第六章 怪物
「間違いねぇ……道継の狙いはこいつだ……!」
『あれ、本当に人間が創ったの……? 信じられないよ……』
数々の式神や怪異を見てきた榊にとっても異質な存在らしい。
呪力の有無など関係ない。ゴーレムが放つ存在感は、そんなもので測れそうになかった。
「……考えてみりゃ、さっきのゴーレムたちもemethだとかって文字で動いてたんだ。オレたちの常識や知識じゃ語れねぇ、なにかがあるんだろうな……」
顎を伝う汗を拭った。ゴーレムに近づこうとして、膝が笑ってることに気づく。
「叔父貴の前にはじめて立ったときも、ここまで怖くはなかったんだがな……」
認めざるを得なかった。
自分は、あの岩と泥の人形にたしかな恐怖を抱いている。
と、
「………………」
ティアがゴーレムへ向かって歩き出した。
足取りはしっかりしていて、迷いや気後れは見られない。
(肝が座ってやがる……たいした女だ)
墓石の間を抜け、一歩一歩近づいていく。
『ぼくたちも行こう』
「あぁ……っと」
視線を入り口に向けると、狐火が震えていた。まだ子どもの式神にゴーレムの放つ威圧感はこたえたらしく、中に入ってくる様子はない。
「ここまで助かった。帰っていいぞ」
その言葉を待っていたのだろう。狐火はあっという間に消えていなくなった。
視線を戻す。
ティアはゴーレムにたどり着いていた。
「ようやく……ここまで……」
まるで祈るような手つきで肌をなでる。土と埃が風に舞い、白髪を静かにゆらした。
「ありがとう……! ふたりとも、本当にありがとう! わたしたちだけじゃ、ここまでたどり着けなかった……」
『ふむ。礼を言おう。貴殿たちのおかげで、この地での目的を果たすことができそうだ』
ふたりは振り向き、晴親たちへ礼を述べた。ティアの瞳には、うっすらと涙まで浮かんでいる。
『良かったね、ふたりとも』
「おまえの事情なんかどうでもいいが、道継より先に本物を押さえられたのは上出来だな」
「ちょっと! どうでもいいってなによ!」
「どうでもいいことは、どうでもいいんだよ!」
「なんですって!」
黒瞳と碧眼が、いつものようににらみ合って、
『ティアよ』
『晴親もだよ』
二体の人ならざるものたちがたしなめる。
それでもふたりは、しばらく大樹の麓で視線を交わしていたが、
「……あは、はははっ!」
「……ははっ!」
どちらからともなく吹き出し、笑い出した。
『おかしなふたり』
『ふむ。しかし悪くない』
人ならざるものたちもおだやかな笑みを浮かべていた。
――影が落ちる。
天頂から差し込む陽光が弱まっていた。そういえばヴルタヴァ川を歩いていたとき、雨のにおいを感じたことを思い出した。
「で、だ。わかっちゃいるだろうが、こいつはあの贋物とは格が違う。迂闊に動かさず、このままここで眠らせとく……いや、ぶっ壊したほうがいいんだろうが」
肌にまとわりつく、べたついた空気が広がっていく。
「おまえが人生の大半をかけて、これを探していたことは聞いた。だから、まずは意見を訊きたい。おまえはこれからどうするつもりだ」
刺すような視線を真っ向から受け止め、少女が言葉を返す。
「前にも言ったけど、わたしの目的は太陽の花にいたること。ゴーレムはそのための過程でしかないわ。検分を終えたら……たしかに、壊したほうがいいのかもしれない、わね……」
『よかった! それなら』
――だけどね。
「わたし……取引を持ちかけられたの」
ぽつり、と。
一粒の雫が地面を濡らした。
『ティア! まさか本当に、あの男との取引に応じるというのか!?』
「あの男……? 取引……?」
晴親の目が細まった。その視線から逃げるように、ティアは顔を伏せる。
「〝ゴーレムを差し出せるのなら、太陽の花にいたる道筋を伝える。これは取引だ〟って……」
ぽつりぽつり、と。
雫はやがて雨となり、天頂から降りそそぐ。地面が濡れ、なま臭い嫌なにおいが充満していく。
「そんな都合のいい話、信じるべきじゃないってわかってる。わかってる、けど……」
ティアの指がゴーレムに触れる。
祈るようになでていた手が、いまはすがるようだった。
『誰がそんなこと言ったの?』
『道摩法師、と名乗る男だ』
途端ぬかるみ始めた地面を踏みしめ、晴親が詰め寄った。
ティアの肩をつかみ、乱暴にゆらす。
「いま道摩法師っつったか! 間違いねぇんだな!?」
「ちょっと! 痛い――」
「答えろ! そいつはたしかに、道摩法師って名乗ったんだな!?」
「え、えぇ……」
降り始めた雨は、やむことなく晴親たちを濡らした。
『晴親殿は道摩法師という名に心当たりが?』
「……道摩法師、ってのは蘆屋家が使う通り名だ。野郎の本当の名前は――蘆屋道継」
いつしか雨は激しく、地下墓地を叩いていた。
●
「おまえ、いったいどういうつもりだ?」
失望したような声色だった。
「誰と取引してるのか、わかってんのか?」
「それは――」
『晴親殿、我らは道摩法師が件の蘆屋道継だというのを、いまはじめて聞いたのだ』
青年は見たこともない表情を浮かべている。落胆と怒りが混じったような表情だ。
「じゃあ、おまえらはいったい――!」
かと思えば、血走った目を向け怒号を飛ばしてくる。
その間を、
『晴親、落ち着きなよ』
白い毛を濡らした榊が割って入った。
『ティアたちが道継のことを知らないのは当たり前でしょ。それに取引したなんて言ってない』
「っ」
『まずはふたりの話を聞こう。さっき自分でも言ったことでしょ』
青年は雨に濡れた髪をかき上げ、乱暴に頭を掻いている。
「あぁ……まぁたしかにそうだ。わりぃ、取り乱した……」
口ではそう言っているが、晴親の視線は尖ったままだ。必死に冷静を装っているのがわかる。
「で? どうすんだ」
「……道摩法師との取引には応じないわ」
『ティア……!』
「ったく、焦らせやがって……」
ふたりが安堵の表情を浮かべる一方、アタノールは黙ったままだった。付き合いが長いだけあって、彼は自分のことをよく理解していた。
「けど、道摩法師の持ってる情報はほしい」
「……あぁ?」
「太陽の花の手がかりは、ほとんどなにも残っていないの……ずっと研究してたお母さんでも、ここまでたどり着くのが精一杯だった」
ゴーレムに目を向ける。
「この先へ進むのは、羅針盤を持たずに航海するようなもの。そんなの無茶に決まってるわ……けど、道摩法師はなにかを知ってる」
雨足が強まっていく。
「……結局なにが言いたいんだ」
「取引には応じない。けど、情報はほしい。だから、道摩法師の前にゴーレムを――」
「ダメだ」
有無を言わせぬ言い方だった。
「したたかなおまえのことだ。ゴーレムを道継に渡して情報を得てから、どうとでもできると思ってるかもしれないが甘い。それに断言するが、道継は太陽の花とやらについては、なにも知らない」
「どうしてそう言い切れるの?」
「野郎は頭が回る。おまえの言動から太陽の花について並々ならぬ事情があることを察してたはずだ」
「………………」
「おまえは目を付けられてたんだよ。優秀で度胸も行動力もあるおまえなら、必ずゴーレムにたどり着ける……それでいて扱いやすい手駒としてな」
思い当たる節は、あった。
『ティアよ、晴親殿の言うとおりだ。危険すぎる……あの男にゴーレムを差し出すのは得策ではない』
「あなたまで……」
『ティアの思いは理解しているつもりだ。だが、危険を冒してまであの男から得られる情報に価値があるとは思えぬ』
『ティアは道継の危険性をわかってないんだよ』
雨足が強まっていく。
「……あなたたちは、どうしてもわたしを止めるのね」
「おまえは道継の片棒を担ごうとしてんだ、止めない道理がねぇ」
「……もういいわ」
手元のアタノールを、そっと榊の首に吊るした。
『ティア……?』
『いったい、なにをするつもりだ……?』
晴親のまとう空気が変わる。
ローブを翻し、真正面から対峙する。
「そこをどいて」
「どけば、おまえはどうする?」
「……ゴーレムを、連れて行くわ」
「ならどくわけにはいかねぇな」
「そう……それなら、あなたであっても排除するわ」
雷鳴が轟いた。
「おまえ正気か」
腹を空かせた猛獣が獲物を見つけたときの瞳。
晴親の目に、ティアの碧眼はそう映っていた。
「こんなときに冗談を言うと思う?」
懐に手を入れ、一本の試験管を手に取った。血のように真っ赤な液体で満たされている。
「錬金術には十二の門がある」
警戒する晴親の前で、ティアは試験管の蓋を外し――
薬液をひと息で飲み干した。
「……ほんっとうに美味しくない!」
乱暴に試験管を投げ捨て、不敵に笑う。
「いまのは第十の門――高揚を象徴する賦活薬」
ティアのまとう空気が、ずっと重くなった。
「あなたとやり合って勝てるなんて思ってない……けど、ここだけは絶対に引けない!」
太もものホルスターから、禍々しい液体で満たされた試験管をひとつ投擲する。
「馬鹿野郎が!」
袖が燃え上がった。振り払って火を消し、懐から呪符を三枚取り出す。
「急急如律令! 護法童子!」
たちまち現れる三体の子鬼。
「あの馬鹿を抑えろ!」
『キャ?』
『キュ?』
『キョ?』
子鬼たちは不思議そうな顔をしながらも、晴親の指示通りティアに向かっていく。軽快な足取りは鳴りを潜め、おっかなびっくりといった様子だ。
『晴親――』
「おあげは手を出すな!」
いまにも飛び出そうとしていた榊を制する。
(あんな形で、おあげを無力化するたぁ……)
榊の首にはアタノールが吊り下げられている。詳しくは知らないが、ホムンクルスは瓶の中でしか生きられないらしい。榊が突進を繰り返せば、いずれ瓶は割れてしまうだろう。
もちろん、ホムンクルスを無視してもいいが――
(あの性悪女め……!)
晴親がそうしないことをわかって、ティアはアタノールを榊に預けていた。
「危ないわよ!」
ティアが薬液を撒き散らす。まるで槍のように地面が隆起し、子鬼たちに襲いかかる。
『キャ?』
赤鬼が剣を振るって槍を斬り捨てた。青鬼と黄鬼はそれぞれ身軽にかわす。
『キョ?』
黄鬼が槍の石突きで突いた。それをティアは、余裕を持って避ける。
『ティアって、あんなにすばしっこく動けたの……?』
『あれが賦活薬の効果だ。一時的に肉体を強化できる』
動きは素人そのものだが、とにかく素早い。迷いを持ったままの子鬼たちの攻撃は、ことごとく空を切り続けた。
「いい加減にしやがれ!」
ぬかるんだ地面に強く踏み出す。しぶきが激しく舞い、顔に泥を飛ばした。
「自分がなにをやろうとしてんのか、ほんとにわかってんのか!?」
「あなたこそ、わたしがどんな気持ちかわかってるの!?」
ティアが殴りかかる。
「こ、っの!」
か細い腕からは想像もできない膂力。とっさに防いだ両腕が痺れた。
「落ち着けよ! 道継が太陽の花のことなんか知ってるはずがねぇ! おまえを釣るための餌に決まってる!」
「そんなのわかってるわよ!」
「だったら釣られんな! 言ってることもやってることも、めちゃくちゃじゃねぇか!」
「でも、もしわたしの知らないことを、なにかひとつでも知ってたら!?」
「あぁ!?」
晴親の胸ぐらをつかみ上げる。雨でべったりと張り付いた白髪。燃え上がるような碧眼からは、絶え間なく雫が溢れている。
「あの男がなにか知ってるとは思ってない! けど、もし知ってたら!? それがわたしの知らないことだったら!?」
「おまえ……」
「……本当に、手がかりがないの……素材も、錬成方法も、謎ばっかり……」
太陽の花だけを目指し、気がつけば内陣第五階梯という階級になっていた。
だが、実際は路銀に苦労することがなくなっただけで、太陽の花には一歩も近づけていなかった。
「道摩法師が危険な男だってことくらいわかってる……そんなことくらい、わかってる……」
だけど。
「藁にすら、すがっちゃいけないの……?」
震える拳を晴親の胸に叩きつけた。うそのように弱々しい拳を、晴親はなにも言わず受け続ける。
「ようやく、ここまで来たのに……! ゴーレムを手に入れて、太陽の花にいたって……! それで……!」
「……そもそもの話なんだが、その、太陽の花ってのは、いったいなんだ」
母親の悲願とは聞いた。しかし、震える少女の言動からは、それだけでは済まない執念めいたものを感じる。
『太陽の花とは、一般的には賢者の石と呼ばれることが多い』
折を見ていたのだろう。離れた場所に下がっていた榊たちがやってきた。
『賢者の石、って……錬金術の到達点のひとつ、だよね……』
『ふむ。賢者の石にはさまざまな効果があるとされている。有名なのは鉄や銅を金や銀に変えることや――』
「おまえ、そんなもんのためにこいつを――」
と、
ティアの瞳が晴親をにらみ上げ、溜まっていた雫が溢れた。
「……そんなもの……? アルカヘストを精製するための太陽の花が……そんなもの、だっていうの……?」
『アルカヘスト……?』
『賢者の石から精製される万能薬だ。あらゆる病を治し、人に不老不死をもたらすものだとされている』
「……不老不死ねぇ」
内容を聞いて、呆れた声が漏れた。
「そんなもんがあるから、人間は浅ましいのか。人間が浅ましいから、そんなもんができちまったのか」
――ティアが晴親の胸を、そっと押した。
「あぁ?」
いぶかしげな表情を向ける。
ティアは顔を伏せていた。表情は見えないが、肩が小刻みに震えている。
「お母さんが……! お母さんが目指していたものは……そんな浅ましいものなんかじゃない!」
事態を静観していた護法童子たちが肩をゆらした。
「お母さんは、病気で苦しむたくさんの人たちを救うために太陽の花を……その先にあるアルカヘストを目指してたの! それを浅ましいですって!?」
「! ちげぇ! オレが言いたいのは――」
「不老不死に興味なんかない! 黄金錬成なんてどうだっていい! お母さんが目指したのは、万病に苦しむ人たちを救う霊薬! わたしは――」
最後は病気で死んじゃったけど。
「お母さんと同じ病気で苦しむ人を、救える霊薬が欲しいだけなの……! そのためだけに、太陽の花を目指したの……!」
顔を上げる。瞳にはどす黒い妄執の篝火が燃えている。
懐から血のような液体で満ちた試験管を取り出した。
『よせ! こんな短時間で続けて飲めば――』
「絶対に手に入れる! わたしは、なにがなんでも! 絶対に太陽の花を手に入れる! アルカヘストを、精製してみせる!」
無二の相棒の忠告を無視し、試験管の中身をひと息で飲み干した。
「あぁ――っ!」
視界が回る。血の気が引いていくようで、頭にだけ血が上るような感覚。
そのすべてを無視して、走り出す。
向かった先は――
『いかん! ティアを止めてくれ!』
「っ! おまえら!」
護法童子たちが飛び出した。
ちいさな身体からは想像もできない俊足を発揮し、ティアを追いかける。同時に、晴親たちも駆け出す。
それでも、いまはティアのほうがずっと速かった。
「わたしは……! 絶対に……!」
泥水を踏みしめ、ティアの足は大樹に向かっている。
麓には怪物が鎮座している。
のたうち回る蛇のような土肌。岩を乗せただけの顔。それらすべてを、木の根と蔦が覆っている。
その中で――口だけが、不気味に開いていた。
「っの、馬鹿野郎が!」
子鬼たちを振り切る。人間離れした脚力でゴーレムのもとへたどり着く。
『ティア! よせ!』
するどくにらみ――アタノールにすら、険しい視線を向ける。
手を懐に入れ、そして――
「誰にも! わたしの邪魔は、させない!」
shemと書かれた護符を、怪物の口に差し込んだ。
●
誓って、最初から想定していたわけではない。
だけど、晴親の性格を考えれば、こうなる可能性だって十分に予想できた。
短い付き合いだが、それくらいは理解している。だから、こっそりと用意していた。
(本当は、あなたにだって……応援してほしかった……)
岩の顔に蛇の紋章が浮かびあがった。凹凸でできた目と鼻らしき場所に、蛇の紋章が集まっていく。
怪物の瞳に光が宿る。
血が通うように土肌の蛇が脈動し、ゆっくりとその身体が動き出す。
太い木の根や絡まった蔦があっけなく千切れ、石と泥の人形が立ち上がった。
『…………!』
寸前まで迫っていた護法童子たちは、それを見て一斉に動きを止めた。
すこし離れた位置にいる晴親たちも、起動させたティア自身も身じろぎひとつできない。
ゴーレムは立ち上がっただけで、この場を完全に支配していた。
『――――』
怪しく光る蛇の紋章が睥睨する。誰もが内臓をにぎられたような錯覚に襲われた。
その視線がティアに向けられる。
「あっ……」
圧迫感に立っていられなくなって、その場に尻もちをついた。
『ティア!』
「っの野郎!」
晴親が飛び出した。膝が笑っていたが、そんなことは言ってられなかった。
『――――』
ゴーレムが手をかざす。
どんっ!
「な――っ!?」
次の瞬間、見えないなにかに弾かれ、晴親の身体が宙を舞った。
激しく地面に叩きつけられ、二回も三回も転がったあとでようやく止まる。
泥だらけの顔には、驚愕と畏怖の表情が浮かんでいた。
『晴親、大丈夫!?』
駆け寄ってきた榊に呆けた視線を向け、
「おあげ、いまのは……?」
『……ぼくにもわからない……呪力でも、法力でもなかった、と思う……』
ゴーレムが、ふたたびティアに視線を向けた。
「っ」
立ち上がろうとして、腰が抜けていることに気がついた。必死にあとずさろうとするが、身体が言うことを聞いてくれない。
ゴーレムは首を傾げながら、ゆっくりとティアに近づいて手を伸ばした。
(……甘かった……)
これは、ヒトが手にしていい存在ではない。
(お母さん……!)
亡き母の悲願を達成するため、ひたすらに太陽の花を追いかけてきた。そのために命をかける覚悟をしてきたつもりだった。
つもり、だった。
「いやっ……! 来ないで……!」
『ティア!』
アタノールの叫ぶ声が遠くで聞こえた。彼の忠告を聞いていれば――
ゴーレムの手が、ゆっくりと迫ってくる。岩の手で首をつかまれれば簡単に窒息する。
そんな甘い考えは捨てる。
自分の首は枯れ枝のように、あっさりへし折られるだろう。
(お母さん……アタノール……それに……!)
ごめんなさい――そう祈って、目を固く閉じた。
●
一瞬なのか、永遠なのかもわからない時間が過ぎて――
いつまで経っても痛みが襲ってこないことを不審がって、ティアはそっと目を開けた。
「えっ――!?」
目の前には膝をつき、胸に手を当てたゴーレムの姿があった。まるで姫君に服従を誓う騎士のような佇まい。
「どういう……こと……?」
『――――』
微動だにしなかったゴーレムが動き出した。恐怖が再来する。
身を固くするティアに手を差し伸べたゴーレムは、やさしく手を取ると、ゆっくりと立ち上がらせた。
「あっ……」
腰に手を当てられ、まるでエスコートするように振る舞うゴーレムの所作に、
「……もしかして、わたしのことを守ろうとしてくれてるの……?」
『――――』
否定も肯定もせず、ゴーレムはただティアに寄り添っていた。
(……そうよ……! だって、ゴーレムはそういうものじゃない……!)
ゴーレムは守るために創られた存在だ。守ることこそ本分であって、破壊や殺戮を目的としたものではない。
(護符を差し込んだわたしを守ってくれるなら……いける……! これなら、わたしは……!)
だからこそ、
「おまえは性悪だが、馬鹿だとは思ってなかった」
ゴーレムは、立ち向かってくる者に容赦しない。
「まさか、そいつを制御する術があるなんてな……馬鹿は馬鹿だが、頭が切れる馬鹿はたちがわりぃ」
「……あなたにだけは馬鹿って言われたくない」
晴親の顔に恐怖は見えなかった。
それどころか、八重歯を覗かせ不敵な笑みまで浮かべている。彼のほうこそ、頭のねじが飛んでしまったらしい。
「で、再三聞くが、そのゴーレムを伴っておまえはどうするつもりだ」
「何回でも答えるわ。わたしはゴーレムを調べ上げて太陽の花にいたる」
「そのことを咎めるつもりはねぇ。存分にやればいい。だが、おまえは道継にゴーレムを渡そうとしている」
「取引に応じるフリをして情報を聞き出すだけよ」
「それが危険だって言ってんだよ!」
どんっ!
激しい雷鳴とともに、地面が大きくゆれた。
「おまえは道継のことをなにもわかっちゃいねぇ! 奴は危険だ。どんな手段でおまえからゴーレムを奪うかわかんねぇ」
「安心して。蘆屋道継はゴーレムの起動方法なんて絶対にわからない」
これまで調べてきた中で、本物の起動方法が記されていたのは、母の手帳を除けば絵本だけだ。
そして、絵本は自分が借りたままだ。道継が知ることは不可能だろう。
「そうじゃねぇ! オレが言いたいのは――」
「もし強引な手段を取られたとしても、わたしにはゴーレムがついてる」
首に手を当てた。道摩法師に絞め上げられた痛みが、ぶり返した気がした。
忘れるように、かぶりを振る。
「それに、これはあなたにとってもチャンスよ」
「チャンスだと……?」
「道摩法師があなたの探していた男なら例の術式を問い詰めてみせる……あなたたちには本当に感謝してる。だから、あとのことはわたしに任せて」
『ティアよ、それは傲慢だ!』
『そうだよ! 冷静に――』
「わたしは冷静よ」
ゴーレムが一歩、前に出る。
「この子なら……絶対に負けない! 道摩法師にだって、あなたにだって! プラハの問題を全部解決して、わたしは太陽の花にいたる! アルカヘストを、精製してみせる!」
「うぬぼれんな!」
晴親が懐から赫い呪符を取り出した。
「おまえら、帰ってろ!」
震えることしかできなかった護法童子たちを返し、呪文を唱える。これから呼び出す式神は、生半可なことでは呼び出せない。
「急急如律令! 酒呑童子!」
呪符をかざし、力強くその名を呼んだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
呪符に肉が憑き、姿を変えていく。肉塊は大きく、大きく膨れ上がり、やがて――
『――んぬぅ』
巨大な赤鬼が顕現した。手にはひょうたんと金棒を持っている。
『んぁ? 晴坊、どしたい』
「叔父貴、急にすまねぇ」
『なにがすまんことあるか。儂のいまの主は晴坊じゃ。存分に使うがいい……じゃが』
赤鬼の視線が榊に向けられた。
『気張れよ。いまの晴坊なら、せいぜい五分が限界じゃろう。それに――』
流れるようにゴーレムに視線を移す。ゴーレムの存在感は、酒呑童子と大差なかった。
いや、それ以上か。
『アレを相手に、手加減する余裕はなさそうじゃ……!』
酒呑童子がひょうたんの蓋を外した。途端、あたりに猛烈な酒のにおいが漂い始める。
「っ」
思わずティアは鼻を押さえた。油断すれば、においだけで酔ってしまいそうだった。よく見れば榊も涙目で鼻を押さえている。
『んっぐ、んっぐ! ――げふっ! んんぅ、行くぞい!』
酒臭い息を撒き散らし、ゴーレムめがけて金棒を振り下ろした。
『――――』
ゴーレムが手をかざす。
恐ろしい膂力で振り下ろされた金棒は、鈍い音とともに宙に浮いたまま一切動かなくなった。
『んぬぅ! 面妖な!』
引き戻して、打ち直す。また防がれて、今度は丸太のような足で蹴りつける。
酒に酔った独特な動きで攻撃を繰り返す。あれでは動きが読めず、大抵の相手は滅多打ちに遭う。
それをゴーレムは、手をかざすだけで防ぎきっていた。
「――っらぁ!」
晴親が駆け出す。
ゴーレムのことは無視して、ティアを止めることだけ考える。
(叔父貴なら数分は食い止めてられるだろ……!)
あわよくばぶっ壊してほしいくらいだが、
(いまのオレの呪力じゃ、叔父貴は全力が出せねぇ……それに……)
晴親の視線の先には、ふてぶてしい笑みを浮かべた錬金術師の少女が立っていた。少女の目指すものまで否定する気はなかった。
(だが、やり方が気に食わねぇ……!)
晴親の前で、少女は三本目となる薬液を飲み干した。
「――がはっ!」
「おまえはずっと賢い女だろうが!」
口から血とも薬液とも取れぬものを吐き出し、ティアが咳き込んだ。放っておけば、いま以上に無茶を重ねるだろうことは簡単に想像できる。
そうさせないためにも――
「――がっ!」
だが、ティアに近づこうとした晴親の身体は、見えないなにかに弾き飛ばされた。
『晴親!』
『ティア、やめるのだ!』
二、三度転がって泥水に塗れた顔を上げる。
「うそ、だろ……!」
視線の先では、ゴーレムが片腕で酒呑童子の攻撃を止めながら、晴親に空いている手を向けていた。それでいて顔は常にティアに向けられている。
『ぐぬぬ……! こ、っの……!』
酒のにおいがすこしずつ薄まっていく。
「くっそ……舐めやがって!」
「舐めてるのは、あなた、でしょ」
ハッとした。
いつの間にか、ティアが隣に立っていた。
「おまえ……!」
呼吸は荒く、口からは血が流れていた。瞳孔は開いていて、肌からは血の気が失せている。
「さすがに……三本は、無茶だったかし、ら……」
「おまえ、死ぬ気か!」
「そうよ」
爪の割れた手を伸ばす。
「ぐっ……! て、っめぇ……!」
「……わたしは、死んでも……ぐふっ!」
血を吐きながら、ティアの指が晴親の首をつかんだ。
人間とは思えない膂力。必死に抵抗するが、振り払えない。
『晴親!』
『ティア! いい加減にしないか!』
人ならざるものたちが加勢する。
榊の目が赫く染まり、ティアに向かって突進しようと身構える。
「おあげ……よ、せっ……!」と晴親が漏らしたのと同時に、
『すまん、晴坊……見誤ったわ……!』
ずんっ。
酒呑童子の身体が崩れた。さらさらと砂が崩れるように、身体が塵となって消えていく。
「叔父、貴……!」
全力を出せなかったとはいえ、あの酒呑童子をゴーレムは片手間で封じた。
かと思えば、消えるように間合いを詰め、榊たちの前に立ちふさがった。
『――――』
『どいてよ』
榊の身体から溢れる呪力が、赤い雷のように迸る。
「おあげ! よせ――っ!」
犬歯がするどい牙になり、身体が成長していく。三本だった尾が四本に増え、五本目が生えそうになったところで――
首元からびしり、と音が鳴った。
『あっ――!』
『かまうな、榊殿!』
アタノールの身体から白い煙があがる。致命的ななにかを目の当たりにし、榊の呪力が霧散していく。
「やめさせて!」
『――――』
主人の命令に従い、ゴーレムが手をかざす。隙を見せた榊に、見えない力が容赦なく襲いかかる。
『くっ――!』
『ティア! 冷静になれ!』
「わたし、は、冷静よ……!」
晴親から手を離す。ローブから試験管を取り出すと、ひび割れた瓶に向けて薬液を垂らした。
『もうやめろ……!』
「あなたまで、そんなこと、言わないで、よ……」
ひびはまたたく間に塞がった。アタノールの身体から上がっていた煙も止まった。
それを確認し、瓶をそっと榊の首に戻した。
「心配しないで……ちゃんと、うまくやるから」
「やめろ、って言ってんだろ……! 馬鹿、野郎……!」
晴親の漏れ出た声を聞き、
「……そうね。あなたは馬鹿だけど、わたしは大馬鹿よ……」
『ティア……!』
「ごめんね、おあげちゃん……だけど、これだけは、譲れないの」
ゴーレムに目配せする。
ティアの意図を察したゴーレムが両手を向ける。見えない力の出力が跳ね上がり、榊は一瞬で気を失った。
それなのに、アタノールにも、入っている瓶にもなにも起きなかった。
『ティアよ……そこまでして……』
「……ごめんなさい……」
ティアがローブを翻し、入り口へと歩いていく。
その背をゴーレムが追いかけて、前に回ってティアの護衛をするような立ち位置についた。
「……っの、性悪の、馬鹿女……が……!」
晴親の意識は雷鳴と激しい雨音に呑まれた。




