第三章 屋根裏の守護者
「なるほどね。あなたたちが悩むのも無理ないわ」
『ふむ。陰陽道――ひいては呪術については我らも見識が浅い。だが、たしかにこのプラハの地にはそれに関連付けられそうな施設が星の数ほどもある』
宿舎を出た四人は通りを歩き、旧市街広場へと足を踏み入れていた。
観光客も地元の人間の姿もなく、野犬の一匹さえも見当たらない。
「それにしても……不気味ね」
『ふむ。これが晴親殿たちの見ている景色か』
呪力に対する知覚がほんのすこしだけ芽生えたふたりには、いまのプラハの街は薄い霧がかかったように見えていた。
(昼間はまるで感じ取れなかったのに……夜になるとこうもはっきりと見えるのね)
アタノールは目をこすり、ティアは手で霧を払うような仕草をしてしまう。
そんなふたりの様子を見て、榊が嬉しそうに話す。
『ふたりとも才能あるね! 普通なら一回や二回呪力を浴びたって、そこまではっきり見えないはずだよ』
「馬鹿、おあげ。誰と誰の呪力を浴びたと思ってんだよ」
『それもそうだね』
榊がペロッと舌を出した。
「あなたたちの目には、いまのプラハはどう映っているの?」
「濃霧だな。霧の都ロンドンといい勝負だ」
あれは人災で、と言いたくなったが、この呪力による霧も蘆屋道継が引き起こした人災のようなものだ。
なんとも的を射た比喩にティアの頬がゆるむ。
「気を引き締めとけよ。きのうの土人形や水人形は間違いなく道継の仕業だ。おまえらが狙われたのか、たまたま襲われたのかはわからねぇが」
晴親が引き締まった表情で言った。
普段の応酬で忘れそうになるが、彼は一流の陰陽師らしい。口や態度はともかく、広場の一件を見るかぎりその実力は本物だ。
その彼が警戒しろ、と言うのだ。素人の自分たちは最大限に警戒すべきだろう。
「えぇ」
「………………」
「なに?」
「いや……」
晴親の視線がゆれる。
『ティアが素直に従ったから、晴親はどうすればいいかわからなくなっちゃったんだよ』
「おあげ!」
『はいはい』
子狐がのらりくらりとかわす。晴親は舌打ちをしつつ、
「ったく……それにしても道継の野郎……いったい、どこでなにを企んでやがんだ」
誤魔化すように漏らしたひと言で、ティアは彼の相談を思い出した。
「その道継って人の目的はわからないのよね」
「あぁ。だが、例の呪符を考えれば起点を伴う大掛かりな陣を敷いているはずだ」
『そこに道継がいることはわかるんだけど、問題の起点がどこなのかまるで見当がつかないんだ』
「プラハに呪力が満ちていることを考えれば、起点となるのは呪術的にもなんらかの意味がある場所のはずなんだがな」
『そんな場所が山ほどあるプラハだから、しらみ潰しに探すしか方法がないんだよ』
なるほど。彼らの言いたいことは理解できた。
「逆に考えてみたらどうかしら」
「あぁ?」
『どういうこと?』
「まったく関係ないと思われるような場所を候補から外していくの。要は消去法よ」
ティアは指折り数えだす。
「陰陽道や呪術的なことはわからないけど、たとえば火薬塔や地下都市なんかは候補から外してもいいと思うの。どう考えたってそういったものとは無縁だもの」
『ふむ』
「逆に聖ミクラーシュ教会やティーン教会は本命ね。シナゴーグはすべて疑うべきかも……それに旧市庁舎は無関係に思えるけど、天文時計があるから頭の片隅には置いといていいかもしれない。他には――」
『なるほどね』
それらしい施設を選別していく。榊やアタノールはティアの言葉に耳を傾け、自身の意見を述べる。
議論を重ねる三人の足は、揃ってパジーシュスカー通りへ向いていた。
(……なるほどな)
なまじ晴親は呪力を見る力が常人離れしている。榊は晴親以上に鋭敏で、呪力のにおいを嗅ぎ分けられる。
それが災いして広大なプラハという地を前に、とかく濃いほう、におうほうへと探しがちだった。
結果として、ティアの考察を聞いたいまなら的外れだと思える場所――蝋人形館やマリオネット博物館も当たっていた。
(これも策略のひとつなんだろうな)
まんまと道継に乗せられたことは業腹だが、はやい段階でそれに気づけた。
(口うるさいとばかり思ってたが……)
論理的な思考と呪力に疎いがゆえの発想。
そして、少ない情報から筋道立てて説明する地頭の良さ。
(さすが錬金術師……か)
とはいえ、
「どうしたの? そんな怖い顔して」
「こいつを認めるのはな……」
「どういう意味よ!」
また騒がしくなり始めたふたりを無視し、人ならざるものたちは議論を重ねていた。
●
そうこうしているうちに、四人は旧新シナゴーグまでやってきた。
道中何体かの土人形と遭遇したが、晴親が早九字を切っただけであっさり汚泥に還った。
「で、あそこを登るのか」
晴親の視線の先には、ギザギザ屋根の付け根にあるちいさな扉があった。
『ふむ』
「じゃ、そこらで梯子のひとつやふたつ見繕って――」
「必要ないわ」
そう言ってティアが懐から取り出したのは、
「……なぁ、その試験管……見覚えがあるんだが……」
ただし、昼間見たものとは液体の色が違う。鈍色の液体がティアの歩みに合わせてゆれる。そのたびに試験管の中で、なぜか硬質な音が鳴っていた。
「錬金術には十二の門がある」
ティアの足が扉の真下で止まった。蓋を外し、液体を石畳に垂らす。
すると、
『うわー! なにこれ!?』
石畳からまるで植物のようにねじれた石が生えた。
「これは第十一の門、増殖を象徴する鉱化薬よ」
石は蔦のように伸び、頭上高くにある足掛け金具へ絡みつくと成長を止めた。
「便利なもんだな」
噂や文献で見聞きした程度だったが、錬金術がこれほどのものだったとは。
「このくらいのことは、ちゃんと学べば誰だってできるわよ」
『ふむ。これは錬金術の過程を象徴しているにすぎぬ。実際の十二の門は、そう簡単に潜れるものではない』
アタノールの声が妙に重く響いた。
「……それじゃ登るわよ」
ティアの声にもいつもの覇気がない。覚悟を秘めた声のように聞こえた。
まるで痛みを振り切るように石の窪みや出っ張りに足をかけながら、石の蔦をゆっくり登っていく。
「きゃっ!」
次の一歩で手元が滑って、ティアが石畳に尻もちをついた。幸い、まだ二、三歩登っただけだったのでたいした高さではなかった。
「ったく、大丈夫かよ」
「だい、じょうぶ……」
『ティアよ。我を持ったままでは登りにくかろう』
ティアはアタノールの入った密封瓶を提げている。片手が塞がるのも当然で、手元が滑ったのも瓶を持つほうの手だった。
「平気よ」
『だが』
『ティア。ぼくの首にかけなよ』
「で、でも」
「おあげがいい、って言ってんだからそれでいいだろ」
『ふむ。榊殿、手間をかけることになるが』
『お安い御用だよ』
ティアの手元から奪うように、紐を首に通した。
『思ったとおり、ちょうど良い長さだね! 首にも食い込まないし!』
ティアに見せつけるように首を振る。ゆれる瓶の中でアタノールが『さ、榊殿!』と、らしくもなく慌てた声をあげていた。
「ぼさっとすんな。こうしてる間にもなにが出るかわからねぇんだ」
言って晴親が蔦に向けて歩き始める。
その後ろをアタノールを吊るした榊が追う。
ティアのうつむいた表情は誰も見ていなかった。
●
晴親は、みるみる蔦を登っていった。出っ張りを力強くにぎり、窪みを足の指でつかむように草履で踏みしめている。
『妙に慣れているように見えるが』
榊の首元でアタノールが言った。榊は榊で、四足を器用に使って難なく登っていた。
「ガキのころから木登りは得意だったからな」
『そんなこと言って何回降りられなくなって泣いてたことか』
「余計なこと言うんじゃねぇ!」
そうして、あっという間に足掛け金具をつかみ、ちいさな扉にたどり着いた。
晴親が取っ手に手をかける直前――
「ま、待って!」
「あぁ?」
眼下を見る。ティアはようやく足掛けの金具に手をかけたところだった。
見た目よりずっと登りやすかった石の蔦も、錬金術師の少女にはこたえたらしい。
「オレはゴーレムに興味ねぇんだから、先に入ってもかまわねぇだろ」
「違う、わよ……!」
息を吐きながら、ティアが必死に登ってくる。
「そもそも足場がねぇんだ。登ったやつから入らねぇと後ろがつっかえるだろうが」
「わ、たしが言いたい、のは、そういうこと、じゃなくて……!」
『晴親殿、この扉はゴーレムが封印されている部屋に通じる扉だ。簡単に開くはずがない、とティアは言いたいのだ』
アタノールのガラス玉のような瞳が晴親をきれいに映していた。
「あん? だったらそもそも、オレが先に登ったらダメじゃねぇか……」
そう言って自然と取っ手に手をかけた。単に持ちやすかっただけだが――
「は?」
取っ手はすんなりと下がり、内開きの扉があっさり開いた。
「……開いたぞ」
『なんと……!』
そこでようやくティアが晴親の足元まで追いついた。会話が聞こえていたのか、驚きに目を見張っている。
「開いた……!? そんなはず……!?」
「……とにかく入るぞ」
「あっ! ちょっと!」
ティアの声を無視し、するりと扉をくぐる。ティアも慌ててあとを追った。
窓のひとつもないらしい。月明かりも入らず、中は真っ暗だった。
旧新シナゴーグ内に満ちていた静謐な空気も感じられない。
「暗くてなにも見えないわね……」
「急急如律令。狐火」
晴親が呪符を手に呪文を唱えた。呪符が燃え上がり、わたがしのような火の玉が、ぼわりと宙に浮いた。
「これでいいだろ」
「ありがとう」
狐火を頼りに、ティアは部屋を一瞥する。
外から見えていたよりも、中はずっと狭かった。広くもない部屋がさらに二分されるように区切られていたからだ。息の詰まるような圧迫感を覚える。
と、
『あっちが本命、ってわけだね』
「ったく、焦らせやがって」
晴親たちの視線は、部屋を区切る壁に設置された重厚な扉へ向けられていた。
石畳とも建築用の石材とも違う、つるりとした質感の石でできている。晴親の知っているものでたとえれば、黒曜石や御影石のようだ。
石造りの扉には蛇の巻き付いた十字架が彫られていた。狐火によって明滅する蛇の目は生々しく、いまにも獲物を丸呑みしようとしているようだ。
「………………」
扉を前にティアは固まっていた。正面の紋章を吟味するかのように見つめている。
『ティアよ。どうした?』
「――えっ?」
「なに固まってんだよ。さっさとゴーレムを回収しちまえよ」
三人が扉へ近づいていく。
あらためて部屋を見回してみたが、他にはなにも見当たらない。
「え、えぇ……」
ようやく足を動かして、ティアも扉へ向かった。
「で? 今度のはどう見ても簡単には開きそうにないんだが」
「扉の解除方法はわかってるわ」
そう言って懐から試験管を取り出した。中には銀色の液体が入っている。
『今度のはなに?』
『水銀だ』
おもむろに蓋を外したティアは、水銀を躊躇なく蛇の口にそそぐ。続いて腰に提げているポーチからふたつの革袋を取り出した。
革袋には黄色い粉末と白い粒が入っていた。指でつまみ、蛇の眼窩にそれぞれ入れる。
さらにマッチを取り出した。
だが、そこでなにかを思い立ったかのように虚空に視線を向けた。
「その子、すこし手伝ってもらえないかしら」
ティアの視線の先には、わたがしのような狐火があった。
「あ? 手伝うってどういう――」
「この蛇の身体に沿って熱を加えてほしいの」
狐火がぼわりとゆれた。やらせて、とせがむ子どものように見える。
「まぁ、それくらいなら――」
晴親が目配せする。狐火がゆれながらぐっと近づいて、
「待って!」
ティアが慌てて呼び止めた。
「んだよ」
「そんないきなり近づけさせないで。じっくり温めるようなイメージよ」
「……わーったよ」
狐火が今度はゆっくりと近づく。おどろおどろしい火の玉が、おっかなびっくり蛇へ近づく様子はどこか滑稽だった。
「その位置で、ゆっくり……そう、その調子」
ティアは晴親にではなく狐火に声をかけている。まるで生き物に接するようだった。
狐火はティアの指示に素直に従い、ゆっくりと蛇の身体に沿って動く。
「あ! ダメダメ! それじゃ、急に温度が上がりすぎちゃう!」
たまに危なっかしくゆれて、そのたびに慌てる。
「………………」
晴親たちはその様子を黙って見ていた。榊の尾がふわりとゆれる。
最初はなにも起きなかった。
だが蛇の体が熱されるにつれ、口と眼窩から煙があがり始める。最初は白かった煙がすこしずつ灰色に変わり、やがて――
「……大丈夫なのか……?」
真っ黒な煙になっていた。独特のにおいが鼻を突き、榊は顔をしかめている。
「えぇ、黒化は成功よ。これで――」
ティアの言葉に合わせるように、重厚な扉がゆっくりと開いていく。
吸い込まれそうな闇を前に、ティアのブーツが力強く床を踏みしめた。臆することなく前へ進んでいく。
ティアのことを気に入ったのか、まるで寄り添うように狐火がそのあとに続いた。
『ぼくたちも行こう』
『ふむ』
人ならざるものたちが入室し、晴親もあとを追う。
なにも見えない暗闇の中で狐火が明滅し、晴親の瞳がなにかを捉えた。
「……泥? いや、岩の……腕……?」
ちらりと見えた腕らしきもの。
狐火が浮かびあがる。
淡い炎が照らし出す部屋の中央にはなにかがあった。
人間にしては大きすぎるが、かといって巨人と呼ぶにはあまりにもちいさい。
それは岩を泥で繋ぎ止めたような人形。
「ようやく……ようやく、たどり着いた……! これが――!」
一行の前にはプラハの伝説、ゴーレムの姿があった。
●
『ティアよ。喜ぶのはまだはやい』
「もちろんよ。本番はこれからだもの」
ほころんでいた顔を引き締め、ティアがゴーレムに一歩踏み出しかけて――
「待て」
晴親のするどい声が響いた。
「なによ?」
「その前に確認させてくれ」
晴親が乱暴な足取りでゴーレムへ近づいていく。ティアがさらに声をあげようとしたところで、
『ごめんね、ティア。時間は取らせないから晴親が最初に見てもいいかな』
いつもの柔和な物言いだが、有無を言わせぬ迫力を感じた。お月様のように真ん丸で可愛らしい瞳が、いまは怪しく輝いている。
『何度も言うけど、ぼくたちはゴーレムに興味はないんだ。だけど道継の狙いがこのゴーレムだっていう可能性は否定できない』
『ふむ。そのための確認というわけだな』
「……わかったわ」
ティアは腕を組んで晴親の背中を見据えた。
晴親は印を結んだり、なんらかの術を用いてゴーレムを検分しているようだった。ときおり漏れ聞こえる声からは、普段自分に向けられる軽さは感じられない。
(彼も彼で事情があるものね……)
数分が過ぎ、検分を終えた晴親がティアたちのもとまで戻ってきた。
『どうだったの?』
榊の問いかけに、晴親はあっさりと言い放つ。
「シロだ。間違いねぇ」
「そうなの?」
意外だと思った。プラハと言えば、真っ先に浮かぶ存在がこのゴーレムだ。
それを完全にシロだと言い切るとは。
「呪力や邪気がまるで感じられねぇ。錬金術の話はわからねぇが、陰陽道や呪術的な視点で言えば、こいつはただの岩と泥の人形だ」
『そっか……また振り出しだね』
「……そうだな」
浮かない顔をするふたり。いっそゴーレムが道継の求めるものであれば、彼らも楽だったのだろう。
「あとは好きにしな」
興味は失せた、と言わんばかりに晴親が壁に背を預ける。
『ぼくたちのことは気にしなくていいから、ゆっくり見てね』
榊が首を差し出す。アタノールの瓶をはずせ、と言いたいのだろう。
密封瓶をはずして持つ。慣れ親しんだ重みが心地良かった。
『ティアよ』
「えぇ」
ふたりがゴーレムに近づく。
その折、熱を感じた。
見れば天井付近にいた狐火が、ティアの顔の高さまで降りてきていた。ぼわり、と燃える火の玉は、かまってほしそうにゆれている。
「ふふっ。あなたも手伝ってくれるの?」
狐火がティアの手元をやさしく照らす。
伝承のとおり、ゴーレムの素材は岩と泥が主だった。率直に言ってしまえば、きのう見た土人形の見た目と大差ない。
見た目だけの話ならば。
手が震える。
ただ岩と泥を繋ぎ合わせて創られただけの人形が、どうしてこれほどの威圧感をまとっているのか。それも休眠している状態で、だ。
額に目を向ける。かすれているが、うっすらとmethの文字が見える。
ヘブライ語で【死】を意味する言葉。
伝承のとおりであれば、eを足してemeth――【真理】にすれば動き出すはずだ。
(だけど、迂闊に起こしちゃったら……)
ゴーレムは戦闘用の兵器ではない。命令を忠実に遂行する存在で、さまざまな任務の助手やプラハの守護者とされている。
だが、もしも暴れ出したら間違いなく大変なことになる。そう感じさせるほどの言葉にできないなにかを放っている。
そうなってしまえば、少なくとも自分の手には負えないだろう。晴親の力量は未知数だが、果たして彼でも対応できるかどうか――
(ううん、そんなことは起きない)
自分たちの目的はゴーレムを起動することではない。ゴーレムは目的へいたるための手段のひとつだ。
その機構にこそ、求めている答えがあるはず。
(もっと詳しく調べてみたいけど……)
ティアの目が狐火に向けられた。ふるふると震えながら必死に部屋を照らしてくれているが、それでも暗すぎた。
「お願いがあるんだけど」
「なんだ」
ぶっきらぼうな声だが、いつものトゲが感じられない。それとも、自分が彼の物言いに慣れてしまったのだろうか。
「ゴーレムを運び出すのを手伝ってほしいの」
窓も照明もないこの部屋は日中であっても暗いままだろう。検分作業などできるはずもない。そもそも日中にここへ侵入すること自体が難しい。
となれば外に持ち出すしかないのだが、なにせ岩と泥の人形だ。とてもじゃないが、自分ひとりではどうしようもなかった。
「おまえなぁ……それは犯罪だろうが」
「わかってるわ……だけどわたしには、どうしてもゴーレムを調べないといけない理由があるの」
そのためだけに、このプラハの地を訪れたのだ。
『晴親殿、どうか頼めないだろうか』
晴親の顔が引き締まる。
「お願い」
槍のようにするどい視線を真っ向から受け止める。ここで引くわけにはいかない。
榊は黙って成り行きを見守っていた。正直に言えば、やさしいひと押しも欲しかったが、事情を知らない彼が味方してくれるはずもなかった。
視線が交差したまま、しばしの沈黙が落ちた。場の緊張を察しているのか、狐火も一切動かなかった。
「……条件がある」
ようやく晴親が口を開いた。
「なに? 呪符の件なら――」
「そんな期待はしてねぇ。うっすら呪力が感じられる程度のおまえたちには荷が重い」
――そっちはもう情報をもらったからな。
ぼそりと彼が漏らした言葉は誰も聞き取れなかった。
「じゃあなに? わたしに協力できることなら――」
「その理由とやらを教えろ」
晴親が壁から離れ、ティアのもとへ歩む。草履が床を踏みしめる音が妙に響いた。
「たしかにこいつはオレからすれば岩と泥の人形だ。なんの価値もねぇ。だが、おまえたちにとってはそうじゃない」
狐火に照らされ、まるで悪魔のように伸びた影がティアを飲み込む。
「こいつはやべぇ。錬金術に疎いオレでもそれくらいはわかる」
「っ」
自分の生唾を飲み込む音が、はっきりと聞こえたのははじめてだった。
「おまえは人に害をなす悪党じゃねぇ。だが、こいつは下手に刺激せず、ここで眠らせておくべきだ」
晴親がティアの正面に立った。
「それを運び出したい、ってんならそれ相応の理由があるはずだ。答えろ、おまえたちの目的はなんだ」
どうやら自分は土御門晴親という男を読み切れていなかったようだ。
陰陽師の名門一族の末裔は伊達ではなかったらしい。
『ティアよ』
アタノールの声が重くこだました。視線を向けると、彼は深くうなずいた。
ティアの碧眼が晴親を真摯に捉え、そして――
「わたしたちの目的は、太陽の花の錬成よ」




