第四章 残されたノート
五年の月日が流れた。
テレビをつければ唯を見ない日はないほど、彼女は国民的なスターになっていた。仕事は分刻みのスケジュール。淳からの連絡も「体調はどう?」「無理しないでね」といった短いメッセージだけで、ここ数年は直接会うこともできていなかった。
(落ち着いたら、淳に会いに行こう。一番に感謝を伝えなきゃ……)
そう思いながら楽屋でメイクを受けていた唯の元に、一本の電話が入る。
画面に表示されたのは「辻省三」――淳の父親の名前だった。
嫌な予感がして、震える手で応答ボタンを押す。
「……唯ちゃんか? 淳が……淳がたった今、息を引き取った」
「………………え?」
世界からすべての色が消え去った。
唯は衣装のまま楽屋を飛びだし、すべての仕事をキャンセルして、なりふり構わず実家へとタクシーを走らせた。
葬儀場に安置されていた淳の顔は、驚くほど痩せこけていた。まるで全生命力を誰かに買い取られたかのように、白く枯れ果てていた。
「淳……? 嘘でしょ……? なんで……なんで何も言ってくれなかったの……!?」
崩れ落ちる唯の肩を、涙で目を真っ赤にした淳の父・省三がそっと抱き起こした。
「唯ちゃん……淳はね、ずっと君の活躍を病室で観ていたよ。これを……淳の机の引き出しで見つけたんだ。君に渡してくれって言われている気がしてね」
手渡されたのは、一冊の古い大学ノートだった。表紙は何度もめくられた跡があり、角が丸くなっている。
震える指でページを開いた唯の目が、一枚目の言葉に釘付けになった。
『――やっとここに戻ってこられた! 今度こそ、唯の人生を取り戻す』
文字は淳の筆跡だった。そこから先には、唯には見せていなかった淳の血の滲むような記録が綴られていた。
『1月15日:唯のリハビリメニューを改良。主治医とまた喧嘩になったが譲れない。唯の笑顔を守るためなら悪魔にでもなる』
『4月3日:唯がオーディションに合格した! テレビで合格発表を見た瞬間、部屋で一人で泣いてしまった。唯、おめでとう』
『8月22日:唯の雑誌を買った。表紙の唯は世界一可愛い。僕のことなんて忘れるくらい忙しいみたいだけど、それでいい。それが僕の望んだ未来だ』
愛おしさに胸が締め付けられる。しかし、後半に向かうにつれて、淳の文字はガタガタに乱れ始めていた。
『11月10日:最近、手足の痺れが酷い。吐血も増えた。やはり……過去を書き換えた「反動」からは逃げられないらしい。時空を歪めた代償は、僕の命なんだろう』
『12月1日:体が動かなくなってきた。でも後悔はない。唯が病気を克服し、ステージで笑って生きている。それだけで、僕の生まれた意味があった』
『12月24日:最後に……もう少しだけ、唯が輝く姿を見ていたかったな』
「いやああああああああああッ!!!!」
唯はノートを胸に抱きしめ、床に頭を擦り付けて号泣した。叫び声が、静かな葬儀場に悲痛に響き渡る。
淳は知っていたのだ。自分を救えば、自分が死ぬことを。
それなのに、自分の命を投げ打ってまで、私に「生きる喜び」をくれた。私はいろんな仕事にかまけて、淳の苦しみに何一つ気づかず、一人で寂しく死なせてしまった――!
淳の部屋に入ると、そこには唯のポスター、出演した雑誌、録画されたDVDが整然と並べられていた。そして机の端に、付箋で膨れ上がった二冊の古書が残されていた。
『満月が備え持つ力』
『タイムリープの条件と反動』
本に書かれた「時空跳躍における代償と身体的拒絶反応」の項目には、赤い線が引かれていた。そこに書かれた症状――四肢の麻痺、内臓生化学平衡の崩壊、急速な老化――は、淳の最期の症状と完全に一致していた。
「淳……バカだよ……なんで私に黙って……!」
壁に貼られた桜の下での写真を指でなぞりながら、唯の瞳に悲しみを超えた「狂気」とも言える強い意志が宿った。
「待ってて、淳。今度は……今度は私が、あなたを助けに行くから!」




