第十章 つちくれの守護者
「なにが、起きたの……? ねぇ……」
「オレに聞くな……!」
自分の知る陰陽道の知識、あるいはこれまで学び、もしくは見聞きしてきたどんな呪術にもあんな邪法は記されていなかった。
「おふたりには感謝してもしきれません」
顔を上げた道継は、満面の笑みを浮かべていた。
白い瞳をティアへ向ける。背中に水をかけられたように全身がすくみ上がった。
「泰山府君反魂祭は最高の形で幕を下ろすことができました。一助となってくれたティア様には、万感の思いを込めた感謝を」
次いで晴親に目をやる。
「そして、晴親様。よくぞ見届けてくれました。誰よりもはやく、生まれ変わった私の姿を見せられたことに感謝します」
「ふざ、けんな……!」
声が震えるのを抑えられなかった。冷や汗が身体中から吹き出ている。気を抜けば目を背けてしまいそうだった。
そんなふたりの様子に、道継は鷹揚にうなずいて、
「ふたりしてそんなに怖がらないでください。まるで私が、まだ人間のようではありませんか」
宙を滑るように移動する。
頭上に静止した道継をふたりは仰ぎ見る。吹き荒れる呪力が、ティアの白髪をゆらした。
「それでは準備運動とまいりましょう」
道継が振り向く。
いまだ燃え続ける火薬塔。プラハを覆う術式も健在で、いまも藤色の術式が怪しく脈動している。
スッ、と。
道継が手をかざした。
どんっ!
「なっ……!」
ただそれだけで、火薬塔の上層が弾け飛んだ。火が点いたままの煉瓦や建材が、流れ星のようにプラハ中に降りそそぐ。
これまでの度重なる爆発に、火薬塔が大きく傾いだ。
「これはこれは……」
道継が己の手をまじまじと見つめる。開いたり、にぎったり。感触をたしかめるようにしていたかと思えば、遠くに見えているふたつの尖塔――ティーン教会へ手を向け、にぎる。
ふたつの尖塔が、にぎりつぶされたように歪み、中ほどからくず折れた。
こちらにまで響いた地鳴りで足を取られ、晴親はたたらを踏んだ。
(なんだ、これは……!)
呪力ではない。法力でもない。一番近いのはゴーレムが放つ波動だが、それとも違うような気がする。
それを道継は手をかざすだけで――それも離れた距離にも飛ばせるらしい。
(これが神の権能だと……! でたらめにもほどがあるだろうが……!)
「こんなものが神の権能だとでも? 晴親様、それはいささか舐めている、と言わざるを得ませんよ」
まなじりが裂けそうになった。
道継は遠く、ティーン教会に目を向けたままだ。それなのに、
「勘違いしないでいただきたい。私には心を読む必要すらないのです。いまのは、ほんの戯れですよ」
振り向いた道継の顔は浮かない。落胆とも幻滅とも呼べそうな表情だ。
「さて、困りました。私は、こうなりたかったわけではないのです」
「……なん、ですって……?」
ティアが言った。顔を蒼白にしながら、ぺたんと座って震えている。
「私の目的は最初からずっと十二天将の召喚。それだけです」
「ただそれだけのために、プラハを……この街を、めちゃくちゃにしたって言うの?」
「必要経費です」
「そんなの……!」
「ティア様は太陽の花へいたるために己の人生を捧げてきました。私は十二天将を召喚するためにプラハの街と己の身を捧げました。同じことでしょう」
「ふざけんな!」
晴親が吠えた。
「こいつは母親が叶えられなかった夢を追っかけてただけだ! 万能の霊薬とやらで、病気で苦しむ人たちを救いたかっただけだ! そのために茨の道を血みどろになって歩いてきた……それがてめぇなんかと、一緒なわけねぇだろうが!」
「……はる、ちか……!」
目頭が熱くなった。視界が潤みそうになるのを必死で堪える。
「ふはははは! 晴親様らしい台詞ですね! 感動しました!」
ふたりが道継をするどくにらみつける。
圧倒的な存在感と全能感を感じる。神になった――かどうかはわからないが、少なくとも人間の枠からはみ出た存在ではあるのだろう。
(どうする……野郎を止めるには……!)
榊は気を失っている。
他の式神たちは呼べない。いまの道継相手では、ただ潰されるだけだ。
九字や呪文では対抗できそうにもない。
(叔父貴を……)
「お願いがあるの」
立ち上がったティアが、道継を見据えたまま声をかけてきた。
碧眼には力が籠もっている。さきほどまでの恐怖がうそのようだ。
「すこしだけ、時間を稼いでほしいの」
「……勝算でもあんのか?」
ふるふると首を振る。
「プラハがこうなってしまったのは、わたしの責任だもの。だから道継は、わたしがなにを懸けても止めないといけない」
「おまえ……」
ティアはもう一度、首を振って、
「簡単に命を懸ける、なんて言う気はないわ。それにその程度で止められるのなら、もうあなたが止めてるでしょ」
ティアがうっすらと微笑んで続ける。
「すこしだけ、わたしに時間をちょうだい」
「……アレを寄越せ」
「? アレって……?」
「あの血みたいな薬だ。持ってるだろ?」
爆発的に肉体を強化する薬。その効果は身をもって味わっていた。
「あるけど……」
「何本ある?」
ティアがローブの懐や太もものホルスターをまさぐって、
「四本」
「全部寄越せ」
「バ、カ! 一気に飲むつもりじゃ――」
「いいから寄越せ!」
ティアの手から引ったくるように三本奪った。残りの一本を奪おうとしたところで、ティアが自分で飲み干した。
「ぐふっ!」
ティアが吐血した。口元から赤い液体が滴り落ちる。
「おい!」
「大丈夫……! 立て続けに飲んでるから、身体が過剰に反応しちゃっただけ」
「ったく……」
言って晴親も一本、飲んだ。
「っ!」
目の前で火花が散った。全身の血の気が引いて、頭にだけは血が上るような感覚。
(こいつ……こんなもん、ずっと飲んでたのかよ……!)
少女の――錬金術師の覚悟の強さを、いまさら知った。
だがこれは、
「悪くねぇな……!」
飲んだ瞬間はひどかったが、いま全身を包む高揚感は尋常でない。
そして、期待していた以上の効果がひとつ。
(呪力が満ちてやがる……!)
なるほど、嬉しい誤算だ。
「これなら――」
「いい加減にしてもらえませんか?」
晴親の眼前に道継の顔があった。
藤色がかった顔は、どんどんと色味を濃くしている。この距離ではじめてわかったが、白黒が反転した瞳の瞳孔は赤かった。
「こんっ、の!」
とっさに後ろへ下がった。――一足下がったつもりだったが、二メートルほども飛んでいた。
(効果は凄まじいが、感覚がついてくるまで慣れがいるな)
「――――」
「――――」
黒瞳と碧眼の視線が一瞬交差し、ティアがうなずく。
それだけで十分だった。
道継はティアを一瞥したが、すぐさま視線を晴親に戻した。
「準備運動は終わりました。私はこれから十二天将召喚の儀を執り行います。邪魔はしないでいただきたいのですが」
「そんなの聞いて黙ってられるか!」
懐から呪符を取り出す。赫い呪符だ。
「急急如律令! 酒呑童子!」
刀印を切って、九字を読む。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
赫い呪符に肉が憑く。呪符は姿を変え、肉塊は大きく、大きく膨れ上がり――現れたのは、ひょうたんと金棒を持つ巨大な赤鬼。
『ぬ。晴坊、えらくはやい――』
酒呑童子の瞳が道継に向けられた。
『かぁ――っ! 晴坊! 老体は労るもんじゃとあれほど言うとろうが! 儂の相手はどうして毎度こんな――』
「おあげがやられた」
『なんと……!?』
酒呑童子のまとう空気が変わる。
「これはこれは酒呑童子様。お久しゅうございます」
『その声……もしやお主、蘆屋の?』
酒呑童子は一度うなると、
『晴坊。榊殿は――』
「いまは帰してる。だから、存分にやってくれ」
『あいわかった』
言ってひょうたんの口を開ける。途端、焼け焦げたにおいに混じって広がる、酒のにおい。
『んっぐ、んっぐ――ぷはぁっ! 行くぞ、蘆屋の!』
「酒呑童子様とお手合わせできるとは恐悦至極。胸をお借りします!」
「――第五の門、腐敗。第六の門、凝固。第七の門、栄養――」
視界の端に巨大な鬼が現れた。
無視する。
いま手を止めたら最初からやり直しだ。そんな時間を道継が与えてくれるはずがない。
(これは起死回生の一手じゃない)
錬金術師たる自分が、そんな手は持ち合わせていない。燃焼薬や解離薬、賦活薬は強力だが、あくまで錬金術の手順を象徴した薬液。
その作用を応用しているだけで、本来はこう使うものだ。
「第八の門、昇華――」
ティアの手には色とりどりの試験管がにぎられている。それをかき集めた大量の煉瓦――火薬塔から吹き飛んできたもの――に垂らしている。
目の前の煉瓦は、ティアの錬金術によって水銀のように溶けていた。
(不思議なものね……)
道継が使う土人形も、二体のゴーレムも、あちこちに散らばる煉瓦も。元をたどれば同じ土――きっとヴルタヴァ川の土のはずなのに、こうも在り方が違う。
土は、どの形が幸せだったのだろうか。
赤鬼と道継が激しく衝突した。突風が襲いかかってくる。
無視する。
「――第九の門、発酵。第十の門、高揚――第十一の門、増殖――」
そのひと言とともに垂らされた薬液が煉瓦に触れた。
途端、変化が現れる。
まるで湖面に波が立つように液状化した煉瓦が震えだした。かと思えば、意志をもったかのように左右に分裂――増殖しだした。
煉瓦だったものは、まるで呪符に肉が憑く式神のように、震え、ゆれながら姿を変えていく。
その姿は、まるで土人形のようだった。
だが、その肌は輝かしいばかりの黄金色で、
「ここに第十二の門、錬金術を象徴する黄金錬成を開門する!」
宣言する。
目の前にはずらりと並んだ、黄金色に輝く大小さまざまな兵隊たち。揃いの甲冑を身にまとい、大剣や突撃槍、斧槍といった得物を持っている。
まさに兵団といった有様だが、兵隊たちには生気がまるで感じられない。
(わたしにできるのは、ここまで……!)
目の前の兵隊たちは、ただの金の置き物だ。
動かすことも、ましてや戦わせることなんて錬金術師にはできない。
(だけど!)
無機物に生命を吹き込める術を、自分はこのプラハの街で知った。
他のどんな術よりも、生命を尊ぶことができる術を目の当たりにしてきた。
「晴親!」
●
『ぬぅん!』
酒呑童子の振るった金棒が風を斬った。鎌鼬のような風圧で道継の肌が切れる。
「素晴らしい! それが酒呑童子様の全力ですか!?」
『まだ準備運動にもなっとらんわい』
「それはそれは……まだまだ楽しめるようで!」
道継が酒呑童子に手をかざした。謎の力が酒呑童子を襲うも、
『西洋には面妖な技が多いの!』
酒をひと口あおり、それを霧のように吐き出した。続いて勢いよく金棒を地面に打ち付ける。
刹那、瓦礫とともに激しく火花が散る。
一瞬にして燃え上がった炎の吐息と波動が衝突し、凄まじい爆風が舞い上がった。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
その様子を見ている晴親の顔色は悪い。肌は土気色で、脂汗が滝のように身体中を流れている。
(叔父貴の召喚は、やっぱりきついな……!)
酒呑童子は式神の中でも最上位と呼んでもいい格を持つ鬼だ。
それも地下墓地のときとは違い、いまは榊もいない。全力で呪力をそそぎ、酒呑童子も遠慮することなく晴親の呪力を貪り喰っている。
二本目の賦活薬に口をつけた。
「かはっ!」
身体が燃えるように熱くなる。目が回りそうになるのと同時に呪力が湧き上がる。
そのとき、視界の端に輝く光が見えた。
目を向ければティアの周りにずらりと並んだ黄金色の兵隊たちの姿。
「晴親!」
ティアの声が聞こえた。
すべてを理解できた。
「っ!」
一足でティアのもとへ。
「急急如律令!」
ありったけの呪符をばら撒く。呪符は兵隊たちの額に貼り付いたかと思うと、
『――――』
『――――』
一体。また一体と、生命を宿した。
「頼む!」
晴親の号令に兵隊たちが道継めがけて突撃する。まるで黄金の津波だ。
『ぬはははは! 異国の術は飽きさせんな!』
「えぇ、おっしゃるとおり! これは楽しくなってきましたね!」
殺到する兵隊たちを前にし、道継もますます笑みを深めていた。
「正直言って、これでも勝ちの目が見えねぇんだが」
共和国広場を埋め尽くす黄金の兵隊。数こそ圧倒的だが、兵隊たちは次々に砕かれていく。さすがに妨害程度が限度だろう。
その中心では、酒呑童子と道継が激しくやり合っている。
「わかってるわ。これは時間稼ぎよ」
「時間稼ぎだ……? まだなにか策があるってのか?」
「そんなものないわよ。……だけど、見て」
ティアが道継を指さした。
「あなたには、あれがどう見える?」
「どう、って言われてもな……」
「わたしには無理しているように見えるわ」
酒呑童子の攻撃を受け、兵隊たちの妨害を受けているものの、道継は嗤っている。動きには余裕も見える。
とてもティアが言うようには見えなかったが、
「もし本当に神様を宿してる、っていうのなら、もう決着はついてるはずよ」
「いや、そりゃ叔父貴が――」
「あの赤鬼が特別強いのはわかるけど、神様に対抗できるほど?」
そう言われたら黙るしかない。
「これは仮説なんだけど……あれって膨大な呪力を、ただ体内に取り込んでるだけなんじゃないかしら」
「……なんだと?」
「こういう言い方が正しいのかはわからないけど、呪力に酔ってるように見えるの」
言われて目を凝らす。
道継の呪力の根幹は、胸に収まった賢者の石だ。
藤色の呪力を、煙のように漏らしながら――
「漏らしてる……?」
せっかくの呪力を……?
神ともあろう存在が……?
いや……そもそも神が呪力など必要とするのか……?
「当たらずとも遠からず、かもな」
にやり、と口角を上げる。
正しいかはわからないが、的外れではないだろう。
「おまえの言うとおりかもしれねぇ。あれはプラハの街から集めた呪力を蓄えた賢者の石を埋め込んでるだけ、かもな」
それならやりようはある。
(それにしても……)
少女の観察眼、洞察力といったら。錬金術師としての目と頭脳には感心させられてばかりだった。
懐から最後の試験管を取り出した。
「……本当なら止めるべきなんだけど」
「うるせぇ」
血のような薬液をひと息で流し込んだ。
「ぐっ!」
ぐらりとゆれた身体を踏ん張って支えた。身体中から寒気がするのに、頭だけが沸騰するような感覚。
そして、溢れるような呪力。
「……どうせなら、これも飲んでいきなさい」
ティアが差し出したのは草色の薬液だった。見るからに苦そうだったが、四の五の言わず口に含んだ。
青草と苦虫を口いっぱいに詰められたような味だった。
「っ……おまえはここにいろ」
「わかってるわよ」
言って、晴親は駆け出した。
一足で兵隊たちを飛び越え、広場の中心へ。
その様子をティアは後ろから見つめていた。
●
おかしい。
最初にそう感じたのは、酒呑童子の攻撃を受けたときだった。
(腕が……痺れた……?)
それからも違和感はすくすくと育っていた。
(神となった私――この蘆屋道継が、最高位とはいえ、たかが式神一体を祓えない……?)
両手をかざす。丹田に力を込めると呪力とは別の力が吹き出た。
激しい衝撃波を放ち、赤鬼の巨体が石畳を剥がしながら滑る。
『っ、やりおるわい!』
攻撃を受けても酒呑童子は笑っていた。濃霧のような呪力に砂煙が舞い上がり、広場は混沌としている。
「……どういうことですか……?」
いまの一撃は、酒呑童子を祓うつもりで放った一撃だった。それが致命傷にすら届いていない……?
黄金色の槍が、思考する道継のこめかみめがけて突き出された。
難なく回避し腕を振るう。兵隊が三体なぎ払われた。
「いまのも……」
群がる雑兵たちをまとめてなぎ払ったつもりだった。そのはずだったが、
「……まだ能力に感覚が追いついていない、ということですか」
なるほど、さすがは神だ。
人間だったころの感覚では権能は扱い切れない。
「当然と言えば当然ですか」
『なにをぶつくさ言うとるか!』
野太い足が迫る。
宙に浮くことで回避する。――人間だったころの感覚で回避してしまった。
「たかが式神の攻撃を避けてしまうとは……なんと無様!」
苛立ちをぶつけるように両手をかざし、にぎる。
群がる兵隊を巻き込みながら、石畳が砕け、礫となって酒呑童子を襲う。赤鬼が金棒を振るい、礫を打ち返す。
道継は手をかざして、礫を破壊した。
『どうしたい? その程度なら、まだあの泥人形のほうが強かったぞい?』
「っ!」
両手をかざし、全力を込めて衝撃波を放つ。
『蘆屋のは、その程度かの!?』
酒臭い息を吐き出す。
衝撃波と拮抗――霧散した。
おかしい。
「……力の扱い方に、少々慣れが必要なようですね」
とはいえ。
自分が絶対的に有利な盤面に変わりはない。
(酒呑童子ほどの式神を、いつまで降ろしていられるでしょうか)
土御門晴親は傑物だ。それは認めよう。
だが、それはあくまで人間の陰陽師としての話。
「いまの私の敵ではないのですよ!」
「そいつはどうだろうな!」
声が聞こえたのと同時。
黄金の兵隊の頭上から、因縁の相手が飛んできた。
石畳の上に着地したかと思えば、勢いそのままするどい蹴りを放つ。道継は冷静に波動で弾き飛ばす。
「ちっ」
吹き飛ばされた晴親を兵隊が受け止めた。鈍い音が広場に響く。
「お待ちしておりましたよ。式神程度では私の相手は務まりませんので」
「なに言ってやがる。叔父貴にボコボコにされてたくせによ」
「減らず口はあいかわらずですね」
「てめぇの厭味ったらしい話し方に比べりゃ、ずっとマシだろうよ」
猛禽のような視線を向ける晴親。そこに違和感を覚えた。
(疲労が……見えない?)
そんなはずはない。
酒呑童子を――それも全力を出している状態で召喚し続けているのだ。いくら土御門家の麒麟児とはいえ、そんなことが可能なはずは――
(いや、似たようなことを、以前どこかで――)
「考えごとたぁ、余裕かましてやがるな!」
晴親の草履が目の前にあった。
手で弾く。恐ろしい速度だった。
以前の自分なら、まともに喰らっていたに違いない。
『――んっぐ。げふっ……晴坊! 儂の獲物に手出しするでないわ!』
追加で酒をあおった赤鬼が金棒を振るう。
するどい風の刃が道継に襲いかかる。手をかざしてそれらをいなす。
かと思えば、真後ろから黄金の兵隊に斬りつけられた。
「っ、面倒ですね!」
振り向きざま、兵隊たちをなぎ払う。相当な数を破壊したつもりだったが、あらためて見ればまだ百体はいそうだ。
「うっとうしい! 式神ですらない道具以下の分際が!」
両手をかざす。まとめて破壊してやるつもりだったが、十体程度しか破壊できなかった。
おかしい。
おかしい。
「てめぇが考えてること、当ててやろうか!」
いつの間にか懐に入り込んでいた晴親の掌底が顎に決まった。
「ぐっ!」
受ける寸前、宙に浮き衝撃を逃がしたが、それでも痛んだ。
――痛んだ?
「いま、てめぇ痛いって思っただろ?」
「………………」
滞空し、晴親を見下ろす。ふてぶてしい笑みが腹立たしい。
「神が痛いとか思うはずねぇ! てめぇは人間だ!」
「なにを馬鹿なことを……私はヒトの器を捨て、より神位の高い――」
「神ならさっさとオレや叔父貴を祓ってみろよ」
「………………」
「それに、もうひとつ。てめぇ、最初の全能感はどこ行ったんだ」
表情を崩してしまった。
晴親の顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「答え合わせだ――てめぇは神になったわけじゃねぇ! プラハ中から膨大な呪力を賢者の石に集め、それを取り込んだだけだ!」
「っ」
「それも賢者の石に呪力を込めたのは最初の一回だけだ。使えばそれだけ呪力は減っていく――いや、てめぇの器を壊してんだよ」
「器を……壊す……?」
「自分の姿を見てみろ」
あたりを見回す。
黄金色の兵隊たちに自分の姿が映った――
「――っ!」
身体は藤色一色。白黒反転した瞳に、赤い瞳孔は開ききっている。
『鬼の儂が言うのもなんじゃが、いまの蘆屋のは、儂よりよっぽど人外じゃぞ』
酒呑童子の高笑いなど、まるで耳に入らなかった。
●
それは幼きころの記憶――黒髪黒瞳の青年がまだ愛らしく、無垢な子どもだったころ。
子どもは名家の跡取りとして生まれた。年の離れた姉がふたりいるそうだが、会ったことはない。これからも会うことはないだろう。
子どもはすくすくと育ち、少年になるころには才能の片鱗を見せ始める。
「おぉ……! 素晴らしい!」
「これでようやく土御門を……!」
少年は類まれなる才能をもっていた。一族の開祖に迫る、とまで言われるほどだったし、その自覚もあった。
「はっはっは! さすがは私の息子だ!」
「恐縮です、父上」
当主の男――父を尊敬したことは一度もなかった。たいした才能もなく、なにも成し遂げずに土へと還る愚か者。本当は才能に溢れた長男がいたそうだが、流行病で若くして亡くなり、やむなく次男だった父が当主の座についたらしい。
「一族の悲願たる十二天将の召喚。これを成し遂げるのは、私しかいないのです……!」
少年は勤勉だった。持って生まれた才能にあぐらをかかず、厳しい修行を己に課して、常に学ぶ姿勢を持っていた。誰も彼もが、いずれ少年が一族の悲願を成し遂げるだろうと疑っていなかった。
それから数年が過ぎ、少年は青年になっていた。
「認めません……! 認めてなるものですか!」
十二天将の召喚については、おおよそのことはわかっていた。
なにも難しいことはない。大量の呪力を器にそそぎ込み、それを爆発的に解放し、術を発動させればいいだけのことだった。
ただそれだけだったが、
「もし仮にそうだったとして……必要な呪力量が桁違い……ここまでくると安倍晴明は、本当に人間だった、のでしょうか……? ――っと」
落ちていた本に足を取られ、青年がふらついた。
「やれやれ、私としたことが……」
あらためて見回せば書斎はひどい有様だった。大量の符が散らばり、部屋は歪な呪力で満ちていた。テーブルには何冊も本が積まれ、床にも転がっている。
踏んづけてしまった本を拾い上げようとして――
「これは……」
それは数秘術や占星術、はては悪魔召喚といった西洋の魔術について広く浅く触れた本。いつだったか、行商人から購入したものだった。
青年の目は、床に転がり、ひっくり返ったページに釘付けだった。
そこに載っているのは燃える太陽のようにも、赤い花のようにも見える不思議な石。
「………………」
それから数年後。
青年は、とある都市を目指して海を越えた。
●
ぽつり、と。
止んでいた雨がふたたび降り出した。空は分厚い雲に覆われ、しばらく止みそうにない。
宙に浮いていた道継が、ふらふらと降り立った。伏せられた顔は雨に濡れた長髪に隠れて、まるで見えなかった。
ゆっくりと晴親が近づいていく。
勢いに任せて殴りかかってもよかったが、そんなことをしてもなにも変わらない。
目的は術式の停止だ。
あとのことは、それから考えればいい。
「わかったら、さっさと賢者の石を――」
「――と、――、――い――う」
「あぁ?」
雨音にまぎれて、声が聞こえなかった。聞き直そうとして――
「そんなこと! 許されるはずが、ないでしょうが!」
道継から藤色の光が立ちのぼった。
「なっ――!」
まるで尖塔のように天高く上る呪力は、雲を貫き、それでも枯れることはない。
「私は陰陽道の名家――蘆屋家の末裔、蘆屋道継ですよ! 私こそが、蘆屋道満も、安倍晴明も超える陰陽師なのです! それがこんな人外に堕ちたなどと! 許されるわけがないでしょうが!」
叫ぶたびに呪力の波動が、広場をゆらす。
石畳が弾け飛び、燃え上がっていた火薬塔の火が衝撃波で消えた。
「っ、の馬鹿野郎が! どこでキレてやがんだ!」
「黙れぇ!」
手をかざす。
謎の波動で晴親の身体が吹っ飛んだ。
『っと。晴坊、大丈夫か』
「あぁ……助かった、叔父貴……ぐっ」
酒呑童子に受け止められた晴親が膝をついた。
『晴坊、こんなときにすまんが――』
「いや、叔父貴は悪くねぇ……助かった」
『すまん』
言って、身体が塵となって消えていく。
「こんなときに……!」
ティアの薬液で誤魔化していた呪力が、いよいよ底をついた。膝が笑って、立つこともままならない。
「私以外の、誰が安倍晴明を超えられるというのですか!? 誰が蘆屋道満以上の陰陽師になれるというのですか!? 認めません! 認めてなるものですか!」
晴親を殺す絶好の機会も目に入っていない。
錯乱する道継の胸元で賢者の石が凄まじい光を放っていた。燃え上がるような呪力を放ち、
びしりっ!
賢者の石に亀裂が走った。漏れ出る呪力の量が桁違いになる。
「こ、っの野郎! 自分を見失ってんじゃねぇ!」
完全に暴走している道継は、ひとりでぶつぶつと呪言を唱えている。
「ちょっと! 大丈夫!?」
見かねたティアがそう言って、兵隊たちの間から顔を覗かせた。
手には草色の試験管、顔には似合わないほどの不安がにじんでいたが、
「っ、馬鹿! てめぇ――」
道継の目がティアを捉えた。
●
完璧だったはずの計画は、いったいどこで狂ってしまったのか。
プラハの街に呪符を貼り巡らせたとき?
――違う。
屋根裏部屋のゴーレムが贋物だったとき?
――違う。
本物を手に入れ、賢者の石を奪ったとき?
――違う。
泰山府君反魂祭を執り行い、賢者の石を取り込んで神となったとき?
――違う?
土御門晴親が、プラハの地に現れたとき?
――違う。
マグヌス=ティア=ホーエンハイムが、土御門晴親と出会ったときだ。
それ以外に考えられない。
自分の完璧な計画が狂ったのは、すべて――
「おんなぁ……!」
狂気に染まった瞳がティアに向けられた。
晴親の様子に気を取られているティアは、道継の狂気に気づいていない。
道継が両手をかざす。
「死ねええぇぇぇぇえええぇ!」
藤色の波動が、たったひとりの少女に向けて放たれた。
「えっ――?」
ようやくティアが気づいたとき、藤色の波動は兵隊を消滅させながら迫っていた。
わけがわからない少女は、呆然とその様子を見つめることしかできなかった。
「逃げろ! ティア――」
晴親が叫ぶのと、ティアが藤色の光に呑まれるのは同時だった。
●
それには自我も意志もなかった。
己の存在意義は護ること。それ以上でも、それ以下でもなかった。
『――――』
だから、それは命令に従ったにすぎない。
たとえ、それがどんな結末を招いたとしても。
それは命令に従った結果。
そこには自我も意志もない。
そのはずだった。
●
ほんのすこしだけ。
晴親が叫び、ティアが藤色の波動に呑まれた。
そこから、ほんのすこしだけ――時間が流れた。
「なっ……っ!」
晴親は目の前の光景を信じられず、生唾を飲み込んだ。
「うそ……」
光に呑まれたティアは、腰を抜かしその場で固まっていた。
「ふはははははは! ははははは!」
狂気の波動を放った道継の高笑いが、雨とともに広場を叩く。
「ゴーレム風情が! この私の前に立ち塞がるなど、身の程をわきまえなさい!」
ティアの目の前には、藤色の波動からティアを護るように左手をかざしたゴーレムの姿があった。
両足の踵はなく、ふらふらとゆれている。
右腕は肩から下がなかった。
左手に残っていたのは一本の指で、胸に開いた大穴からは、道継の姿が見えた。
それでも。
ゴーレムはたしかにティアの前に立ち、ティアを護った。
護り抜いた。
「うそよ……! だって、そんな……!」
ティアは這いずり、すがるようにゴーレムの足にしがみついた。
ぼろり、と。
足が崩れた。そのまま、倒れ――身体が砕ける。
「あ……あぁ……」
砕けた破片は雨に濡れ、泥に還る。
ティアは必死にかき集める。流れる泥すら、一滴も逃さないように。
ローブが汚れ、髪や肌が土色に染まろうとも、手を止めない。
止められるはずがなかった。
「どうして……わたしは、眠っていたあなたを起こして……うぅ……あぁ……っ!」
少女の嗚咽は、雨音にかき消され晴親の耳には聞こえなかった。
かつてユダヤ人を迫害から護り、プラハの街を護った、つちくれの守護者。
その最後は、自身を封印から目覚めさせたひとりの少女を護り抜き、幕を閉じた。
ゴーレムがなにを考えていたのかは、最後まで誰にもわからなかった。




