第二章 同行者たちの夜支度
――その後。
「さっさと帰れ!」
「何様のつもり!? 助けたからって偉そうに!」
ティアが追いつくと、さっそくふたりは路地の真ん中でいがみ合い始めた。
不自然に静かなプラハの街に、場違いな罵倒の応酬が響き――
勢いそのまま、気がつけばなぜか揃って部屋に転がり込んでいた。
「で? なんでてめぇらがここにいるんだ?」
「わ、わたしだって、来たくて来たんじゃないわよ!」
ここはヴルタヴァ川のほとりに建つ安宿の一室。晴親が取った部屋だ。
晴親が椅子に座り、机の上では榊が身体を丸めている。アタノールの入った密封瓶は榊の横に置かれ、ティアはベッドに腰かけていた。
「じゃあ出てけ」
「あなた正気なの!? あんなことがあったのに、こんなにか弱い淑女を放り出そうとするなんて!」
「淑女なら、命を助けてくれた恩人には、もっと丁寧に接すると思うんだが?」
「こっ、の……!」
ティアが歯噛みする。
『やめなよ、晴親』
『ティアよ、陰陽師殿は命の恩人だ。もうすこし淑やかに振る舞えないものか』
「だって――」
『陰陽師殿、あらためて礼を言わせてもらおう。本当に助かった』
ホムンクルスが瓶の中で頭を深々と下げた。
「アタノール! こんな野蛮人に頭を下げる必要なんかないわよ!」
「誰が野蛮人だ! 礼をする気がねぇなら帰れ!」
不毛なやり取りをする主人たちをよそに、人ならざるものたちは大人の会話をしていた。
『ごめんね、アタノール。晴親は悪い子じゃないんだけど、すこしひねくれてて』
『ふむ。こちらも同じこと。ティアも素直でないが、本来とてもやさしい子なのだ』
「「余計なことを言うな!」」
火花を散らすふたりの声に、大人たちは揃ってため息をついた。
『それで? アタノールたちはどうしてぼくたちについて来たの?』
『ふむ。あらためて礼を申したかったのもあるが――』
と、
なにかを思い出したかのように、アタノールが晴親に目を向けた。
『そういえば陰陽師殿にはきちんと自己紹介をしていなかったな』
「あぁ? ……あぁ、そういえば」
『ふむ。我はアタノールと申す。見てのとおり、ホムンクルスだ。そして――』
アタノールがちいさな手をティアへ向けた。
『彼女は我が創造主にして稀代の錬金術師、マグヌス=ティア=ホーエンハイムだ』
「アタノール! わたしは野蛮人に名乗る名前は持ち合わせてないんだけど!?」
「アタノールと性悪女か」
「ちょっと!」
ティアの投げた枕が晴親の顔に当たり、ぼふっ、と音が鳴った。
「て、っめぇ――」
『ぼくもお姉さんには挨拶してなかったね。ぼくは榊。狐の式神だよ。それから――』
榊の尾の一本が晴親に向けられ、
『彼は土御門晴親。陰陽師の名門、土御門家の末裔だよ』
「おあげ! そこのホムンクルスはともかく、こんな性悪にオレの名を知らせる必要はねぇ!」
「おあげ?」
『晴親がぼくに付けたあだ名。ひどいよね。ぼくには榊、っていう立派な名前が――』
「おあげちゃんと野蛮人ね」
『……まぁ好きに呼んで……』
「無視すんな、こらぁ!」
晴親の投げた枕がティアの顔に当たり、ぽふん、と音が鳴った。
「なにすんの――よっ!」
ティアが枕を投げ返したところで、二体の人ならざるものたちは揃って頭をかかえた。
●
「結局、てめぇらはなにしに来たんだよ」
晴親が言った。
さきほどまでとは打って変わり、表情は引き締まっている。
ティアが視線を密封瓶に向けた。
アタノールはなにも言わず一度うなずき、それを見たティアは背筋を正し、言う。
「単刀直入に聞くんだけど、あなたたちがプラハに来た目的も伝説のゴーレムで間違いないのかしら?」
「……ゴーレムだぁ? なんだそれ?」
沈黙。
「えっ!?」
『なんと!?』
「ちょ、ちょっと待って!」
ベッドから立ち上がり、晴親をまっすぐ捉える。
「あなたたちの目的も、旧新シナゴーグに封印されているゴーレムじゃないの!?」
「何回も言わせんな。ゴーレムってなんのことだよ」
「じゃあどうして、旧新シナゴーグの場所を聞いたのよ!?」
「……観光だって言っただろ」
「うそ」
「うそじゃねぇよ」
ティアの碧眼が真偽を見定めるようにするどく細められる。
晴親はその眼差しを真っ向から受け止めていたが、
『晴親、話しちゃいなよ』
「おあげ」
『ふたりの目的はぼくたちとまったく別だし、問題ないでしょ』
「ったく……」
晴親が面倒くさそうに後頭部を掻く。
ティアとアタノールが黙ってその様子を見ていると、
「……人を追ってる」
ぼそりと漏らした。
『ぼくたちはとある人物を追いかけて、わざわざ海を越えてプラハまで来たんだ』
『ふむ。それはいったい――』
「蘆屋道継。オレたち土御門家にとって……長い因縁のある一族の末裔だ」
晴親のにぎりしめた拳が、力強く震えていた。
「てめぇら、安倍晴明って陰陽師の名を聞いた覚えは?」
「……初耳ね」
『我も聞いたことがない』
「だろうな。まぁ、さすがの安倍晴明も海を越えた異国の地にまでは名が届かなかったわけだ」
「誰なのよ、そのアベノセイメイって」
『土御門家の開祖――晴親の遠い先祖だよ。東洋では名前を知らない人はいない、ってくらい凄い陰陽師なんだ』
榊の表情は昔を懐かしむようにおだやかだった。
まるでその目で安倍晴明を見たことがあるかのように、どこか誇らしげだ。
「その安倍晴明が使役してた、十二天将っていう式神がいるんだが」
「ジュウニ、テンショウ……?」
「あぁ……まぁ、あれだ。わかりやすく言えば、最強の式神だ」
そう言われたところで、やはりピンとこなかった。
「その最強の式神を召喚するための――わかりやすく言えば鍵を蘆屋家が奪った」
『ぼくたち土御門家は長い年月をかけてその鍵を取り戻そうとしてきたんだ』
『ふむ。一族の因縁とはそういうことか』
アタノールが顎に手を当てうなずいた。
「で、だ。オレたちがプラハに来たのは蘆屋家の末裔、蘆屋道継がプラハに現れた、って噂を聞きつけたからだ」
「……最初の質問に答えてないわよ。シナゴーグについては?」
はぐらかされているのかと思ったが、そうではなかったらしい。
晴親はアタノールの入った密封瓶をつつきながら言う。アタノールは楽しそうにしている。
「オレたちがつかんだのはプラハに現れた、ってだけだ。それ以上はなにも知らねぇ。それでもここまでたどり着けば野郎の呪力を追えると踏んでいたんだが……」
表情に影が差した。
瓶をつつく力が強くなり、アタノールが慌てていた。
『着いて驚いちゃったよ。いまのプラハはおかしい』
「……どういうこと?」
「プラハは錬金術の聖地。それくらいはオレでも知ってる。逆に言えばプラハは本来、呪力や邪気とは無縁の街だ」
『だけどいまのプラハは、禍々しい呪力がそこら中から立ちのぼってるんだ』
『ふむ』
呪力や邪気と言われたところで、ティアもアタノールも実感は湧かなかった。
「オレたちはプラハをしらみ潰しに探ってた。こんだけ呪力が濃いと、どこに道継がいるのかわかりゃしねぇからな」
『そこで見つけたのが――』
晴親が懐から呪符を取り出した。
土人形や水人形の中に入っていたものとはまるで違う。真っ黒な紙に、血のような赤い墨でなにかが書かれていた。
「これは道継の呪符だ。相当強力な術式が込められてやがる」
『これがプラハのいたるところに貼り巡らされているんだ』
「貼り巡らされてる、って……なにが起きるの?」
どう見ても禍々しいものだ。良からぬことが起きることくらい、簡単に想像がついた。
アタノールも興味深そうに呪符に目を向けている。
「……わからねぇ」
「わからない?」
晴親の口からそんな言葉が出るのは意外だと思った。
『蘆屋家独自のものだからね』
「ちっ」
『道継ほどの術者の呪力ならぼくはにおいを追えるんだけど、この呪符のせいで鼻が曲がっちゃいそうなんだ』
猫のように前足で鼻をさすって、榊は続ける。
『だからぼくたちは道継が興味を持ちそうな場所を順番に当たってたんだ。その中のひとつに、旧新シナゴーグがあったんだよ』
「それをこの性悪女ときたら……!」
晴親がジト目でティアをにらむ。
にらまれたティアは思案顔でうつむき、晴親の視線には気づいていない。
「あなたの話はわかったわ」
ティアが顔を上げた。
「要するに、あなたの一族は十二天将召喚に必要な鍵を奪った蘆屋家と因縁がある。そして、蘆屋家の末裔の蘆屋道継はこのプラハにいる可能性が高い、ってことね」
『ふむ。晴親殿たちの事情は理解した。そのうえで――』
「いい加減にしてくれ。何時だと思ってんだ」
日をまたいでから、ずいぶん時間が過ぎていた。
掛け時計に目を向けたアタノールが言う。
『ふむ。晴親殿の言うとおりだな』
「そうね。続きはあしたにしましょう」
「は? 続き、ってどういうことだよ?」
「まだ話は終わってないじゃない」
「これ以上てめぇらと話すことはねぇんだが?」
「あなたにはなくても、わたしたちにはあるの」
ティアはそう言って、部屋を見回す。
晴親の取った部屋は質素な部屋だ。ベッドと机、それ以外にはユニットバスへ繋がる扉しかない。そのことを確認すると、さも当然のように言った。
「それじゃ、さっさと出て行って。わたしシャワー浴びたいから」
「シャ――っ!? いや、おかしいだろ!?」
「なにがよ」
「ここはオレの部屋だろうが! どうしててめぇが我が物顔で使おうとしてんだ!」
「まさかあなた……わたしにシャワーを浴びるな、って言いたいの? ……いやらしい」
両手で己の身体を抱いて晴親をにらむ。けだものを見る目だった。
「自分の家に帰れ、って言ってんだ! なにを当たり前にくつろごうとしてやがんだ!」
「さっきも言ったけど、まさかこんな時間に、わたしみたいなか弱い淑女を外に放り出すつもりなの?」
「てめぇがか弱いかどうかはどうでもいいんだよ!」
『晴親殿』
ようやくすこしは話のわかる大人が出てきた。
晴親は期待を込めた目をアタノールへ向ける。
「アタノールからも言ってくれよ! なんなんだこの女――」
『すまぬがすこし出ていてもらえぬか。なに、そこまで時間は取らせまい』
「てめぇもかよ! おい、おあげ! おあげからも――」
『晴親、さすがに感心しないよ。はやく出て行って』
「………………」
絶句した晴親は肩を落とし、とぼとぼと部屋から出て行った。
その後、ティアがシャワーから上がると、廊下でふてくされていた晴親は、ようやく部屋に入ることを許された。
扉越しに聞こえてきた水音と鼻歌が、心底うっとうしかった。
「ったく……じゃ、さっさと出て行――」
「それじゃ、わたしがベッドを使うからあなたは机で寝てね」
「こっ、の……! いい加減に――」
『晴親』
「………………」
味方のいない晴親は、机に突っ伏しながら全力で丑の刻参りをしてやろうと考えた。
(この性悪女……! 絶対いつか泣かす……!)
一方、ティアはベッドの上で顔を真っ赤に染め、
「ね、ねぇ、おあげちゃん!」
『なに?』
お月様のような瞳を向けられ、ティアの胸がさらに高まる。
「あ、あのね! 良かったらこっちで一緒に寝ない!? ふわふわであったか――」
『ごめんね。ぼく、そういうのはもうやめたんだ』
そう言って榊は机の上で丸くなった。とりつく島もなかった。
「………………」
すげなく断られ、ティアは代わりに枕を抱きしめた。
(絶対いつかもふもふするんだから――っ!)
そうして夜も更けていった。
●
翌朝。
宿を出た四人は、あいかわらず人で溢れている旧市街広場を歩いていた。
「これも例の呪符の効果なのね……」
『ふむ。にわかには信じられんな』
転がったままのマンホールの蓋。
砕けて陥没した石畳。
あたりは水浸しで、広場の中心には汚泥の山――きのうの余韻が残ったままだった。
広場を行き交う人々は、その異常な爪痕を前にしてもなにも気にしている様子はない。それどころか平然と観光を続けているようにも見える。
『そうなんだ。道継の濃すぎる呪力に当てられて、プラハの人たちの感覚がおかしくなっちゃってるんだ』
「けど、それならどうしてわたしたちは異常を認識できているのかしら」
『ふむ』
『ぼくたちと触れ合ったからだよ』
「触れ合った?」
榊は見上げるようにティアと視線を合わせた。
『東洋には袖振り合うも多生の縁、って言葉があるんだ。見知らぬ誰かと袖が触れ合うのもなにかの縁がある、って意味なんだ』
『ふむ。素敵な言葉だ』
ティアもそう思った。
触れ合った袖は野蛮だったけど、とも思った。
『ふたりは土人形に襲われて晴親やぼくの呪力を間近で浴びた。そのとき呪力に対する感覚が目覚めたんだよ』
「そ、そうなの……?」
知らぬ間に得体の知れない感覚が芽生えていたことに、ティアは不安を覚えた。
それを見た榊が努めて明るく言う。
『呪力や邪気なんて言ってるけど、本来人間が持つ思いや感情をわかりやすく言葉にしただけだからね。それを認識してるかしてないか、ってだけなんだよ』
「そ、そう……」
四人は傷跡の残る旧市街広場を抜け、パジーシュスカー通りに入る。
街路樹の緑が目にやさしく、吹き抜ける風がすこし肌寒い。
きのう通ったときには賑やかで華々しいと感じた通りが、きょうはどこか不気味に思えて仕方なかった。
と、
榊の視線が無言を貫く主に向けられた。
『晴親、いつまで拗ねてるのさ』
「拗ねてるんじゃなくて身体中が痛ぇんだよ! 机で寝るなんざ学舎以来だ!」
人相の悪い顔を、さらにゆがめて言った。
それだけで溢れる人混みが晴親たちを避けるように割れていく。
「ったく……で、そのゴーレムとやらはなんだ?」
ティアが目を細めた。
「興味なかったんじゃないの?」
「勘違いすんな、オレは興味ねぇ。だが、道継が興味あるかどうかは別だ」
「それもそうね……」
ティアは咳払いをひとつ挟み、
「旧新シナゴーグのゴーレムは、イェフダ=レーヴ=ベン=ベザレル、っていうラビが創ったと言われているわ」
「イェスダ……レーベ……パン、ザミエル……?」
『イェフダ=レーヴ=ベン=ベザレルだ、晴親殿』
「一般的にはラビ=レーヴと呼ばれているわ」
なら最初っからそう言えや、という晴親の小言を無視してティアは続ける。
「ラビ=レーヴは迫害に苦しむプラハのユダヤ人たちを守るために、ヴルタヴァ川の泥からゴーレムを創り出した、と伝承には記されているの」
「なんだそりゃ……おとぎ噺じゃねぇか」
「ふふっ」
ティアが口に手を当て笑った。見たことのない年相応の笑みだった。
「なんだよ」
「だっておかしくて」
「なにが」
「泥から創ったゴーレムはおとぎ噺で、土をこねて創られた式神はそうじゃないんでしょ? どっちも似たようなものじゃない」
「むっ……」
土人形や水人形も、元を正せばただの土と水だ。それらに呪符や呪力を込めて動かす。ふたつの違いは呪力で動かすのか、言葉で動かすのかだけだった。
「で?」
「ゴーレムはもちろんすごく活躍した。だけど、あるときから暴走を始めちゃったの」
「暴走? どういうことだよ」
「諸説あるんだけど、有力なのは安息日にゴーレムを休止させなかった、って説ね。神聖な安息日に休息を与えなかった――つまりゴーレムは、神に背いた存在となってしまったのよ」
「なんだ、その零か百かみてぇな発想は……? っと」
「神に背き、自我を得たゴーレムはラビ=レーヴですら制御できないほどに暴れ回った。最終的には生みの親たるラビ=レーヴ自らの手によって、力の根源たる額の文字を削られて――」
ティアが観光ガイドのように手を差し出した。手の向けられた先には特徴的なギザギザ屋根の礼拝所があった。
「この旧新シナゴーグに封印されました、というのがプラハのゴーレム伝説なの」
『ふむ。西洋では有名な話だ』
ティアの手元で密封瓶がゆれる。中のアタノールは優雅な礼を披露した。主人と同調しているようにも見える。
『なるほどね。ゴーレムはプラハの街やユダヤ人にとって、守り神みたいなものなんだね』
『そうだな。もっとも、いまはマスコット的な存在らしいが』
『それっぽいお土産もたくさんあったね。ちなんだ料理とか。昔は人々を守って、いまは経済を守ってる、ってとこだね』
『言い得て妙だな』
「……ゴーレムのことについては、まぁなんとなくわかったんだが」
晴親が礼拝所からティアに視線を移し、問いかける。
「それで結局てめぇらがゴーレムを手に入れたい理由はなんなんだ?」
「わたしたちの目的はゴーレムじゃないの。ゴーレムは過程のひとつよ」
「は? なら――」
「そんなことより入ってみましょう! きのうは珍獣騒ぎで入ってないんだし」
「誰が珍獣だ!」
一行は礼拝所の門を開けた。
●
「ほう」
旧新シナゴーグに入った晴親の第一声が、それだった。
中は質素な礼拝所だ。
薄暗い館内には華やかな色ガラスの一枚もない。建物が古いせいか、ひやりとした空気がときおり肌をゆるりとなでる。
観光地として考えれば、ありていに言ってつまらないのだが、
「いい雰囲気じゃねぇか。侘び寂びを感じる」
まさか遠い海を渡った先に、このような空間に出会えるとは思っていなかった。
「ワビ……サビ……?」
『東洋の言い回しだよ。晴親はこの場所を気に入った、って言いたいんだよ』
「妙な言い回しね……」
四人はしばし入り口で立ち止まり、礼拝所の静謐な空気を堪能する。
そうして、さして広くもない礼拝所を見て回ろうと思ったが、
『ふむ。やはり人が多いな』
シナゴーグ内には多くの観光客が詰めかけており、とてもではないが自由に見て回れそうになかった。
『観光程度なら問題なさそうだけど、さすがに細かくは見て回れないね』
「そうね、やっぱり夜を待つしかないのかしら……」
「夜、って……てめぇまさか――」
「そうよ。きのうの夜、わたしたちは旧新シナゴーグを目指してたの」
真夜中の旧市街広場にいたのは、そういう理由だったらしい。
「偉ぶってるわりには発想がこそ泥じゃねぇか」
「なっ!? 失礼ね! そんな下賤な――」
『ティアよ』
大声が出そうになったティアをアタノールがたしなめる。
晴親はしたり顔だ。
「と、とにかく! せっかく来たんだからわたしたちも見て回りましょう」
『そうだね』
観光客に混じって四人は館内を見て回る。
二本の大きな石柱。天井は尖ったアーチ状になっていて、肋骨のような石の筋が走っている。古い石や乾いた布のにおいに埃っぽさも混じる、閉じた空気で満ちていた。
「ますます気に入った」
晴親が感心する。変に現代の風を取り入れず、古い祈りの場を守ろうとしている点は、寺社仏閣と通じるものがあった。
『ぼくもここは落ち着くよ。変な呪力も感じないしね』
『ふむ。ということは、この場所は件の蘆屋道継とは無関係と?』
「どうだろうな」
晴親の視線がするどくなった。
「たしかに呪力は感じねぇが、あの奥からはなにか……もっと異質な力を感じる」
『そうだね。あの……箱? みたいなものの中から漏れ出てるね』
ふたりの視線は東壁の中央に据えられた箱へ向けられていた。
「あれは……トーラーをしまう聖櫃ね」
「トーラー?」
『ヘブライ語聖書の最初の五書、モーセの五書とも呼ばれる。それを書き記した聖なる巻物のことだ』
「そのトーラーを、あの鉄柵で囲まれたビーマー――朗読台で読むのよ」
ティアたちの説明を晴親なりに噛み砕く。
「寺で坊さんが読み上げる経典みてぇなもんか」
「……とにかく、あなたたちが感じた力は聖なるものの力だから問題ないはずよ」
そう締めて、一行は観光客に混じってふたたび館内を歩く。
とはいえ、広くない礼拝所だ。一〇分足らずで見終わってしまった。
「で、そのゴーレムとやらは、どこにいんだよ?」
館内にはそれらしきものはなにも見られなかった。
強いて言うのであれば、例のトーラーを収めているという聖櫃には、ちいさなゴーレムであれば入りそうではあったが――
「ここにはないわ」
「はぁ!? じゃあ、いったいなんのために――」
『晴親』
周りから刺すような視線を向けられるも晴親と目が合った途端、みなが一斉に視線をそらした。
「……なぁ、おあげ。オレってそんなに人相悪いか……?」
『……気にしてたんだ……』
●
シナゴーグを出た一行は、ぐるりと回って建物の側面に来ていた。
「あそこにゴーレムが封印されている。伝承では、そう語られているわ」
そう言ってティアが指さしたのは、ギザギザ屋根の付け根あたりにあるちいさな扉だった。
高い位置にある扉へ続く足掛けの金具は途中で外されていて、手が届かないようになっている。
「なんか雑だな」
「そうね。実際これまでにも、幾度となく侵入を企てた例はあるそうよ」
「……含んだ言い方しやがるな」
「プラハのゴーレム伝説は西洋では有名なの。とくに錬金術師の間ではね」
「そういえばおまえって錬金術師だったんだな」
「……含んだ言い方するわね」
「いや、だっておまえ、ただの性悪女にしか見えな――」
ティアがローブに手を入れる。
取り出したのは――禍々しい色の液体で満たされた、一本の試験管だ。
「わたし、こう見えても内陣第五階梯の錬金術師なの」
「あでぷとす……まいなー?」
『錬金術師の階梯を表すものだ。ティアの年齢で内陣第五階梯までいたれる者は、そう多くはない』
『へー! ティアって凄いんだね!』
「ありがとう! おあげちゃん!」
榊に可憐な笑みを向けた。
かと思えば、晴親には修羅の形相を向ける。
「そんなわたしの得意なものって、なにかわかるかしら?」
生唾を飲み込む。
さすがにいつもの軽口を叩けそうな雰囲気ではなかった。
「そうね。あなたは錬金術に明るくない。だから、順を追って説明してあげるわ」
ティアが試験管から蓋を外し、振りかぶる。
『榊殿、こちらへ』
『うん』
アタノールの指示に従い、榊が素早く移動する。
「錬金術には十二の門がある」
ティアが試験管を晴親に投擲する。
試験管はきれいな弧を描いて晴親に当たり、中の液体が飛び散った。
瞬間。
「あっちぃいぃぃぃ!」
晴親の着物が、まるで油に火を点けたかのように燃え上がった。
「それは第一の門、煆焼を象徴する燃焼薬よ」
ふんっ、と鼻を鳴らしてティアはローブを翻し、晴親に背を向けて歩き出した。
『晴親殿』
アタノールが瓶の中で呆れた目を向けていた。
「あっちぃ! ちょ、おあげ! 助けてく――」
『晴親って本当に学習しないよね……』
子狐の式神は呆れた様子で尾を振るって、晴親に呪符を叩きつけた。
●
ヴルタヴァ川のほとりの宿舎から、うなり声が聞こえる。
「くそっ!」
あのあとティアたちと別れ、榊とふたりで教会や美術館などを数か所回った。
だが、道継に繋がりそうな手がかりは結局なにも得られなかった。
「あの女……! 恩を仇で返しやがって……!」
なにもかもうまくいかない気がしてきた晴親は、いつも以上に言葉を荒らげていた。
『あのね、晴親……きのうも言ったけど、もっと女性に対する接し方を考えたほうが――』
「オレは悪くねぇだろ!」
椅子を乱暴に引き寄せて腰を下ろすと、また愚痴を漏らした。
「人がやさしくしてりゃつけ上がりやがって! 金輪際あんな女とは関わらねぇ!」
『そんなこと言わないの』
ベッドで丸まっていた榊が身体を起こす。ふわふわと三本の尾をゆらしながら、机の上に飛び乗って視線を合わせる。
『あのね、晴親』
「んだよ」
『道継は強いよ』
「……んなことは」
『本当にわかってる?』
唇を引き結ぶ。
榊の表情は真剣そのもので、いつもの小言を言うような軽い雰囲気は感じられない。
『土御門家も蘆屋家も、時代の流れで衰退の一途をたどってる……次の代なんてないかもしれない。晴親の代で鍵を取り戻せなかったら、もう二度と取り戻せないかもしれないんだよ』
「わーってるけどよ。それならなおさらあの女は関係ないだろ」
『たしかにティアたちはまったく違う畑の人たちだね。でも、だからこそぼくはあの子たちの助けが必要になるんじゃないか、って思うんだ』
「なに馬鹿なこと言ってんだ」
立ち上がって窓辺へ向かう。
窓から見えるプラハの街。昼間も濃い呪力があちこちから立ちのぼっていたが、夜になるとよりいっそう濃く見える。それが丑三つ時ともなれば、ひどいものだった。
(プラハに道継がいんのは間違いねぇが、狙いがまったく読めねぇ。呪術とは無縁のこの街でいったいなにを企んでやがる……?)
晴親たちが一向に足取りをつかめないのは、道継の考えが読めずにいるからだった。
(海を越え、遠い異国の地に渡って七面倒な呪符を貼り巡らせた……なんのためだ? てめぇはこの街にいったいなにを見いだした……?)
呪術と結び付けられそうなシナゴーグや教会は数知れず。
それ以外にも修道院や宮殿、城など道継が興味を持ちそうな歴史的に価値のある場所はいくらでもあった。
(いや、マラー・ストラナ地区は関係ないはずだ。呪力が感じられなかった)
ティアに騙され、マラー・ストラナ地区――ヴルタヴァ川を挟んで西側の地を訪れようとした晴親たちは、カレル橋の上で踵を返していた。
あちらからは呪力のにおいも、それらしい淀みも、まったく感じられなかったからだ。
(なら、やっぱ旧市街を中心とした、このあたりに野郎の狙いが……)
『ぼくたちだけじゃ道継の狙いを看破するのは難しいかもしれないね』
「………………」
『プラハは錬金術の聖地。ティアたちもはじめて来たみたいだけど、それでもぼくたちよりは詳しいはずだよ』
「………………」
『晴親ならそれくらいわかってるよね』
榊の言うとおりだった。
土地勘のまったくない場所でかくれんぼをしているようなものだ。おまけにロシュ・ハシャナという祭礼が近く、普段よりもずっと人が多いようだ。
「……わかってんだよ、んなことは……」
コンコンコン。
晴親の眉が、ぴくりと動いた。心当たりは一組しかいない。
『ちゃんと話さないとダメだよ』
「わかってる、っつの!」
外開きの扉を勢いよく開ける。
「ぶっ!」
「あっ」
扉の前に立っていた少女が、鼻先をしたたかに打ってよろめいた。
「ひょっと! あにふんのよ!」
「あぁ……いや、その……悪かった。ちょっと考え事しててよ……」
さすがにいまのはやらかした自覚があった。
「考え事?」
「あぁ……」
「そう」
きのうはあれだけ堂々と過ごしていたくせに、きょうのティアはやけにしおらしく見えた。
『ふむ。蘆屋道継のことか』
「……そうだ……まぁ入れよ」
「あ、ありがとう」
ティアたちを招き入れる。
『ごめんね、ティア。大丈夫?』
「大丈夫。こちらこそ、こんな時間にごめんなさい」
ティアは持っていた瓶を机に置くと、ベッドに腰かけた。晴親も椅子に座り、アタノールと榊が簡単に挨拶を交わして、
「「………………」」
普段からいがみ合うことしかないふたりにとって、はじめてとも言える沈黙の時間だった。
「「……あ、あのよ(ね)!」」
沈黙。
「「……その!」」
沈黙。
(おあげ、なんとか言えよ……!)
(アタノール、どうして黙ったままなのよ……!)
大人たちは灸をすえるつもりなのか、黙ったままだった。
『……なにこれ?』
『ふむ』
ようやく見かねて口を開いたところで、ふたりはいつもの調子を取り戻す。
「なんか話があって来たんだろ」
口調はあいかわらずだが、もうトゲは感じられなかった。
「そっちこそ煮詰まった、って顔してたけど」
「誰の顔が煮詰まってんだよ……!」
「そういう意味じゃないわよ!」
ティアが咳払いを挟み、
「まずはあなたの話を聞かせて」
「……どういう風の吹き回しだ?」
晴親がいぶかしげな目を向ける。
「わたしたちは、あなたたちにお願いをしに来たの」
「お願い、だ?」
「そうよ。あなたたちにしか頼めないお願い。だから、あなたたちの話を先に聞かせてもらうのがフェアでしょ」
よくわからないが、要するに貸しを作りたくないということだろうか。妙におとなしかったのはそういうことだったらしい。
「……それなら、先におまえらの用件を済ませるぞ」
「言ったでしょ。わたしたちはお願いを――」
「なら、そのお願いとやらを聞いてやるからオレたちの話も聞け」
そう言って晴親は椅子から立ち上がった。
「旧新シナゴーグに行きてぇんだろ」
「! どうして――」
「自分で言ってたじゃねぇか。きのうの土人形たちがまた現れるかもしれねぇ――要は用心棒だろ」
「あっ……」
扉へと向かう。榊もティアに笑顔を向けて晴親に続く。
『ティアよ。ここは素直に甘えるとしよう』
「……そうね」
白いローブをはためかせてティアも立ち上がり、アタノールの瓶を持って部屋を出ていった。




