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君と刻む4度目の春  作者: 時任 朔


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第二章 三年の執念

 二度目の人生で、淳は悪魔になることを選んだ。

 唯の病気が確定した瞬間から、淳は彼女のあらゆる「情熱」を徹底的に破壊した。唯がどれほど「ダンスがやりたい」「身体を動かしたい」と泣き叫んでも、淳は冷血な表情を崩さなかった。

 彼女が大切にしていたポワントシューズを自分の手でゴミ処理場へ投げ捨て、ダンススクールの退会届を代わりに提出した。

「なんでそんなことするの!? 私のダンスを返してよ! 私の人生じゃない! 淳のバカ! 分からず屋! 大嫌い!!」

 唯は激怒し、泣き叫び、淳の頬を痛みが残るほど強く叩いた。爪を立て、彼の服を破り、涙で顔をぐしゃぐしゃにして抗議した。しかし、淳は決して首を縦に振らなかった。

「君が僕をどれだけ恨んでもいい。殺したいほど憎んでもいい。でも、死ぬことだけは許さない」

 淳は唯の両親と主治医を抱き込み、徹底的な治療と安静の体制を作り上げた。唯を病院のベッドの上に縛り付け、一切の運動を禁じ、投薬と点滴管理を完璧に行わせた。

 その甲斐あって、彼女の心臓への負担は最小限に抑えられ、一度目の人生で十八歳で途絶えた彼女の寿命は、二十三歳まで延びた。

 しかし――そこにいたのは、淳が愛した、太陽のように眩しい唯ではなかった。

 情熱を奪われ、表現する喜びを奪われ、生きる意味を根こそぎ粉砕された唯の心は、身体よりも早く枯れ果ててしまった。

 十六歳を過ぎた頃から、唯は淳が病室を訪れても、一切の感情を見せなくなった。怒ることも、泣くことも、笑うこともなくなった。ただ空虚なガラス玉のような瞳で、一日中窓の外の雲の流れを追い続けるだけ。声をかけても返事はなく、ただ機械のように与えられた薬を飲み、点滴を受け、出された食事を数口だけ口に含み、静かに息をするだけの「生ける屍」。

 そして、二十三歳の秋。

 長年の寝たきり生活による心不全の緩やかな進行により、彼女が息を引き取る数日前。薄暗い病室で、唯は数年ぶりに口を開いた。かすれた、掠れきった細い声だった。

「ねえ……淳」

「……なに、唯?」

「私ね……なんで生きているのか、ずっと分からないの。こんな風に、ただ部屋の中で息をして、体温を維持しているだけで……私ね、もう何年も前に……死んでるのと、同じだよ……」

 その言葉は、淳の魂を永遠に砕くハンマーとなった。

 数日後、心拍モニターが平坦な音を奏でた時、淳は病院の誰もいない階段の踊り場で、声を出さずに激しく血を吐くような思いで泣いた。

 長生きさせることが正解だと思っていた。命さえあれば、生きてさえいればやり直せると思っていた。けれど自分は、「唯を死なせた罪悪感から逃れたい」という己の浅ましいエゴのために、彼女の心からすべての色彩と光を奪い取り、息もできない透明な籠に閉じ込めて殺していただけだったのだ。

(彼女の人生を殺したのは、病気じゃない。僕だ……僕が、二度にわたって唯を殺したんだ!!)

 血が滲むほど唇を強く噛み締め、絶望の深淵の中で淳は固く誓った。

 もう一度だ。もう一度だけ、やり直さなければならない。今度こそ、彼女の「命」も「輝き」も、そのすべてを救い出す術を見つけるために。

◇

 一度目のタイムリープは、何の前触れもなく起きた突発的な現象だった。何がトリガーとなったのか、どのような物理的・精神的条件が合致したのか、手がかりは完全にゼロだった。

 二度目の死を見届けた後、二十三歳の淳は大学を自主退学した。周囲の視線や心配の声など、彼の視界には届かない。実家の自室に閉じこもった淳は、外界との連絡を遮断し、狂気とも言える研究へと没頭し始めた。

 四畳半の部屋の壁という壁は、びっしりと貼り付けられた論文や計算式で埋め尽くされた。量子力学、理論物理学、神経生理学、精神医学、果ては古今東西のオカルト文献やタイムトラベルに関する都市伝説の解析資料。机の上には、何冊ものノートと専門書が山高く積み上げられ、足の踏み場もない。

 周囲の人間は囁き合った。「唯ちゃんの死で、淳くんの頭がおかしくなってしまった」と。哀れみと恐怖が混ざった視線。しかし、そんな雑音はどうでもよかった。彼にとっての全世界は、ただ「過去への扉をもう一度こじ開けること」その一点のみに集約されていたからだ。

 一年目。

 淳は自らの身体と精神を実験体として捧げ、極限状態を再現するアプローチを開始した。

 一回目のタイムリープが起きた直前の自らのコンディション――激しい絶望、自己否定、狂気的な自責、心拍数の爆発的な跳ね上がり。それらを完璧にトレースすれば、時空の歪みが再現されるのではないかと考えたのだ。

 淳は唯の命日と同じ月齢、同じ時刻、同じ気圧の日を選び、かつて彼女が息を引き取った病院の跡地(現在は解体され空き地となっていた)へと足を運んだ。

 冷たい夜気の中、淳は吐き気と戦いながら自らの記憶を掘り起こし、罪悪感を限界まで増幅させた。

「戻れ……戻れよ! 過去へ行け!! 僕をあの春に戻せ!!」

 夜空に向かって泣き叫び、コンクリートの基礎部分に何度も頭を打ちつけた。額から赤い血が流れ落ち、視界が赤く染まる。脳震盪を起こし、意識が混濁し、過呼吸で手足が硬直する。

「頼む……過去へ……唯のもとへ……!」

 どれほど祈り、叫び、意識の糸が途切れそうになっても、冷酷な夜明けの太陽が容赦なく彼を照らし出すだけだった。目の前に広がるのは、変わらない無機質な空き地の風景と、己の血の匂いだけ。物理的な自傷と精神の酷使だけでは、時空の壁に掠り傷一つつけられないことは明白だった。

 二年目。

 不毛な自傷と暗闇の中での模索の果てに、淳はある決定的な「違和感」に思い至る。

 散らかった部屋の中、血走った目で壁の資料を見つめていた淳の口から、掠れた声が漏れた。

「……違う。感情のベクトルが、根本的に間違っているんだ」

 一回目のタイムリープの瞬間、淳の心にあったのは「自分はどうなってもいい、ただ唯を救いたい」という、純粋で狂気的なまでの100%の利他心だった。

 しかし、二回目の死の直前に抱いていた感情には、「この罪悪感から逃れたい」「自分が楽になりたい」「後悔を消し去りたい」という、エゴと保身が混ざり込んでいた。

「世界は……時空の構造は、自己保護のためのエゴを拒絶しているんだ。必要なのは、自己の存在価値を完全にゼロへ落とし込む、極限の利他性……!」

 仮説を立てた淳は、自身の「エゴ」を肉体から削ぎ落とすための過酷な生活を開始した。

 過度の断食を行い、肉体を限界まで削り落とした。意識が朦朧とする飢餓状態の中で、瞑想を繰り返し、「淳という個人の欲望」を消去していく。自分の未来、自分の健康、自分の命――それらすべてに対する執着を捨て去り、「ただ唯の生命と魂の輝きのためだけに存在する触媒」になろうとした。

 衰弱し、肋骨が浮き出た体で、彼は何度もトランス状態を試みた。しかし、魂が透明に近づいていく感覚は得られるものの、どうしても最後の不連続点――時空を飛躍するための決定的な閾値を超えられない。何かが、決定的に足りなかった。

 そして三年目の秋。満月の夜だった。

 3年間かけて集め続けた気象データ、太陽風の磁気変動グラフ、潮汐力の計算表、天体運行軌跡、そして自身の脳波測定データを机上に並べ、不眠不休で検証を続けていた淳の手が、ピタリと止まった。

 電波時計の秒針がチクタクと音を立てる中、淳の瞳に途方もない戦慄と歓喜が走る。

「……そうか。心(精神状態)だけじゃ駄目だったんだ……。『天文学的・環境的な同期』が必要だったんだ……!」

 人間の脳が、極限の利他心とトランス状態によって異常な強度の波と波のコヒーレンスを起こした瞬間。その生物学的エネルギーが、地球の固有磁場、そして満月が地球にもたらす極大の潮汐引力ベクトルと「完全に位相を合わせた」一瞬――それこそが、時空の織り目に局所的な特異点を生み出し、過去への最短経路を穿つ「鍵」だったのだ。

「……見つけた。ついに見つけたぞ、唯……!」

 鏡に映った二十六歳の淳の姿は、人間というよりは怨霊に近かった。髪は伸ばしっぱなしでボサボサに絡まり、頬は落ちくぼんで影を作り、しかしその瞳だけは、暗闇の中で獲物を狙う肉食獣のように狂暴なまでの光を放っている。手元には、三年間の血と汗と涙が黒く染み込んだボロボロのノート。

 その夜。気象条件、潮位、磁気圏の数値、そして満月の周期が完璧に合致する、午前二時。

 淳は、かつて唯が入院していた病院の屋上(現在は立入禁止となっている再開発ビルの屋上パネル)に立っていた。凍えるような秋の夜風が、ボロ切れのようになった彼のコートを激しく羽ばたかせる。

 すべての条件は揃った。

 第一条件:「自分の命や未来すら一微粒子も惜しまない、唯への絶対的な愛と純粋な利他心」

 第二条件:「満月の夜、特定の気圧配置と潮位引力が重なる物理的極大点」

 第三条件:「感覚遮断と極限の瞑想による、生死の境目を彷徨うトランス脳波」

 頭上を仰ぎ見ると、夜空に浮かぶ巨大な満月が、不自然なほどに青白く輝いていた。月光が降り注ぐたび、周囲の空間の密度が変化していくような錯覚を覚える。

 じわじわと世界から音が消えていった。風の音も、遠くの街の喧騒も途絶え、キーンという耳鳴りのような高周波だけが脳内で増幅していく。視界の端から夜景がぐにゃりと歪み、空間が水面のように波打ち始めた。

 淳は、この三年間、自らの身を削って溜め込んできた唯への愛おしさ、激しい悔恨、そして「彼女に本当の人生をあげたい」という祈りを、心臓の真ん中の一点へと凝縮させた。

(僕の命なんてどうなったっていい。僕の未来も、僕の存在の証明も何もいらない。だから――世界よ、僕の命を薪にして、あの春への扉を開け!!)

「――戻るぞ! 今度こそ、君の人生を……君の本当の笑顔を取り戻す!!」

 魂を絞り出すような叫びとともに、淳は屋上の淵から一歩、踏み出した。

 次の瞬間、彼の肉体と意識は、天から降り注ぐ青白い光と強大な重力の渦の中へ、不可逆の力で叩き落とされた。


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