第十一章 向日葵の守護者
「興ざめ、とはこのことですね」
雨に混じる不快な声が、荒れ果てた広場にこだました。
「たかだか泥人形の一体や二体でなにを大騒ぎしているのですか。そんな小娘を頼りにしていたかと思うと、私も情けなく――」
「黙れええぇぇえぇぇ――っ!」
晴親が飛び出した。石畳を蹴り、一気に殴りかかる。直前まで膝をついていたとは思えない身のこなしだった。
「が――っ!」
殴られた道継は石畳に強く頭を打ち付け、そのまま動かなくなった。
亀裂の入った賢者の石は沈黙している。溜まっていた呪力は、吐き出し尽くしたのだろう。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
本当は兵隊たちを動かして、道継を拘束しておきたかったが、もう兵隊たちの指一本を動かす呪力さえ残っていなかった。
よろめきながら、なんとかティアのもとへたどり着く。錬金術師の少女は泥を抱えたまま――雨から護るように――動こうともしなかった。
「立派な最後だった。あいつは侍だ」
「……意味わかんない……」
言って顔を上げた。空色の碧眼は、いまは夕焼け色に腫れ上がっていた。
「……わたしが、起こしたから――」
「そうかもしれねぇ。だけどおまえがいなけりゃ、道継に良いように使われて潰されてたかもしれねぇ。それよりはずっとマシだろ」
「かもしれない、って……」
「どうなってたかなんて、誰にもわかんねぇだろ」
「……うん」
もう一度、頬を泥に埋める。雨に濡れているのに不思議とあたたかった。
「ったく。さっさと術式止めねぇと、これ以上異国の地を荒らすわけには――」
惨状を見回す。
石畳はめくれ上がり、ロシュ・ハシャナに備えていた屋台はひっくり返って原型を留めていなかった。どんな台風に見舞われても、こんなことにはならないだろう。
そんな中で濃霧のような呪力は、いまだ健在だった。
プラハの街から呪力を吸い上げる術式はまだ生きている。街の呪力が枯渇するまで吸い上げ続けるだろう。
(さっさと道継を絞め上げねぇと)
振り向いて、
「っ!」
ようやく気づいた。
「あ、っの野郎!」
道継の姿がどこにも見当たらない。
「どうしたの?」
「道継が消えた!」
「っ、うそ……!? はやく探さないと!」
立ち上がろうとするティアを制する。
「馬鹿が! ふらつく足でなに言ってやがる、いいからここで――」
「ゴーレムが護ってくれたのよ! 最後まで見届けなきゃ! それにふらついてるのはあなたも同じでしょ?」
「……ちっ!」
それ以上はなにも言わず、晴親は足を進めた。
ティアは気を失ったままのアタノールの瓶を、ゴーレムの泥にそっと埋めた。
(きっとアタノールのことも護ってくれるはず……!)
ぜんぶ終わったら泥を鉢植えに詰めて花を植えよう。きっときれいな花を咲かせてくれるはずだ。
そう胸に秘めて、ティアは晴親の背を追いかけた。
雨はまだ止みそうにない。
●
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
肩で息をしながら、蘆屋道継は逃げていた。
「どいつも、こいつも……! 私を、虚仮にして……! ですが……ふふ、ふはははは! もうそんなことはどうでもいいのです!」
足を引きずり、血痕を残しながら嗤う。
「見てなさい! 最後に笑うのは、この私――蘆屋道継なのです!」
目指す場所は、プラハに施したすべての術式の中心。
●
「いたか!?」
「ダメ! 見つからない!」
「野郎はボロボロだ! そう遠くには行けないはずなんだが」
「そうは言うけど、そもそも広場は広いし、隠れられそうな場所もたくさん――」
「ったく! とにかく――」
どんっ!
ふたりが同時に振り向いた。
上層が弾けた火薬塔から火が上がっていた。
どんっ! どんっ!
爆発は続いている。
そのたびに、プラハを覆う術式が脈動し、街中から呪力を吸い上げていく。
「野郎! いい加減諦めやがれ!」
「急ぐわよ!」
ふたりは揃って駆け出す。満身創痍のふたりでも、火薬塔までたどり着くのにそう時間はかからなかった。
晴親が扉を蹴り破る。
「うおっ!」
途端、火柱が上がった。とっさに身をひねったが、危うく顔が吹き飛ぶところだった。
「あっぶねぇ……」
「気をつけなさい! さっきまでとは違うのよ!」
数時間前には通れた通路が瓦礫で埋まっていたり、大人が並んで通れるほどの大穴が空いていた。
「道継の野郎、火薬塔と一緒に吹っ飛ぶつもりかよ」
「それなら止めないわ」
「オレもだ」
螺旋階段を上る。
と、
「あの野郎……!」
「さすがね……ほんっとに性格悪い!」
螺旋階段は途中から崩壊していた。あからさまに崩落させた痕跡が残っている。
「上層に続く通路、他にあったか……?」
「必要ないわ!」
ティアが試験管を放った。第十一の門、鉱化薬。
硬質な音を奏でながら撒かれた薬液が螺旋階段を濡らす。またたく間に蔦が生え、階段が繋がった。
「便利なもんだな!」
「この程度なら教えれば誰でもできるわよ!」
「なら全部終わったらオレにも教えてくれよ!」
「考えておくわ!」
ふたりの足は止まらない。迷わない。
『――――』
通路を、螺旋階段を埋め尽くすほどの式神たちも、いまのふたりには時間稼ぎにもならなかった。
そして、
「道継!」
扉を蹴破って、晴親が展望回廊に足を踏み入れた。遅れてティアもやってくる。
「遅かったですね」
道継は尖塔を見上げ、大仰に腕を広げて立っていた。
藤色だった肌は壊死しそうな色になっていた。
道継へ――いや、亀裂が入った賢者の石へ。
プラハ中の呪力が集約していく。
「私は蘆屋道継! 蘆屋家の開祖、道満を! そして、安倍晴明を超える陰陽師!」
道継を中心に、プラハ全体に展開されていた藤色の術式が起動する。
「っ、野郎……そういうことか!」
「どういうことよ!?」
吹き荒れる呪力に晒されながら、ティアが問いかける。
「野郎が自分で言ってたことだ! 泰山府君反魂祭とやらは本命の術式じゃねぇ! あれは門を開くための器作り……野郎の本命は、最初からずっと――」
十二天将の召喚。
「それじゃ――」
「あぁぁぁああああぁ――っ!」
掻き出すように、道継は賢者の石を胸元から取り出した。それを天に掲げる。賢者の石が藤色に輝き、ぽっかりと空いた胸元からはどす黒い血が吹き出した。
「――これなるは蘆屋の末裔、道継が命じる。十二の尊き神霊よ、いま彼岸と此岸を結ぶ門を開かん――ぐふっ!」
血反吐を吐き、血涙を流しながら言葉を、呪文を重ねる。
そのたびに術式が――プラハが脈動する。
プラハの街から霧が晴れていく。
街全体を覆っていた濃霧が――プラハにある呪力という呪力のすべてが、賢者の石に収束していき――
静寂。
「現門」
道継のひと言とともに、賢者の石からすべての呪力が解放された。
すると晴親たちの頭上、遥か高く――雨雲を割るように巨大な門が現れた。プラハの街を飲み込まんとするほどの巨大な門は、その口を固く閉ざしている。
道継が着物の袖から一枚の呪符を取り出した。染みが重なり、擦り切れたボロボロの呪符。墨で書かれた文字は、かすれていて読めない。
道継は呪符を人差し指と中指で挟み、顔の正面へ持ってきた。かと思えば、
「開門」
その言葉とともに、呪符が燃え上がった。
同時に巨大な門がゆっくりと動き出した。
●
それは幼きころの記憶――黒髪黒瞳の青年がまだ愛らしく、無垢な子どもだったころ。
子どもは子狐の式神にまたがっていた。屋敷の裏山で木の枝を振り回し、背の高い草木を叩いては、沢を駆け回っている。
いつの時代も男の子が憧れるのは、桃太郎や一寸法師といった英雄や勇者だった。
『ぼくね、ずっと会いたい友だちがいるんだ』
あるとき、子狐の式神が言った。
「あえばいいんじゃないの?」
無垢な答えに狐の式神は苦笑した。
『そうなんだけどね……でも、そうもいかないんだ』
「どうして? ……あっ、わかった! とおくにいるんでしょ!?」
帰ってきたのは、子どもらしい答えだった。
しかし、とても的を射ていた。
『そうだね……うん、ずっと遠くにいる。それに――』
「どこかにとじこめられてるんでしょ!?」
食い気味な言葉に子狐は身体をゆらして笑った。
そういえば、きのう寝る前に読み聞かせたお噺が、そういったお噺だった。どうりで今朝から勇者ごっこに精が出ているわけだ。
『うんうん、そうだね! 間違いないよ』
だから子狐の式神はそう答えた。とくに意味はなかった。
むかし、その友だちや当時の主人とも一緒に駆け回っていたことを思い出した。
ただそれだけだった。
「よーし!」
それを聞いた子どもは、木の枝をぐっと掲げて、
「ぼくがおあげのともだちをたすけてあげる! ぼくがあわせてあげるよ!」
そう言って、枝をおもいきり振った。ヒュンと風を切る音が鳴って、同時にビリリと着物の破れる音がした。
「あ――っ!」
『………………』
半泣きになって屋敷に戻った子どもは、母親にこっぴどく怒られたあと、赫い呪符を額に貼り付けられた。
子どもの泣き声が里に響き、そのことが記憶として強く残っていた。
ふたりとも、直前に交わした会話のことなど、なにも覚えていなかった。
ただ、子どもが少年になり、青年になっても。
子狐の寂しそうな表情だけは、ずっと胸に残っていた。
●
門がゆっくりと開いていく。
晴親とティアは、ただ見ていることしかできなかった。
「おぉ……おぉ……!」
道継は血涙を流しながら見守っていた。
「ついに……ついに! 私が……安倍晴明以来、誰も成し得なかった……! 十二天将召喚の儀を……! ついに!」
「っの、野郎!」
いまさら、晴親は駆け出した。
(十二天将なんてもん、マジで召喚されたら……!)
伝説では最強の式神として名高い十二天将。
それ以上のことを、晴親はたいして知らない。土御門家の開祖、安倍晴明が使役していて、その鍵を蘆屋道満が奪った。その程度の認識だ。
それでもこうして駆けるのは、一族の悲願のためか。
それとも――
「道継ぅ!」
嗤い、血涙を流す道継の頬を殴りつける。雨に濡れる展望回廊を滑り、手すりに激しくぶつかった。
「おぉ……おぉ……!」
それでも道継は門を見上げ続けている。晴親の姿や、いまとなっては賢者の石のことすら意識にないようだ。
「晴親! 門が――!?」
ティアの言葉に、振り返って門に視線を向ける。開きかけている門からは、止めどない霊気や神気が漏れ出ていた。
その影響か、プラハの呪力に寄せられていた怪異たちが、一斉に逃げ出していく気配があった。
(門から漏れる神気だけで、怪異どもが祓われていく……!)
集まっていたのは低位のものたちばかりだが、顕現もしていない状態でこれだ。顕現してしまえば、プラハどころか、西洋の怪異たちがまとめて吹き飛んでしまうのではないか。
そんな予感を持つ晴親の前で、門は無情にも開いていく――誰もがそう思っていた。
突然、門がその動きを止めた。
「は?」
呆然とした表情を浮かべる道継。晴親やティアも同じ気持ちだった。
そのとき、
『――んんっ』
晴親の懐から声が聞こえた。
懐から一枚の呪符を抜く。晴親が呪文を唱えずとも、呪符に肉が憑き、姿を変え――
やがて見慣れた一匹の子狐の姿になった。
「おあげちゃん!」
「おあげ! 無事か!?」
ふたりの言葉は、たしかに榊の耳に入っていたが、
『これは……っ?』
榊は無視して、黄色い瞳を門へ向ける。
「いったい、これは……どういうことですか……? 十二天将は……?」
道継の言葉が雨に溶ける。
一向に開きも閉じもしない門はただ宙に浮かび、霊気や神気をいたずらに振りまくだけだった。
と、
『――――』
門から厳かな音が響いた。
『――――』
『――――』
音は高かったり低かったり、また途切れていたりと、要領を得ないものばかりだった。
『――――』
『――――』
そうして音だけが響いているうちに、ティアはふと思った。
「……声?」
内容はわからない。そもそも言葉として聞き取れない。だが、これはおそらく会話だった。門の中にいるなにものかが話している。
『――――!』
門の中から、ひときわ甲高い音が鳴った。
途端、溢れる霊気や神気が爆発する。広場を暴風が襲い、雨雲を吹き飛ばした。屋台の残骸や瓦礫の山が、風に煽られて襲いかかる。
「うおっ!」
「きゃっ!」
晴親とティアが姿勢を低くする。
『――――! ――――!』
『――――』
『――――』
甲高い音。落ち着いた音。ちいさな音がしばらく共和国広場に響いた。
火薬塔にいるものたちは、それを呆然と見上げることしかできずにいた。
そして、
『――――』
門から、なにかが顔を覗かせた。
「……樹?」
誰かが漏らした。
門の向こう側から生え出ているのは、なにかの樹だった。立派な枝に緑色の美しい葉が芽吹いている。
枝葉はゆらりゆらりと、まるで生き物のようにゆらいでいた。
『まさか!』
榊の黄色い瞳がするどさを増した。三本の尾が逆立っている。
『――――』
ひょっこり、とそれは顔を現した。
白い――銀糸のような体毛に身を包んだ――榊と同じくらいちいさな体躯の鹿。
その頭には、冗談のように立派な角が生えている。体躯よりも大きな角は樹のようだ。ゆれるたびに枝が踊って、葉がこぼれる。
かと思えば、角の形がゆらりと変わる。鹿がゆれるたび、まるで蜃気楼のように角も形を変えていた。
「――ふははは! ふははははは! やりました! ついに、私はやり遂げました! ふはは、ははははは!」
狂気と歓喜を貼り付けた顔で言った。
『――――』
鹿が首を回す。ちいさな鼻をすんすんと鳴らし、蹄を鳴らして宙を歩く。歩くたびに枝葉がゆれ、角が形を変えていく。
銀色の鹿が、そうして門から完全に姿を現したとき、
『――――! ――――!』
『――――』
また甲高い音が響いた。かと思えば、落ち着いた音が鳴って、
門が閉じていく。
「な――っ!?」
驚愕に目を見開き、道継が唾を飛ばす。
「待ちなさい! まだ一柱だけではないですか!? 残りの十一柱は!? いったい私が、どれだけの時間と労力をかけて――」
道継の言葉が続いている間にも門はゆっくりと閉じていく。中から聞こえていたさまざまな音が、すこしずつ遠くなっていった。
「くっ――! さっさと門を止めなさい!」
賢者の石から藤色の呪力が溢れ、鹿に殺到する。
「馬鹿が!」
そこに印を結んだ晴親が割って入った。
道継が忌々しそうに舌打ちをする。
そうしているうちに門は完全に閉じ、その姿は虚空へと消えた。
あとに残ったのは、不自然に晴れ渡った空だけだった。
「おのれぇ! 土御門晴親ぁ!」
血走った目で道継が叫ぶが、
『六合……六合!』
声をあげて飛び出したのは子狐の式神だった。子狐が向かうのは晴親のもとでも、道継のもとでもない。
榊はまっすぐ鹿に向かっていく。
そんな榊の姿を新芽のような瞳で捉えた鹿――六合が鼻を鳴らした。
『久しぶり! 本当に久しぶりだね!』
『――――』
『ちょっ! くすぐったいってば!』
『――――』
六合が榊の身体をぺろぺろと舐めている。一方、榊は六合の角を毛づくろいするかのように前足で掻いていた。
「いったい……なにが、どうなってるの……?」
ずっと理解できない事態が続いている。ティアがそう漏らすのも無理はなかった。
「がっ!」
ティアの目の前を、晴親がものすごい勢いで吹き飛んでいった。次いで、凄まじい音と振動が展望回廊を襲う。
「はぁ……っ! はぁ……っ! いい加減、しつこいのですよ!」
「っ!」
ティアは思わず息を呑んだ。
さっきまで黒かった髪が、黄ばんだような白へと変わっていた。同じ年ごろだったはずの面影は消え、顔はしわくちゃになり、肌はひび割れ、土気色になっていた。
「なにか?」
ぎょろりと。
死んだ魚のような、光を失った目を向けられた。いまさら、恐怖は感じなかった。
むしろ、
「哀れね」
「……なんですって?」
「そんなになるまで十二天将とやらに固執してきたのに、たったの一柱しか降臨させられなかったなんて……哀れ、って言ったのよ」
「ぐ――っ! なにを言い出すかと思えば――!」
「それに……見て」
スッと、ティアが指さした。
『晴親、大丈夫!?』
「っててて……! ったく、あんの野郎……!」
『――――』
「おい、ちょ! おまえまでなんだよ!」
尖塔に叩きつけられた晴親は、二体の人ならざるものに囲まれていた。
彼が生まれる前から土御門家に付き従ってきた子狐の式神――榊。
安倍晴明が使役していた最強の式神として名高い十二天将の一柱――六合。
「十二天将召喚を成し得たあなたは――たしかに晴親より凄い陰陽師なのかもしれない」
「なにを言い出すのかと思えば! 当然でしょう、私は――」
「だけど、その十二天将はあなたの隣にいないわよ」
●
「私の……隣に、いない……?」
「そうよ。召喚できたのはたしかに凄いことなんでしょうけど」
ティアの瞳には晴親を労う榊、晴親の身体を興味津々に眺める六合、されるがままの晴親の姿が映っていた。
「あなたは選ばれなかったんじゃない?」
「――っ!」
道継の黄ばんだ髪が、まるで蛇のように唸る。
「式神とは術者の命令に忠実に従う下僕にして道具! 選ぶ、選ばないは式神ではなく、術者が――」
「てめぇがそんな考えだから、他のやつらは帰ったんだろ」
晴親が言った。
「ティアの言ったとおり、てめぇは蘆屋家の誰もが――いや、安倍晴明以外の誰もが到達できなかった十二天将召喚の儀を――やり方はどうあれ、やり遂げた。オレには逆立ちしたってできねぇ芸当だ」
「そうでしょう! 私は――」
「だが、それだけだ。てめぇはてめぇが呼び出したはずの十二天将に、見向きもされなかった」
「っ、そんなことは――」
「こいつがなによりの証拠だろうが」
言った晴親の足元には、立派な角を生やした六合が寄り添っていた。
それは榊のように懐いているわけでも、狐火や護法童子たちのように慕っているわけでもなさそうだった。むしろ自分の隣に晴親が勝手にいる、とでも言いたげだ。
とはいえ、
「こいつは、てめぇの隣には立たねぇってさ」
「――――っ!」
なにを偉そうに、と六合が晴親の脛を蹄で蹴った。「い――っ!」と唸る晴親をよそに、六合は榊のそばへ。二体は仲睦まじく、毛づくろいをし合っている。
道継は晴親の言葉がこたえたのか、うつむき、口を閉ざした。
「さて」
展望回廊から眼下を見下ろす。
ひどい有様だが、プラハが吹き飛ぶような事態は避けられた。復興には時間がかかるだろうが、人的な被害は見た目よりもずっと軽いはずだ。
「晴親!」
ティアの叫びに振り返る。
道継が両手をかざしていた。
「っ、の!」
たいした力が残っていないのは見てわかった。だが、展望回廊から晴親を突き落とすには十分だった。
「ははははは! これで土御門家は途絶える! 蘆屋家が陰陽道の――」
ふっ、と。
六合が角を振るった。
ただそれだけだった。
「は……?」
ただそれだけで、人外と成り果てた道継から、身体を蝕んでいた呪力が剥がれていく。
賢者の石を埋めていた胸元。
黄ばんだ白髪。
土気色の肌も、しわくちゃの顔も。
すべてが、人間だったころの蘆屋道継へと戻っていた。
「そ、そんな……十二天将の力とは……いった、い……」
そんな中で、唯一残された亀裂の入った賢者の石をにぎりしめ、
「しかし、これさえ……賢者の石さえあれば、何度でも……! 私の――」
「もう終わりにしろ」
ハッとする。
いつの間にか晴親が眼前に立っていた。
「な、なにを言い出すのかと思えば――」
「てめぇの負けだ」
「私は! 誰も成し得なかった、十二天将の召喚に成功したのですよ! その私が――」
「オレは別に十二天将なんかどうだっていいんだよ」
「は……?」
ティアも耳を疑った。
晴親は、蘆屋家に奪われた十二天将召喚の鍵の回収を目指していると言っていた。それなのに――
「土御門家の悲願ってのは、オレにとってはどうでもいいんだ」
「貴方はいったいなにを――」
「いや、細かいことはオレも覚えてねぇんだが……」
言って晴親は榊に目を向けた。
真ん丸な黄色い瞳には万感の思いが溢れている。
「オレはおあげが喜んでくれたら、それでいい。……それにな!」
拳をにぎりしめる。
「式神やゴーレムを道具や駒みてぇに扱う……! それだけは絶対に許せねぇ!」
「がっ――!」
おもいきり頬を殴られた道継が錐揉みしながら飛んでいき、
どんっ!
凄まじい音を立てて尖塔にぶつかった。
人間に戻った道継は、そのまま白目を剥いて気を失った。
その手から、亀裂の入った賢者の石が水たまりの中に転がり落ちた。
真っ先に向かったのはティアだった。
「これが……太陽の花……!」
何度も見てきたが、触れたのはこれがはじめてだった。思っていたよりずっとあたたかく、まるで生きているようだった。
「………………」
瞳を閉じる。
走馬灯のように、さまざまなことが脳裏を駆け巡った。
母のこと。
アタノールのこと。
プラハのこと。
雨の中で自分を護ってくれた岩と泥の人形のこと。
『ティア』
それ以上はなにも言わず、彼は自分の決断を待ってくれていた。
いま、手の中にある太陽の花はもう使い物にならないだろう。ひび割れ、輝きを失いつつある。
それでも、検分したり、素材にすればいくらでも使い道はあったが――
「………………」
ティアはそっと歩き出した。展望回廊の手すりに身を寄せ、太陽の花をにぎった手を宙にかざす。
「……そこまでしなくていいと思うが」
「こんな石ころ、すぐに創ってやるわ」
パッ、と。
指を開いた。支えを失い、花が落ちていく。
朝日が昇った。
火薬塔から落ちていく亀裂の入った石は地に触れる寸前――朝日を浴びて、燃え上がるように輝き、
まるで花弁が散るように――粉々に砕けた。
●
「これで終わったのよね……?」
「ひとまずは、な」
曖昧な返事にティアの柳眉が逆立つも、晴親は腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。
そのまましばらく、誰も喋らなかった。
雨が上がったプラハの街に、朝日が差し込んでいる。
「あぁ――っ、腹減った」
そのひと言で、
「なにそれ」
ティアもどっと疲れを感じた。
水たまりも気にせず、その場に座り込む。そんなふたりに榊が近づいていき、
『ふたりとも、ありがとう』
ぺこり、と頭を下げた。三本の尾がふわりとゆれている。
「ちょっと、おあげちゃんどうしたの……?」
話の見えないティアは首を傾げることしかできない。
一方、晴親は、
「ったく」
そう言うだけだった。
(そういえば)
蘆屋家から十二天将召喚の鍵を取り戻すこと――それが土御門家の悲願だった。だが、鍵そのものは門を開くために燃え尽きてしまった。
これでは家に顔向けできないが、
(まぁ……いいや)
自分は榊のために頑張ってきたのだ。それ以外は――たとえ一族の悲願だろうと興味はない。
と、
『――――』
黙ったままだった六合が、ふるふると角を振り始めた。
『そうだね』
榊の声色で察した。別れのときが近いのだろう。
「ありがとう」
ティアがそう口にする。六合は興味がない、と言わんばかりにそっぽを向いた。それでも、ティアは心地よかった。
「またな」
晴親にいたっては声をかけた途端、やっぱり蹴られていた。それを見た榊とティアが笑い、最後には晴親も笑って、
『――――』
十二天将の一柱たる六合は空へ向かって駆け出して、次第に見えなくなっていった。
「行っちゃったね」
「あぁ」
ふたりが感慨深く漏らした。
その言葉を聞いて榊が、
『ふたりとも、まだ終わりじゃないよ。後片付けしなきゃ』
言って展望回廊の手すりから壊れたプラハを見回す。
街は騒がしくなりつつあった。
あちこちから聞こえるのは、汚泥や汚水に塗れた家屋や建築物を嘆く声だった。
街の人間からすれば、急にプラハが汚されたように映っているのだから、それも当然だった。剥がれた石畳やひっくり返った屋台を見て、倒れる人もいた。
「なぁ、おあげ……」
『なに?』
「いや、やっぱり異国の問題は異国で解決してもらわ――」
『こんな事態にしちゃったのは、ぼくたちの責任でもあるんだからね! ちゃんと働いて元に戻してから帰るよ!』
滅多に見せない榊の剣幕に、
「そ、そうか。そうだな……!」
さすがに軽口を叩かず、素直に従った。
「………………」
『ティア、どうしたの?』
「……ううん。わたし、なにか大事なことを忘れてるような……」
●
『ティアよ……いったい、これはどういうことなのだ……?』
密封瓶の中のつぶやきは、あたたかい泥に吸われてどこにも響かなかった。
●
事情を説明し、晴親は道継を大使館に預けた。人が変わったようにおとなしくなった道継は、近いうちに送還されることとなった。
異国の地でこれだけの騒ぎを起こしたのだ。
処罰は軽くないだろう。
「ますます肩身が狭くなるじゃねぇか」
『世間からすれば同じ陰陽師だもん』
「あんなやつと一緒にすんじゃねぇよ」
『仕方ないでしょ』
「ったく」
『晴親』
「あぁ?」
『ありがとう』
「うるせぇ」
その後、わけのわかっていない住民にまぎれる形で、晴親たちもプラハの復旧を手伝った。住民たちは最初こそ混乱していたが、すぐさま復興に力を入れ始めた。
その甲斐もあって、二週間後には延期されていた新年の祈りの場が設けられた。もちろん例年とはほど遠い形になってしまったが、プラハのみなで新年を厳かに祈った。
晴親はもちろん、はじめて参加するティアも真摯に祈りを捧げた。
新年の祈りが終わってからは、みなで蜂蜜のかかったリンゴやザクロを食べた。被害が多く塞ぎ込んだような街には、すこしずつ笑顔が戻っていった。
そうしてロシュ・ハシャナが終わり、プラハの街から観光客がすこしずつ減っていき――
●
晴親は安宿の一室で荷造りを終えた。
かれこれ三週間も滞在していた。思えば、これだけ長く同じ部屋に泊まり続けたのははじめてだった。
『忘れ物ない?』
「ねぇよ」
軽く答えて部屋を出る。
「………………」
「………………」
受付で女性ににらまれながら、宿帳に記載していく。書き終えると女性――ダイダラ女将――は深くため息をつき、
「二度と女の子の尻なんて追い回すんじゃないよ!」
そう言って、もう一度晴親をするどくにらみ、うっとうしそうに奥へと引っ込んでいった。
その言葉を聞いて晴親は――道継を黙らせてからはじめて――安堵の息を吐いた。
●
「お世話になりました」
「またいつでも来なさい」
ティアは借りていたガラス工房の主人と話していた。この工房は老夫婦が営んでいたのだが、年齢を理由に畳もうとしていた。そこへティアがたまたま声をかけたので、老夫婦も喜んで貸し出したのだった。
借りていた期間は三週間だが、その間にいろんなことがありすぎた。
「………………」
ティアは最後にもう一度、丸いガラス工房に目を向けた。
壊れた贋物はヴルタヴァ川に撒いた。いまごろはただの泥になって、ゆっくりと眠っていることだろう。
視線を切って、歩き出す。
ティアは両手に大きな鉢植えを持っている。きれいな泥は乾き、肥沃な土へと変わっていた。
『重かろう』
「これくらいなんてことないわ」
これからプラハの地で――最後にやらなければならないことがあった。
●
「――まさか、こんなとこに繋がってたなんてな」
「わたしも最初は目を疑ったわ」
四人が訪れているのは本物のゴーレムが眠っていた地下墓地だ。四人は揃って、天頂にぽっかりと開いた穴に目を向けている。
『まさか、あの穴がね』
『ふむ。旧新シナゴーグと、目と鼻の先の井戸に繋がっていたとはな』
旧新シナゴーグから地下に降り、苦労した先にたどり着くこの墓地だが、実際は井戸を通れば数分でたどり着けるのだった。
ティアがクレメンティヌムで地図を読み直していたら、偶然気づいたらしい。
「………………」
大事に持つ鉢植えの中の泥を、そっと大樹の根元に埋める。
地下墓地で、もっとも日の当たる場所だ。
土を掘るティアの手つきは、赤子に触れるようにやさしかった。晴親や榊も黙々と作業を進め、アタノールは終始無言で作業を見守っていた。
そうして泥と一緒に、ティアは一粒の種を埋める。
「なんの種だ」
「向日葵よ」
「……なるほどな」
「な、なによ……!」
意地悪く見える笑みを浮かべる晴親に、ティアが顔を赤くしながら言った。
もっとも晴親にはからかう意図はまるでなく、
「いや、向日葵の守護者には、この上ない誉れだろうさ」
そう言ってティアの首元に目を向けた。
そこには見慣れぬ赤い石が吊られている。
「……いいお守りだな」
それはゴーレムの泥をこねて、ガラス工房の炉で焼き固めたものだ。
ティアはそっと石に触れ、瞳を閉じた。
「えぇ……本当に」
結局、太陽の花を奪われたゴーレムが動き続けた理由はわからなかった。
shemの護符を差し込んだ自分を護ってくれたのだとしても、やはり納得がいかない。都合が良すぎる。
だけど、奇跡にしろなんにしろ、あのやさしい人形が自分を護ってくれたことに変わりはないのだ。
(それだけで十分……)
ティアは最後にもう一度、盛り上がった泥に頬を埋めた。
晴親たちは、その様子を見守っていた。




