第5話 変えられない筋書き
原作では、リリアが学院へ入学したことをきっかけに、王太子との恋愛が進んでいく。
ヴィオレッタは、その展開を避けるため、できる限りリリアと距離を置いた。
必要な挨拶はする。
学院の行事で顔を合わせれば、礼儀正しく接する。
けれど、個人的な用事で呼び出したり、二人きりで話したりすることは避けた。
何より、取り巻きの令嬢たちにも、リリアへ嫌がらせをしないよう繰り返し伝えた。
「リリア・ベルフォード嬢に対して、失礼なことをしてはいけません。私の名前を使って何かをすることも、決して認めません」
ヴィオレッタは、そう言い聞かせていた。
それでも、学院内ではリリアを巡る問題が起き始めた。
教科書がなくなった。
課題の書類が見当たらなくなった。
廊下で悪口を言われた。
そんな話が耳に入るたびに、ヴィオレッタは関係者へ事情を確認した。
しかし、ヴィオレッタから命じられたと答える者は誰もいなかった。
それどころか、令嬢たちはヴィオレッタを守るために行動したのだと説明することさえあった。
「ヴィオレッタ様のお立場を考えれば、あの方を放っておくわけにはまいりません」
そう言われたとき、ヴィオレッタは思わず声を強めた。
「私は、そのようなことを望んでいません!」
令嬢たちは驚いたように黙り込んだ。
ヴィオレッタは、彼女たちの顔を順番に見つめた。
「私のためだと言うのであれば、なおさらやめてください。誰かを傷つけることで、私の立場が守られるとは思いません」
その場では、令嬢たちも頷いた。
けれど、問題は終わらなかった。
数日後、廊下でリリアの持ち物を隠そうとしていた令嬢が、別の生徒に見つかった。
ヴィオレッタが事情を確認すると、その令嬢は、以前注意を受けたことを覚えていた。
「……はい。ヴィオレッタ様から、リリア様に嫌がらせをしてはならないと、確かに申しつけられました」
「それなら、どうして同じことを繰り返したのですか?」
「ですが……リリア様が殿下に近づくのを、ヴィオレッタ様が快く思われるはずがありませんから……」
ヴィオレッタは、目を見開いた。
「私は、そのようなことを一度も申し上げておりません!」
「……はい。それは承知しております。ですが、ヴィオレッタ様のためには、やはり……」
令嬢は、そこで言葉を詰まらせた。
嫌がらせを禁じられたことは覚えている。
それでも、自分はヴィオレッタのために行動したのだと信じている。
ヴィオレッタには、その二つがどうして両立するのか理解できなかった。
(……私の言葉は、届いていないの……?)
同じ注意を繰り返しても、令嬢たちはその場では理解を示す。
しかし、しばらくすると、また同じような問題が起きる。
しかも、本人たちはヴィオレッタの命令に逆らっているという自覚すらないようだった。
ヴィオレッタは、その夜もノートを開いた。
原作では、悪役令嬢ヴィオレッタが取り巻きに嫌がらせを命じていた。
けれど、今の自分は一度も命じていない。
それなのに、リリアが嫌がらせを受けるという結果だけは変わらない。
ヴィオレッタは、ノートに書き留めた原作の出来事と、学院で実際に起きたことを見比べた。
嫌がらせを命じていないのに、取り巻きが動いている。
その場で禁止しても、別の日には同じような問題が起きる。
自分が避けようとしている出来事が、別の形で繰り返されているように思えた。
(……やっぱり、何かがおかしいわ……)
ヴィオレッタは、新しい出来事をノートに書き加えた。
原作で起きたこと。
実際に起きたこと。
そして、自分が何をしたのか。
三つを並べて記録することで、少しでも違いを確かめようとした。
けれど、原因までは分からなかった。
そんな学院生活の中で、ヴィオレッタはリリア本人へ注意しなければならない場面にも遭遇した。
授業を終えたユリウスが、学院の廊下でリリアと話していた。
ヴィオレッタは少し離れた場所から二人の姿を見つけ、声を掛けようとしたところで足を止めた。
リリアが、ユリウスの腕に手を添えていたからだ。
ユリウスは困ったように視線を落とし、リリアの手へ目を向けていた。
ヴィオレッタは、二人へ歩み寄った。
「リリア様。少しよろしいでしょうか?」
「……ヴィオレッタ様?」
リリアは、ユリウスの腕から手を離した。
ヴィオレッタは、まずユリウスへ一礼した。
「殿下。お話し中に失礼いたします。リリア様へ、少しお伝えしたいことがございます」
「うん。構わないよ」
ユリウスが頷いたのを確認してから、ヴィオレッタはリリアへ向き直った。
「リリア様。殿下とお話しになること自体を咎めるつもりはございません。ですが、婚約者のいらっしゃる男性に、不用意に触れることは控えた方がよろしいかと存じます」
「……え?」
リリアは、驚いたように目を見開いた。
「殿下は王太子でいらっしゃいます。私たちにはそれぞれの立場がございますし、礼儀を守らなければ、リリア様ご自身が不必要な誤解を受けることにもなります」
「……でも、私は、ただ殿下とお話ししていただけで……」
「ええ。それは承知しております。ですから、お話しになることを禁じているわけではございません。ただ、周囲からどのように見られるかという点にも、お気をつけいただきたいのです」
ヴィオレッタは、できるだけ穏やかな声で伝えた。
リリアを責めたいわけではなかった。
原作のように、彼女を呼び出して叱責することも避けたかった。
けれど、王太子の腕に不用意に触れる行為を、そのまま見過ごすこともできなかった。
ユリウスには婚約者がいる。
そして、リリアは男爵家の令嬢だ。
周囲に誤解されれば、リリア自身が不利益を受ける可能性もある。
「……分かりました」
リリアは、少し俯いて答えた。
「ありがとうございます。どうか、今後はお気をつけくださいませ」
ヴィオレッタは、それ以上何も言わなかった。
その場でリリアを責めることも、ユリウスとの会話を禁じることもしなかった。
ただ、原作で自分がしてしまうはずだった行動とは違う対応を取れたことに、少しだけ安堵していた。
しかし、その後も学院内では、ヴィオレッタがリリアへ圧力を掛けたという噂が広まっていった。
(……あの注意まで、嫌がらせになってしまうの……?)
ヴィオレッタは、何度も当日の会話を思い返した。
言葉が厳しすぎただろうか。
人前で注意したことが、よくなかったのだろうか。
けれど、婚約者のいる王太子との距離感について、礼儀を守るよう伝えたこと自体は間違っていないはずだった。
ヴィオレッタは、その出来事もノートに記録した。
原作では、嫉妬したヴィオレッタがリリアを責める。
実際には、王太子との距離感について注意しただけだった。
それでも、周囲には同じような出来事として受け取られている。
その違いが、ヴィオレッタには恐ろしかった。
そして、卒業の日が近づいていった。
ヴィオレッタは、これまで以上に慎重に行動した。
リリアに対しては、必要な挨拶以外で接触しない。
取り巻きの令嬢たちには、嫌がらせを禁じることを繰り返し伝える。
問題が起きたと聞けば、学院側にも確認を求める。
少なくとも、自分から誰かを傷つけることだけは、絶対にしない。
そう決めていた。
そして、卒業の日が訪れた。
ヴィオレッタは、朝から落ち着かなかった。
卒業パーティーが開かれるのは、その日の夕方だった。
原作では、まさにその場で婚約破棄が宣言される。
ヴィオレッタは、部屋の机に置かれたノートを開いた。
最後のページには、卒業パーティーで起きる出来事が書かれている。
リリアへの嫌がらせの告発。
王太子による断罪。
婚約破棄。
何度も読み返した内容だった。
(……今日、すべてが決まるのね)
ヴィオレッタは、静かにノートを閉じた。
ユリウスは、これまでずっと優しかった。
学院へ入学してからも、その態度が変わることはなかった。
婚約者として公の場に立つときには、自然に隣へ迎えてくれた。
忙しい中でも、彼女の勉強や体調を気に掛けてくれた。
だからこそ、ヴィオレッタは怖かった。
もし原作どおりに婚約破棄を告げられたら、自分は平静でいられるだろうか。
公爵令嬢として、最後まで礼儀正しく振る舞えるだろうか。
(……泣いては、駄目)
ヴィオレッタは、自分に言い聞かせた。
けれど、その思いとは裏腹に、ひとすじの涙が頬を伝った。
ヴィオレッタは慌てて涙を拭い、机の脇に置かれた鏡へ目を向けた。
鏡に映る目元が赤くなっていないことを確かめると、もう一度、ゆっくりと息を整えた。
たとえ婚約を破棄されても、ユリウスを責めてはいけない。
まして、リリアを傷つけるようなことだけは、絶対にしてはいけない。
それが、悪役令嬢にならないために、自分ができる最後の努力だった。
そして、ヴィオレッタの意識は、卒業パーティー会場へ戻った。
目の前には、婚約について切り出したばかりのユリウスがいる。
十二年前、初めて会ったときに優しく微笑んでくれた少年。
王妃教育に疲れていたとき、無理をしなくていいと声を掛けてくれた婚約者。
学院へ入ってからも、変わらず隣にいてくれた人。
そのすべてを、今日、失ってしまうのだと思った。
(……やっぱり、好きにならなければよかった……)
そう考えようとした。
原作のヴィオレッタも、王太子を愛していた。
だから、自分がユリウスを好きになったのも、物語に決められたことなのかもしれない。
そう思えば、少しは諦められる気がした。
けれど、ユリウスと過ごした時間を思い出すたびに、その考えは揺らいだ。
(……でも……あのとき、嬉しかったのは……)
優しい言葉を掛けてもらえたこと。
疲れていると気づいてもらえたこと。
手を差し出してもらえたこと。
どれも、ヴィオレッタ自身が経験した出来事だった。
それでも、今は答えを出せなかった。
この恋が本当に自分のものなら、婚約を失う悲しみから逃げられない。
だからこそ、物語に決められた感情なのかもしれないと考えて、少しでも気持ちを落ち着かせようとしていた。
けれど、目の前のユリウスを見つめるほど、その考えは苦しくなった。
原作の筋書きだから好きになったのだと、自分に言い聞かせることはできる。
それでも、彼と離れたくないという気持ちまで消すことはできなかった。
(……嫌……殿下と、離れたくない……)
ヴィオレッタは、俯きそうになるのを必死に堪えた。
思わず一歩後ずさり、足元がふらついた彼女は、倒れまいとドレスの裾を握りしめた。
ユリウスが何を告げようとしているのか、最後まで聞かなければならない。
たとえ、それが婚約破棄の言葉であっても。
ヴィオレッタは、震える指をドレスの裾から離し、ゆっくりと顔を上げた。
(……殿下。私は、最後までお話を伺います)
悪役令嬢として断罪される未来を避けるために、できることはすべてしてきた。
そして、今もなお、ユリウスの隣にいたいと願っている。
その願いさえ、物語に決められたものなのかもしれない。
それでも、彼の言葉から目を背けることだけはしたくなかった。
ヴィオレッタは背筋を伸ばし、ユリウスを見つめた。
婚約破棄を告げられる覚悟を決めながらも、心のどこかでは、まだ違う言葉を期待していた。
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