えっ?」

「……前世から好きだったなんて……そんなことを言われたら……」


 彼女は、ますます顔を赤くした。


「……私、どうすればよいのか分からなくなってしまいます……!」


 ユリウスは、数秒ほど固まった。


 そして、思わず両手で顔を覆った。


(……っ! かわいすぎるんだけど!?)


 前世から推していた悪役令嬢が、自分の言葉で真っ赤になっている。


 しかも、今はその本人から結婚を承諾してもらったばかりなのだ。


(……何これ。前世の私に見せてあげたい……!)


 ユリウスは、どうにか平静を取り戻そうと深呼吸した。


「……ご、ごめんね。ちょっと熱くなりすぎた」

「……い、いえ……。嬉しかった、です……」


 ヴィオレッタは、顔を伏せたまま小さく答えた。


 その言葉を聞いて、ユリウスはもう一度深呼吸する羽目になった。


 しばらくして、ようやく落ち着いたヴィオレッタが顔を上げた。


「……でも、ユリウス様。一つだけ、気になることがございます」

「ん? 何かな?」

「……先ほど、私のことを前世からお好きだったと仰いましたよね?」

「うん。そうだよ」

「……では、私がヴィオレッタとして生まれたと知ったときから、ずっと……?」


 ユリウスは、少し考えてから頷いた。


「最初は、物語の登場人物として好きだったんだ。でも、一緒に過ごすうちに、今の君自身を好きになったんだよ」


 ヴィオレッタは、じっとユリウスを見つめた。


「……今の、私自身を……」

「うん。物語のヴィオレッタじゃなくて、目の前にいる君をね」


 ユリウスは、彼女の手を優しく握った。


「だから、今日のプロポーズも、前世の物語とは関係ない。私自身の気持ちだよ」


 ヴィオレッタは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、目元を拭いながら微笑んだ。


「……ありがとうございます、ユリウス様。私も、今のユリウス様が大好きです」


 その言葉に、ユリウスの頬が緩んだ。


「……ありがとう。すごく嬉しいよ」


 二人は、しばらく手を握ったまま見つめ合っていた。


 そのとき、ヴィオレッタが何かを思い出したように首を傾げた。


「……ところで、ユリウス様」

「ん?」

「……前世では、私のことを『推し』と仰っていたのですよね?」

「うん。そうだけど?」


 ヴィオレッタは、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「……では、今も私は、ユリウス様の『推し』なのでしょうか?」


 ユリウスは、少し考えた。


 そして、にっこりと笑った。


「もちろん。今は、世界で一番大好きな推しで、世界で一番大切な婚約者だよ」


「……っ!」


 ヴィオレッタは、また真っ赤になった。


「……も、もうっ! ユリウス様は、どうしてそんなことを平然と仰るのですか……!」

「えっ? だって、本当のことだからね」

「……そ、そういうところでございます……!」


 ヴィオレッタは、恥ずかしそうに顔を伏せた。


 ユリウスは、そんな彼女を見て楽しそうに笑った。


 前世では、物語の中でしか会えなかった悪役令嬢。


 その彼女が今、自分の隣で笑っている。


 しかも、同じ日本から転生してきた人物だった。


(……人生って、本当に何が起こるか分からないな)


 ユリウスは、握っていたヴィオレッタの手に、そっと力を込めた。


 ヴィオレッタも、嬉しそうに握り返してくれる。


 けれど、そのとき。


「……あっ」


 ユリウスは、あることに気づいた。


(……待って。ヴィオレッタも物語を知っているってことは……)


 彼女は、自分が悪役令嬢だと知っていた。


 婚約破棄される未来も知っていた。


 ということは、当然――。


(……私が原作で、どんな王太子だったかも知っているってことだよね!?)


 ユリウスは、ゆっくりとヴィオレッタへ顔を向けた。


「……あの、ヴィオレッタ?」

「はい。何でございましょう?」

「……一つだけ、聞いてもいいかな?」

「もちろんでございます」


 ヴィオレッタは、にこやかに頷いた。


 ユリウスは、少しだけためらってから口を開いた。


「……君って、原作の私のこと、どう思っていた?」


 ヴィオレッタは、一瞬だけ目を瞬かせた。


 そして、少し困ったように微笑んだ。


「……正直に申し上げても、よろしいのでしょうか?」

「……うん。できれば、正直に……」


 ユリウスは、思わず背筋を伸ばした。


 ヴィオレッタは、少し考え込んだあと、静かに答えた。


「……あまり、好きではございませんでした」


「…………えっ?」


 ユリウスは、固まった。


 ヴィオレッタは、慌てて付け加えた。


「い、いえっ! 今のユリウス様は大好きでございます! 本当に、大好きなのですけれど……!」


 彼女は、少しだけ視線を逸らした。


「……原作の殿下は、私の話をほとんど聞いてくださいませんでしたし……」


 ユリウスは、何も言えなかった。


「……最後には、大勢の方々の前で婚約を破棄なさって……」


 ヴィオレッタは、困ったように笑った。


「……その……少し、ひどい方だと思っておりました……」


「…………」


 ユリウスは、ゆっくりと天井を見上げた。


(……ですよねえええええっ!!)


 前世で大好きだった悪役令嬢。


 その本人から、原作の自分はあまり好きではなかったと告げられた。


 しかも、反論できる要素が一つもない。


(……いや、待って。私が悪いわけじゃないよね!? 原作の王太子と今の私は別人だよね!?)


 ユリウスは、心の中で必死に自分へ言い聞かせた。


 だが、今の自分も、まさにその王太子の名前と顔を持っている。


(……うわあああっ! 推しからの原作キャラ評価が、本人に直撃するなんて聞いてないよ!)


 ユリウスは、思わず両手で顔を覆った。


「……ユ、ユリウス様!? だ、大丈夫でございますか!?」

「……うん。大丈夫。ちょっと前世の推し活が、思わぬ形で自分に返ってきただけだから……」

「……お、推し活が……返って……?」


 ヴィオレッタは、ますます困惑した様子で首を傾げた。


 ユリウスは、顔を覆ったまま小さく頷いた。


(……よかった。本当に、原作どおりにならなくてよかった……!)


 ユリウスは、心の底からそう思った。


 すると、ヴィオレッタがそっと彼の袖を引いた。


「……ですが、ユリウス様」

「……ん?」


 彼女は、優しく微笑んだ。


「……今のユリウス様は、私が誰よりも大好きな方でございます」


 ユリウスは、彼女を見つめた。


 そして、思わず笑みを浮かべた。


「……ありがとう、ヴィオレッタ」


 原作の王太子がどうだったかなんて、もう関係ない。


 今、自分が彼女を愛していること。

 そして、彼女も自分を愛してくれていること。


 それだけで、十分だった。


(……うん。これからも、絶対に幸せにするからね)


 ユリウスは、改めてそう決意した。


 けれど、そこで一つ、気になっていたことを思い出した。


「……そういえば、ヴィオレッタ」

「はい。何でございましょう?」

「君も、原作の展開を変えようとしていたんだよね?」

「……はい。できる限り、物語とは違う行動を取ろうとしておりました」


 ヴィオレッタは、少しだけ表情を曇らせた。


「……ですが、不思議なのです。私が何もしなくても、原作で起こるはずだった出来事が、形を変えて起こってしまって……」

「……今日の断罪も、その一つだね」

「はい……。私は嫌がらせを命じておりませんし、ユリウス様も婚約破棄を望んでいらっしゃらなかった。それなのに、皆様は原作と同じ結末へ進もうとなさっていました」


 ユリウスは、先ほどのオスカーの姿を思い出した。


 彼とは幼い頃からの付き合いで、学院でも何度となく意見を交わしてきた。

 オスカーは思い込みの強いところこそあるものの、普段は相手の話を聞き、間違いを指摘されれば考え直せる人物だった。


 ところが、今日の彼は違っていた。


 ヴィオレッタが嫌がらせを命じた証拠を求めても、彼は周囲の証言を繰り返すばかりだった。

 しかも、ユリウスが婚約について話そうとした途端、その内容を確かめもせず、婚約破棄を求めてきたのだ。


(……そうだ。あのときのオスカーは、私が何を言うつもりなのか、最初から決めつけていた)


 ユリウスは、ヴィオレッタへ視線を戻した。


「……オスカーも、普段とは様子が違っていたんだ。彼は私の友人だし、いつもなら、こちらの説明をあそこまで聞かないなんてことはないはずなのに……」


 ヴィオレッタは、驚いたように目を見開いた。


「……オスカー様も、でございますか?」

「うん。君が悪いと信じ込んでいたことも不思議だけど、それ以上に、私が婚約破棄を望んでいると決めつけていたことが気になるんだ」


 ユリウスは、膝の上に置いた手を見つめた。


 卒業パーティーで自分が口にしたのは、婚約について明確にするという言葉だけだった。


 それなのに、オスカーたちは婚約破棄が宣言されるものと確信し、ヴィオレッタへの非難を強めていった。


(……偶然、なのかな?)


 ユリウスは、もう一度あの場面を思い返した。


 自分の言葉が誤解されたというだけなら、説明すれば済むはずだった。

 けれど、オスカーは訂正を受け入れるまでに、普段の彼からは考えられないほど時間がかかっていた。


(……いや。さすがに、偶然で片づけるにはおかしすぎる)


 ユリウスは、ヴィオレッタの手を握り直した。


「……ヴィオレッタ。一つ、約束してほしい」

「……はい?」

「これから先、原作と同じような出来事が起きたら、どんな小さなことでも私に教えてほしいんだ」

「……ユリウス様……」

「私も、気づいたことは全部君に話す。二人で考えれば、きっと分かることもあると思うから」


 ヴィオレッタは、少し驚いたあと、嬉しそうに微笑んだ。


「……はい。お約束いたします」


 ユリウスも、彼女へ微笑み返した。


 婚約破棄は回避できた。


 ヴィオレッタの無実も、ようやく認められ始めている。


 けれど、今日の騒動には、まだ説明のつかないことが残っていた。


 ユリウスは、卒業パーティーでオスカーが口にした言葉を思い出した。


『殿下! 婚約破棄を!』


 自分は一度も、そんなことを望んでいなかった。


 それなのに、なぜ彼らは、そこまでして婚約を破棄させようとしたのだろう。


(……もしかして、この物語は……)


 ユリウスは、そこまで考えてから、隣に座るヴィオレッタを見た。


 彼女は、安心したように微笑んでいる。


 その笑顔を見て、ユリウスは改めて決意した。


(……絶対に、君を手放したりしない)


 たとえ、物語そのものが、二人の婚約破棄を望んでいたとしても。


 ――その結末だけは、絶対に認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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ありがとうございました!

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