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第6話 私は、主人公のはずなのに

 リリア・ベルフォードは、王立学院の卒業パーティー会場で、王太子ユリウスの姿を見つめていた。


 少し離れた場所には、顔を青ざめさせたヴィオレッタ・ローゼンベルクが立っていた。

 それでも彼女は背筋を伸ばし、ユリウスから目を逸らそうとはしていなかった。


(……いよいよ、婚約破棄ね)


 リリアは胸の前で両手を重ね、これから訪れるはずの瞬間を待っていた。


 ユリウスはヴィオレッタとの婚約を破棄し、代わりにリリアを新たな婚約者として迎える。

 前世で読んだ恋愛小説では、卒業パーティーでその結末を迎えることになっていた。


 けれど、リリアには一つだけ、どうしても気になることがあった。


(……どうして、殿下は私に好きだって言ってくださらなかったのかしら……?)


 原作のユリウスは、卒業パーティーを迎える前にリリアへの恋心を自覚し、彼女を守るためにヴィオレッタとの婚約を解消する決意を固めていたはずだった。


 ところが、今のユリウスは少し違っていた。


 リリアが困っていれば話を聞いてくれたし、学院の行事でも丁寧に対応してくれた。

 しかし、彼女に優しく接する一方で、婚約者であるヴィオレッタを遠ざけることは一度もなかった。


 むしろ、二人はいつも仲がよさそうだった。


(……でも、今日になれば、きっと……)


 リリアは胸の前で重ねた手に少し力を込め、原作の結末を信じようとした。


 彼女が前世の記憶を取り戻したのは、王立学院への入学が決まった頃だった。


 ある日の午後、入学準備のために用意された制服を眺めていると、突然、日本で暮らしていた頃の記憶が蘇った。


 通っていた学校や友人と過ごした日々、休日に夢中になって読んでいた小説のことまで、忘れていたはずの出来事を次々と思い出した。

 そして、その小説の主人公と自分が同じ名前を持っていることに気づき、思わず制服から目を離した。


(……リリア・ベルフォード? えっ、私が!?)


 最初は信じられなかったものの、エルフォード王国という国名も、王立学院という学校も、記憶にある物語と一致していた。

 何より、王太子の名前がユリウス・フェルディナント・フォン・エルフォードだと知ったことで、単なる偶然ではないと確信した。


 自分は、前世で読んだ恋愛小説の主人公に転生している。


 しかも、物語が始まる直前だった。


(……すごい! 私、ヒロインになったんだ!)


 リリアは嬉しさを抑えきれず、自室で思わず声を上げた。


 前世では、優しくて格好いい王子様に愛され、最後には幸せになる恋愛小説の主人公に憧れていた。

 お気に入りの物語を何度も読み返し、自分もこんな恋愛をしてみたいと思っていた。


 その主人公に、今の自分がなっている。


 そう考えるだけで胸が高鳴り、リリアはすぐに一冊のノートを用意して、覚えている限りの原作の出来事を書き出していった。


 王立学院への入学。

 王太子ユリウスとの出会い。

 彼との交流。

 悪役令嬢ヴィオレッタによる嫌がらせ。

 そして、卒業パーティーでの断罪と婚約破棄。


 最後のページには、物語の結末も忘れずに書き留めた。


 ユリウスはヴィオレッタとの婚約を破棄し、リリアを選ぶ。


(……私も、きっと幸せになれるよね)


 リリアはノートを大切にしまい、その日から学院への入学を心待ちにするようになった。


 ただし、物語の主人公として幸せになるためには、一つだけ気をつけなければならないことがあった。


 悪役令嬢ヴィオレッタ・ローゼンベルク。


 原作では、彼女がリリアへの嫌がらせを繰り返し、学院生活を苦しいものにしてしまう。

 けれど、その嫌がらせを乗り越えた先にユリウスとの幸せな結末が待っていることも、リリアは知っていた。


(……大丈夫。何が起きるか知ってるんだから)


 リリアは原作の出来事を何度も確認し、これから始まる学院生活に備えた。


 そして、待ちに待った王立学院への入学の日を迎えた。


 最初にユリウスを見かけたのは、入学して間もない頃のことだった。


 学院の廊下を歩いていたリリアは、数人の生徒と話している金髪の青年を見つけた。

 周囲の生徒たちが敬意を込めて接している様子から、彼が王太子なのだとすぐに分かった。


(……本物のユリウス殿下だ……!)


 リリアは思わず足を止め、その姿に見入ってしまった。


 前世で読んだ小説では、ユリウスは美しい金髪と整った顔立ちを持つ、優秀で誠実な王太子として描かれていた。

 実際に目の前にすると、想像していた以上に素敵な人で、リリアはしばらく視線を離せなかった。


 ただ、その隣には一人の令嬢がいた。


 艶やかな髪を美しく整え、学院の制服を上品に着こなした少女が、ユリウスと親しげに話している。

 ユリウスが何かを話すと、少女は穏やかに微笑みながら答えていた。


 その顔を見たリリアは、原作に登場する人物の姿を思い出した。


(……ヴィオレッタ・ローゼンベルク……)


 王太子の婚約者であり、いずれ自分を苦しめることになる悪役令嬢だった。


 しかし、目の前のヴィオレッタは、リリアが想像していたような険しい表情をしていなかった。

 ユリウスと楽しそうに話すだけでなく、周囲の生徒にも丁寧に挨拶している。


(……最初は、こんな感じだったのかな?)


 リリアは原作の内容を思い返し、ヴィオレッタが本格的に嫌がらせを始めるのは、ユリウスと自分が親しくなってからだったはずだと考えた。


 それなら、今はまだ何も起きていなくても不思議ではない。


 そう納得したリリアは、原作にあったユリウスとの交流を意識するようになった。


 学院の行事で彼を見かければ挨拶し、授業で分からないことがあれば機会を見つけて質問した。

 廊下で顔を合わせたときにも、少しでも長く話せるように心がけていた。


 ユリウスは、いつも丁寧に応じてくれた。


「殿下、先日の授業で教えていただいたところ、理解できました!」

「それはよかった。先生にも確認してもらうといいよ」

「はい! ありがとうございます!」


 リリアは嬉しくなって微笑んだが、ユリウスは必要な話が終わると、自然に会話を切り上げてしまうことが多かった。


 もう少し話そうとしても、次の授業や公務の予定を理由に、その場を離れてしまう。


(……まだ、親しくなる前だからかな……)


 原作でも二人の関係は少しずつ深まっていったのだから、今は焦る必要がないとリリアは考えた。


 ある日、リリアは学院の図書室で、ユリウスが一人で本を探しているところを見つけた。


(……これは、もしかして……!)


 原作にも、図書室で二人きりになる場面があった。


 高い棚にある本へ手を伸ばしたリリアをユリウスが助け、そこで二人の距離が近づく。

 リリアが思わず顔を赤くするという、何度も読み返した印象的な場面だった。


 リリアは棚の上段へ視線を向け、ちょうど手の届きそうにない場所に目当ての本があることに気づいた。


(……あった!)


 これなら原作と同じ展開になるかもしれないと期待しながら、リリアはそっとユリウスへ近づいた。


「あの、殿下……」

「どうしたんだい?」

「上の棚にある本を取りたいのですが、少し届かなくて……」


 ユリウスは、リリアが指差した棚を見上げた。


「ああ、あの本だね。少し待っていて」


(……来る! あの場面が……!)


 リリアは期待に胸を高鳴らせ、ユリウスが本を取ってくれる瞬間を待った。


 ところが、ユリウスは近くの机に置かれていた呼び鈴を鳴らした。


 ほどなくして、図書室の司書がやって来る。


「殿下、お呼びでしょうか?」

「こちらのベルフォード嬢が、上段の本を必要としているそうだ。取っていただけるかな?」

「かしこまりました」


 司書は慣れた様子で踏み台を運び、あっという間に本を取り出した。


「どうぞ、ベルフォード様」

「あ……ありがとうございます……」


 リリアが本を受け取ると、ユリウスは満足そうに頷いた。


「よかったね。ほかにも必要な本があれば、司書にお願いするといいよ」

「……はい」


 ユリウスは探していた本を手に取り、静かに閲覧席へ向かっていった。


 リリアは、その背中を見送りながら、手元の本へ視線を落とした。


(……あれ? お姫様みたいに助けてもらう場面は……?)


 確かに欲しかった本は手に入ったし、司書のおかげで安全に取ることもできた。

 何も問題はなかったはずなのに、リリアが期待していた恋愛イベントとは、かなり違う結果になってしまった。


(……まあ、原作とまったく同じにはならないわよね!)


 リリアはそう自分を納得させ、本を抱えて図書室を後にした。


 別の日には、学院の中庭でユリウスと顔を合わせた。


 ちょうど昼食の時間で、リリアは自分で作った菓子を包みに入れて持っていた。


(……これなら、どうかしら?)


 原作には、リリアが手作りの菓子をユリウスへ渡し、彼が喜んで受け取る場面もあった。

 今度こそ原作のような展開になることを期待しながら、リリアは声を掛けた。


「殿下! よろしければ、こちらを召し上がりませんか?」

「お菓子かい?」

「はい! 私が作ったんです!」


 ユリウスは差し出された包みを見て、穏やかに微笑んだ。


「そうなんだ。ありがとう。ただ、今日は遠慮しておくよ」

「えっ!? あ、あの、お嫌いでしたか?」

「いや、そうではないんだ。今日はヴィオレッタと昼食を取る約束をしていてね。彼女も菓子を用意してくれているそうなんだ」


 リリアの笑顔が固まり、差し出していた包みをゆっくりと引き戻した。


(……ヴィオレッタ様……?)


「そう、ですか……」

「せっかく作ってくれたのに、すまないね。友人たちと楽しんでくれると嬉しいよ」

「は、はい……!」


 ユリウスは丁寧に礼を述べると、ヴィオレッタとの待ち合わせ場所へ向かっていった。


 リリアは包みを抱えたまま、その場に立ち尽くした。


(……手作りのお菓子より、婚約者との約束が優先……)


 当たり前といえば当たり前のことだったが、原作では自分の菓子を喜んで受け取ってくれたはずなのだ。


(……殿下、婚約者を大切にしすぎじゃない……?)


 リリアは思わずそんなことを考えたものの、すぐに首を振った。


 婚約者を大切にするのは、誠実な男性の証拠だ。

 そんなユリウスだからこそ、原作でもリリアは彼を好きになったのだと思い直した。


(……そうよ。殿下は優しい人なんだから!)


 リリアは再び自分を納得させ、持ってきた菓子を友人たちと食べることにした。


 けれど、リリアはまだ知らなかった。


 原作と違っていたのは、ユリウスとの恋愛だけではないということを。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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ありがとうございました!

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