第五章 真逆のベクトル
そこから、唯の孤独な闘いが始まった。
芸能活動を休止し、唯は淳の部屋にこもりきりになった。しかし、淳の日記にはタイムリープの具体的なやり方は書かれていなかった。過去へ跳ぶ際、日記を持ち込むことができなかったからだ。
本に書かれた「満月」「絶望」「利他心」を試しても、時間は1秒も巻き戻らない。
不発のまま、虚しく月が沈んでいく夜を何度も迎えた。
手がかりのないまま、6年の歳月が過ぎた。
ある日、義理で出演したオカルト特番の収録現場で、奇跡が起きる。
ゲストとして招かれていたのは、あの本『タイムリープの条件と反動』の著者である故・巻島博の娘、巻島楓だった。
収録後、唯はなりふり構わず楓の控え室に飛び込み、涙ながらに事情を打ち明けた。
楓は唯の必死な眼差しを受け止め、静かに語り始めた。
「実はね……私もかつて、事故死した夫を救うためにタイムリープした経験があるの」
唯は息をのんだ。
「そしてね、タイムリープには『鏡の法則』があるのよ。助けられた人間が、今度は自分を救ってくれた人を救うために時空を渡る場合、必要となる環境的要因は『真逆のベクトル』に反転するの」
「真逆のベクトル……?」
「そう。彼が『満月の夜』に跳んだのなら、あなたが跳ぶべきは――『月蝕の夜』よ。光が闇に覆われ、引力が逆転するその瞬間しか、あなたの歪みは繋がらない」
楓の言葉に、唯の脳裏に電流が走った。淳の本の余白に、彼の手書きでこうメモがあったのだ。
『※月蝕:引力の逆転現象。被補正者の跳躍可能性?』
条件は分かった。だが、最大の障壁が立ちふさがる。
「反動をどうやって消すか」だ。
このまま跳べば、今度は唯が反動で死ぬことになる。
(淳は私が反動で死ぬことを知ったら、絶望するんじゃないか? 私が行くことで、淳の命が助かっても、私が死んだら意味がないんじゃないか……?)
一ヶ月間、唯は苦悩の地獄に身を置いた。夜も眠れず、精神は限界まですり減った。
しかしある満月の夜、淳のノートの最後のページをめくったとき、唯の迷いは消え去った。
(淳だって……私を助ける時、自分の未来のことなんて考えていなかった。『生きる方法』を諦めなかった。……なら、答えは一つしかない。私がいきている淳のところへ行って、二人で手を取り合って、運命と戦えばいいんだ!)
そして迎えた、数年に一度の「完全皆既月蝕」の夜。
紫黒色に染まり、怪しく輝く月を見上げながら、唯は淳への愛と「二人で生き抜く」という絶対の意志を胸に抱き、歪み始めた時空の渦へと飛び込んだ。




