第九章 泰山府君反魂祭
静寂。
火薬塔に足を踏み入れ、最初に感じたのはそれだった。
「外はあんなに騒がしかったのに……」
「結界が張られてやがる。そのくせオレらのことは簡単に通しやがって……」
四人の目の前は闇一色。
晴親が狐火を召喚し、あたりを照らした。
煉瓦造りの室内には螺旋階段が設けられている。他に通路は見当たらなかった。
『上るしかなさそうだね』
『ふむ。誘われている、というわけか』
「誘われてなくても行くしかねぇがな」
狐火の明かりを頼りに四人が階段を上っていく。
チケット売り場を越え、粛々と上へ。
「どこにいると思う?」
「野郎が考えてることなんざわかんねぇが、馬鹿となんとかは高いとこが好き、ってな」
そこ以外に道継がいるとは思えなかった。
螺旋階段を上り、歴史や武具の展示の間を抜ける。そこからさらに階段を上ると、一枚の扉が現れた。
「いくぞ」
扉を開ける。
視界が、ぱっと開けた。
「っ」
ティアは息を呑んだ。
目の前に広がるのは、雨に濡れるプラハの全貌だった。
ティーン教会や旧市街広場、遠くには霧に塗れたプラハ城までが一望できる。
突風が吹いた。
とっさに髪を押さえ、眼下を見下ろした。
街を彩る灯りと深い霧にまぎれ、あちこちに蠢く式神や怪異たち。
こんなときなのに、ティアはこの街をとてもきれいだと思った。滅びが迫っている街が、どうしようもなく美しかった。
「ようやく会えたな! 道継!」
晴親が叫んだ。
いま自分たちがいるのは火薬塔の上層――展望回廊だ。晴親はその中央、尖塔の根元をにらみつけている。
そこにいた。
「皆様! ようこそお集まりくださいました!」
黒い長髪に線のように細い目。晴親と同じ黒い着物と袴をまとった怪しげな男。
その右手には真っ赤に燃え上がる、花のような石。
「蘆屋……道継……!」
ティアの声に、悔しさとなさけなさがにじんだ。
「ティア様、お加減はいかがですか? 私とても心配しておりまして――」
「ふざけないで!」
「これは失礼。淑女を怒らせてしまうとは紳士の名折れ」
道継が片手を胸元へ引き、礼をする。
小馬鹿にされているようで癪に障った。
「それと……晴親様、ご無沙汰しております」
「あぁ」
「プラハ観光はいかがでしたか?」
「最悪だ。街中を走り回されるわ、性悪な錬金術師に付きまとわれるわ……おまけにゴーレムなんて得体の知れない化け物からボコボコにされたしな」
視界の端でティアが試験管を抜くのが見えたが、ひとまず無視した。
「それはそれは……存外楽しめたようでなによりです」
「いや、そうでもねぇ……こんな胸糞悪いもんを見せられてんだからな!」
濃霧に覆われたプラハの街に手を向ける。
「なにしようとしてんだか知らねぇが、さっさと術式を解除しやがれ! プラハの街を吹っ飛ばすつもりか!?」
「そのとおりです!」
今度は道継が両手を大仰に広げた。
雲間から届く月明かりに、賢者の石が怪しく光る。
「てめぇ! いったい、なに考えてやがる!?」
道継の口元には堪えきれない笑みが浮かんでいた。
「私がこれから行うのは――泰山府君反魂祭!」
『泰山府君……反魂祭?』
榊がいぶかしげな表情を向ける。道継は「えぇ」とうなずいて、
「泰山府君祭のことは晴親様……いえ、榊様のほうがよくご存じでしょう? それすなわち――」
「ごちゃごちゃ言ってんな! おあげ!」
懐から赫い呪符を榊に放つ。
咥えた榊が突進。呪力を迸らせながら、展望回廊を駆ける。迷わず道継の喉元へ喰らいかかった。
「そんなに焦らないでください。まだ前口上の途中ですよ」
榊の突進を、すり足で難なくかわす。
空中に放り出された榊の前に、狐火がぼわりとゆれる。榊は狐火を足場のようにして蹴り、道継の死角に回り込んだ。
「泰山府君祭は人の命運を神に委ねる、陰陽道の秘儀。私はそこに目を付けました」
「あんな大業、ひとりでできるわけねぇだろうが!」
「えぇ、おっしゃるとおり。……そのための、賢者の石! そして、プラハの地です!」
「いい加減黙りなさい!」
ティアが鈍色の試験管を投擲する。
煉瓦造りの足場から槍のような突起が生え、道継を襲う。
「さすがはティア様。見事な錬金術ですが、それはもう見ましたよ」
「ごちゃごちゃうるせぇ!」
するりとかわした道継に、晴親が青白く燃え上がった呪符を放つ。
道継は九字を切って対応する。
ふたりの術が相殺し、空中で燃え尽きた。
『榊殿!』
その隙をついて、榊が突進する。狙いは、
「見え見えですよ」
道継が賢者の石を鞠のようにふわりと放った。
突進をやり過ごし、石はふたたび道継の手へ。
「っ」
ティアの額を汗が伝う。
(こいつ……こんなに……?)
晴親たちが一筋縄ではいかない、と言っていた理由がようやく理解できた。
「やれやれ……皆様、揃いも揃ってせっかちなご様子。長年の研究結果の発表を見守ってはくれないものでしょうか」
「ろくなことが起きねぇに決まってるからな」
傍らに榊が降り立った。首元でアタノールの瓶が風にゆれている。
『蘆屋道継! 我が主を謀った報い、いまこそ受けてもらうぞ!』
「ホムンクルス風情がなにを偉そうに」
心底興味がなさそうに吐き捨て、
「ですが、ティア様は私が見込んだだけあって、優秀な錬金術師でしたよ! おかげさまでこうして必要なものが揃いました」
「あなたに言われても侮辱以外に感じないわ!」
ティアが血のような薬液を飲み干す。瞬間、身体が燃えるように熱くなった。
試験管を雑に投げ捨て、一瞬で道継に肉薄する。
「あなただけは絶対に許さない! 太陽の花を返せ!」
「返せもなにも、これははじめから私のものでしょう」
勢い任せに殴りかかる。
「甘い!」
道継が、そっとティアの拳に触れた。かと思えば次の瞬間、ティアの身体は大きく宙を舞っていた。
『ティア!』
わけもわからず空中に放り出され、真っ逆さまに塔から落ちるしかなかった。そこへ間一髪、狐火を足場にした榊が体当たりして、回廊へと押し戻した。
「あ、ありがとう……」
『どういたしまして!』
「野郎は柔にも覚えがある。迂闊に近づくんじゃねぇ」
「えぇ……」
展望回廊を濡らしていた雨が止んだ。
「どうやら泰山府君も、私に味方をしてくれるようですね」
「火遊びするには雨が怖かった、ってか」
「ふははははは! さすが土御門家次期当主は、弁も立ちますね! しかし!」
道継が手に持つ賢者の石をかざす。
「読みはからきしのご様子!」
『っ! 晴親!』
「遅いのですよ!」
道継の瞳が見開かれる。
「怨!」
瞬間。
プラハの街が怪しく輝き出した。
●
『キャ!』
赤鬼の持つ大剣が、蔓延っていた最後の式神の呪符を叩き斬った。
ツェレトナー通りはひどい有様だった。汚泥が民家を汚し、洪水で押し流されたかのようにゴミ箱や木片が散乱している。
『キョ?』
『キュ……』
『キャ!』
童子たちの視線は、立ち続けている一体の異形に向けられていた。
雨に溶けかけている土肌。ひび割れつつある岩の顔。
ぼろり、と。
ゴーレムの右腕が、肘から崩れ落ちた。
『――――』
『――――』
前鬼と後鬼は互いに目配せし、ゆっくりと歩き出した。
向かう先には、闇夜に突き立つ尖塔がある。
『キャ!』
『キョ!』
赤鬼と黄鬼があとに続いた。
緩慢な動きの前鬼、後鬼と違い、二体の姿はすぐさま霧に呑まれた。
『キュ?』
『――――』
最後に残った青鬼が、ゴーレムに目を向けた。首を傾げ、なにかを問いかけているようにも見える。
ゴーレムは、なにも答えない。
『……キュ!』
やがて青鬼も皆のあとを追い、駆け出した。
『――――』
それを見届けたゴーレムも、ようやく引きずるように足を動かし出した。
その様子を一羽の烏が闇色の瞳で見つめていた。
●
まるで鼓動するように、プラハの街が藤色に明滅する。
立ち込める霧はいっそう深く、呪力はより濃くなっていく。
「っ! これは……?」
『なにが起ころうとしている……?』
眼下に広がる光景が理解できず、ティアとアタノールは晴親たちに目を向けた。
「っ、てっめぇ!」
「すべては、私の手のひらの上です!」
言って、賢者の石を――手放した。
誰もが砕けると思った。だが、賢者の石はまるで狐火のように浮かびあがり、尖塔の頂へゆらゆらと向かっていく。
「急急如律令! 土蜘蛛!」
誰もが賢者の石に目を向けていた一瞬の隙をついて、道継が式神を召喚した。
現れたのは、黒い体毛で覆われた胴体、八本の脚、六つの赤い目を持つ巨大な蜘蛛だ。
「っ! やべぇ、離れ――」
『――――』
召喚された土蜘蛛が口から白い塊を吐き出した。巨大な糸の塊だ。
「ちっ!」
「っ!」
『もが……!』
『みな、無事か!?』
粘つく糸にからめ取られ、晴親たちは身動きが取れなくなった。
その様子を見て、道継は慇懃に礼をした。
「非礼をお詫びします。ですが、皆様があまりにも粗暴なものでして……」
「ふざけんな! てめぇ、さっさと術を――」
「威勢がいいのは結構ですが、その姿では遠吠えにしか聞こえませんよ」
草履を濡らし、道継が晴親の眼前に立った。
「これから行う術式を一番に見てほしいのは貴方ですよ、土御門晴親様。ティア様の助けを得て完成した、泰山府君反魂祭――とくとご覧あれ!」
賢者の石が尖塔の頂にふわりと浮かんだ。
途端、プラハの街を沈めていた霧が藤色の呪力となって賢者の石に収束していく。
同時に聞こえてくるのは、街中から上がる阿鼻叫喚の声。
「てめぇ、プラハの人間を皆殺しにするつもりか!?」
晴親の叫びを無視し、道継は満足そうにうなずいた。
「それでは仕上げと参りましょう!」
大仰に手を振り、すり足で優雅に舞う。しぶきが上がって、月明かりがそれを照らした。
「ナウマグ・サマンダ・バザラダン――」
「くそっ――っ!」
もがく晴親の視線が一点で止まった。
視線の先には、ぼわりとゆれる狐火。
狐火は道継の頭上――死角からすこしずつ、こちらに向かって降りてきている。
「ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ――ぐっ!」
道継の指先から血が吹き出た。弾け飛んだ爪が回廊に転がった。
(いいぞ……野郎は術に必死だ……!)
道継の額には脂汗が浮かび、身体が小刻みに震えていた。
「ぐふっ!」
血反吐を吐き出し、それでも道継は舞うのをやめない。
「いい加減にしろ! そんなでたらめな真言で、泰山府君を降ろせるわけねぇだろうが!」
叫んで必死に注意をこちらに向ける。
道継の口元に嗜虐的な笑みが浮かび、舞いが激しくなっていく。
「オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン――」
もう狐火はいつでも飛び込める距離まで近づいている。逆にこれ以上近づけば、その熱で気づかれてしまうだろう。
「ウン・バザラ・ウン・バッダ――」
「来い!」
途端、狐火が砲弾のように晴親に迫る。晴親ごと燃やして、糸を焼き切るつもりだ。
「かまわねぇ! さっさと――」
『アァー! アァー!』
『いかん!』
アタノールのするどい叫びに、晴親はぎょっとした。
尖塔の頂から一羽の烏が、狐火めがけて一直線に降下していた。
どんっ!
『アァー! アァ……』
激突した烏と狐火は、もつれ合うように展望回廊に落ちた。生き物の焼けるにおいが鼻を突く。
『――――』
そこへ追い打ちをかけるように土蜘蛛が迫る。
そのまま太い脚を狐火と――烏の肉体に突き刺した。
「っな!?」
「ナウマグ・サマンダ・バザラダン・ゼンダ・マカロシャナ・ソワダヤ・ウンタラタ・カンマン!」
道継の舞いが終わりを迎えた。
●
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
肩で息をし、袴を血で汚しながらも、道継の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
あたりは音を許さないほどの静寂に包まれている。
(いったい、なにが……)
ティアがそういぶかしんだ、そのとき。
突然、眩い光があたりを包み込んだ。
「っ!」
とっさに目を閉じざるを得ないほどの強い光だった。
しかし、それも一瞬。
恐る恐る目を開ける。
「なっ――!?」
あたりは昼間のようになっていた。
そう見まがうほど、なにかがあたりを煌々と照らしている。
視線を向ける。尖塔の先端、そこにあった。
燃え上がるようにきらめく、赤い石。
「あれが……太陽の花……?」
「ふはははははは!」
道継の高笑いがこだまする。
「やりました! やりましたよ! ふはははははは!」
道継は額に手を当て、よろめいた。――尻もちをついた。
それでも道継は嗤うのをやめなかった。
「いよいよです! 我が一族の悲願――十二天将へいたる門は、もう目の前に――」
『キャ!』
突然響いた、聞き慣れた幼声。
回廊に突撃してきたのはちいさな赤鬼だった。身の丈ほどもある大剣を持ち、すばしっこい動きで道継に肉薄する。
『キョ!』
『キュ!』
続いて現れたのは、青鬼と黄鬼。手に持つ武器を振るい、土蜘蛛と対峙した。
『――――』
『――――』
その後ろから前鬼と後鬼がやってくる。
野太い腕と剛力で、絡みついていた糸を簡単に引きちぎっていく。
『んがっ! ……ふぅ! みんな、ありがとう!』
『助かった、礼を言おう』
榊とアタノールが解放された。
「っ、ありがとう!」
そのままティアと晴親の糸を引きちぎったところで、二体の鬼たちは霞のように姿を消した。
立ち上がって、視線を巡らせる。
プラハにそびえる火薬塔。その展望回廊。
蘆屋道継には赤鬼が、土蜘蛛には青鬼と黄鬼が当たっている。その土蜘蛛の足元には、黒く焦げた烏の肉体と――
「っ!」
目を見開いた。
土蜘蛛の脚で貫かれた狐火は、必死にもがいていた。弱々しく火の粉を散らす様子は、助けを求めて母に手を伸ばす子どものようにも見える。
その手の先にいるのは――
「っ、道継!」
晴親の一喝。
同時に複雑な手印を結び、土蜘蛛に叩きつけるように叫ぶ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
『――――』
岩のような土蜘蛛の脚が動く。回廊の床ごと脚を引き抜き、あたりを凄まじい振動が襲う。そこへ子鬼たちが追撃。
――押し切った。
晴親が一目散で駆けつける。狐火は普段よりも、ずっとちいさくなっていた。
「よく耐えた……! ゆっくり休んでろ」
ぽっ、と。
力なくゆれ、狐火は影に呑まれるように消えていった。
「あの子は……」
「あいつは強い子だ。心配いらねぇ」
いま、確信した。
榊を相棒と呼び、
護法童子たちから慕われ、
狐火を我が子のように案じる。
(晴親は式神たちを、家族のように見ている……)
対して、
「やれやれ……童子たちには、ほとほと手を焼かれます」
赤鬼が床を滑りながら晴親の前で制止する。
「てめぇは陰陽師の風上にも置けねぇ」
「なにを言い出すのやら……狐火のことを気にかけているようですが、それを言うなら晴親様も私の土人形や水人形を――」
「そこじゃねぇ!」
手を向ける。そこには真っ黒に焼け焦げた、烏の亡骸があった。
「式神を露払いに使いやがったな! 呪力で無理やり縛り付けて、意志も自我も弱いあいつらを……!」
「それのなにがいけないのですか?」
馬鹿にするわけでも、煽っているわけでもない。本当に晴親の言ってることが理解できないようだ。
「式神とは術者の命令に従う忠実な下僕。あるいは道具と言ったほうがいいかもしれません」
「道具、だと……! あいつらの生命を、なんだと思ってやがる!?」
「式神に生命……なるほど、それが土御門家の在り方ですか! 実に興味深い!」
ですが、
「いまは貴方と議論している時間はないのです。なにせ、これからが正念場なのですから!」
道継が懐から呪符を取り出した。黒い和紙に血のような墨で書かれた呪符。
それを天高くかざし――
「まずい!」
「ご照覧あれ!」
呪力を込めた、次の瞬間、
火薬塔が火を吹いた。
●
それには、なにも残されていなかった。
根源を失い、崩れゆく体を止めるすべはなく、あとは滅びを待つだけの存在。
『――――』
それでも、足を止めることはしなかった。
最後に与えられた命令のため。
誰かを護るため。
それは、最後まで歩き続ける。
●
凄まじい爆発と轟音だった。
煉瓦が砲弾のように街を襲った。割れた窓ガラスが、星のようにあたり一面に降りそそいだ。それらを免れた場所も粉塵が駆け巡り、美しかった街並みは煤色に汚れていた。
「無事か、おまえら!?」
「なんとかね……けほっ、けほっ」
爆発の寸前、晴親が叫ぶと同時に榊や護法童子たちが一気に駆け抜けた。
みな、ちいさな体躯に見合わぬ力で晴親やティアを咥えて、あるいは引きずって火薬塔の外壁を蹴り、爆風から逃れるように脱出した。
式神たちがいなかったら、全員火の海に呑まれていただろう。
『危ないところだった。礼を言おう』
『お安いご用だよ! それにしても……』
いま、四人と童子たちは火薬塔の前――共和国広場に立っていた。
目の前の、ごうごうと火を上げる火薬塔を見つめることしかできない。
「蘆屋道継は……?」
あれだけの爆発だったのだ。普通に考えれば助かる道理はないが、
プラハの街が脈動した。
ティアはそう感じた。
言葉にするなら、そう言うしかなかった。
「っ、いまのは――」
「ちっ! 間に合わなかったか……!」
晴親の顔には焦燥が浮かんでいた。冷や汗がこめかみを伝っている。
プラハに施された術式が藤色に光り輝いた。
絶え間なく収束する呪力。プラハ中から吸い上げられたそれは、いまや火薬と同じだった。
火薬塔という名の火種に触れ、炎は爆ぜるように膨れ上がっていく。
「これが泰山府君反魂祭です」
全員の視線がそこに向けられた。
燃え上がる火薬塔の尖塔――その頂に蘆屋道継は立っていた。足元には、土蜘蛛の――亡骸。爆発を凌ぐ肉壁に使ったらしい。
その手には、プラハ中から集った呪力を取り込んだ、濃い藤色に輝く賢者の石。
「人の命運を神に委ねる――言い換えれば、その瞬間、神はたしかに現世に降臨している……陰陽師といえども、人の身では触れることも聞くこともできませんがね」
道継が手に持つ賢者の石を見せつけるようにかざした。
「本来、神は被術者に宿るのです。そして、その権能をもって命運を左右する……そこで、私は考えました。被術者を賢者の石で代用すれば、神を捉える器にできるのではないか、とね!」
「ふざけんな! それでどうするつもりだ! 取り込んで神にでもなるつもりか!?」
「そのとおりです!」
道継の長髪が、扇のようにぶわりと風に舞った。
「ご存じのとおり、蘆屋家は安倍晴明から十二天将召喚の門――その鍵を奪いました。しかし愚かなことに、誰にも門は開けなかったのですよ」
『っ!』
ティアの視界の端で、榊が悔しそうに唸った。
「我が一族ながら、なんと無能なこと……恥ずかしさのあまり、何度頭を抱えたことか……しかし、それも当然でしょう。十二天将とは、それだけの存在なのです」
「当たり前だ! あいつらは安倍晴明だから召喚できた存在だ! 人間がどうこうできる存在、じゃ……!」
まさか。
「となれば話は簡単です。ヒトを超越した存在になればいいのです!」
掲げていた賢者の石を、胸元に抱き寄せた。
「この私――蘆屋道継は! 凡愚どもとは持って生まれた才能が! 研ぎ澄まされた思考が! これだけの計画を遂行できる行動力が! まるで違うのです!」
言って道継は、着物の胸元をはだけさせ、賢者の石を胸に押し付けた。
ぐもり。
そんな音が聞こえてきそうなほどの肉感的な、あるいは冒涜的な音を立て、賢者の石が道継の体内に取り込まれた。
●
藤色に輝く街を進む、異質な影。
それが通ったあとには、ぼろぼろと崩れ落ちた土肌の欠片が転がっていた。
胸に空いた大穴は広がり続けている。
肘から先を失っていた右腕は、いまや二の腕の半ばまでしか残っていない。
左手の指は三本で、両足には踵がなかった。
『――――』
それでも、それは歩み続ける。
燃え上がる尖塔を視界に入れながら。
●
「ぐぼぁっ!」
空から血反吐が落ちた。
赤黒いそれは、蘆屋道継の最後の人間らしさかもしれなかった。
「がぁっ! ぐっ――うっ、く……あぁぁぁああああぁ!」
両手で胸を掻きむしり、着物が千切れて飛んでいく。まるで鼓動のように胸元が輝き、そのたびに道継が苦悶に喘いでいた。
「おあげ!」
呪符を喰らった榊が突進する。燃え上がる火薬塔の壁を垂直に駆け上がり、襲いかかった爆風すらも利用して、一気に道継のもとへ。
『道継ぅ!』
赫い瞳に激情を宿し、その牙に奪われた怒りを込めて、喉元へ喰らいかかる。
届いた。
榊の牙が、メリメリと道継の喉元に食い込んでいく。喉仏を喰らい、頸動脈から真っ赤な血の華が咲く――はずだった。
『っ!』
『これは……!?』
榊とアタノールの目が見開かれた。
道継の首元からは、藤色の液体が流れ出ていた。人間では絶対にありえない体液を目の当たりにし、榊の牙が無意識にゆるんだ。
「――い。――いが」
『っ、榊殿!』
榊の首元でアタノールが叫ぶ。
「離しなさい。人外風情が」
どんっ!
榊の身体が、赤い飛沫を散らして宙を舞った。
びしり、とアタノールの密封瓶にひびが入る。
「おあげ!」
「アタノール!」
見上げていたふたりが、同時に叫んだ。慌てて駆け出そうとして、気づいた。
(足が……!)
(震えて……動かない……!?)
『キョ……!』
代わって童子たちが駆け出し、榊の身体を受け止めた。ぐったりしている榊と、白い煙が漏れ出ている密封瓶をふたりのもとへ。
「助かった。……悪かったな、もう帰ってろ」
勇ましく駆けていた護法童子たちだが、揃って身体を震わせていた。地下都市でも同じことがあった。
いまの道継はゴーレムと同等か、それ以上の存在感を放っている。
「アタノール……!」
ティアが薬液を瓶に垂らすと、ひびはまたたく間に塞がった。だが、瓶の中のアタノールは、榊と同じようにぐったりと動かなくなっていた。
こんなことははじめてだった。
「ご清覧いただき、ありがとうございます」
と、
火薬塔から道継が降りてくる。
身体を宙に浮かせ、着物と長髪をはためかせながら、ゆっくりとふたりに迫る。
「てめぇ……!?」
「っ!」
ティアが息を呑んだ。
紫がかった肌に、白黒が反転した瞳。なにより、はだけた胸元から露出し、心臓のように鼓動する賢者の石。
角や羽が生えていないだけで、道継は悪魔と見まがうような出で立ちに変貌していた。
「私はたったいま、人間という矮小な器を捨て、より神位の高い存在へと生まれ変わったのです」
轟々と吹き荒れる呪力とともに、蘆屋道継は慇懃に礼をした。




