第四章 ほころびは土の肌に
紫色の空に包まれたちいさなガラス工房では、さまざまな音が入り混じっていた。
炉が燃える音。
薬液を混ぜる音。
土を金属のヘラでこそげる音。
作業に没頭するティアは碧眼を細め、晴親たちには見せたことのない真剣な表情を浮かべている。
『ティアよ、根を詰めたいのはわかるが一度休め』
「………………」
返事はない。声が聞こえないほど、彼女は検分に熱中している。
『やれやれ……』
アタノールの視線がゴーレムに移る。
ゴーレムの地肌には、蛇がのたうち回ったような奇っ怪な紋章が描かれていた。
大きな岩の顔。
全身からにじむ圧迫感。
瓶越しの自分ですら息苦しさを覚えるほどだった。
視線をゴーレムからティアに戻す。
はめている手袋や作業着は煤で汚れ、床には削られた破片が散らばっている。
ゴーレムを運び入れてから、すでに半日以上が経っていた。
ティアは手洗いに立つ以外の時間は作業にかかりきりで、ろくに食事も摂っていなかった。
(無理もない……)
彼女にとってのゴーレムとは、夢を現実へと繋ぐ架け橋のひとつだ。
不眠不休で研究を続けることなど、最初からわかりきっていたこと。
アタノールにできるのは、そんな主人の身を案じ続けることだけだった。
「ふぅ!」
さらに数時間が経過したところで、ようやくティアがひと息入れた。汗を拭い、泥だらけになった顔には、なんとも言えない表情が浮かんでいる。
『ひと区切りついたのか?』
「……そうね」
手を洗って水を飲む。喉を通る冷たい感触が興奮している頭を冷やしていく。
(構造、素材は伝承のとおり。動力は額の文字による命令。これもそう。なにもかもが伝承のとおりなのはいいんだけど……)
視線をサイドテーブルへ向ける。そこにはアタノールの密封瓶と、年季の入った革の手帳が置かれている。
ゆっくりとテーブルに近づく。コップを置いて手帳を手に取り、やさしく胸に抱いた。そのまま備え付けのソファにぼふん、と腰をおろす。
何度も繰り返し開いてきた手帳。どのページにどういったことが書かれているかなど、とうの昔に暗記している。
それでもティアはページをめくる。見逃したことはないか、自身の解釈違いはないか、と問いかけるように。
しばらく工房内に紙の擦れる音だけが響いていたが、やがて紙をめくる感覚が長くなっていき、途切れ――
どさり、と音が鳴った。
『まったく……』
ティアは手帳を落とし、ソファへ倒れ込むように眠っていた。
おだやかな寝息を立てる主人の表情は、ここ最近では珍しく安堵しているように見えた。
『ここまで全力で駆けてきたのだ。すこし休め』
ガラス玉のような瞳を窓へ向ける。
空は紫から群青へ変わりつつあった。
●
「太陽の花?」
狐火が照らす薄暗い屋根裏部屋。
言葉を受け止めた晴親の前で、ティアは懐から一冊の手帳を取り出した。革の具合から相当な年月使い込まれていることが見て取れた。
「これは……お母さんの手帳」
やさしい手つきでページをめくる。
「お母さんも錬金術師だったの。ひとりでわたしの世話をしながら、仕事そっちのけで研究ばっかりして……生活は楽じゃなかったけど、毎日あたたかいご飯を食べさせてくれたわ」
母を懐かしむ声はおだやかだ。
「わたしの言うことも聞かずに、無茶ばっかりして……病気で死んじゃったんだけど、お母さんがずっと求めていたものが太陽の花だったの」
ページをめくる手が止まった。
手帳の文面を晴親に向ける。左のページには記号や数式がびっしりと書かれていた。内容はまるで理解できない。
そして右のページには、たった一文。
震える手で書いたのだろう、弱々しい筆跡で――
「お母さんが最後に書き残した言葉が、ゴーレム」
懐かしむ声が消えた。
覚悟と決意を秘めたひとりの錬金術師の佇まいが、そこにはあった。
「お母さんがたどり着けなかった太陽の花へいたるため、わたしにはどうしてもこのゴーレムを調べる必要があるの! だからお願い! あなたの――」
「おまえの話はわかった」
晴親が懐に手を入れた。取り出したのは二枚の呪符。
「急急如律令。前鬼、後鬼」
呪文に合わせて、二枚の呪符に肉が憑く。現れたのは立派な体躯を持つ赤鬼と青鬼。
『――――』
『――――』
「久しぶりだな。さっそくでわりぃんだが、こいつを運び出してほしいんだ」
「! ありがとう!」
ティアの表情が、ぱっと明るくなった。狐火も嬉しそうにゆれる。
一方、晴親は舌打ちまじりに、
「勘違いすんな、おまえに協力する気はねぇ。ただ、こんなやべぇ存在がこんなとこに放置されんのが気になるだけだ」
呪術的にはなんの価値がなくても、こいつはやばい。
晴親の陰陽師としての勘がそう告げていた。
「ゴーレムは運び出してやる。あとの始末はおまえらでつけろ」
「もちろんよ。すべてが終わったら、ここに戻すのを約束するわ」
「それもどうせオレに頼むんだろ」
「それは……」
『ふむ。晴親殿、苦労をかけるが――』
『それくらいかまわないよ。ね、晴親』
「うるせぇ」
乱暴に言い切って、鬼たちに指示を出す。
鬼たちは晴親の言葉を聞き終えると、それぞれ手にしていた斧と水瓶を無造作に捨て、屈強な腕でゴーレムを持ち上げた。
「で、どこに運ぶんだ」
『ふむ。我らが借りている工房まで頼みたい』
一行はゴーレムが封印されていた部屋をあとにする。
『ティア。どうぞ』
「ありがとう」
『榊殿、たびたび世話をかける』
登ったときと同様、榊が首を差し出してアタノールを吊るした。相当気が合うようで、ふたりは言葉を交わしながら出ていった。
その後ろを前鬼と後鬼が続く。どう見ても重いゴーレムも、二体の鬼たちからすればたいして苦にならないようだ。
「行くぞ」
「………………」
ティアは最後に紋章が刻まれた扉をもう一度確認した。
ゴーレムに関する文献や資料は、これまで血眼になって調べてきた。
蛇が巻き付いた十字架の彫刻も、錬金術の三原質を用いた扉の解除方法も、すべて調べてきた結果と一致していた。
そして実際に、プラハの伝説であるゴーレムは伝承のとおりに存在していた。
(なのに……この感覚は、いったい……?)
ぼわり、と。
顔の横に熱を感じた。なにを訊ねられたかくらい、もうわかった。
「……ううん、きっと気のせいね。行きましょう」
狐火にやさしく告げて、ティアも屋根裏部屋をあとにした。
●
(……夢?)
湖底からあぶくが湧き上がるように、ティアの意識が浮かびあがった。ついさっきまで紫だった空が深い青へと変わっていた。
時計に目を向ければ一〇時をとうに回っている。いつ自分が眠りに落ちたのかもわからなかった。
『起きたか』
目元を押さえ、起き上がりながら答える。
「えぇ……どれくらい寝てた?」
『六時間ほどだ』
「そんなに……!」
『夜通し検分を進めていたのだ。むしろ足りていないだろう』
「いいえ……平気よ」
ソファから立ち上がり、浴室へ足を向けた。雑に衣服を脱ぎ捨て、熱めのシャワーを浴びる。
頭の中では難しい計算式や法則が渦を巻いていた。同時に、すこし前からあった疑念の芽がすくすくと育っていく。
「………………」
ろくに身体も拭かず、バスタオルを頭から被っただけの状態で工房へ戻った。
『ティアよ』
雪のように白い髪が身体にまとわりつき、きめ細かい肌の上を玉のような水滴が滑り落ちていく。
そんな状態をまるで気にしたふうもなく、水差しから水を飲んだ。そうしてようやく服を着始めた主人に、アタノールが言葉を重ねる。
『難しい顔をしているようだが』
「……そうね」
とはいえ、ゴーレムは太陽の花へいたるために母が残した最後の手がかりだ。
そう簡単に全容が暴けるとも思っていなかった。
「だからこそ、調べる価値があるのよ!」
奮い立たせるように言って、少女はふたたびゴーレムと向き合い始めた。
●
旧新シナゴーグに侵入し、ゴーレムを回収した翌日。
夜の帳が下りたプラハの街で、晴親たちの目の前に数体の土人形が蠢いていた。
「おあげ!」
『はいはい、っと!』
赫い目をした榊が砲弾のように突進する。
一気に土人形たちの身体を突き抜けた榊の口には、呪符が咥えられていた。
「ったく、いい加減しつこいんだっての」
『愚痴りたい気持ちはわかるけど、言っても仕方ないよ』
「わーってるって。それにあの女の助言は役に立ってるしな……癪だけどよ」
『そうだね。ぼくもティアの話はひとまず信じて動くべきだと思うよ』
ふたりの足は新市街へ向けられている。あちらにも教会や修道院が数多くある。
本命は旧市街だが、無視はできなかった。
『ティアたちはうまくいってるといいね』
「………………」
パサージュをくぐり抜け新市街に入った晴親は、するどい視線で周囲を一瞥する。
旧市街に比べれば、ずいぶんと現代的な街並みだ。広い通りにトラムの線路が縦横無尽に走り、カフェや劇場をはじめ、さまざまな店が軒を連ねている。
同時に見えるのは、土人形や水人形といった数多の式神たち。
「まるで百鬼夜行……大盤振る舞いだな」
たいした相手ではないが、こうも数が多いとうっとうしくて仕方がない。
懐に手を入れ、呪符を三枚取り出す。呪文を唱え、現れたのは三体の子鬼。
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
元気よく現れた子鬼たちの頭を順番になでていく。子鬼たちはくすぐったそうにしていたが、晴親の意図を汲むとすぐさま走り出した。
『――――』
式神たちが護法童子に襲いかかる。子鬼たちはときおり攻撃を繰り出しては、注意を自分たちに引きつける。
その様子を視界の端に捉え、夜闇にまぎれて駆け出した。
目的地はとある聖堂。新市街での本命だ。そこへ向かって、石畳の上を滑るように駆ける。
『――――』
子鬼たちが取りこぼした式神の群れが、牙を剥いて迫る。
「おあげ!」
それらを榊がまとめて食い破り、榊の討ち漏らしを晴親が早九字を切って対応する。
みるみる汚泥の山が積み重なり、石畳は水浸しとなる。
そうして阿吽の呼吸で駆け抜けたふたりの前に、厳かな建造物が現れた。
「……ここが、聖チリル……?」
『聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂。ほんっと噛みそうな名前が多いよね』
建物を見上げる。
夜闇の中でも目立つ白い建物。煙突のような尖塔がそびえ立ち、入り口付近は鉄格子で覆われている。
「新市街で一番有名な教会らしいが……」
『とにかく入ってみようよ』
ふたりは鉄格子をよじ登って侵入する。
扉に掛かっていた鍵は、呪力を携えた榊の腕のひと振りであっけなく壊れた。歴史ある建造物をぞんざいに扱うのは気が引けたが、ことがことだ。勘弁してもらおう。
扉をすこしだけ開け、中の様子を窺う。
聖堂内は薄暗くて見通せず、呪力の痕跡も邪気の欠片も感じられない。
それでもふたりは時間をかけて、教会内のいろんなところを回ってみたが、
「シロ……か」
『そうだね』
「ちっ」
荒い足取りで聖堂をあとにする。
(あの女の言ってたことは的外れだってのか……? ……いや、考えろ……)
懐から道継の呪符を取り出す。
込められた術式は蘆屋家独自のもので、どういったものなのかまだわかっていない。
とはいえ、並大抵の術式ではないことくらいは察せるが――
(並大抵の術式ではない……?)
呪力が皆無なこのプラハの地で、並大抵ではない術式を行う。
果たして、そんなことが可能なのか?
蘆屋道継は優れた陰陽師だが、安倍晴明のように人間離れした――神の領域に片足を突っ込んだ陰陽師ではない。
(野郎が大規模な術式を行うつもりなら……それ相応の呪力を集めなきゃならねぇが)
一番手っ取り早く莫大な呪力を確保するなら龍脈だが、プラハの地には走っていない。
それならたとえば、ヴルタヴァ川を龍の背骨に見立てて擬似的な――
(ないな。まどろっこしすぎる)
そういえばプラハは錬金術の聖地だが、同時に占星術にも秀でた一面があると聞いたことがあった。
陰陽道にも、そういった――
(いや、これも違う。貼られた呪符の配置に星詠みとの関係性は見られなかった)
『キュ!』
と、
思考に没頭する晴親の前に、子鬼たちが帰ってきた。
『おかえり!』
『キョ!』
『キャ!』
三体の子鬼と榊がじゃれ合うようにして、追いかけっこをはじめる。
「………………!」
その光景を晴親は黙って見ていた。
目は見開かれ、こめかみを汗が伝い、口元がわずかに震えていた。
晴親の視線は護法童子の一体――青鬼の持っているものに向けられていた。
ぶおおぉぉおおぉぉん。
青鬼がふざけて、それを吹いた。その様子に他の子鬼たちがキャッキャと笑い、
晴親の中で散り散りになっていた点と点を、ひとつの術式へと繋ぎ合わせた。
「おまえら!」
血相を変え、足早に青鬼のもとへ向かう。
『キュ……』
怒られると思ったのだろう。護法童子たちは、たちまち怯えた表情を浮かべたが、
「でかした!」
次の瞬間、晴親は破顔して青鬼を抱え上げた。
青鬼の手には槌の他にもうひとつ、ここに来るまでにどこかで拾ってきたのだろう。
ロシュ・ハシャナを象徴する角笛がにぎられていた。
●
『プラハに集まった人間の生命力を利用した大規模な術式……なるほどね』
「あぁ。野郎の狙いはまだわからねぇが、呪力の出どころはそれしかねぇ」
呪力に乏しいプラハの地で大規模な術式を行使するのだ。呪力の確保は簡単でない。
「地元の人間だけじゃ足りねぇ。野郎はロシュ・ハシャナとやらで集まった観光客も利用するつもりだ」
『急ごう、晴親』
榊が駆け出し、晴親があとに続く。その背を子鬼たちが慌てて追いかけた。
『――――』
旧市街に向かう一行の前に、土人形の群れが立ち塞がる。
「邪魔だぁ!」
晴親が怒声とともに早九字を切ると、土人形たちは汚泥へ還り、
『急いでるんだってば!』
榊が突っ込み、泥の中の呪符を食い破って、
『キャ!』
『キュ!』
『キョ!』
護法童子たちが、それぞれ持っている武器を振り回してなぎ倒す。
『呪符に刻まれた術式は、人間から呪力を吸い上げる術とそれを必要とする本命の術、ってことだね』
「的外れじゃねぇだろ!」
いったんそう決めて行動する。
(どっちを防いでも、野郎の目的は阻止できるが……)
呪力を吸い上げる術式はすでに発動している。
解除は難しくない。呪符をすべて回収すればいいだけだ。
ただし広いプラハの街を回り、呪符を回収し尽くす必要がある。
人手があれば、それも不可能ではないが――
ふと晴親の脳裏に、ティアたちの顔が思い浮かんだ。
(……いや、あいつらは無関係だ)
彼女の知見は自分にはないものだ。素直に認めるのは癪だが、じっさい助けになっている。
だが、いま必要としているのはプラハを駆け、呪符を回収し続ける無尽蔵の体力だ。
そっちの面で、彼女たちはあまりにも頼りなかった。
(……それに、あいつらにはあいつらの目的がある)
いまも必死にゴーレムの検分を進めているだろう。
土御門家と蘆屋家の因縁に巻き込むのは気が引けた。
『現実的なのは、本命の術を止めることだね』
「まだ猶予があるからな」
術とは零か百だ。発動しなければ、どれだけ極悪な術であっても無意味に終わる。
止める方法は呪符を回収し尽くす、もしくは――
「結局やることは変わらねぇな!」
蘆屋道継に止めさせる。
晴親たちは、その日も明け方までプラハの街を駆け回り続けた。
●
青から橙に変わっていく空が、ガラス工房を明るく照らし始める。
「もう朝……」
外から聞こえてくる喧騒は、日に日に大きくなっている。ロシュ・ハシャナまで残り数日といったところだろう。
ゴーレムを運び入れた日から、ティアはほとんど不眠不休で作業を進めてきた。
その甲斐もあって検分はほとんど終わった。
にもかかわらず、
『浮かない顔だな』
ゴーレムへの理解が進むにつれて、ティアの表情は険しくなっていく一方だった。
(わたしの予想とも伝承や書物の記述とも一致している。なにもかもがそのとおりなのは、それだけ正確に後世に伝わっていたということ……? けど、それにしたって……)
脳裏にちらつく、とある可能性。
そんな馬鹿な、と切り捨てることは、もうできなかった。
テーブルに置かれていた母親の手帳に手を伸ばす。
やさしい指使いでページをめくっていく。書かれている内容とティアの検分の結果は、おおむね一致している。
(おおむね……)
誤差と呼べる範囲のそれだ。まったく同じ条件、環境で実験をしても結果に多少の誤差はつきものだ。それくらいわかっている。
それでも母の記述と目の前の結果との違いが、どうしても受け入れられない。
(お母さんは……いったい、どこまで……)
ぱたん、と手帳を閉じる。
「すこし煮詰まっちゃった。シャワーを浴びたら図書館にでも行ってみましょう」
『ふむ。息抜きも重要だな』
瓶の中のアタノールは、浴室へ向かうティアの背をやさしく見守っていた。
●
「なんだか濃くなってない……?」
『ふむ。ティアにもそう見えているということは、我の気のせいではないな』
プラハに着いた当初は、ヴルタヴァ川を挟んだ向こう岸にマラー・ストラナ地区がはっきりと見えていた。
それがいまは濃い霧に覆われて視界に映らなかった。
これもきっと蘆屋道継とやらの企みのせいなのだろう。
「あいつ……」
――大丈夫かしら?
『どうした?』
「……なんでもないわ。わたしたちにできることは、きっとなにもないんだし」
『そうだな』
「行きましょう。きょうはたくさん読まなくちゃ!」
あえて明るく言って、少女たちは霧の立ち込める旧市街へと歩いていった。
「うわぁ……! ここがクレメンティヌム……!」
しばらく歩いて図書館に着いたティアの目は、キラキラと輝く星のようだった。
正面に見える大きな門。
黄土色の壁に赤い屋根。
霧に覆われているからこそ、クレメンティヌムはいっそう幻想的な雰囲気に包まれていた。
『ふむ。蔵書数は三百万冊を超えるというのだから驚きだな』
「うふふ……わたし、一度本の海に溺れてみたかったのよね……!」
ときおり漏れる奇妙な声に、周囲の人々が奇異な視線を向けていた。
とろけそうな顔をしている主人を、アタノールがたしなめる。
『ティアよ』
「え? ……え、えぇ……そうね」
ようやく表情を引き締め、石畳の上を歩き出した。
大きな門をくぐる。短い石造りの通路を数歩進んだ先で、視界がぱっと開けた。
「きれい……」
ふたりを出迎えたのは緑豊かな蔦が生え、中央にちいさな噴水の置かれた中庭。
そこに異物がまぎれ込んでいた。
「あれって……?」
『ふむ』
噴水には、黒い和紙に血のような墨で書かれた不気味な呪符が貼られていた。
「……こんなところにもあるのね……」
『ふむ、ここは歴史ある図書館だ。貼ってあってもおかしくはないのだろうが』
「そうね」
ふたりは噴水に近づき、ためつすがめつ呪符を観察してみた。
呪力に疎い自分たちにはたいしたことはわからないが、この呪符から霧が発生しているわけではなさそうだった。
「どういうことなのかしら……?」
『ふむ』
と、
規則正しい音が響いた。
すっかり耳に馴染んだ音――草履が石畳を擦る音だ。
「――あなたは」
振り返ったティアの視線の先にいたのは晴親ではなかった。
「おや? これはティア様、またお会いできましたね。なにか調べ物ですか?」
「えぇ」
「そうですか! さすがは勤勉な錬金術師様ですね!」
道摩法師はあいかわらず大仰な所作で礼をした。
はじめて会ったときは胡散臭くも丁寧な対応に、どちらかと言えば好感を持っていた。
そのはずなのに、なぜかきょうはそう感じなかった。
「――あぁ、もちろん私もですよ! 噂に違わずクレメンティヌムは素晴らしいですね!」
「そうね」
「実は私、最近は錬金術にも興味をもっておりまして! こうして聖地で学べるとあって――」
「そうなの」
おまけに聞いてもいないのに、自分のことをつらつらと語り出した。
昂ぶっていた気持ちが萎えていくのを感じる。
「ところで、ティア様はプラハのゴーレム伝説はご存じですか?」
「もちろんよ」
「愚問でしたね! プラハを訪れる錬金術師様でゴーレムに興味を抱かないものなどいるはずも――」
『ティアよ、そろそろ』
いい加減うんざりしてきたタイミングで、アタノールが声をかけた。
「そうね。それでは道摩法師様、わたしたちはこれで」
「おぉ! またしても美しい淑女の時間を独り占めしてしまっていましたか! これは失礼!」
ティアが靴音を荒く鳴らしながら、道摩法師の脇を横切ろうとし――
「太陽の花」
「っ!」
思わず立ち止まってしまった。
「どうしてあなたが――」
「どうして? 錬金術を学ぶ者で太陽の花を知らない者などいないのでは?」
これまでと打って変わって、人を小馬鹿にしたような言い草だった。
「……そうね、そのとおりだわ」
「おぉ! お気を悪くされたのなら申し訳ありません! 私、昔からどうにも鈍感で……空気が読めないと言われることも多く――」
また長々と話が続きそうになった。
そういうところよ、とは口に出さずティアは背を向ける。
「そういえばゴーレムですが、何者かに屋根裏部屋から運び出されてしまったらしいですよ。物騒な世の中です……ティア様方もお気をつけて」
「忠告だけ受け取っておくわ」
今度は足を止めずに、ティアたちはクレメンティヌムへと入っていった。
それから日が暮れるまで読書に明け暮れた。
ほんのすこしだけ、クレメンティヌムでも道摩法師に付きまとわれるのでは、という懸念を抱いたが杞憂に終わった。
いま、ティアが読んでいるのは絵本だ。
ぬいぐるみのようにかわいく描かれたゴーレムが、プラハをおそう悪ものをやっつける、という子ども向けの一冊。
悪ものを見事に退治し、プラハを守ったゴーレムだが、最終的にはその圧倒的な力を恐れた民たちの手によって、旧新シナゴーグに封印されてしまう。
ティアの目は、ゴーレム封印の描写に釘付けだった。
(shemの護符……)
絵本の中のゴーレムの動力はshem――【神の名】を書かれた護符だった。
それを口に含ませることで、人形に命を宿す。
プラハの民はその護符を抜き取り、屋根裏部屋に封印したのだという。
(有名なおとぎ噺のひとつ。どこにでも似たようなお話は転がってる。だけど――)
母の手帳に記されている数式や記号。
さまざまな実験結果の数値。
ティアが目の前のゴーレムを検分した結果。
なにより、
(お母さんの手帳に書かれているゴーレムの起動方法も――)
絵本を棚に戻し、広い図書館を移動する。
今度は辞書のように分厚い本を手に取った。有名なゴーレムの伝記だ。
(emeth……)
何冊ものゴーレム関連の文献を漁ってみたが、shemの護符が出てきたのは絵本だけだった。
子ども向けの絵本だから、わかりやすく改変したのだろうか。
(ううん。言葉を力に変える点ではどちらも変わらない)
護符という、絵になりやすいものを選んだのだろうか。
(小説ならともかく、絵本なんだからそこは考慮しなくても)
それ以外にも気になる点はたくさんあった。
(伝承のとおりとはいえ、あんな素直に置いてるなんて……てっきり次のヒントか、地下都市の見取り図でもあるのかと思ってたのに……)
そうしてしばらくの時間、ティアは思考に没頭した。
手元のアタノールはなにも言わない。彼は保護者のように振る舞うが、ティアが思考しているときは黙っていることが多い。
『ティアよ、そろそろ時間だ』
その彼の声で、ティアは思考を切り上げた。
見回せば、それなりに賑わっていた図書館には自分たちしか残っていなかった。
「帰りましょう」
『そうだな』
例の絵本と伝記、それから錬金術関連の本を数冊借りて帰路についた。
赤から紫に変わりつつある空。
白い壁と赤い屋根。
突き抜けるような尖塔に、ヴルタヴァ川のにおい。
それらを覆う霧のような呪力は、朝よりも濃くなっているような気がした。
●
『――親。ねぇ、――。晴親ってば!』
「……んぁ?」
頬に当たるふわふわとした感覚で、晴親は目を覚ました。
机に突っ伏して眠っていたらしい。机の上には榊がいて、尻尾で晴親を叩き起こしたようだ。
『大丈夫? 土気色の顔してるよ』
「誰の顔がゴーレムだよ」
冗談で返したものの、顔色は優れていなかった。
『……晴親』
普段から明るく、晴親の保護者のように振る舞う榊の浮かない表情。
ちいさな子狐がなにを考えているのか、晴親は理解していた。
「なんて顔してやがる」
榊の頭をなでる。手つきは荒々しいが、やさしさに溢れていた。
「オレはオレがしたいようにやってる。おあげが気にすることなんざ、なんもねぇだろ」
『そうかもしれないけど……』
「いいんだよ。どのみち家の因縁ってのに変わりはねぇんだ」
子狐を抱え上げる。ちいさな身体は胸元にすっぽりと収まった。もふもふの毛がくすぐったい。
「行くか」
『そうだね』
●
ふたりは部屋から出て、受付までやってきた。
受付にはダイダラ女将がいた。
「おはようございます。いい朝ですね」
「あぁ……そうだな」
「お出かけですか? 気をつけて行ってらっしゃい」
「あぁ」
ぶっきらぼうに言って、宿舎から出る。
部屋ではゆるんでいた晴親の口元が、いまは引き結ばれていた。
「そうじゃねぇだろ……!」
プラハの街はすこしずつおかしくなっていた。
ダイダラ女将がいい例だ。
ほんの数日前までは晴親をにらみつけ、罵声を浴びせてきた。そんな彼女が、いまでは毎朝にこやかに挨拶をしてくる。
こんなに不気味なことはなかった。
(それもこれも……!)
石畳の上を歩いていた晴親の視線が、旧市街へ向けられる。
そこには膨大な呪力に手繰り寄せられた妖や物の怪といった人外が、昼間から堂々と跋扈していた。
街の人間たちは、異変には気づいていない。
妖たちが人間を襲うことはない。プラハの地にいる人間すべてが呪力の源泉だ。減らす道理はなかった。
『霧も一段と濃くなってきてるね』
榊が晴親の胸元から飛び降りた。小豆のような鼻先をすんすん鳴らして首を振る。
『どこからも濃い呪力のにおいが溢れ出てて、鼻が曲がっちゃうよ』
「そうだな」
ふたりがティーン教会に差しかかったあたりで、晴親が口を開いた。
「これだけ濃い呪力を蔓延させてやがるのに野郎の狙いがさっぱり読めねぇ」
『そうだね。人間から吸い上げた呪力まで使ってなにがしたいんだろ』
「さぁな……だが」
これまでプラハの捜索後、宿に戻っては呪符の解析を何度も試してきた。
蘆屋家独自の術式とはいえ、根本は同じ陰陽道だ。できることとできないことくらいはわかってきた。
「野郎の術式はえらく強力だ。爆弾にたとえるなら、爆発すれば街ひとつ吹っ飛ばせるくらいにはな」
『そんなことする意味あるのかな。平安の世でもあるまいし』
真顔で冗談を言った榊に、晴親はかぶりを振って答える。
「道継は合理的だ。必要ならなに食わぬ顔で街のひとつやふたつ吹っ飛ばすだろうが、不要なら虫の一匹も殺さねぇ。オレが言いたいのはそういうことじゃねぇ」
晴親の視線がいっそうするどくなる。
「火――要するに起動するための術式が見当たらねぇことだ」
『なるほどね……その手立てが別にあるんだ』
「プラハ(爆弾)に、呪力(火薬)は詰められてる。あとは火だけだ」
『その火を見つければいいし、見つからなくても消せばいいってことだね』
「あぁ、最初に比べればわかってきたことは多いが」
逆に言えば、舞台は整いつつある、ということだ。
『それなら手分けして探そう。そのほうが――』
「ダメだ!」
すこし前なら誰もが振り向くような怒声をあげても、通行人は誰も気にしなかった。
「もし……楔が抜けたら、どうすんだよ」
『そんなこと言ってる場合じゃないよ』
「そうかもしれねぇけど……!」
晴親が葛藤する理由を榊は理解している。だから、努めてやさしく言う。
『それならあの子たちも連れて行かせて。それなら問題ないでしょ』
「だが――」
『大丈夫だよ。別に道継とやり合うってわけじゃないんだから。それにもし妖や式神とそんなことになったとしても、あの子たちなら負けないしね』
「……わーったよ」
しぶしぶ懐から呪符を取り出し、護法童子を召喚する。
「おまえら、おあげのこと頼んだぞ」
意を汲んだのだろう。いつも笑顔で騒がしい子鬼たちが、それぞれ真剣な表情でうなずいた。
「なにかあったらすぐに知らせてくれ」
『晴親もね』
言ってふたりは別れた。
榊のあとを追い、人々の間をすり抜けるように子鬼たちも駆けていく。
その様子を見ても、誰も騒ぎはしなかった。
●
怪異の入り混じる人混みをかき分け、濃い霧に覆われた街並みを進む。
晴親の目の前に妖――河童に似たなにかが現れた。
「西洋の妖は奇抜だな」
敵意もない妖を無闇に祓ったりはしない。河童の横を静かに通り過ぎる。
(おあげたちは大丈夫か……?)
中には人間にちょっかいをかけたり、店でいたずらをしているやつもいるようだが、構っている余裕はない。
(……もしおあげたちの前に現れたのが、好戦的なやつだったら)
ふたりはプラハに来るまでの道中、それなりに荒事を経験してきた。どれも危なげなくすませたが、問題はそこではない。
(いや……童子たちが付いてる。大丈夫なはずだ)
榊たちの心配はしなくていい。なにより、あいつらは揃って逃げ足が速い。
いまはとにかく――
「あら」
『ふむ。奇遇だな』
と、
聞き慣れた声が聞こえた。
「おまえら……どうしてここに……?」
「それはこっちの台詞よ」
ティアがいぶかしげな表情を浮かべ、そのまま正面の建物に目を向けた。
旧新シナゴーグがあった。
どうやら考えごとをしているうちに、こんなとこまで来てしまっていたらしい。
『ふむ。晴親殿はどうしてこちらに?』
「オレは……」
珍しく言い淀む晴親を見て、ティアが首を傾げた。
かと思えば、視線をきょろきょろと動かして、
「ねぇ、おあげちゃんは?」
「……おあげは、別で街を回ってる」
「そうなの……? 珍しいわね」
『ふむ。切羽詰まった状況のようだな』
アタノールの言葉に、ティアも表情を引き締めた。
「例の蘆屋道継って男は、まだ見つからないのね」
「! こっ、の!」
(こっちの気も知らねぇで……!)
「わたしたちも手伝うわ」
「……あぁ?」
耳を疑った。
頭に上った血が、スッと引くのを感じる。
「……いったいどういう風の吹き回しだ……? おまえら、ゴーレムは――」
「そのことで、あなたにも話しておきたいことがあるの」
ティアの碧眼が晴親を正面から捉える。
「あのね、あのゴーレムは――」
そのとき、晴親の目が見開かれた。
ティアの肩。そこに木の葉や苔に覆われた妖精のようにも、精霊のようにも見えるなにかが腰かけていた。
本人がそれに気づいた様子はない。
『晴親殿、どうした?』
ティアの肩に乗っているのと同じなにかが、物珍しそうに瓶をゆらしていた。
アタノールは風でゆれていると思っているのか、動じる様子は見られない。
(マジかよ……こいつらまで……)
ふたりは旧市街広場で、晴親や榊の呪力を浴びた。
榊が言うには呪力に対するセンスも良いようで、一般人よりも感覚が鋭敏になっている。
「ちょっと、大丈夫? 顔色悪いわよ」
そのふたりですら、目の前の人外に気がつけないほど異変は進行していた。
(迂闊だった……なまじ、オレやおあげが基準になってたせいで……!)
いまの街にはさまざまな怪異が溢れている。
ふたりがそこを堂々と歩いて来た時点で、気づくべきだった。
(オレが考えているよりも、事態はずっと深刻だってのか……!)
悠長に話している時間はなかった。
「おまえら! もうあの工房から出んな!」
「は? ちょっと、どういう――」
「いいから言うことを聞いとけ!」
「な――っ!」
ティアが反論しようとしたところで、ふたりに背を向けて走り出した。
●
「なんなのよ、あいつ」
憤慨したティアのブーツが、石畳をおもいきり踏みつけた。
『ティアよ』
「わかってる」
いまのやり取りは、これまでとはまるで違っていた。
晴親にティアを馬鹿にする意図はなかった。榊と別行動を取っていることからも、相当に事態が切迫しているのだろう。
「だからって、あんな怒鳴り方しなくてもいいのに……それにわたしも手伝うって」
『それだけ余裕がないのだろう。呪力とやらがわからん我々では手伝えることも限られているしな』
「……そうね」
あたりを見回した。
うっすらと霧がかっている街は汚泥に塗れ、そこら中が水浸しになっている。
日に日に霧が濃くなっている気はするし、たしかに平時と変わらないとは言えないだろうが、ただそれだけだった。
(そんなに大変な事態なのかしら……?)
晴親は荒っぽいが、無意味に怒鳴ったりはしない。その程度は理解したつもりだ。
その彼が、人目もはばからず声を荒げたのだ。
納得はできないが理解はできた。
「考えても仕方がないわね」
切り替えて、あらためて旧新シナゴーグに目を向けた。
欧州でもっとも歴史のある礼拝所。
西洋でも有名なゴーレム伝承の地。
途中で切られた足掛け金具と屋根裏部屋。
錬金術師でないと開けない仕掛けの扉。
(なにもかもが伝承のとおり――だけど)
ティアは答えを出していた。
「おぉ! これはティア様! ご機嫌麗しゅう!」
旧新シナゴーグからの帰り道、そんな声をかけられた。
(こんなに人で溢れているのに……尾行でもされてるのかしら……?)
「おや、どうされたのですか? そんなに顔をしかめられてはせっかくの綺麗なお顔が台無しですよ」
「急いでるの」
足早に通り過ぎようとする。
「そうですか。一刻もはやくゴーレムの検分を進めたい、ということでしょうか」
足を止めざるを得なかった。
「なんのことかしら」
「あぁ、いえいえ。とぼけなくともかまいません。咎める気はありませんので」
道摩法師の線のように細い目が開かれる。
晴親と同じ黒い瞳だった。晴親の瞳を夜にたとえるなら、道摩法師のそれは闇のように濁っていたが。
「先日もお話したように私は西洋の学問に興味があります。その中でも、プラハのゴーレム伝説にはとくに惹かれるものがありまして……ティア様が盗んでいなければ、私が自分で盗んでいたくらいなのですよ」
「盗むだなんて」
「えぇえぇ、わかりますよ。ですが、ティア様の言い分が世間で認められますか?」
「それは……」
「ゴーレムなんて物を持ち出したとなれば、ただでは済みませんよ。……場所も場所ですしね」
そんなことは百も承知のことだった。
それでも、どうしてもゴーレムを調べなければならなかった。
太陽の花を望みながらも、手が届かなかった母の無念を晴らすため。
そして、なにより――
「そんな顔をしないでください。まるで私が虐めたみたいではありませんか」
「……目的はなに?」
精一杯、気丈に振る舞った。
道摩法師はにやりと口元を歪めて、
「私にもゴーレムを見せていただけませんか? ティア様が検分した結果も含めて。要は独り占めするな、ということですよ」
くつくつと道摩法師が嗤う。
「……わかったわ」
『ティアよ』
「大丈夫」
「話がはやくて助かります! それでは参りましょうか!」
案の定、いっさい迷うことなく道摩法師はガラス工房までたどり着いた。
「ほう……これが……」
道摩法師は中に入るやいなや、目の色を変えてゴーレムに歩み寄った。
「ふむふむ。石と泥に……この紋章はなにを意味しているのでしょうか……いったいどんな原理で……」
手つきは素人丸出しだった。危なっかしく、しかも雑。そもそも手袋も着けず、素手でベタベタと触れる始末。
西洋の学問に興味が、などと話していたが、とてもそうは見えなかった。
「ふむ。ティア様の検分の結果は?」
「まだまとめてないわ」
うそではない。検分にかかりきりで、まとめる時間がなかった。
もっとも、目の前の男には一節も見せたくなかったが。
「なるほど」
道摩法師はとくに機嫌を損ねる様子もなかった。
ソファに腰を下ろして、自宅でくつろぐように足を組んだ。
「ティア様はゴーレムをどのように解釈されていますか?」
「岩と泥で創られた人形に命を宿したもの」
少なくとも、目の前のゴーレムは。
「……それが、ティア様の解釈ですか……」
道摩法師はため息をついたかと思えば、
「……錬金術師様はなにもわかっていませんね……ゴーレムとはそのような単なる人形とはまるで違うというのに」
「へぇ。それなら、あなたはどう解釈しているのかしら?」
「ヒトを超えし存在」
ぞくり、と。
ティアの背筋に怖気が走った。
「ゴーレムの本質は、その核にあります」
勢いよくソファから立ち上がった道摩法師は両手を広げ、天を仰ぎ見ながら言う。
「無機物の人形に命を吹き込む! そこにヒトを超えるための力が秘められているのですよ!」
純粋無垢な瞳が、ティアを捉える。
うすうす察していたことだが、いま確信した。
目の前の男は狂っている。
「まどろっこしいことは抜きにしましょう。ゴーレムの核をいただけませんか?」
「そんな話をした覚えはないのだけど」
「本物を目の前にし、気が変わりました。あなたが必要なのはゴーレムを構成する情報でしょう? 核は私に譲っていただけませんか?」
道摩法師のまとう空気が重くなった。
有無を言わせぬ迫力は、執着というよりも粘着的に見えた。
だからこそ、ひどく愚かだ。
(あぁ……よかった)
自分のまぬけさ、そして道摩法師の節穴っぷりに心から安堵した。
晴親には迷惑をかけたと思うが、これは思わぬ僥倖、というところだろうか。
「さぁ、ティア様。核を取り出して――」
「そんなもの、あるわけないでしょ」
自信満々に言い放つ。
不敵な笑みを浮かべ、正面からにらみ返す。
道摩法師の眉が、ぴくりと動いた。
「そのゴーレムは贋物なんだから」
●
「邪魔だ!」
通行人を乱暴にかき分ける。すでに大半が呪力に侵され、晴親の乱暴な態度に疑問を抱く者のほうが少なかった。
『晴親!』
と、
曲がり角から榊、その後ろから護法童子たちも現れた。
「おあげ! なんともねぇか!」
駆け寄り、まずは榊を気遣う。
『大丈夫だって。心配しすぎだよ』
「ならいい……おまえらもよくやってくれたな」
子鬼たちは街に溢れる呪力のせいか、普段よりも元気に見えた。
「首尾はどうだった?」
『よくないね。いまさら呪符を数枚回収したところで、焼け石に水だよ』
「くそっ! だからって、このまま放置するわけには――」
『落ち着きなよ』
「これが落ち着いてられるか!?」
晴親の怒声に護法童子たちが揃って震えた。
一方、榊は晴親のらしくない態度を不審に思った。
『なにをそんなに焦ってるの? たしかに無視できない状況だけど、きょうあしたでどうにかなる話じゃないことぐらいわかってるでしょ?』
これだけ巨大な術式となれば、発動するにも時間がかかる。
それも、いまはまだ呪力を貯めている段階だ。もし道継が術式の発動をロシュ・ハシャナ当日に合わせているとすれば、まだ数日の猶予はあるはずだ。
「んなこと言われなくたって――」
『じゃあ、なに? ……もしかして、ぼくたちがいない間になにかあったの?』
「っ」
晴親の脳裏に、さきほどのふたりの様子が浮かんだ。
いずれふたりも、そこらを歩いている通行人と同じように――
『とにかく宿に戻って、最初から考え直してみようよ』
「そんなことしてる時間は――」
『じゃあまた闇雲に走り回って探す? これだけの時間をかけても、手がかりは得られなかったんだよ?』
ぐうの音も出ないほどの正論だった。
「わーったよ!」
肩をいからせ、通行人に八つ当たりをしながら晴親はようやく歩き出した。
そのあとを榊が追った。普段は横を歩く子狐が、背を見守るように歩いたのは何年ぶりだろうか。
ただそれだけなのに、ひどく落ち着かなかった。
●
『ティアよ。それは真か?』
「えぇ」
「……どういう意味でしょう? 私をあざむくにしても、いささか軽く聞こえますが」
道摩法師はいつもの調子で問いかけてくるが、普段とは違い焦りがにじみ出ている。いい気味だ。
「そのままの意味よ。そのゴーレムは贋物」
叩きつけるように言葉を連ねていく。
「たしかにそれは凄いものだわ。……だけどこの程度のものが、西洋に広く伝わる伝説のはずがない」
「………………」
「最初からずっとおかしかったのよ。ゴーレムを封印していた扉は錬金術師なら開けるのも難しくなかった」
「そんなことで?」
「それに――」
懐から母の手帳を取り出し、見せつけるように掲げる。
「お母さんの手帳の記録や反応と噛み合わない……! わたしには、それだけで十分なの」
「……母君の手記が間違っている可能性は――」
「ありえないわ。そこを疑ったら、わたしはここまでたどり着けていないもの」
『……ということは、伝承は――』
「都合のいい贋物をきちんと置いておくことで、うその伝承を本物らしく見せる……うまい手ね。なにもなかったら、みんな血眼になって探し出すでしょ」
道摩法師の糸のように細い目は見開かれ、口は呆けたように開いたままだった。
「……では、本物のゴーレムはどこに……?」
「どうしてあなたに教えなきゃいけないの? そもそもゴーレム自体、誰かが作ったおとぎ噺の可能性だって――」
「そんなはずがないでしょう!」
カッと目を見開き、ティアに詰め寄った。
「ぐ――っ!」
『ティア!』
両手でティアの首をつかみ、宙吊りにする。細腕から想像もできない腕力だった。
「ここまで準備を進めてきたのですよ! あとはゴーレムだけなんです! ようやく……ようやく悲願に手が届くと思ったら、肝心のゴーレムが贋物だというのですか!? 冗談もほどほどにしてもらえませんか!?」
「こっ――の!」
口から涎が垂れ、視界が明滅する。それでもティアは腕に爪を立て、身体を蹴りつけて必死にもがいた。
だが、どれだけ抵抗しても道摩法師が手をゆるめる気配は微塵もない。
『道摩法師! ティアから手を離せ!』
道摩法師の視線が、ティアからアタノールへ移った。
「そういえば、ティア様は太陽の花を追っているのでしたね」
「がっ……! っ、ふぅ……! ふぅ……!」
突然、道摩法師が手を離した。
床に倒れたティアの身体は小刻みに震えていた。その感情を認めたくなくて、気丈に目の前の男をにらみ上げた。
「そんなに怯えた顔をしないでください。まるで私が乱暴したみたいではありませんか」
『ティアよ、無事か』
道摩法師は、ティアの視線に合わせるようにかがみ込んで言った。
「ティア様、私と取引をしませんか?」




