第7話 原作どおりのはずなのに
ところが、学院生活が進むにつれて、リリアの周囲では原作と同じような出来事が起こり始めた。
教科書がなくなったり、提出するはずの課題が見当たらなくなったりすることが続き、廊下では身分をわきまえるべきだと陰口を言われるようになった。
最初は驚いたリリアだったが、嫌がらせをしている令嬢たちがヴィオレッタの周囲にいる人物だと知り、原作の展開を思い出した。
(……やっぱり、始まったんだ)
ヴィオレッタ本人から直接何かをされたわけではなかったが、取り巻きの令嬢たちは彼女のためだと口にしていた。
そのため、リリアはヴィオレッタが裏で命じているのだろうと考えるようになった。
ところが、ある日、思いがけない話を耳にした。
ヴィオレッタが取り巻きの令嬢たちを呼び、リリアへの嫌がらせを厳しく禁じたというのだ。
(……え? どういうこと?)
原作ではヴィオレッタ自身が嫌がらせを命じていたはずなのに、今はまったく逆のことを言っているらしい。
リリアは戸惑ったものの、その後も嫌がらせは続いた。
令嬢たちは相変わらずヴィオレッタのためだと言い、彼女の立場を守る必要があると主張していた。
(……表向きには、止めてるだけなのかな……?)
公爵令嬢であるヴィオレッタが、自分の手を汚さずに嫌がらせをさせている。
そう考えれば、原作と違う言動にも説明がつくように思えた。
ただし、ヴィオレッタが命じたという証拠を、リリアが見つけたわけではなかった。
それでも、嫌がらせが起きるたびに、彼女への疑いは強くなっていった。
そして、ユリウスとの関係についても、思うように進まないことが増えていた。
原作では、リリアが困っているとき、ユリウスはいつも彼女の味方になってくれた。
学院で嫌がらせを受けた際にも、彼女を慰め、守ろうとしてくれたはずだった。
今のユリウスも、困っていると話せば真剣に耳を傾けてくれたが、その対応はリリアが期待していたものとは少し違っていた。
「それは困ったね。学院側へ正式に相談した方がいい。必要なら、担当の先生に話が伝わるようにしておくよ」
ユリウスは学院の規則に沿った対応を勧めてくれるものの、ヴィオレッタを責めることはなかった。
(……どうして? 原作では、もっと私のことを……)
リリアは何度も首を傾げたが、ユリウスが自分を嫌っているとは思えなかった。
話しかければ笑顔で答えてくれるし、困っていれば相談にも乗ってくれる。
だから、まだ恋愛感情を自覚していないだけなのだと考えることにした。
そんなある日、リリアは学院の廊下でユリウスと話す機会を得た。
授業で分からなかった部分を教えてもらい、礼を言おうとしたときだった。
「殿下、本当にありがとうございます!」
嬉しくなったリリアは、思わずユリウスの腕に手を添えた。
ユリウスは困ったように視線を落とし、リリアの手へ目を向けていた。
そのとき、別の声がした。
「リリア様。少しよろしいでしょうか?」
振り向くと、そこにはヴィオレッタが立っていた。
(……来た!)
リリアは、原作にあった場面を思い出して身構えた。
原作にも、ヴィオレッタがユリウスと親しくしているリリアを注意する場面があった。
そのときのヴィオレッタは嫉妬を隠そうともせず、王太子へ近づくなと厳しく言い放っていた。
リリアは慌ててユリウスの腕から手を離し、ヴィオレッタへ向き直った。
「……ヴィオレッタ様?」
ヴィオレッタは、まずユリウスへ一礼した。
「殿下。お話し中に失礼いたします。リリア様へ、少しお伝えしたいことがございます」
「うん。構わないよ」
ユリウスが頷いたのを確認してから、ヴィオレッタはリリアへ向き直った。
「リリア様。殿下とお話しになること自体を咎めるつもりはございません。ですが、婚約者のいらっしゃる男性に、不用意に触れることは控えた方がよろしいかと存じます」
「……え?」
リリアは予想していた言葉と違ったことに驚き、思わず目を見開いた。
「殿下は王太子でいらっしゃいます。私たちにはそれぞれの立場がございますし、礼儀を守らなければ、リリア様ご自身が不必要な誤解を受けることにもなります」
「……でも、私は、ただ殿下とお話ししていただけで……」
「ええ。それは承知しております。ですから、お話しになることを禁じているわけではございません。ただ、周囲からどのように見られるかという点にも、お気をつけいただきたいのです」
ヴィオレッタの口調は、リリアが想像していたよりもずっと穏やかだった。
(……あれ? もっと怒るはずじゃ……)
リリアはヴィオレッタの顔を見つめたが、彼女は睨みつけることも声を荒らげることもなく、ただ静かに返事を待っていた。
どう答えるべきか迷った末、リリアは小さく頷いた。
「……分かりました」
「ありがとうございます。どうか、今後はお気をつけくださいませ」
それだけで話は終わり、ヴィオレッタはそれ以上リリアを責めることも、ユリウスとの会話を禁じることもしなかった。
リリアは二人が離れていくのを見送りながら、しばらくその場に立っていた。
(……なんだか、原作と違う……)
注意された内容そのものは、理解できなくもなかった。
ユリウスには婚約者がいるのだから、その相手の前で腕に触れれば、誤解を受ける可能性がある。
それはリリアにも分かっていたが、ヴィオレッタから注意されたという事実を思い返すと、別の考えが浮かんできた。
(……でも、やっぱり私が殿下に近づくのが嫌なんだよね……?)
原作でもヴィオレッタはリリアとユリウスの関係に嫉妬していたのだから、今回も同じ理由なのかもしれない。
リリアはそう考え、ひとまず原作との違いを深く気にしないことにした。
その後、学院内では、ヴィオレッタがリリアへ圧力を掛けたという噂が広まった。
リリア自身は、ヴィオレッタから王太子との会話を禁じられたとは言っていなかったが、注意されたことは事実だった。
噂を聞いた生徒たちは以前から起きていた嫌がらせと結びつけ、ヴィオレッタがリリアを敵視しているのだと受け取った。
リリアはその噂を耳にしても、積極的に否定しようとはしなかった。
(……だって、原作でもそうだったし……)
原作のヴィオレッタは、最後には断罪されるような行動を取る人物だった。
リリアは彼女のことを知っているつもりでいたため、噂が広まっても、それほど不思議には思わなかった。
けれど、日が経つにつれて、もう一つの疑問が大きくなっていった。
ユリウスが、ヴィオレッタを嫌う様子を見せないのだ。
原作ではリリアとの交流が進むにつれて、ユリウスは婚約者と距離を置くようになっていた。
しかし、今のユリウスはヴィオレッタを公の場でも自然に隣へ迎え、彼女が何かを話せば真剣に耳を傾けていた。
学院の行事でも、婚約者として丁寧に接している。
(……どうして、まだ仲がいいの……?)
リリアは不安になるたびにノートを開き、覚えている原作の内容を確認した。
嫌がらせは起きているし、ヴィオレッタから注意も受けた。
卒業パーティーで告発されるはずの出来事は少しずつ揃っているのに、ユリウスだけが原作と同じ反応をしてくれなかった。
(……でも、最後は決まっているはず……)
リリアはノートの最後のページを開き、そこに書いた結末をもう一度読み返した。
卒業パーティー。
ヴィオレッタへの告発。
婚約破棄。
そして、王太子と主人公の結ばれる結末。
何度読み返しても、ノートに書き留めた出来事が変わることはなかった。
やがて、卒業の日が近づいた。
リリアは学院で起きた嫌がらせについて、オスカー・ヴァレンティスたちと話すようになっていた。
オスカーは侯爵家の令息で、以前からリリアが受けていた嫌がらせを問題視していた人物だった。
「ベルフォード嬢。君が受けてきた仕打ちは、見過ごせるものではない」
オスカーは、リリアへ真剣な表情を向けてそう言った。
「ですが、ヴィオレッタ様が直接命じたという証拠は……」
「嫌がらせを行った令嬢たちは、いずれもヴィオレッタ嬢のためだと証言している。彼女たちが勝手に動いたと言うのであれば、なぜ何度も同じことが起きるんだ?」
「それは……」
リリアは返答に詰まり、視線を落とした。
ヴィオレッタが嫌がらせを禁じていたことは知っている。
けれど、その後も令嬢たちが同じことを繰り返した理由については、リリアにも説明できなかった。
「それに、王太子殿下との交流を注意されたこともあるのだろう?」
「……はい。でも、殿下とお話しすることを禁じられたわけではありません」
「そうか。だが、君が圧力を感じたのであれば、それも無視できない」
リリアは何と答えるべきか分からず、困ったように眉を寄せた。
確かに、ヴィオレッタから注意されたときは緊張したし、公爵令嬢に声を掛けられたのだから身構えてしまったのも事実だった。
けれど、彼女が怒鳴ったり、脅したりしたわけではなかった。
リリアがその違いを説明しようとすると、オスカーは迷いなく頷き、すでに結論を出しているかのような表情を見せた。
「君が相手の立場を考えて、言葉を選んでいることは分かった。だが、これ以上、黙っているべきではない」
その言葉を聞いたリリアは、それ以上何も言えなくなった。
オスカーは卒業パーティーの場で問題を明らかにし、学院内で起きた嫌がらせについて関係者の責任を問うべきだと考えていた。
そのために、ほかの貴族子息たちとも話を進めているという。
リリアは話を聞きながら、原作の卒業パーティーを思い出した。
(……そうだ。ここで、ヴィオレッタ様が断罪されるんだ……)
原作でもリリアを守ろうとする貴族子息たちが、ヴィオレッタの行動を告発していた。
今も同じように物事が進んでいるのだと考えると、不安よりも期待の方が大きくなっていった。
そして、卒業パーティー当日。
リリアは用意されたドレスに着替え、鏡の前で自分の姿を確かめていた。
原作の主人公は、この日、王太子から選ばれる。
それまで受けてきた嫌がらせが明らかになり、悪役令嬢は婚約者の立場を失い、主人公は幸せになる。
(……今日こそ、私の物語が始まるのね)
リリアは鏡に映る自分へ微笑みかけ、期待を胸に卒業パーティーへ向かった。
パーティーが始まると、オスカーたちは予定どおり、リリアへの嫌がらせについて告発を始めた。
教科書がなくなったことや課題の書類が隠されたこと、廊下で悪口を言われたことなどが次々と挙げられた。
さらに、それらの嫌がらせにはヴィオレッタの周囲にいる令嬢たちが関わっていたことも明らかにされた。
リリアは彼らの話を聞きながら、原作の場面を思い出していた。
ヴィオレッタは反論しようとしていたが、オスカーたちは彼女の言葉を十分に聞こうとしていなかった。
その様子を見ているうちに、リリアは少しずつ違和感を覚えるようになった。
(……あれ?)
ヴィオレッタは、嫌がらせを命じていないと言っている。
それは以前から耳にしていた話とも一致しており、令嬢たちもヴィオレッタに禁止されていたことを認めていた。
それでも彼女のために行動したのだと主張する令嬢たちの説明を聞き、リリアは思わず考え込んだ。
(……本当に、ヴィオレッタ様が命じていないなら……?)
もし原作と違ってヴィオレッタが悪くないのだとしたら、卒業パーティーで彼女が断罪される理由もなくなってしまう。
そうなれば、ユリウスが婚約を破棄して自分を選ぶという、ずっと信じてきた結末まで変わってしまうのではないかと、リリアは急に不安になった。
けれど、そんな不安を打ち消すように、リリアは原作の記憶を思い返した。
原作ではヴィオレッタが悪役令嬢だったのだから、今回も彼女が悪いはずだ。
そう考えてしまうリリアは、目の前で起きている出来事を原作とは別のものとして受け止めることができなかった。
そして、ユリウスが口を開いた。
「本日、この場で、私たちの婚約について、はっきりさせておきたいことがある」
リリアはその言葉を聞き、思わず顔を上げた。
(……来た!)
原作で何度も読み返した、王太子が悪役令嬢との婚約を破棄する場面が、いよいよ始まろうとしている。
リリアは期待を込めてユリウスの次の言葉を待ったが、彼の表情を見て、少しだけ首を傾げた。
ユリウスはヴィオレッタを冷たく見下ろしておらず、怒りを浮かべている様子もなかった。
むしろ、青ざめた彼女の様子を気にしているように見えた。
(……どうして、そんな顔をしているの……?)
リリアは原作の記憶を辿り、これから起こるはずの出来事を確認した。
この場面のユリウスは、ヴィオレッタの罪を明らかにして婚約破棄を宣言し、リリアへ手を差し伸べるはずだった。
それなのに、目の前のユリウスはまだヴィオレッタを見つめており、彼女もまた、ユリウスから目を逸らそうとはしていなかった。
(……大丈夫。きっと、原作どおりになる……)
リリアは胸の前で重ねた手に力を込め、これまで何度も読み返してきた物語の結末を信じようとした。
自分は、この物語の主人公なのだから。
そう信じていた。
けれど、リリアはまだ知らなかった。
目の前にいる王太子もまた、この物語の結末を知っていることを。
そして、彼が選ぼうとしている相手は、最初から一人しかいなかったことを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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