第五章 本物の在り処
「なぁ、おあげ……」
『あのね、晴親。いつまで意地になってるの?』
晴親と榊は、ヴルタヴァ川沿いの舗装された道を歩いていた。
べたつくような湿ったにおいと、むわりとまとわりつく空気。これからひと雨来るのかもしれない。
ふたりの行き先はティアが借りているガラス工房だ。ヴルタヴァ川沿いにあり、晴親たちの借りている宿からは目と鼻の先だった。
「別に意地になんか――」
『話を聞いてもらいに行くだけでしょ?』
きのう宿に戻り、ふたりは夜通し話し合った。
因縁のある土御門家と蘆屋家は、良くも悪くも互いを意識している。
道継の才については、晴親もずいぶんと聞かされて育ってきた。土御門家の当主――父、晴正の言葉を借りるなら、
(稀代の天才と謳われる蘆屋家の末裔……悔しいが、それは認めるしかねぇ……!)
じっさい手玉に取られている。
この状況を、道継は意図的に起こしているのだろう。晴親たちの行動を見て、いまもほくそ笑んでいるのかもしれない。
考えただけで腹立たしいが、そんなことを言っている暇もない。
(このままじゃ、どうなるのかわかったもんじゃねぇ……)
一刻もはやく道継を見つけ出し、絞め上げて術式を解除させる。
だが、自分たちの知識だけではどうしても突破口が見いだせない。
晴親たちは、自分たちにない知識を持ち、プラハの街にも多少通じている錬金術師の少女をあらためて頼ることにしたのだ。
「……道継ほっときゃ自分も被害を喰らうんだし、協力すんのは当然だろ」
『そういう言い方はあらためないと本当に愛想尽かされるよ』
「愛想尽かされる、ってなんだよ――」
そうしてふたりで話しているうちに、目的地にたどり着いた。
ちいさな工房だった。
かまくらのような外観に丸窓がふたつ。扉にはCLOSEDの札がかけられているが、中からは生活音が聞こえてくる。
コンコンコン。
晴親は意を決して扉をノックした。
「はい?」
ほどなく、目的の少女が扉の奥から現れた。
「……よう」
「なにか用?」
いつも以上に尖った物言いだった。いや、それよりも、
「風邪でも引いたのか……? なんか声――」
「なんでもないわよ……」と言って、ティアは首元に手をやった。
ヴルタヴァ川の冷たく湿った風が、ふたりの間を吹き抜ける。
『こんにちは、ティア。忙しそうなのに急に押しかけてごめんね』
「ううん、大丈夫。けど、すこし急いでるの。これから出かけるところで――」
「ったく……おとなしくしてろ、って言っただろ……」
思わず愚痴が漏れた。
ティアは視線をするどくし、
「あなたには関係ないでしょ!」
「……あぁ?」
『晴親』
「っ、わりぃ……」
「……本当に時間がないから、手短に済ませて」
ティアは腕を組んで、時計に目を向けた。
晴親は拳をにぎりしめ、悔しさをにじませた声を漏らす。
「……オレたちだけじゃ、手詰まりなんだよ……」
「きのうは人の話もろくに聞かなかったのに、いまさら?」
「いや、それは――」
『ティア、そこまで突っぱねなくてもよかろう』と工房の奥からアタノールのくぐもった声が聞こえた。
ティアは一度深くため息をつき、
「すこしだけだからね」
晴親たちを通した。
●
晴親たちの目は、ゴーレムに向けられた。
あいかわらず凄まじい存在感を放っている。暗闇に閉ざされた屋根裏部屋よりも、陽の光の下で見るほうが不気味に見えた。
「こいつの検分は――」
「それは贋物よ」
「は? どういう――」
「そんな話をしに来たんじゃないでしょ?」
「……道継の狙いは、薄くだが読めてきた。だが、確信が得られねぇんだ」
晴親はティアに、これまで追ってきた呪符に込められた術式について――
それがふたつあって、そのうちのひとつは人間の生命力を呪力に変換する術式、ということを手短に説明した。
「それって……!」
「あぁ……かなりまずい」
加えて、その膨大な呪力を必要とする術式の起動は、このプラハにもっとも人が集まるロシュ・ハシャナ当日であろうことも伝えた。
『ふむ。となれば、急いだほうがいいだろう』
『ロシュ・ハシャナって、いつなの?』
「もうあさってよ」
「んだと――!?」
晴親の声が工房内に響いた。
「大きな声出さないでよ」
「わ、わりぃ……」
『ふむ。ティアよ、ここはひとまず晴親殿たちに協力すべきだ』
ティアは腕を組んで思案し、
「そうね、そうしないと――」
「なぁ、あのゴーレムが贋物って話、マジなのか……?」
「えぇ、間違いないわ」
今度はティアが、ゴーレムについて――
検分した結果とこれまで感じていた違和感。なにより母の記した手帳の内容との違いを手短に説明した。
『贋物……? これが……!?』
「………………」
榊の三本の尾がピンと逆立った。
その横では、晴親がなにやら真剣な表情で考え込んでいる。
「わたしたちは、これから本物のゴーレムを探しに向かうところだったの」
『ふむ。だが、状況がそこまで切羽詰まっているのなら話は別だ。まずは晴親殿たちの――』
「いや、その必要はねぇ。道継の狙いは……多分ゴーレムだ」
「はぁ? あなた旧新シナゴーグではシロだって――」
「それはあの贋物の話だ」
佇んでいるゴーレムにするどい視線を向ける。
「贋物でコレだぞ」
『そっか。本物は比べ物にならないなにかを宿してる、ってことだね』
贋物でさえ叩きつけるような威圧感を感じるのだ。本物のゴーレムがどのようなものなのか、想像もつかない。
とはいえ、蜘蛛の糸のように細いが、ようやく手がかりが見えた。
『これからゴーレム探しに行くんだよね? ぼくたちも連れてってよ! きっと道継に繋がる――』
「………………」
『ティア?』
「どうした?」
「……えっ?」
「思い当たることでもあんのか?」
かぶりを振る。
「なんでもないわ。場所については目星がついてるの。さっそく向かいましょう」
「目星、だ……?」
晴親のけげんそうな視線に、ティアは不敵に笑って答えた。
「えぇ。――地下都市よ」
●
「一三世紀ごろ、洪水対策でプラハの街そのものが底上げされたの。いまも地下には、昔の街がそのまま埋まってるわ」
工房を出て地下都市へと向かう道中、晴親たちはティアからそう聞かされた。
一行は旧市街広場を過ぎ、パジーシュスカー通りを抜ける。路地には観光客にまぎれて、あらゆる怪異が蠢いていたが、晴親たちは伝えなかった。
伝えたところで信じてもらえるとも思わないし、わざわざ行動を阻害するようなことを言う必要もないと思ったからだ。
「マジかよ……かれこれ一週間プラハにいるが、そんな話聞いたことねぇぞ……」
努めて普段通りに言う晴親に、ティアがジト目を向ける。
「……そもそもあなた、街の人に話は聞いたの?」
「……ダイダラ女将以外、誰とも話してねぇ……」
ティアの手元でアタノールが深々とため息をついた。
「いや、オレだって話は聞こうとしてたんだ! それなのにこの街の連中ときたら人の顔を見るなり逃げやがって――」
『そりゃ晴親がしかめっ面で近寄ってきたら皆怖くて逃げちゃうよ』
そのときの様子をありありと思い出し、榊は残念そうな顔を浮かべた。
「は、話はわかったけどよ、どうしてあそこなんだ!?」
誤魔化すように言いながら、晴親は見えてきた建物を指して言った。
何度も訪れているうちにすっかり馴染み深くなった、ギザギザ屋根の礼拝所。
「地下都市へは誰でも簡単に降りられる。けど、それじゃダメなの」
『どういうこと?』
『地下都市の一部は観光客向けに公開されている。ゴーレムのことを知らなくとも、いたずらに奥まで入ろうとする輩は少なからずいるだろう』
「そんなところからは間違っても入れないような奥深くに、ゴーレムは安置されているはずよ」
往来に溢れる人混みを抜け、四人は旧新シナゴーグの前に立った。
「とは言ったけど、やっぱりこれだけ人が多いと目立っちゃうわね」
『ふむ。急ぎたいのは山々だが、やはり夜を待つしか――』
「いや、気にすんな。このまま行くぞ」
晴親がそう言って進み、榊もそれに続いた。
「ちょっと! これだけ人がいたら騒ぎになるわ! 警備の人たちにも――」
『あとで説明するから』
大股でぐいぐい進む晴親の背には、切羽詰まったものが感じられた。
「もう! 待ちなさいって!」
ティアとアタノールはその背中を追い、慌てて礼拝所に足を踏み入れた。
旧新シナゴーグ内は、以前とまるで違う光景が広がっていた。
二本の石柱には蛇のような妖が巻き付いている。苔で覆われたような小人はビーマーの上に座ったり、鉄格子をよじ登ったりとやりたい放題している。
天井を見上げればアーチ部分には不気味な烏が何羽も止まり、闇色の瞳で館内を見下ろしていた。
『こんなに溢れてるなんて……!』
遅れてきた榊も険しい表情を浮かべている。
「もう! 勝手に行かないでよ! 場所わかん、ない……でしょ……?」
『どうした、晴親殿』
ふたりも、ただ事ではない様子の晴親たちを見て気を引き締めた。
「いや、いい。それより、地下都市とやらにはどこから――」
「こっちよ」
観光客の間をすり抜けてティアがぐいぐい進み、本堂からすこし離れた場所に入った。
「なんだ、ここ……?」
圧迫感を感じる低い天井に狭い通路。本堂に比べるとずいぶんと質素な作りで、建材は明らかに新しかった。
「ここは付属棟。あとから増築された区画よ」
『倉庫や控室として使用している場所らしい』
足を止めずに説明するふたりの背を晴親は追いかける。ほどなくして、ティアはとある長椅子の前で足を止めた。
長椅子には老夫婦が座っていた。ふたりで仲良く休憩しているように見える。
「あの、すみません」
老夫婦は微笑んだまま、ティアを見ようともしない。
「あの!」
「しゃあねぇな」
「ちょっと! やりすぎよ!」
晴親が老夫の細い身体を抱え上げて、隣の椅子に移動させた。ティアが目くじらを立てるもおかまいなしだった。
「いいんだよ」
次いで老婆も抱え上げて老夫の隣に座らせてやった。やり方は強引だが、手つきはやさしい。
ふたりは変わらず微笑んでいるだけだった。さきほどから表情がひとつも変わっていない。
「いったいどういうこと……? この人たちは――」
「説明はあとだ。それより」
晴親が長椅子に手をかける。重厚な見た目とは裏腹に簡単に持ち上がった。
椅子の下には、あたりと変わらない床板がはめられていた。だが、よく見ると不自然な継ぎ目があった。まるでそこだけあとから取ってつけたようだった。
「ここか」
『ふむ。そのようだな』
「あっ! ちょっと!」
強引に床板を外そうとする晴親を、ティアが慌てて制止した。
晴親が剣呑な目を向けるも、ティアは腰に手を当て叱るように言う。
「あのね、焦ってるのはわかるけど、なんでもかんでも強引に進めようとしないで!」
「っ、わりぃ……」
バツが悪い顔で言った晴親を無視。
ティアは懐から試験管を、ポーチから見覚えのある革袋をふたつ取り出し、
「あの子、呼んでくれない?」
「あの子?」
『狐火じゃない?』
「……あぁ」
懐から呪符を取り出し、狐火を召喚する。
ぼわり、と現れた狐火はティアの顔を見た途端、するするとそばに寄っていった。
「またよろしくね」
ティアは屋根裏部屋の扉を開けたときのように床板の継ぎ目に水銀を垂らした。その上に硫黄と塩を重ねる。要領を覚えているのだろう、狐火はティアが作業を終えると、自分からそれらを温め出した。
そうしているうちに、屋根裏部屋のときと同じように黒い煙があがって――
「……大丈夫なんだろうな……?」
素材たちは黒くドロドロとした液体へと変わっている。
素人目には失敗しているようにしか見えなかった。
「問題ないわ」
ドロドロとした液体を気にせず、継ぎ目に指をかける。
ぼこり、と床板は簡単に外れた。その下からは人ひとりが通れるか怪しいくらいの細い階段が現れた。
地下へ続く、明らかに隠されていた通路だ。
「ここから地下都市に入るわ」
●
「地下都市ってよりは、地下迷宮だろ……」
天井は低く、アーチ状に組まれた石造りの通路は狭い。いくつ目かもわからない曲がり角を曲がりながら、晴親は愚痴をこぼした。
「それよりさっきの老夫婦はいったいどういうことなの?」
『ふむ。彼らは狐火殿を見てもまるで動じていなかった』
『それはね――』
榊が街の異常について説明する。
濃霧のような呪力が街を覆い、怪異が蠢いていること。
プラハにいる人間すべてが、さきほどの老夫婦と同じく呪力を生み出すための人形と化していることも。
「たしかに霧は濃くなってる気がしてたけど……まさか、そんなことまで起きてたなんて……」
狐火が薄く照らす通路を一行は進む。埃のたまり具合や淀んだ空気から、長く誰も通っていないだろうことは明らかだった。
『すでに我らも呪力に取り込まれているというのか?』
「あぁ。そう遠くないうちにおまえらも街の人間と同じく、霧を不審に思わなくなるし、おあげや狐火を見ても動じなくなる」
「わたしは最初から動じてなんかないけど」
んなこたぁわかってんだよ、と漏らした言葉は、ふたりの耳には入らなかった。
横を歩く榊の尾が嬉しそうにゆれた。
「にしても」
晴親があたりを見回す。
「さっきからおんなじとこを何回も通ってる気がすんだが、本当にこっちで間違いねぇんだろうな」
「大丈夫よ」
「……妙に自信もって言い切るじゃねぇか」
照明のひとつも灯っていない、明らかに秘匿された空間にもかかわらず、先導するティアの足に迷いは感じられない。
「さっきも言ったけど、ここは一三世紀ごろまでプラハの街だったの。当時の地図といまの地図を見比べても、大きな違いはなかったわ」
と、
「ひゃっ!」
「どうした!?」
晴親がとっさに前へ出た。狐火が炎をたぎらせ、あたりを一段と明るく照らす。
「……あん?」
晴親の頭上――ちょうどティアがいた場所の天井から、冷たい水が滴り落ちてきた。
「……おまえなぁ」
「しょ、しょうがないでしょ! 暗くてよく見えないんだからっ!」
『ティア、落ち着け』
アタノールの言葉も虚しく、ティアは顔を真っ赤にして大股で歩を進める。狐火がゆれながら、その背を追いかけた。
「ったく……」
騒がしく通路を進んでいくと、すこし開けた空間に出た。
『ため池……?』
『洪水対策の名残だろうな』
それまでの石と土だけの空間に現れた、池のように大きな水たまり。狐火の明かりでは底は見通せないが、浅くはなさそうだ。
その上を橋のように木材が張り巡らされている。かさ上げ当時のものが放置されているのだろう。傷んでいるが、上を通るくらいなら大丈夫そうに見える。
「で、それなりに歩いてるとは思うが、あとどれくらいかかるんだ」
「そんなのわかんないわ」
「……さっきと言ってること変わってねぇか」
「方角は合ってるはずよ。だけど、これだけ道が入り組んでるんだから思うようには進めてもいないの」
「そもそもどこ目指してんだよ」
「墓地よ」
なまぬるく湿った風が、ため池から湧き上がるように吹いた。
「正確には旧ユダヤ人墓地。ゴーレムの創造主、ラビ=レーヴが眠っている墓地よ」
「そりゃたしかにそこ以外にないってくらいの場所だな」
池のような水たまりを越え、何度目かわからない小部屋を抜ける。
――ゃ――
「ん……?」
晴親が足を止めた。周囲に耳を澄ませる。
「なに?」
「いや……いま、なんか音が聞こえなかったか?」
――――
「……なにも聞こえないわよ?」
「おあげ」
『……においはしないよ。近くにぼくと狐火以外の式神はいないし、妖の類もいないよ』
榊が言うならそうなのだろう。晴親も呪力には敏感だが、榊の嗅覚には及ばない。
そもそも地上とは違い、呪力がまるで感じられない。地下都市は湿って淀んだ空気で満たされているだけだ。
「気のせいか……?」
『ふむ。しかし、なにが起こるかわからん以上、用心するに越したことはなかろう』
「そうだな」
歩みを再開する。
狐火が炎をたぎらせる中、さらに奥へ進んだ。
「こりゃまた唐突だな……」
これまでとは打って変わって、まっすぐな通路だった。天井も高く、道幅もすこし広い。
――ゃり――
晴親が呪符を取り出し、ティアが試験管に手を伸ばした。
「今度は気のせいじゃねぇな」
「えぇ、わたしにもはっきりと聞こえたわ」
音は正面の暗闇から聞こえてくる。まるで石を転がしているような音だ。
『けど、呪力のにおいはしないよ』
榊が尾を逆立てながら、冷静に状況を伝える。
(おあげが呪力を感じられねぇ、ってことは式神や妖の類じゃねぇ……なんだ)
かちゃり。
狐火が正面の暗闇を照らす。
炎に映し出されたのは――
「土人形……?」
晴親が漏らした。
プラハの街中に溢れている式神の中でも、もっとも低級かつ数が多い式神。よく見れば、ゴーレムにそっくりな見た目をしている。
「どういうこと? さっきおあげちゃん、呪力は感じない、って……」
『うん。やっぱりにおいはしないよ。こいつらは式神じゃない』
『では、いったい……?』
土人形のようななにかは、晴親たちが警戒していてもお構いなしな様子だ。
通路を塞ぐように整列したまま、ゆっくりとこちらに向かってくる。
額にはemethの文字が刻まれていた。
「……ゴーレムよ」
「あぁ!? こいつらがか?」
ティアの言葉に、晴親が反応し、
『――――』
その声が合図だったかのように、人形たちが一斉に襲いかかってきた。
●
晴親が式神を召喚する。
それよりもはやく、ティアが太ももに付けているホルスターから試験管を抜いた。
左手の指には四本の試験管が挟まれている。それらを器用に、それぞれゴーレムの頭部めがけて投擲した。
いつぞや自分を燃やした極悪試験管。たしか燃焼薬、と言っていた代物だ。
(……いや、違う……?)
あのとき投げられた試験管の中の液体は、形容できない禍々しい色をしていた。燃焼薬というよりも毒薬と言われたほうが信じられた。
だが、いま投擲された試験管の液体は、薄暗い中でもはっきりとわかるほどに透き通った色合いをしていた。まるで海のような深い蒼色だった。
試験管は見事にゴーレムの頭部に命中。ガラスの割れる音が土壁に吸われる。
そう晴親が認識したときには、ゴーレムの頭部から煙が上がっていた。
「……うっそだろ……!」
『うわぁ……くさっ!』
晴親たちの目の前で、ゴーレムの頭が溶けていく。石と泥で創られているはずの身体から鼻を突くひどい悪臭がして、榊がひっくり返った。
それでもゴーレムたちは意に介さず向かってきたが、emethの文字が溶けた瞬間、
『――――』
それまで動いていたのが幻だったかのように、一瞬にして瓦解した。
『てぃあ……いまのは……?』
ひっくり返ったままの榊が訊ねる。涙目で鼻がひくついていた。
「溶解を象徴する第二の門、解離薬よ」
「………………」
晴親の目の前で、元ゴーレムだった石や泥は煙を上げながら溶解されている。
薬品の効果が切れたのは、それらが液体になってからだった。
「おまえ、えげつねぇな……」
冷や汗が止まらない晴親だったが、奥から聞こえてきた音に不敵な笑みを浮かべた。
「なるほどな。たしかに、こりゃ当たりだな」
石を転がすような音がごろごろ聞こえてくる。
狐火が天井高くに上がり、通路を広く照らし出した。
「おあげちゃん、アタノールを預かっててくれない?」
『榊殿、面倒をかける』
榊の返答も待たずに、ティアがアタノールの入った密封瓶を首元に吊るした。
「おあげに動いてもらったほうが、戦力的には助かるんだが」
「アタノールを持ったままじゃ、わたしが全力を振るえないの」
「おまえの全力よりも、呪符喰ったおあげのほうが役に立つと思うが」
「それは否定しないわ」
軽口を叩くふたりの前では、すでに通路の大半をゴーレムが埋め尽くしていた。
晴親よりも大きいものも、ティアよりちいさいものもいる。枯れ枝のように細い個体から、ずんぐりむっくりとした個体まで千差万別だ。
共通しているのは、のっぺらぼうとした顔と、その額に刻まれたemethの文字。
「破壊しようとしなくていいわ。額にあるemethの頭文字、eを削ればあとは勝手に崩れてくれる」
「ぜんぶ溶かしてるくせに、どの口が言ってんだよ」
じりじりと距離を詰めてくるゴーレムを前に、晴親は護法童子たちを召喚した。
三体の子鬼はそれぞれの武器を手に、やる気満々といった様子だ。
「ってわけで、おまえら頼んだぞ!」
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
護法童子たちが一斉に飛び出していく。
『――――』
ゴーレムたちも動き出した。何体いるのか見当もつかないが、意外にも統率の取れた動きだ。
「専門家の意見を訊きたいんだけどよ!」
「なに!?」
晴親も駆け出した。ティアはその場から動かず、次々と試験管を投擲している。
「こいつらの中に親玉的なやつはいると思うか!?」
晴親が手近なゴーレムの額――というより顔面にするどい蹴りを放った。人間相手なら大怪我を負わせそうな一撃も、ゴーレム相手ではたいしたことはない。
だが、草履はたしかに額のeを削った。それだけでゴーレムは瓦解する。
「たぶんいない!」
ティアの投げた試験管がまとめて弾けた。頭から解離薬を被ったゴーレムたちが、一気に溶解し、通路を悪臭が満たす。
『てぃあ……おねがい、ほかのにして……はながもげちゃう』
『榊殿……』
榊は涙目で転がるばかりで、なんの役に立っていない。
瓶の中のアタノールは当然においはわからないので、同情の目を向けるしかなかった。
「このゴーレムたちはおそらく防衛装置みたいなもの! ずっと昔に入力された命令に縛られている人形よ!」
「ってことは、ぜんぶ倒さないといけないってのか――よっ!」
ゴーレムの拳が突き出された。それをいなし、掌底をお見舞いする。
「かってぇ!」
掌底は顔面に命中したが、文字は削れなかった。
『キョ!』
すかさず黄鬼が槍で突いた。するどい穂先が文字を削る――どころか、顔ごと吹っ飛ばした。
頑丈ではあるが、護法童子たちの力が上回っているようだ。
『キャ!』
『キュ!』
広くない通路に群がるゴーレムたちの間をすり抜け、股の下をくぐる。生じた隙を見逃さずに武器を振るって、ときに互いの顔を殴らせ同士討ちを狙う。
「っ、おい!」
ティアの投げた試験管。それが晴親の真横にいたゴーレムの頭に当たって割れた。
飛び散った解離薬が危うくかかりそうになった。
「危ねぇだろうが! どこ狙ってやがんだ!」
「そんなとこにいるあなたが悪いのよ!」
「あぁ!」
「なによ!」
晴親のことなどお構いなしにティアが試験管を投擲する。その晴親は、射線をまるで意識せず、好き勝手に通路を駆け回っていた。
「……っとに、性格終わってやがる……!」
「ほんっと、邪魔ばっかり……!」
それでもゴーレムは、すこしずつ数を減らしていった。
「……打ち止めか……?」
気がつけば、通路中に石や泥の山ができあがっていた。液状化しているところもある。
「そうみたいね……っしょっと!」
榊は鼻が完全に曲がってしまったのか、ひっくり返って気を失っていた。
まるでそうすることを最初から狙っていたかのように、ティアは榊を抱きかかえた。もふもふの背中に顔を埋め、おもいきりにおいとぬくもりを堪能しだす。
「はぁ! 念願の猫吸い! ……ならぬ、おあげ吸い!」
「人んちの式神でなにしてんだよ!」
「あっ! ちょっと!」
晴親が強引にティアの手から榊をひったくった。そこでようやく目を回していた榊が復活する。
『っあ……はる、ちか……?』
「ったく……大丈夫かよ……」
と、
通路を照らしていた狐火が天井から降りてきた。唯一の光源としての使命をまっとうしてくれた式神は、ぼわりとゆれたまま、そっとティアに寄り添った。
「うふふ。あなたはすっかり懐いてくれたわね」
そこへ見慣れたちいさな影も集まってくる。
「あなたたちもありがとう」
『ふむ。護法童子殿、礼を言おう』
子鬼たちは照れくさそうにしながら、ぐるぐると走り出した。その様子を微笑ましく見守る。
やがて子鬼たちは、暗闇で閉ざされた奥の空間へと駆け出していった。
「あの子たち、大丈夫なの?」
「あいつらは見た目よりずっと長生きしてるし、ずっとつえぇ。そんじょそこらの怪異やゴーレムなんかは、全部返り討ちにできる」
そんなことより。
「これがゴーレムだってのは、まぁそうなんだろうが……あの贋物に比べたら骨がなさすぎねぇか」
晴親の視線がゴーレムの遺骸に向けられた。
『ふむ。あの贋物が特別なんだろう』
「そうね。ある程度の力をそそいどかないと本物に見えないもの」
言ってティアの足が暗闇へと向けられた。
「それよりはやく行きましょう。こっちが正解なのはもう間違いないわ」
『そうだね。けど、ティア……お願いだからさっきのやつはもう勘弁して……』
ティアはなにも答えず、不敵な笑みだけを残して奥へと進んでいった。
『榊殿、諦めよ。いまのは完全に味を占めた顔だ』
『そんなぁ……!』
半泣きの榊、その首元でアタノールの瓶がゆれる。
「馬鹿言ってないで、さっさと行くぞ」
晴親も奥に進み、その後ろを榊がとぼとぼとついていった。
●
「「………………」」
まっすぐな通路が続いていた。
あれ以降、ゴーレムが襲ってくることはなくなった。狐火が照らす中、静かで暗い通路をただ歩き続けている。
『『………………』』
誰も口を開かない――開けなかった。
(んだよ……この異質な空気は……?)
(なんなのよ……これ)
まるで、冷たい手で全身をやさしくなでられているような感覚に包まれる。
隣を歩く榊の尾はずっと逆立っていた。アタノールですらも、険しい表情を浮かべている。
突然、あたり一面が闇に閉ざされた。
「ちょっと! どうしたの!?」
ティアが叫んだ。すると、弱々しい明かりがふたたび灯る。
「大丈夫だ」
ティアが視線を向ければ、晴親が狐火を労っていた。
いつもぼわりぼわりとゆれる狐火は話もできず、ただ火がゆれているだけだ。なにを考えているのか、なにを感じているのかなんてわからない。
(怯えてるの……?)
それでも、ティアには狐火がどういった状態か理解できた。
「ねぇ」
信じられないくらいにかすれた声だった。いまのいままで気づかなかったが、口の中が乾き切っている。そのくせ、額を流れる汗は一向に止まらない。
「あぁ?」
嫌味ったらしく、傲慢に振る舞う晴親らしくない歯切れの悪い物言いだった。視線を向ければ余裕は消え失せ、青白い顔をしている。
(こいつがこんな顔するなんて……!)
それならこうして不安な気持ちに押し潰されそうなのもおかしくないはずだ。そう自分に言い聞かせる。
この奥にいるのは、人知を超えたなにかだ。
それはまぎれもなく、今度こそ、自分が追い求めていたもののはずだ。
「なんか言えよ……」
晴親の声が震えていた。言葉を返そうとしたが、咳き込んでしまってなにも言えなかった。
そのまま誰も口を開かず、一行は通路を進み続けた。
「……おまえら……」
しばらく歩くと、先に行っていた護法童子たちに追いついた。三体の子鬼は、晴親も見たことがないほどに怯え、身体を寄せ合って震えていた。
『晴親……』
子鬼たちの視線の先には、地下都市に入って一度も見なかった明るい空間があった。異質な空気と存在感は、その空間から漏れ出ている。
「よく頑張ってくれたな……あとは任せとけ」
子鬼たちを労う。ここにたどり着くまで、石や泥の山はいたるところにあった。
晴親たちが来る前にゴーレムを倒していた証だった。
護法童子を在るべき場所へ返し、晴親は一歩を踏み出した。
「さて……どんな化け物がいやがるんだ……!」
言葉に出して決意を固めた。そうでもしないと、情けなく尻もちをついてしまいそうだった。
「待って……!」
後ろからティアが晴親の袖をつかんだ。手も声も震えている。普段であれば絶対に罵倒してやるところだが、いまはその気持ちが痛いほど理解できた。
(性悪女が、ここまでビビってんのかよ……!)
異質な存在感を前に、晴親は瞳を閉じた。
息を深く吸い――
「いくぞ」
黒瞳と碧眼がはじめて真摯に交わった。
黒の視線を真っ向から受け、ティアは呆けた表情を浮かべた。
だが、それも一瞬。
ティアも瞳を閉じ、息を強く吸い――
「えぇ」
晴親の袖から手を離し、隣に並び立つ。
ふたりは同時に足を踏み入れた。
●
地下都市とは思えないほど広く、明るくてあたたかい空間だった。
草履が土の感触を捉えた。
そういえばプラハに来てからは、硬い石畳の上ばかり歩いていた。ずいぶんと久しぶりの感覚にすこし戸惑った。
見上げればてっぺんには丸い穴が開いていた。そこから陽の光が差し込んでいる。すこしだが風も入ってきていて、この空間の空気はまるで淀んでいない。
あたりを見回せば墓石の数々。崩れていたり、朽ちていたりで状態は良くない。
(それも当然か)
数世紀単位で放置されていた墓地だ。人の手が入らなかったからこそ、この程度の劣化で済んでいるのかもしれない。
他に見えるのは、場違いなほど大きな樹だった。
陽の光が差すとはいえ、こんな地下に、大樹と呼んでもおかしくないほど立派な樹が生えていた。緑豊かな大樹は、墓地全体を見守るように枝葉を広げている。
そこに。
まるで樹に埋もれるように、あるいは寄り添うように横たわっている岩と泥の人形。
大きさも、輪郭も、贋物と変わらない。蛇がのたうつような紋章も含めて、見た目だけなら瓜二つだった。
違うのは、これまで見てきたゴーレムの中で唯一、額にemethの文字が刻まれていないこと。
そして、あの贋物とも比べ物にならない圧倒的な存在感。
晴親たちの前に、今度こそ本物のゴーレムの姿があった。




