第八章 灯
「馬鹿が。だから言っただろうが」
「う、うるさいわね! 悪かった、って……ずっと謝ってるじゃない……」
「謝って済ます気なら、最初っから素直にオレの言うこと聞いとけ、ってんだよ」
四人は場所を移していた。ヴルタヴァ川沿いの安宿の一室、晴親の部屋だ。
『ティア、今回はさすがにぼくも怒ってるよ』
「お、おあげちゃん……」
『こうして無事だったから良かったけど、一歩間違ったら危なかったよ。もう二度と、こんな無茶したらダメだからね』
「……ごめんなさい……」
『榊殿の言うとおりだ。ティア、猛省せよ』
「……はい……」
『お二方。我が主が誠に迷惑をかけた。このとおり――』
瓶の中で頭を下げるアタノールに晴親は目を向け、
「おまえはいいんだよ。オレたちは一緒に放ったらかされた身じゃねぇか……なぁ!?」
「うぅ……」
『晴親……』
榊の声に呆れが透けてきた。ティアの半泣きの顔も見られて、溜飲もすこしは下がった。時間もない。
このあたりで勘弁しておいてやるとしよう。
「で、だ……道継はゴーレムの奪取で終わらなかったわけだが」
『そうだね。けど、納得もできた。どうりで歯が立たなかったわけだよ』
『ふむ。まさか、あれほどの力すら利用するにとどまるとは』
悔しそうにティアが歯噛みするも、すぐ頭を切り替えた。
(いま考えるべきは、これからのこと……!)
まっすぐに晴親を見据える。
さっきまで不機嫌だった顔が、いつもの憎たらしい顔に戻っていた。
「……なりふり構ってられねぇ。どんなちいさなことでも構わねぇから、おまえらが道継と話した内容を思い出せるだけ話してくれ」
「けど、そこまで重要なことなんて言ってなかったような――」
「錬金術師にとって重要じゃなくても、陰陽師にとっては重要なことかもしれねぇ」
『ふむ。晴親殿の言うとおりだ』
「……わかったわ」
ティアたちは道継と出会ったときのことや、クレメンティヌムで会ったこと、さらには贋物のゴーレムに関することまで、包み隠さず話した。
(盤面に駒は出揃ってるはずだ……!)
これまでプラハで感じてきた音、におい、手触り。
陰陽道の常識も、錬金術の理論も。
そのすべてが、道継に繋がる手がかりとなっている。
(あと必要なのは点と点を繋ぐ一本の線……あるいはきっかけ……)
それさえあれば、必ず道継へたどり着ける。
「……道継は去り際に言ってた。〝我が生涯最大の術式〟って……」
道継につかまれた首が、踏まれた手が痛んだ。
「生涯最大の術式、はまぁそうなんだろうな……問題はプラハを吹き飛ばす、ってほうだ」
「比喩かしら……?」
『ふむ。なにかにつけ、大仰に振る舞っていた男だ。その可能性も否定できまい』
「いや。野郎は無駄に振る舞うが、無駄なこたぁしねぇ」
腕を組み、低く唸った。
「プラハの街を吹っ飛ばしてでも、成したいことがあるんだろ」
『この際、目的はいったん置いとこう。とにかく場所を絞らないと』
「だけど目的がわからないんじゃ、場所の絞りようも……」
『ふむ。堂々巡り、というやつだな』
一同のうなり声だけが響いた。
「……おまえが前に言ってた、呪術的な起点云々の話。オレはあれが的を射てると思うんだが」
「けど、あなたたちはもうそういう場所をしらみ潰しに当たってたんでしょ」
『そうだね。だけど、あのときといまじゃ状況が変わってる』
『ふむ。道継の手札は賢者の石と大量の呪力、といったところか』
「ったく……泰山府君祭でもやろうってのかよ……」
「タイザン、フ、クンサイ……?」
錬金術師たちが首を傾げた。
『陰陽道における術のひとつだよ。病気を治して延命したり、死者蘇生まで成し遂げた、って話もあるんだ』
「死者蘇生……!?」
『なんと……!?』
「眉唾だ。そんな簡単に、自然の摂理に逆らえるわけねぇだろ」
だが、おそらく道継がやろうとしていることは、それに匹敵するようななにかだ。
『そうだね。それに泰山府君祭は神降ろしに近い術だからね。いくら準備を重ねたからって、陰陽師がひとりでどうにかできるものじゃないよ』
「カミオ、ロシ……?」
「一種の憑きものだ。権能を借りるために神を降臨させる術だ」
「なるほどね……そう、神降ろし……」
その言葉が引っかかった。
「……そういえば、ゴーレムの解釈について訊かれたわ」
「野郎はなんて答えたんだ」
「ヒトを超えし存在」
部屋が静まり返った。
「あとは、ゴーレムの本質は核にある――これは太陽の花のことだろうから言葉のとおりとして……それから、ヒトを超えるための力が秘められてる、って」
「野郎……まさか、本当に泰山府君祭をやろうってのか……?」
『けど、あれは救うべき誰かに向ける術だよ? 道継にそんな人が――』
『いや、あながち違うとも言い切れぬぞ』
三人の視線が瓶の中の小人に向けられた。
『賢者の石の効果のひとつに、アルカヘスト精製がある。あの男の目的が不老不死であれば、なにかしらの効果を狙ったものかもしれない』
「それならさっさとその霊薬を精製しているはずだ。呪力を溜め込む理由がねぇ」
晴親が苛立った様子で立ち上がる。窓辺に寄って、外の景色に目を向ける。
目に映るのは、豪雨に見舞われている赤い屋根と白い壁の美しい街並み。
それらを呑み込まんばかりの馬鹿げた呪力。
「こんなデカい爆弾を作ってやがんだ。不老不死の霊薬なんてやさしいもんじゃねぇ」
「爆弾、って……」
『晴親の言うとおりなんだ。いまのプラハは、ちいさな火でも爆発しちゃう。それもとびきりの大爆発だよ』
『ふむ。それがもうあした――いや、きょうに迫っているというのだな』
焦りそうになる気持ちを必死に抑えた。
(……あとひとつ……決定的ななにかが足りねぇ……)
「こうして見ると、プラハって本当に尖塔が多いわね」
隣に立ったティアが、ゆっくりと漏らした。
視界は悪いが、それでも彼女の言うとおり、数多くの尖塔が目に映る。
「そうだな……ったく、こんなときじゃなけりゃ、もっとじっくり見て回りたかったもんだ」
「そんなこと言ってほとんど見て回ったんじゃないの」
「見て、ってのが本当に見るだけならな。オレが言いてぇのは――」
「わかってるわよ」
張り詰めた空気をほぐすように、ティアがひとつの尖塔を指さした。
「あれがティーン教会。一番目立ってるし、有名だからあなたでも知ってるでしょ」
「……まぁな。真っ先に疑ったがシロだった建物だ」
息抜きのつもりだろうか。観光ガイドみたいなことを言い出した。
(煮詰まった思考を整理するには……悪くねぇか)
「その近くに見えるのが聖ミクラーシュ教会。丸いドーム型の屋根も特徴ね」
「オレが住んでる里には絶対にねぇ建物だ」
「そうなの? あなたの……サト? には、どういう建物があるの?」
「基本は木造だな。瓦の屋根があって、石畳じゃなくて砂利が敷かれてて――」
「カワラ……? ジャリ……?」
「……いや、いい……」
頭を掻いて、遠くに見える尖塔へ目を留めた。
夜の海にぽつんと浮いている、ちいさな槍のような尖塔だった。
「あそこには行ってねぇな」
「あそこ、ってどこ?」
「いや、あそこだよ。遠くに見える、ちっちぇ槍みてぇな」
晴親が指さして、ティアが目を凝らす。
「……あぁ。あれは火薬塔ね」
「火薬塔? 物騒な名前だな」
「たしか一五世紀の末に、旧市街の城門として建築されて――」
火薬塔。
「……火薬塔……?」
「えぇ、のちに火薬庫として使われたことから、そう呼ばれるようになったって――」
プラハという爆弾に込められた呪力という火薬。
あと必要だったのは、なんだったか。
「これだ!」
するどい叫びにティアの肩が震え、榊の三本の尾が逆立った。
「ちょっと!? うるさいじゃ――」
「おまえはたいした錬金術師だ!」
「な、なに……変なものでも食べたの……?」
『晴親?』
「おあげ! 術式の起点がわかった――火薬塔だ!」
●
突然、それは動き出した。
おぼつかない足取り。震える体。かつてとは比べ物にならないほど弱々しくなってもなお、それは止まるわけにはいかなかった。
『――――』
雨音と雷鳴が響く闇の中。
それはふたたび歩みを始めた。
●
『ふむ。しかし、火薬塔とは……呪術とあまりに無関係のように思えるが……』
『そこが道継のうまいところだね!』
四人は旧市街広場を駆けていた。
人影はない。溢れるのは呪力に寄せられた人外たちばかり。
「あぁ! 最後に必要だったのは火種――だ!」
晴親の切った早九字で、目の前を歩いていた土人形が汚泥に還った。
石と泥の式神は雨をたっぷりと吸い、見るからに溶けそうになっている。
『呪術的には、名前や歴史なんかは大きな意味を持つからね。気づいてみたら、これ以上にピッタリな場所もないよ!』
「そのうえで、あなたたちの目をそらすにも最適な場所だったわけ――ね!」
溶けそうな式神にティアが試験管を投げつける。雨で効果が薄まる様子もなく、土人形たちは呪符もろとも溶けた。
「こんだけ呪術的に意味を持ちそうなもんが多い街で、わざわざ無関係な場所を起点にするたぁ……認めたくねぇが、野郎はやっぱ一筋縄じゃいかねぇ――な!」
赫い呪符を飛ばす。
それを食べた榊が呪力を迸らせて突進する。
目の前には大きく膨れ上がった水人形の姿。
『榊殿! 存分に!』
『はいはい、っと!』
首にアタノールの小瓶を吊り下げたまま、榊が水の身体を突き破った。核たる呪符を失い、水の式神が崩れる。
小瓶にはひびどころか、傷のひとつもついていなかった。
「……こんだけ頑丈なら、地下でもおあげに戦わせとくんだったぜ……」
「あなたの情に訴える作戦だったんだもの!」
「ほんっとに、おまえは性格がわりぃんだよ!」
晴親のするどい蹴りが土人形の頭をふっ飛ばした。
当然、それだけで止まる式神ではないが、
「うるっさい!」
ふらふらとゆれる式神に、試験管が投げつけられる。
一瞬にして身体が燃え上がり、体内の呪符が燃え尽きると式神は倒れた。
「ったく……錬金術師ってのは、もっと頭カッチコチの――っ!」
雨煙の向こうから、見たこともない妖がティアに迫っていた。
まるで、馬の背から人の上半身が生えているような見た目。その異様に長い腕が、ティアに迫っている。
当人が気づいている様子はない。
「っと!」
「きゃっ!」
ティアの腕を引き、人馬の腕から逃れさせる。人馬は石畳の上を走ったかと思えば、ヴルタヴァ川に飛び込んでいった。
「な、なに? どうしたの、急に……?」
「いや……」
立ち止まって言い淀む。
(こいつらには、見えてねぇんだよな……)
ティアたちが呪力に触れたのは、この数日だ。センスがあるとは言っても、素人に毛が生えた程度のもの。
街に蔓延る妖や物の怪は、式神のように呪力に満ちた存在とは違う。
(波があったり、ゆれてたり……天然の呪力を感知するのは、さすがに無茶だな)
とはいえ、一刻を争う状況でちょっかいを出されたり、いたずらをされるようなことがあっても面倒だ。
「おあげ」
『緊急事態だし、仕方ないよ。それにティアたちなら大丈夫でしょ』
さすが一番の相棒だ。話がはやくて助かる。
「なんの話をしてるの?」
『ふむ』
話の見えていない錬金術師のコンビが揃って首を傾げる。
「アタノールはどうすっか」
『瓶に貼り付けちゃっていいでしょ。相当頑丈みたいだし』
『……なにやら、おだやかではないようだが……?』
珍しく不安げな表情を浮かべる小人に、ふたりが悪い顔を向ける。
「いまから、おまえらの呪力を感知する感覚を無理やりこじ開ける」
そう言って懐から赫い呪符を取り出した。
「はぁ!?」
『ふむ。説明してく――』
「うるせぇ! 時間がねぇんだ! つべこべ言わずにおとなしくしてやがれ!」
赫い呪符に呪力を込め、ティアの額に押し当てた。
途端。
「熱っ!」
『ティア!?』
続けて、アタノールの瓶にも貼り付ける。
『むっ!? これは――!』
「ちょっ、熱っ! なに、これっ――!」
「里に代々伝わる荒療治だ! どうだ? 血が沸騰してるみてぇだろ?」
『晴親もちっちゃい頃はよくやられてたよねー。折檻として』
「いま、その話はいいんだよ!」
悶絶する錬金術師たち――とくにアタノールは、瓶の中でのたうち回っていた。
陰陽師たちは、その様子をにやにやと見ていた。やがて、ふたりが落ち着くのを見計らって、
「これが一番手っ取り早く呪力の感覚をつかめるんだよ」
「だから! どうして急に――!」
ティアの目に映る景色は、すっかり様変わりしていた。
先が見通せない濃霧。土人形や水人形は、より異質な姿に。
なにより、これまで見たこともない化け物たちが、堂々とあたりに蔓延っていた。
「な、なによ、こいつら……?」
『ふむ。これを知覚させるための荒療治だった、というわけか』
「あぁ。悪さをするやつは少ないが、ちょっかいかけられても困るからな」
肩に乗っていたなにかを払い除け、晴親は火薬塔へ向かって駆け出そうとした。
「っし、行くぞ」
「それならそれで、もうすこし説明してほしかったんだけど」
『ふむ。同感だな』
四人は雨の中を駆け出した。
火薬塔は闇の向こうに細い影を突き立てている。
雨はもうすぐ上がりそうだった。
●
「さすがに感づきましたか」
火薬塔の先端。街を見下ろすひとりの男の影があった。
道摩法師――あらため、蘆屋道継。
「そうこなくては! 貴方方には、是非とも術式の完成を特等席で見ていただかなくてはなりません!」
男の右手には、燃え上がる花のような赤い石があった。
「とはいえ、何事にも前座は必要です。まずは盛り上げるための下地を作らなければ」
左手を懐に入れる。取り出したのは呪符。
呪符、呪符、呪符、呪符――
邪を祓う節分のように、呪符を撒き散らす。雨に濡れ、風に吹かれながら呪符に肉が憑き、やがて土や水の人形に姿を変える。
そして、それに釣られるかのように――
「存分に舞いなさい! 奉納するのです! 我が生涯、最大の術式――泰山府君反魂祭のために!」
●
(ようやく、尻尾をつかんだぞ……!)
榊とふたりで里を出てから、かれこれひと月以上になる。ここまで長旅になるとは思っていなかった。
土御門家と蘆屋家の長い因縁に決着をつける。
十二天将をふたたび、一族の手に。
(だが、そんなことよりも……!)
『晴親ー! はやくー!』
視線の先で子狐が振り返っていた。
『晴親殿、いかがした?』
首には、もはや見慣れた密封瓶。
「か弱い淑女を前に立たせるなんて、なに考えてるの?」
その隣には、生け好かない錬金術師。
(だが、まぁ……悪くねぇ)
この四人なら、相手があの蘆屋道継であろうと。
どんな策を凝らしていようと、必ず――
「ったく……」
晴親は足をはやめた。
四人は旧市街広場からツェレトナー通りに差しかかる。これまで通ってきた路地より、ずっと狭い。
「止まれ」
晴親はするどく視線を走らせた。
「おあげ」
『そうだね……ふたりとも、来るよ!』
それが合図だったかのように、
『――――』
式神が現れた。
「道継も懲りねぇな! こんな奴ら――!?」
『――――』
『――――』
細い路地を埋め尽くすように奥から、
『――――』
『――――』
脇から、
『――――』
『――――』
土人形や水人形。あるいは、プラハの地特有の妖や物の怪といった怪異たち。
それらがひしめき合い、怒涛のように襲いかかってきた。
「ったく! 七面倒だな!」
晴親が早九字を切る。呪文を唱えて、護法童子たちを召喚する。
「頼んだ!」
威勢良く走り出した子鬼たち。それぞれが武器を振り回し、妖や物の怪を祓い、追い払っていく。
「しつこいのよ!」
ティアが両手一杯に試験管を持つ。禍々しい液体が降りかかり、土人形たちが燃え上がる。
『いくよ! アタノール!』
『うむ!』
榊が突進して、水人形から呪符を奪い取る。
祓って、祓って、祓って、祓って――
「多すぎんだろ!?」
自分や榊はもちろん、何度も式神やゴーレムとの戦闘を繰り返してきたティアの腕も悪くないが、
『きりがないな……』
『ほんとだよ!』
晴親が追加で呪符を取り出す。現れたのは、屋根裏部屋から贋物を運んだ前鬼と後鬼。
二体の鬼たちは護法童子ほど素早くはないが、有り余る膂力にものを言わせ、怪異をまとめてなぎ払う。
「他のよくわからないやつは、どうして襲ってくるの!?」
「式神の呪力に釣られてんだよ! 目の前に飴玉吊るされてるみてぇなもんだ!」
道継らしい嫌らしい手だ。
(あとすこしだってのによ……!)
もう火薬塔の全容は見えている。
残り数百メートル。時間にして数分の距離を埋める、圧倒的な人海戦術。
「ほんっとに、しつこいんだけど!」
『榊殿! 右だ!』
『はいはい、っと!』
護法童子や前鬼、後鬼が暴れているとはいえ、怪異たちの勢いが弱まることはない。津波のごとく押し寄せ、晴親たちを押し流そうとする。
すこしずつ――
「っ、の野郎!」
晴親が早九字を切り、呪符を撒いて、呪文を唱える。
すこしずつ――
「こっ、の!」
ティアが試験管を投げるたび、怪異たちが燃え上がり、溶けていく。
すこしずつ――
『榊殿!』
『うん!』
榊たちが突進し、式神たちを食い破る。
だが、
「ふざけんな! いくらなんでも多すぎだろうが!」
押され始めた。
「どうなってるの!? 陰陽道って、こんなに無茶苦茶できるものなの!?」
「知るか! 野郎に聞きやがれ!」
『ふたりとも、喧嘩してる場合じゃ――』
『榊殿!』
榊に迫っていた水の手に、ティアの投げた試験管が吸い込まれる。
牛乳のような白い薬液を吸収した水人形の手は、氷のように凝固した。
『ティア、助かったよ! ありがとう!』
「どういたしまし――!?」
視界いっぱいに映る、大きな水の手。
どんっ!
「か、はっ!」
次の瞬間、ティアは民家の壁に叩きつけられていた。
視界がぐるぐる回り、耳の奥でキーン、と金切り音が鳴った。
雨に濡れているはずの身体がひどく熱い。
「無事か!?」
晴親の叫びに応えようとして、咳き込んだ。口元を押さえた手には血がにじんでいる。
ずきずきと痛む胸に手を置き、立ち上がろうとして、
『――――』
大きな水人形が正面に立っていた。
「あ」
マンホールほどもある手で殴られれば、自分はぺしゃんこになる。
後ろは民家。左右に逃げようにも、足がふらついて動けなかった。
『ティア!』
『どいてよ!』
水人形の拳が振り上げられた。
「くっそ!」
晴親が叫ぶ。駆け出そうとして、土人形たちが前に群がった。
「童子!」
すかさず子鬼たちがちいさな身体を活かして、縫うように路地を駆け出した。
前鬼と後鬼が力ずくで道をこじ開けていく。
間に合うはずがなかった。
水人形の手が一気に振り下ろされた。
「っ!」
迫りくる絶対の死。
できることは、ただ目を固く閉じることだけだった。
すこしだけ期待していた走馬灯は巡らなかった。
「――――っ!」
ただ遠くから名前を呼ばれたような気がした。
最後の最後まで、野蛮な――
どんっ!
●
それに自我はなかった。
それはただ与えられた命令を遂行するだけの存在。それ以上でもそれ以下でもない。
『――――』
だからこそ、与えられた命令を死守する。
たとえ己がちっぽけな人形と化したとしても。
己はただ――
●
いつまで経っても訪れない衝撃。
ふと、すこし前にも似たようなことがあったことを思い出した。
恐る恐る目を開ける。
ゴーレムの姿があった。
「っ、うそ……っ?」
ゴーレムは道継に核――賢者の石を奪われて、動けなくなっていたはずだ。実際、地肌から蛇のような紋章は消え、押しつぶすような威圧感も感じられなくなっている。
胸に空いた、裂け目のような穴は、すこしずつ広がっているように見える。
『――――』
それでもゴーレムは、水人形の手からティアを守るように立っていた。
「……どうして……?」
驚愕に目を見開くティアの前で、ゴーレムの土肌がぼろっと剥がれ落ちた。
「っらぁ!」
そこへ水しぶきをあげながら、晴親が駆けつけた。
瞬時に早九字を切る。水人形が弱まった隙をついて、ゴーレムが拳を振り抜いた。
拳の先には呪符があり、呪符を失った水人形は雨にまぎれた。
「大丈夫か!?」
「な、なんとか……」
ティアに駆け寄ろうとした晴親の目の前にゴーレムが立つ。
「てめぇ――」
「待って!」
瞬時に呪符を展開しようとした晴親を制し、ティアがゴーレムの眼前に立つ。
いくら弱まろうともゴーレムの拳に真正面から殴られれば致命傷は確実だ。
にもかかわらず、ティアの顔には怯えや恐怖といった感情はひとつも浮かんでいない。
『――――』
ゴーレムはなにも言わず、片膝をついて胸に手を当てた。
姫君に忠誠を誓う騎士のような佇まい。
「あなたは……わたしを守ってくれるの? もう力もないのに……?」
『――――』
岩で創られた顔からは、どんな感情も読み取れない。
命令を遂行するだけの人形には意志も感情も、言葉も必要ない。
それでも――ゴーレムは自分の前に立った。
立ってくれた。
と、
路地の脇から、大鎌を持つ魔女のような妖が現れた。
「っ!」
ゴーレムに気を取られていたふたりはとっさに反応できなかった。大鎌がティアの首にかかる寸前。
ゴーレムが手をかざす。
どんっ!
魔女のような妖は民家の壁に激突し、そのまま動かなくなった。
「あ、ありがとう……」
『――――』
ゴーレムが立ち上がり、両手をかざす。向けられた先は榊や童子たちが戦っている路地の中央。
どんっ!
『うわぁ!』
『なにごとだ!?』
思わぬ援護射撃に、榊とアタノールが揃って目を剥いた。童子や前鬼、後鬼も険しい表情を浮かべる。彼らは揃って無傷だった。
一方、同じ路地にいた怪異たちは、みな吹き飛ばされていた。壁に叩きつけられるもの、屋根の上まで吹き飛んだものなどさまざまだ。
『――――』
ゴーレムはなにも言わず、ただ路地に蔓延る怪異たちのほうを向いている。
のっぺらぼうとした表情からは、どんな感情も窺えない。
それでも、
「いまのうちよ――くっ!」
草色の薬液――滋養薬を一気に飲み干し、ティアが叫んだ。口の中にえも言われぬ味が残ったが、いくらか身体が軽くなった。
「童子たちは置いてってやる……ヤバくなったら、おまえも逃げろよ!」
『――――』
ゴーレムは答えなかった。代わりに、両手を路地の中央にかざす。
激しい音とともに怪異たちが吹き飛び、火薬塔へ続くまっすぐな道ができていた。
「行くぞ!」
ゴーレムが切り開いた道を走る。
脇から、奥から溢れる怪異たちは無視した。
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
すべて童子たちが祓ってくれる。
討ち漏らしても、前鬼と後鬼が逃さない。
なにより、
『――――』
ゴーレムが両手をかざす。
そのたびに土肌がぼろぼろと崩れていく。まるで己の存在をかけて道を切り開くかのようだった。
「あいつ、ほんとにどうなってやがんだ!?」
「わたしに言われたってわからないわよ! 護符を入れたわたしを守ってくれてるんでしょ!」
ティアが振り向いて、ゴーレムを視界に入れる。
童子たちと協力しながら怪異を祓うゴーレムからは、以前のような全能感や神がかった存在感は感じられない。
謎の力を放つも、一度に数体を吹き飛ばすのが限度。賢者の石が埋まっていた頃の半分以下の出力だ。
「まぁ、いい! ここは任せるとするか!」
「えぇ!」
ふたりの声にアタノールがうなずき、榊が速度を上げる。
――壊れないでよ。
ティアの声は雨に溶け、誰の耳にも届かなかった。
闇夜にそびえる火薬塔の影に、ようやく四人は足を踏み入れた。




